旅・観察

AIDA の内容

アラビア語方言国際学会(AIDA)の大会(六月二十三日〜二十六日)では、およそ百の口頭発表が行われた。エジプト、オマーン、湾岸地域、レヴァント地域の方言の発表もあったが、マグレブ地域(チュニジア、モロッコ、アルジェリア、モーリタニア)の発表がとくに多く、私にとっては興味深い発表ばかりだった。

アラビア語が使われている地域では、戦争や紛争が常態化しているところもある。今回の AIDA での地域の偏りには、もしかしたらそうした影響もあるのかもしれないが、いずれにせよ、平和が重要なのはいうまでもない。

口頭発表のほかにも、特別なプログラムが開催された。ひとつはカターニアのベネディクト会修道院のツアーだ。これは今回の会場のカターニア大学がそもそもベネディクト会修道院を校舎として利用していることによる。

ベネディクト会修道院としてはヨーロッパでも有数の規模というだけあって、広い。開会式が行われたホールも、もともとは修道士たちの食堂だったという。教員の研究室も修道士たちの居室だったそうだ。雰囲気ある建造物の中でならさぞかし勉強も捗りそうに思われた。ただし、構造上の理由からか、トイレが少なかったので、我慢強さが必要だろう。

これらは大学校舎なので誰でも入れるが、ツアーでは地下の古い修道院の跡や、それより古いローマ時代のモザイクなども見ることができた。また、一六六九年のエトナ山の噴火でカターニアを壊滅的状態にした溶岩の生々しい岩壁も残っている。

もうひとつ、パレスチナの短編映画の上映会も開催されたが、私はこれには行かなかった。シチリアは美しい海とおいしい魚介でも知られるが、これも私はほとんど食べる機会がなかった。カターニアの古い街並みをゆっくり歩いて回るなどということもほとんどできなかった。

なぜなら、私の発表が学会最終日の、終わりから二番目に組まれていたから。そのせいで心の余裕がなく、のびのびと楽しむというわけにはいかなかった。

しかし、私が他の学会で先の方に発表して心の落ち着きを得ていたとすれば、それは最終日に発表する誰かがいたからなのだ。そう思って、せめてイタリアのコーヒーでも味わおうと、街角のスタンドで一ユーロのコーヒーを二杯ばかり飲んだら、夜眠れなくなった。

風刺・戯文

ファーストの先

行列に並んでいると、男が私たちの前に割り込んできた。私たちのひとりがそのことを注意すると、男は「ここは日本なのだから日本人ファーストだ。黙ってろ」とすごんだ。

「私たちも日本人ですが」とこっちも負けない。

「じゃあ、証明するものを見せろ」

「いや、なんであなたに見せなくてはならないのですか」

「ほら、これだ。だから外国人どもてのは!」

あんまり悔しかったので私たちはそれぞれ自分の証明書を取り出してみせた。すると男は見もせずにあざ笑った。「おいおい、俺は入管じゃないぜ! どうせ偽造だろ! お前らは在留カードでも握っておとなしく並んでろ!」

「じゃ、じゃ、そっちの証拠を見せろよ!」 と私たちのひとりがたまらず声を荒げた。すると男は胸のポケットからラミネートされたカードを取り出して、突き出した。日本人ファースト党の党員証だった。

私たちはもう黙ることにした。すると、男は何人か先に年配の女性が並んでいるのを見つけ、今度はそこに割り込んだ。女性の抗議の声と、男がこう怒鳴りつけるのが聞こえた。

「子どもの産めないババアは黙ってろ! この日本じゃ日本人ファーストなのは子どもを産む若い女だけだ!」

そのうち男はさらに割り込める場所を見つけて、どんどん先に行ってしまった。あんなふうにおかしくなると、と行列に並ぶ私たちは思った。地獄に落ちるのも日本人ファーストらしい。

苦い文学

反日だけは許さない

遠い異国の街角で、日本人が刺殺されたとき、私たちは激怒した。なぜなら、その国は反日国だったし、じつに卑怯なやり方で日本を陥れようとしていたからだった。

「反日国家は許せない!」 私たちは叫んだ。「日本人を守れ!」

「このような日本人に対する迫害がまかり通るとは恐ろしい国だ」「こんな国はただちに潰すべきだ!」 なかには「日本人を守るために派兵すべきだ!」とまでいうものも現れた。

私たちの怒りは政府に向けられた。「どうして政府は毅然とした対応をしないのだ!」「弱腰の政府め!」「あの政府はとっくに外国人に支配されているのだ」

私たちはついに直接行動に出ることにした。 SNS でデモを呼びかけたのだ。「国会議事堂に集まり、それから敵国の大使館までデモ行進だ!」

集結した私たちは、思い思いのメッセージを掲げ、激しい言葉を叫びながら、東京中を歩いた。途中、私たちは敵国の人間が歩いているのを見つけた。親子のようだった。私たちが罵詈雑言を浴びせかけると、慌てて逃げていった。いい気味だ!

