苦い文学

エア

彼はエアギターというやつをやってみた。意外にエア上手にできたのでエア人前でエア披露に及んだ。エア喝采を浴び、たちまちエア評判を呼んだ。

エアラジオからエア問い合わせが来て、エアインタビューを受けた。そして、日本中にエアオンエア。

エアテレビからも声がかかり、エア出演だ。これをエアきっかけにエアタレント活動が始まった。

軽妙なエアトークがエア話題となり、エア各局でエア引っ張りだこ。ついにはエア司会としてエア番組を持つまでになった。

エア収入もエア増すばかりで、エア都内のエア一等地にエア邸宅を建てた。エア「エア御殿」とエア近隣でエア噂の的。

エア美しいエアモデルをエア妻に向かい入れ、エア新婚としてエアハネムーンにエアエアーでエア飛び立つ。

まことに満ち足りたエア人生かと思いきや、エアが切れて、たちまち彼は四畳半ボロアパートの暮らしに引き戻される。

「人生はチビシイ……」

と彼は横になって鼻をほじるのであった。

エア「水木しげるの短編まんが」完。

苦い文学

大予言

私が子どものころ、ノストラダムスの大予言は非常に大きな影響力を持っていた。「1999年7月の恐怖の大王の来訪」とか「アンゴルモアの復活」とか恐ろしい語句をちりばめた四行詩が、我々の未熟な精神にすっかり世界の滅亡を信じ込ませたのである。

もちろん、これらは外れた。滅亡するのは予言のほうかと思いきや、どっこい今に至るまでしぶとく生き延びて、現在もそれなりの関心を集めているようだ。

この間も、本屋に行ったら、ノストラダムスの予言を扱った新刊書が積まれていた。思わず手に取ってページを開いてみると、こんな四行詩が目に入ってきた。

不可能だ、行儀よく真面目なる者よ。
学び場で闇夜の硝子が粉々になる時。
ヘルメス全土に自由をもたらす欲求とともに
支配は終わるだろう、仕組まれた卒業によって。

この奇怪な予言はいったいなにを意味しているのだろうか。皆目見当もつかないが、もしかしたらカラオケに行けばわかるような気がする……

音楽

ラ抜きの研究

「ら抜き言葉」というのは、可能の「見られる(つまり、見ることができる)」「来られる(つまり、来ることができる)」などを「見れる」「来れる」のように「ら」を抜いて言うことを指す。

これはしばしば「正しくない日本語」とされるが、現在では広く用いられていて、テレビのバラエティ番組などでも「ら抜き」のほうが普通だ(そして、テロップでは「ら」が復元されるのも普通だ)。

私はかねてからこの「ら抜き言葉」に関心があり、調査・研究を重ねてきた。具体的なテーマは「抜かれた「ら」はどこに行ってしまったのか」というものだ。

私は日本のどこかに、抜かれた「ら」たちが集積する場所があるのではないかと考え、羅臼、浦安、島原、伊良部島など「ら」のつく土地を候補地としてくまなく踏査したが、そのような「らの墓場」は見つからなかった。

私の研究は行き詰まったかに見えた。だが、さらなる研究が突破口を開けたのだった。「ら抜き言葉」が生まれたのは100年以上前だというが、これが格段に広まったのはここ数十年のことである。そして、この急な拡大の原因となった出来事が、1978年に起きていたのだ。

サザンオールスターズの「勝手にシンドバッド」の発売である。

すべてのラはこの曲に吸収されていたのだ! 今でも、日本中のカラオケで!

この胸騒ぎのする研究をすぐにでも学会で発表したいほどに、ちょっと待って、まだはやい。いずれお目にかかれてと心なしに思う次第だ。

苦い文学

エチカ

私は無職だが、時たま肩書きを要求されるときもあり、そうしたときは非常に決まりの悪い思いをすることになる。

何か別の肩書きでもあればいいのだが、そうしたものもない。嘘をつくわけにもいかないので、恥を忍んで無職と答えることとなる。

そのようなわけで、近ごろはどうやったらこの無職というのをカッコよく言えるかばかり考えている(おかげで就職活動もそっちのけだ)。

答えはすぐ見つかった。なんのことはない「永遠の」をつければよかったのだ。

つまり「永遠の無職」だ。これは「永遠の17歳」とかいうのと同じで、人々は「あえて無職と名乗っている=つまり本当は仕事をしている」と勝手に受け取ってくれること疑いなしだ。

しかも、これは真実でもある。私はもしかしたら今後、なんらかの仕事に就くかもしれないが、かりにそうだとしても、それは決して本質的なものではない。それは私が無職であった期間に比べればはるかに短く、スピノザのいう永遠の相のもとに眺めれば、私は無職なのである(そして、これはあらゆる人間に当てはまるのだ……)。

私は「永遠の無職」と答えよう。そうだ、胸を張って、堂々と!

