散文

和をもって

このブログのどこかで書いたと思うが、ある人が論語の「四十にして迷わず」について、こう言った。

「こんなことをわざわざ言うからには、孔子は四十になっても迷ったのだ。だから、孔子に及びもつかない私たちが四十を過ぎて迷うのも無理もない。むしろ、大いに迷ったっていいのだ」

この解釈が正しいかどうかわからないが、実際のところ標語は、その逆の事態がはびこっているから意味を持つ。「闇バイトに注意」という警告も、闇バイトが蔓延していなければ意味がない。

聖徳太子は「十七条憲法」の第一条で「和を以て貴しとなす」と定めた。これを根拠に、日本人には和の精神があったと主張する人もいるが、事情はむしろ逆だ。当時の日本人に和の精神などなかったから、聖徳太子はこりゃ和がどうしても必要だ、と憲法のトップに据えたのだ。

その後、結果として、日本人の精神に和が根づいたということもあったかもしれないが、それはあくまでも後世の発展であって、オリジナルの日本精神はアンチ和寄りなのだ。

いや、そんなことあるわけない、当時から日本人が和に生きていたから、太子がそうまとめたのだ、と反論する人もいるかもしれない。

しかし、ほかならぬ聖徳太子の逸話が、これが間違いであることを示している。

もしも、人々が和合し、発言するのにも互いに譲り合うくらいだったなら、聖徳太子は十人の話を同時に聞き分ける特殊能力を鍛える必要などなかっただろう。

苦労してんだ、太子だって。

苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (3)

ライブの会場は7階にあるから、観客はエレベーターで順次、上がっていくことになる。たくみに列の先頭に滑り込んだ私は、そのエレベーターに乗せられる第一陣としてエレベーターの脇で待機することになった。ネパール人のスタッフと会場のスタッフがしきりにやりとりしていた。

なんとなくネパール人スタッフと会場のスタッフとの間で、事前にうまく意思疎通できていないような印象を受けた。これは言葉の問題もあるかもしれないし、ネパール人のスタッフにボランティアが多いせいかもしれない。

ビルマ関係の音楽ライブに少し関わったことがある経験からいえば、こうしたライブは、日本在住の人々がこのためだけに集まって開催することが多く、ほとんどの人が興行の素人だ。もちろん、会場の設営や、音響・照明などは日本人のプロや、会場の専門家が担うが、それ以外、例えばチケットの販売や、宣伝、アーティストの移動や宿泊、観客の誘導などは、普通の人々がボランティアで行うことが多い。いわゆる「手作り」というわけだが、しばしば運営の面で行き届かないこともある。

そのせいだかどうだかわからないが、開場は4時だというのに、私たちはそのままずいぶん待たされた。

だが、4時半ごろ、動きがあった。エレベーターが開いて、スタッフが乗り込もうとしたのだ。いや、KUMA SAGAR だ。クマ・サガルとバンドメンバーたちがエレベーターに乗ろうとしているのだ。誰もが写真を撮り始めたので、私も携帯をかざした。

私たちはそれからさらに15分近く待たされて、ようやく7階の会場に到達することができた。だが、それはなんという会場であったことであろうか。

苦い文学

たった1日のお姫様

昔、貧しい日本人の女の子がひとりで暮らしていました。

その子の仕事はといえば、トイレ掃除なのでした。とても大変なので、他の仕事がしたいと社長に言うと、社長はこう言って嘲笑うのでした。

「お前は日本人だろ。昔、日本人は自分たちのトイレがキレイだと鼻高々だったじゃないか」

それにもうひとつイヤなことがありました。給料日、社長は女の子にだけ円で支払うのです。

「円では何にも買えません。他の人と同じようにドルでくださいな」と女の子が訴えると、社長は「昔、お前たち日本人はその円でなんでも買っていたではないか」とせせら笑うのでした。

女の子はもらった円をわずかなドルに変えると、ほんの少しだけお米を買って、次の給料日まで我慢して暮らすのでした。

厳しい冬がやってきました。その年は作物の出来が悪くて、お米でも野菜でもなんでも値上がりして、女の子の食べ物はとうになくなってしまいました。何日も食べられない日が続き、女の子は頭がくらくらしてきました。

女の子はあんまりにもつらくて、泣きながら神様にお祈りしました。

「神様、お願いです。たった1日でいいから、円高ドル安にしてください」

いつの間にか眠ってしまったのでしょうか。女の子が目を覚ますと、あたりがにぎやかです。人々が叫んでいます。

「やあ、また日本人がビルを買収したぞ」「やはり円は強いなあ」

女の子が立ち上がると、ポケットから諭吉や聖徳太子や英世がこぼれ落ちました。周りの人々が驚きます。「なんというお金持ちだろう!」

女の子は町で一番高級でおいしいケーキ屋に行って、樋口一葉を差し出しました。すると、パティシエはびっくり仰天して言いました。「ケーキをぜんぶ持っていってください!」

女の子は飽きるほどケーキを食べると、次に町でもっとも大きなデパートに行って、岩倉具視をちらつかせました……。夢のようなドレス、輝く靴、美しい指輪、きらめくネックレスで飾り立てられた女の子は、その日、まるでお姫様のようでした。

そして、楽しい1日が過ぎ去り、夜がやってきました。女の子は自分がした願い事のことをちゃんと覚えていましたから、寝るのがとても残念でした。ですが、キラキラした宝石や金の指輪を見ているうちに眠ってしまいました。

翌朝、人々は痩せ細った女の子の死体が道端に転がっているのを見つけました。その顔に優しい笑顔を浮かんでいるのを見て、だれもが「日本人って笑うんだ」と驚いたということです。

苦い文学

プレゼントを返す必要はありますか?

