風刺・戯文

けとさ

日本語は特殊な言語です。なぜかというと、日本人が世にも稀な民族だからです。日本人には和の魂があります。和の魂を持っているのは、日本人だけです。また、礼儀正しさというものを知っています。なので、日本語は和の魂と礼儀正しさがなくては、使いこなせないのです。

例えばひらがなの「い」。私たちは何気なく書いていますが、この「い」は日本人にしか書けないと言ったら驚かれるでしょうか。「い」は「生きる」の「い」、「命」の「い」です。この「い」がなければ、日本人は滅んでしまいます。だからこそ、私たちはこの「い」を書くときに、無意識のうちに、和の魂を込めるのです。

ためしに外国人にこの「い」を書かせてみましょう。彼らにはもちろん和の魂はありません。だから、「い」は書けません。書けたとしても、和の魂を込めることができないので、「い」には見えないのです。「リ」か「( )」のようになってしまいます。つまり、私たち日本人だけが、「い」を作る左右の曲線の間に、丸い魂を入れることで、ちょどよい空間を作れるのです。美しい「い」にすることができるのです。

ちなみに、外国人は礼儀も知りません。私たち日本人は、背筋をピンと伸ばして、凛として生きていますが、外国人はいつもだらしない格好で立ったり座ったりしています。だから、外国人が書く「け」は、日本人のように礼儀正しくまっすぐ立っていられません。

ほら、見てください。左に傾いて「さ」になってしまうのです。

苦い文学

KIRINJI 病

私の友人が急病で病院に搬送されたと聞いて駆けつけた。絶対安静と掲げられた病室の前に行くと、年老いた彼の父がいて、容態を聞くと命に別状はないとのことで一安心した。

「いったい何の病気なんですか。この間会ったときは元気に見えましたが」

「実は、数ヶ月前から調子がおかしくなっていたのです……」と彼の父は詳しく教えてくれた。

私の友人は音楽が好きで、古いものから最新のものまで何でもよく聴いていたのだが、あるとき若手のミュージシャンの曲を聴いているとこんなことをつぶやきだした。

「これはなんだか KIRINJI の影響を受けているな」

KIRINJI とは、今の日本の音楽に多大な影響を与えているミュージシャンで、彼がそう思うのも無理からぬことであったが、話はそれだけでは済まなかった。その日以降、彼はなにを聴いてもこんなふうにぶつぶつ言うようになってしまったのだった。

「このメロディーの流れは KIRINJI の『愛の Coda』だな」
「なんかわからないけど雰囲気が『ニュータウン』だぞ」
「ちょっと待てよ、これは『まぶしがりや』のコード進行のヴァリエーションかな」

家族は不安げに見守るしかなかったが、今日、いきなり「なんだこれは KIRINJI の『雲呑ガール』そのままじゃないか!」と大声で叫ぶと、卒倒した。なんでもそのとき彼は YouTube で「オバケのQ太郎」の主題歌を聞いていたのだという。

それで今回の緊急搬送となったが、医者は意識を失った彼を見るなり、家族にこう言ったそうだ。「ほら、この爪を見てください。痩せているでしょう。これは KIRINJI 病 の初期症状なんです」

この KIRINJI 病、国内で症例が数例あるのみという珍しい病だというが、さいわいだったのはここで治療に入れたことで、十分に完治可能だという。だが、もしこのまま放置していたら慢性化する恐れがあったとのこと。そうなると、ガラスのベルが鳴り響くのを聞いても、夜に子どもの泣く声が踊り場に響いても、KIRINJI に聞こえるようになってしまうのだそうだ。

今、彼は医師の厳重な管理のもと治療を受けている。朝昼晩に抗 KIRINJI 剤を投与されているとのことで、近いうちにヤバめのライムでパンチラインをフローに乗せる元気な彼の姿が見られるかもしれない。

苦い文学

「あ」の間

「あ」とはなんだろうか。私がわからないのは次のような「あ」だ。

学生が別の学生に問題を出す。問題を出された学生はいろいろ考えた末、「答えは a です」と答える。

すると出題した学生はこう答える。「あ、正解です」 間違いでも同じだ。「あ、違います」

いったい、この「あ」はなんなのか。別の例もある。コンビニで商品の会計をしていて、店員にこう問いかけられるのだ。

「袋はいりますか?」

「あ、いりません」

もちろん「いりません」だけでもいいのだが、どうしても「あ」が入ってきてしまう。

また、こんな場合もあろう。

「テーブルのお菓子好きなの持っていってください」

「あ、いいです(=いらないです)」

考えてみると、この「あ」が出てくる場合、「あ」の後に出てくる言葉はあらかじめ用意されていることが多いようだ。つまり、最初の例では、正解にしても間違いにしても、相手の発言を聞く前にどう答えるかは決まっている。また、コンビニの例では、袋が必要かどうかは、たいていの場合、店員に質問される前にわかっている。

