散文

バカとチョンの社会(前編)

「バカチョン」というのは「バカでもチョンでも」を短くした形だ。この表現が生まれたのがいつかは分からないが、辞書を見ると、明治初期には似たような言い回しがあったようだ。

「チョン」というのはそもそも「一人前でない、劣った人」を意味していたといわれるが、いつからか、朝鮮人への蔑称と同一視されるようになった。

その結果、「バカでもチョンでも」は「バカでも、朝鮮人でも」と理解されるようになったという。語源はともかく、この表現には朝鮮人(韓国人と北朝鮮人)に対する差別意識が明瞭にあらわれており、現代ではこの表現を差別表現とみなし、使わないのが普通だ。

とはいえ、今なおこの語が人を傷つける目的で使われているのもまた事実だ。しばしば、この語を含むネット上での発言が、誹謗中傷やヘイトスピーチとして非難されたり、告訴されたりすることがある。

もっとも、私がひとりの日本人として大和魂をもって訴えたいのは、日本人は決して朝鮮人だけを特別に差別してきたのではないということだ。現代の日本では、多くの移民が生活し、さまざまな差別に悔しさや悲しさを感じている。それだけならまだしも、ときには、入管に収容されて自由を奪われたり、そこで死に追いやられたりする。

私は、これらの移民の苦難を見るにつけ、現代の「チョン」には、朝鮮半島出身の人だけではなく、日本で差別されている外国人すべてを含めるべきではないかと、はなはだ勝手ながら考えるようになった。

こうした考え方を不愉快に思う人もいるかもしれない。とくにこの言葉に傷つけられてきた人々は。だが、それでもひとつの利点がある。というのも、「バカでもチョンでも」のもういっぽうの「バカ」がどのような人々かということがはっきりするからだ。

それがどのような人かというと、もちろん「チョン」以外のあらゆる日本人に決まっている。

日本はバカとチョンの国だったのだ。なるほどうまし国だ。

風刺・戯文

じわりジャーナリズム

国際関係のニュース、政治のニュース、経済や株価、エンタメ、科学、スポーツなどのニュース、ニュースにはいろいろあるけれど、私が関心があるのは「じわりのニュース」だ。

このニュースはどんな話題よりも頻繁に報道されるので、とてもカバーできるものではないが、それでも私はできるかぎり追っかけている。

「じわりのニュース」は外国には見られないものだ。外国のジャーナリストは、政府の不正を報道したり、戦場に潜入するのに忙しくて、「じわり」になど興味ないのだ。この点、我が国のジャーナリストは違う。毎日せっせと「じわり」を記事にしてくれるのでありがたい。今、少し検索しただけでこんなにも「じわり」のニュースが出てくる。

*円安関連倒産、8 月は半減 トランプ関税の影響じわり(ITmedia ビジネスオンライン)」
*「最も危機感を持つのは中堅・若手」自民で臨時総裁選求める声じわり「党勢回復の機会へ」(産経ニュース)
*自民党総裁選、前倒しに賛同じわり 小泉農相「一議員として」発言に憶測も(カナロコ)
*「石破降ろし」党内外に温度差 じわり擁護論、ブーメラン効果も(時事ドットコム)

こうしたじわり報道からわかるのは、日本におけるじわりの動向だ。現在のところ、日本でもっともじわりとしているのは政界のようだ。近づかないほうがいいかもしれない。

苦い文学

ポーランドの教訓

学生のころ、ポーランド語初級の授業をとったことがある。一年だけでやめてしまい、やがてすべて忘れてしまった。

いや、すべてではなかった。たったひとつの単語「małpa(マウパ)」だけが私のポーランド語学習の記憶として残っている。なお、その意味は「猿」だ。

さて、そのポーランドに用事ができて、行くことになった。昨日、成田を出発して、いまワルシャワにいる。

ポーランドは初めてだが、そもそもヨーロッパ自体ひさしぶりだ。北アフリカのチュニジアにはよく行くが、たいていエミレーツ航空かカタール航空だ。ヨーロッパ経由でも行けるが、割高だ。