弁護士さんにご相談したくメールを差し上げます。

私は50代の男性です。もらったプレゼントや食事代などのお金を、返せと言われて困っています。返却しなければ、警察に訴えるというのです。

私はこれまで高価な時計、ブランドバッグ、高級スーツなどをがんばった自分へのご褒美としてもらってきました。

それだけではなく、高級レストランでの食事や、海外旅行なども自分へのご褒美としてたびたび支払ってもらってきました。最近では、がんばった自分へのご褒美として、タワマンの一室を貸し与えられている状態です。

ですが、先日「本当に毎日がんばっているのか」と自分に問われたさいに思わず正直に「いいえ」と答えてしまいました。

すると自分は「それでは約束が違う」と怒り出し、これまで自分に費やした金額を提示し、すべて返すように迫ってきたのです。

私が拒否しますと、さらに自分は怒り、それから毎日しつこく連絡してくるようになりました。最近では四六時中つきまとい、身の危険すら感じている状態です。

そこで、質問です。

  1. 自分へのご褒美としてもらったプレゼントなどは返却する義務はあるのでしょうか?
  2. 自分が私を相手どって裁判を起こす可能性はあるのでしょうか?
  3. 警察に行って、ストーカーとして自分に接近禁止命令を出してもらうことは可能でしょうか?
苦い文学

健全なる論理

「健全なる精神は健全なる肉体に宿る」

なんと恐ろしい言葉だろうか。私はこどもの頃から、この言葉に苦しめられてきたのだ。

なぜなら私の肉体は健全とはいえなかったから。見た目も悪かったし、走るのものろかった。どんなスポーツをやっても物笑いの種だった。

だから私はてっきり信じ込んでしまったのだ。自分に宿った精神もまた不健全である、と。

ああ、いったいこの世界のどこに不健全なる精神が安らげる場所があるだろうか。私は今に至るまで、自分の不健全でいびつな精神がバレないようバレないよう、怯えながら生きてきたのだ。

だが、最近のニュースはどうだ。スポーツ界では不健全なことばかりではないか。いじめ、パワハラ、セクハラ、暴言、隠蔽体質、勝利至上主義、虐待、清原。どれもいびつな精神の持ち主がやることなのだ。

そうなのだ! 健全なる肉体だからといって、健全なる精神が宿るとは限らないのだ。いやむしろ不健全な精神が宿りがちなのだ。

私は長年自分が感じていた引け目が解消されたように思った。不健全な肉体でも堂々と生きていけるような気がした。不健全な肉体の時代が始まったのだ!

私はすっかり元気になってしまい、この福音を伝えるべく、友人に電話した。彼もやはり不健全な肉体の持ち主なのだ。

だが、彼はこの福音に心躍らせるそぶりも見せず、こう返したのだった。

「なるほど、健全なる肉体には不健全な精神が宿ることもあるかもしれない。けれど、不健全な肉体にはもっと不健全な精神が宿ることだってありうるのでは?」

私は電話を切り、寝っ転がって Netflix を見ることにした。

散文

ただいま禁酒中!(3)

 カレン人との飲み会について書いたが、「カレンといえば酒」とカレンの人が自分で言うくらい飲酒に寛容だ。だから、依存症の問題もよく見られるようだ。

 10年近く前になるが、若いカレン人の難民申請者がいて、静かにお酒を飲み続ける日々の果てに、ぶっ倒れた。

 私たちは新宿の病院に連れていったが、体の問題はさておき、酒をやめなければどうにもならないという。しかし、ビザのない人間が受けられる禁酒の治療もなく、どうにもならなかった。彼は結局、ビルマに帰って、シンガポールに逃げた。なんでも、そこで酒をやめて無事に暮らしているそうだ。

 20年近く前に、初めてタイの難民キャンプに行った時、教育関係の活動をしている同世代のカレン人の友人とキャンプ内を歩き回った。彼はあるキャンプのリーダーの小屋に連れて行ってくれた。竹でできたその小屋に入ると、薄暗がりの中から年配の男性が出てきたのだが、酒臭かった。ふらふらして、言っていることもはっきりしない。私たちは面会をすぐに切り上げて、外に出た。

 しばらく経って「あの人は飲んでいたようだね」と私がいったら、友人は「いや、そんなことはない。あの人は絶対にお酒は飲まない」と答えた。

 真相はどうあれ、難民キャンプ内では、前向きに生きることがなかなか難しいので、飲酒にすがる人も多いのではないかと思う。

(写真は2003年5月のメラ難民キャンプ。タイ・ビルマ国境にある)