いつの日か私を永遠の業火が焼き尽くすまで……。

苦い文学

オールドデリー

人生について知らなかったころ、そこには謎などないような気がしていたが、人生について知るにつれ、そこには謎しかないような気がしてくる。今からする話も、そのような謎のひとつだ。

昔、私の家の近くに、「デリー」というカレー屋さんがあった。インドの人(かネパールの人)がやっている店だった。もともとはスナックだった店舗に居抜きではいったもののようで、レストランというには狭かった。

しかし、薄暗い店内にはインドの風景写真が飾られており、雰囲気もあったし、なによりもおいしかった。

「デリー」は市役所に近かったため、その職員がよく利用していた。それで、あるとき、市役所にもっと近いところに空き店舗を見つけて移転した。

店は広くなったが、前の店のような雰囲気はなくなっていた。居酒屋の作りで、あまりインドらしくはなかった。私は新規開店してすぐに行ったが、どこか違うように感じた。当てにしていた市役所の職員も来なかったようで、いつの間にか店はなくなっていた。

この「デリー」は移転したとき、名前を改めて「ニューデリー」となった。私が謎に思っているのはこの名前についてである。

「ニューデリー」という店名は、新しい「デリー」を意味しているのだろうか、それとも以前の「デリー」とは関係なく「ニューデリー」というインドの地名にちなんでつけられたのだろうか。

店のなくなった今、もはやこの謎を解く術はない(し、どうでもいい)。

苦い文学

来世の誓い

告白と聞くと、男女の愛の告白ではなく、死の間際の罪の告白が想起されるような、そうした年齢に私はなった。そして、そのような年齢になってみればもはやどうでもよいように思えるが、我々にとってモテないことが苦しみであった時代がかつてあった。

我々というのは、私と友人のIのことだ。我々はモテるためにあらゆることを試みたが、それが成果をもたらしたことはなかった。

ある日、Iが言った。「俺たちがモテないのは、前世でモテすぎたためではないだろうか」

「なるほど」と私。「ということは?」

彼は目を輝かせて言った。「今生でモテない我らは」

私「来世できっと」

二人声を合わせて「あ、モテるはず」

かくて我々は、来世でのモテを目指して今生の非モテを追求することを誓い合った。だが、その誓いも、交通事故によるIの急死によって、永遠に失われてしまった。

Iがこの世を去ってからすでに三十年が経とうとしている。街角には美しく若い男たちが溢れ、テレビでは美男子たちが生き生きと輝いている。無駄と知りつつも私は、そこに彼の面影を探さずにはいられないのだ。

苦い文学

侵略者

宇宙から侵略者がやってきて、地球征服の手始めに日本を攻撃することにした。

巨大な宇宙船が東京上空に突如として出現した。宇宙人がその奇怪な姿を現し、日本政府に告げた。

「我々に服従しないと直ちに攻撃を始める」

このときの首相は毅然とした態度で知られていたから、この恐ろしい通告に対しても毅然とした態度で臨んだ。

「我々日本民族はいかなる脅しにも屈しない!」

すると宇宙船の内部から巨大な大砲が現れた。宇宙人は告げた。

「愚か者どもめ、お前たちの望み通り、攻撃を始めてやろう。まずはお前たちの領土のこの島からだ!」

大砲から光の束が放たれ、竹島を一瞬のうちに消し去った。

そのとき、日本政府の飛行機が現れ、首相が顔を出し、宇宙人に熱烈な感謝を述べだした。政府は、韓国政府に対し、竹島が日本固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も、そして宇宙的にも明らかとなったと高々と宣言した。さらに超党派の議員団はこの日を記念して「宇宙の竹島記念日」とする法案を国会に提出した。日本中が宇宙人歓迎ムードに湧いた。