私たちが敵国大使館へと意気揚々と「進軍」しているとき、新たなニュースが入ってきた。

日本人の刺殺犯が捕まったのだ。ニュースによると、特定の国籍を狙った犯行ではなく、無差別殺人だったという。

「なーんだ、無差別か」「反日ではなかった!」「無差別ならいいよ」

私たちは解散して、帰宅した。

苦い文学

富士登山の記録

このあいだの週末、富士山に登りに行った。登山が趣味なのだ。

しかしそれにしてもすごい人出だった。無理もない。みなコロナのあいだ遠出を我慢していたのだ。しかも日本人だけではない。外国人観光客もいっぱいだ。

私は五合目から登山道に入ろうとしたのだが、入り口にはなんと行列ができている。三合目まで降りてようやく最後尾に辿り着いた。

4時間待ってようやく登山の始まり。だが、なんという登山道だ。登山客でいっぱいでもう押し合いへし合いのありさまだ。こんな状態でもいまさら引き返すわけにもいかないから、のろのろのろのろ登っていく。

登山道は上に行くにしたがい幅も狭まってくる。もう登山客でぎゅうぎゅうだ。あちこちで悲鳴が上がり、子どもたちの泣き声も聞こえる。群衆事故発生だ。押しつぶされて窒息死するよりマシだと、私は人々の頭の上に這い上がる。

頭や肩を踏みつけてぐんぐん登っていく。「この調子だ」と思ったのもつかのま、人間の斜面は次第に険しくなり、ついに壁のようになった。

私はボルダリングの要領で、耳の穴・鼻の穴・目の中に指をしっかり突っ込んで登る。上に手をかけるたびに、苦悶の悲鳴が聞こえるのに辟易したが、次第にその悲鳴を聞いただけで安全なホールドかどうかがわかるようになった。

人間の壁を乗り越えると、比較的なだらかな斜面が続く。私は人間たちの髪の毛をしっかり掴みながら、一歩一歩進んでいく。私の後ろにも同じように人間を登攀している人々が続いていたが、何人かはうっかりカツラを掴んだため奈落に滑落していった。

そして、とうとう私は富士山の頂上に到達した。もっとも、これを富士の頂上というべきかはわからない。なにしろ私が登ってきたのは、富士山に覆いかぶさっている人間の山だったのだから。

ただし、そんな私にもご来光は美しく降り注いだ。手を合わせウクライナの平和を祈ると私は、人々の頭をスイカのように踏み潰しながら一気に山を駆け下りた。

苦い文学

大いなる喜び

自民党の議員の多くが信じている(少なくとも否定はしない)ことによれば、LGBTの自殺率が高いのは、社会のせいではなく、LGBTであること自体によるのだそうだ。

私はこれを聞いて思わず快哉を叫んだ。

この考えが意味するのはこうだ。LGBTの人の自殺は、社会の差別など関係ない。その人に原因があるのだ。

なんと明快な考えだろうか。自由と民主が混じり合うと、我が国ではこんな素敵ない考えが生まれるのだ。

だが、それだけではない。私たちはこの考えがさまざまな場面に適用可能なのを知って歓喜するのだ。

例えばいじめだ。いじめられた人が自殺するのは、いじめを生み出す社会など関係ない。その人に原因がある。こうきちゃう。(しかも、今日、「弱い子がいじめられるんだ」と麻生がまっすぐな口で語ったという)

次は性暴力に行ってみよう。レイプされるのは、性差別を許す社会など関係ない。その人に原因がある。いや、これはもう連中がかねてから言っていることに合致だ。

では、今流行りのウクライナなどどうだろうか。もちろんだ。侵攻されるのは、ウクライナに原因があるのだ。

まったくこれで私たちにも分かろうというものではないか。自民党の議員たちが、我が国がどこかの国に攻められた時に、どんなことを言い出すかが。どんなふうに国民を見殺しにするかが。

連中にとって、LGBTの人を含めた私たちの命など屁でもないということが、今、選挙の前に知ることができたのだから、大いに喜ばずにはいられないのだ。