なのでその分、相手の発言に対する返答のタイミングが速くなってしまう可能性がある。ヘタをすると「食い気味」にすらなってしまうかもしれない。たとえばこんな感じだ。

「答えは a ……」「間違いです」

「テーブルのお菓子好きなの持っていっ……」「いいです」

これは失礼だ。これを避けるためにあえて「あ」で間をおいて、「相手の発言を受け止めた感」を演出することで、返答を後にずらしているのだと思う。

このずれを「あ」の間と呼ぶべきであろう。

あ、あくまでも私の個人的な考えです(この「あ」は何か付け足したいときの「あ」で、間の「あ」とは違う)。

苦い文学

still ill

ついに私たちは新型コロナウイルスを克服した。

ワクチンの開発と接種、社会的距離の遵守、マスクの着用、医療機関への協力、防疫体制への献身、そして反ワクチン派への懸命の説得が功を奏し、私たちは新型コロナウイルスを、ありふれた旧型の陳腐でチャチなウイルスへと転落させたのだ。

これを人類の文明の勝利といわずなんといおう。

世界中がこの勝利を祝っている。人々は、まるで卒業式の学生帽みたいに、青空に向かってマスクを一斉に放り投げた。

そして、人々は今、街に繰り出して互いに抱きしめ合い、喜びを噛みしめている。壮麗な花火が打ち上げられ、人々は祝杯をあげている。勝利の美酒の注がれたグラス、しかも回し飲みだ!

世界でももっとも厳しいコロナ対策を実施していた国のひとつである我が国でも、制限が日に日に緩和されていった。そして、今日、政府ははっきり宣言したのだ。

「コロナは終わった。どこであろうとマスク着用の必要はない!」と。

私の住む街でも祝祭が始まったようだ。私は家を飛び出した。マスクがないとなんと清々しいのだろう! 心浮き立ち、足取りも軽く、私は喜びの輪の中に入っていく。人々の顔がこんなにも美しく見えたことがあろうか。賑やかな音楽、笑い声、囃し立てる声。誰も彼も大声で自分たちの経験を語り続ける。そりゃそうだ! みんな苦労したのだから。にこやかに口角をあげ、泡とつばきを飛ばしながら……

町じゅう屋台が立ち並び、人々は食べ歩きの真っ最中だ。綿菓子、焼きそば、串焼き、煮込み、ビールにチョコバナナ。まるでコロナの間じゅう断食してたみたいに食べてる。そして笑ったりおどけたりするものだから、口からカスやら青のりやら七味やらが……

見れば大道芸人たちがあちこちで人垣を作っている。奇術に手品、ジャグリング、軽技、おどけた仕草に人々はもう夢中で、歓声、笑い声、その度に口と鼻孔から飛沫が……シャワーのように……

そして、祭りはついに最高潮。行き交う人々は酔いしれて、互いに手を握り合い、欧米風にハグし合ってる。私もたちまち取り囲まれた! 手荒いご挨拶だ。手を握り合うとニチャニチャして、抱きつく人々は皆ゲップをして……

私はマスクをつけ、家に引き返した。

苦い文学

キャッシュレス

次のニュースです。

キャッシュレス化が進む中、今日から一部の銀行で硬貨の両替有料化が始まりました。

(都内の銀行の様子)
両替に来た利用客
「小銭をお札にするのに手数料がかかるの? えーっ、困ります」

硬貨によっては両替の手数料のほうが高くなるとあって、利用客は混乱気味です。

いっぽう、有料化の影響は思わぬところに――――

(神社の様子)
賽銭箱を前にした神主
「これまでのようにお賽銭を簡単に(両替を)できないのは……」

両替の手数料は、神社の修繕費用などの減収に繋がるとあって、関係者は困惑を隠しきれません。

銀行のこうした取り組みについて、経済アナリストの円谷嘉平さんは――――

「利便性の点から考えると、硬貨が経済成長の足かせとなっている側面は否定できません。キャッシュレス化の進展とともに、硬貨はますます不要になるのものと考えられます」

円谷さんは「将来的には、小銭を所持していると罰金刑を科されることも」と注意を呼びかけています。