宇宙人は、征服しても得るものはなさそうだと、遠い銀河に飛び去っていった。

苦い文学

夢は叶う

人間らしい付き合いというもののない私には、年賀状といえば、毎年、なぜか嵐から届くきりだったが、最近はそれも来なくなった。

なので今年はゼロかと思いきや、珍しく1枚だけ私宛に来ていた。学生時代の頃の友人だ。

彼と過ごした青春の日々が不意に思い出された。もっとも、それらの日々はとても無残なものだったので、私はここ数十年思い返すこともなかった。

我々は苦しく惨めだった。だが、その悲惨の中から、あるとき彼は、ひとつの夢を掴みとったのだった。それは歴史的な瞬間だった。

「俺はこの世界を破壊する」と彼は言った。「憎しみを播種し、恐怖と侮蔑で人々を分断させるのだ。人権などというものを真っ向から否定し、弱者どもを狂わせ、無限の闘争に駆り立てるのだ。あらゆる人間性を、価値を、技術を、知性を、知恵を蔑ろにして、この世界を混乱に陥れる。そうだ、戦争だ! 戦火をあらゆる番地に燃え立たせるのだ。この世界はひとつの巨大な地獄となるだろう……」

私は我に返り、彼からの年賀状を眺めた。ありきたりの正月の文句と彼の名前が書かれ、その下に「自民党員」とあった。

どうやら、着実に夢を実現させているようで、他人事ながらうれしかった。

苦い文学

雪のカレン

ビルマのカレン民族の伝統的な行事にカレン新年祭というものがある。これはそれほど古いものではないというが、各地でカレン人が集まって、お祝いをし、ダンスやゲームをし、食事をする。開催されるのはカレンの暦の正月で、これはだいたい年末年始にあたる。

日本でもこのカレン新年祭は20年以上行われているが、今年はコロナ禍ということもあり、日光にバス旅行ということになった。ただしこれは関東でのことで、神戸では1月9日に開催される。これは関西初のカレン新年祭だ。

バス旅行は1月2日に行われ、45人の在日カレン人と2人の日本人が参加した。そのうちひとりが私である。

早朝東京を出たバスは、10時半に中禅寺湖に着いた。雪が積もる駐車場でカレン新年祭の式典が簡単に開催された。

カレン民族はビルマの諸民族でもっとも多様性に富んだ民族だ。住んでいる場所だけでも、都市部、農村部、デルタ、山岳地帯、海岸とさまざまだ。そして、今日、雪国のカレン人も見つかった。

式典でひと言といわれたので、こういうことを話したら、少し受けた。

ただし、正確にいうならば、日本なら北海道にも、そして、アメリカ、カナダ、韓国、ヨーロッパなど、日本より寒い国々にもたくさんのカレンの人々が暮らしている。

苦い文学

かわいそうに

都内の居酒屋で、ある若者がアルバイトをしていた。その店には外国人の娘もアルバイトで働いていた。東南アジアのどこかの国の人で、日本に出稼ぎに来ているようだった。

あるとき、その娘が揚げ場の油を手に引っかけてやけどをした。店の社長は治療費は出したが、彼女は何日も休まねばならず、収入はひどく減ってしまった。

若者はその娘と仲が良かったので「かわいそうに」と同情したら、「全然」という返事が返ってきた。「入管にいる人のほうがかわいそうだよ」

若者は「この子よりかわいそうな人がいるのなら会いにいってみよう」と考えた。

入管にいる人とは収容されている人のことだった。若者は娘からその人の名前を教えてもらうと、入管に面会に行った。

面会室で待っていると、年配の男が現れた。彼は入管に3年間も収容されているというのだった。若者は、これはかわいそうだ、と思い、そのことを彼に告げると、こんな返事が返ってきた。

「難民キャンプにいる人のほうがもっとかわいそうだよ」

若者は「この人よりかわいそうな人がいるのなら会わねばなるまい」と考えた。

彼はアルバイトの収入で航空券を買って、異国にある難民キャンプに行った。そこには、あの娘と同じ民族の人々が狭い場所に小屋を建てて暮らしていた。みな、政府軍の攻撃から逃げて隣国との国境にやってきたのだった。若者は、これはかわいそうだぞ、と思った。

さっそく難民キャンプのリーダーにそのことを告げると、こんな返事が返ってきた。

「難民キャンプに来られず、国境のジャングルで逃げ暮らしている村人のほうがもっとかわいそうだよ」

若者は「これらの人々よりかわいそうな人がいるのなら会わねばなるまい」と考えた。

そこで、そのリーダーに頼んで、国境のジャングルに連れていってもらうことにした。

ジャングルの旅は危険極まりなかった。都会育ちの若者は疲労困憊し、やがて熱病に冒された。無理を押して進んだが、ついに力尽き、意識を失った。人々は懸命に手当てをしたが、ジャングルのただ中ではできることはほとんどなかった。若者はもはや息をするのをやめていた。

人々は彼を日当たりのよい丘に葬った。そしてだれもが「かわいそうに」と泣いた。