ポーランドに行くには、ドイツやオランダ経由の便もあるが、ポーランド航空で直行便で行くこともできる。毎日就航しているわけではないようだが、私の場合日程が合って、行きも帰りもポーランド航空になった。

出発は 22:50 で、成田から出る最終便のようだ。ワルシャワに到着するのは 06:00 で 14 時間程度のフライトだ。

食事は、夕食と朝食の 2 回出る。その夕食のとき、客室乗務員が「ポークかチキンか」と聞いてきた。これを聞くや、えもいわれぬ違和感にとらわれた。そして、すぐに理由がわかった。

「ポーク」だ。

私は長らくアラブ系の航空会社を利用してきたので、「ポーク」が機内食の選択肢に入ることなどなかったのだ。

ささいなことでも慣れというのは恐ろしいものだ。私は「ポーク」を選び、この教訓をしっかりと味わった。

苦い文学

ギターの力(2)

若者たちは意図を知らされずキャンプ場に連れてこられたもののようで、誰もが所在なさげに佇んでいた。

博士は、助手に合図をした。助手は壇上のギターを持ち上げ、姿を消した。十分ほど経ったとき、人々はギターを抱えた助手がモニターに出現したのを目撃した。

静まり返った会場を前に、博士は語りかけた。

「さあ、フォークギターを投入します。壮大な実験の始まりです!」

助手は若者たちの間めがけて走り、ギターを放置すると来たときと同じような速さで走り去った。

突如として出現した異様な物体は、若者たちに衝撃と恐怖をもたらしたようだった。だが、おそるおそる近づいたひとりのオスの個体がギターの弦をかき鳴らしたとき、状況は一転した。

若者たちは興味深げにギターを見つめ出したのだ。さらにオスの個体はギターを抱え、ポロロンと爪弾いた。すると、その音色に誘われて若者たちがオスの個体の周りに集いだした。

助手が博士に報告した。「第一段階クリア!」「うむ、第二段階にとりかかれ!」

再び助手がモニターに現れ、四角い物体を若者の輪の中心に放り投げた。博士は告げた。

「コード譜の載った分厚い歌本です! 70年代の名曲がすべて網羅されています。これが起爆剤になるでしょう!」

人々は異様な成り行きに、モニターから片時も目を離すことができないのであった。

苦い文学

AIによる投稿

なんだ変な棒が落ちているぞ。こんなところにあったら邪魔だ。みんなが通るってのに。捨ててやろう。いや、違う。待てよ。この棒はもしかしたら、藪から棒の棒では? 待て待て。慌てるな。藪があるとでもいうのか? 周りを見てみろ。いったいどこに藪が? ふーっ、脅かすなよ。藪から棒の可能性はもう消えた。薮がないんだから出てきっこない。よし、決まりだ、捨てよう。邪魔だから。みんなが通る道だもの。遠い昔に誰かが切り開いて以来、通りに通った道だもの。捨てるぞ! (フフフみんなびっくりしてるぞ、もう一度だ) 捨てるぞ! あっ、いやっもしや、犬も歩けば棒に当たるのほうの棒では? あー危ないところだった。犬どもに訴えられたら目も当てられん。「棒に当たる機会を奪われた!」なんて。わざわざ遠くから当たりにやってきたのに……そんな犬だっているかもしれん。機会損失だよ。まずはひとつ、本当にその棒かどうか、犬が通るのを待ってみよう。それで犬が当たらなければ、これはもうこの棒はただの棒、捨てていいってことだ。しかし、犬が通らない……あっ、何か来た……猫か……いま通り抜けたのは? 狸か……おっ、来た来た来た来た、犬! 犬が棒に接近中! あと2メートル、1メートル、50センチ、24センチ、9センチ……当たるか、当たらないか? あーっ、当たりませんでした! というわけで捨てるのだ。