ライブ

第 77 期義太夫節実践コースの受講生

義太夫節の実践コースの「三味線」と「語り」コースの内容について多少書いてきたが、受講生については触れないままだった。どんな人が参加したか少しまとめておく。

まず「語り」コースからいうと、16 人の受講生のうち、男性は私を含め 3 人だった。若い人もいたが、30 代から 50 代が中心だと思う。

基本的には文楽・浄瑠璃と歌舞伎が好きな人が多い。だから、先生方のちょっとした一言や裏話を楽しみ、ふとやってみせた一場面に感激している人も多かった。実際、目の前で聞くこと自体、最初は感動する。

受講生のなかには、地元の伝統芸能としての浄瑠璃に関わっている人、俳優や声優として活躍している人、音大の学生もいた。プロの演劇人はさすがに声の出し方が違うが、義太夫節の声の使い方は独特なので、そのまま通用するものではないというのも興味深かった。声が出せるということ自体、やはり一つの素質ではあるのだが、そこから先は、うまくコントロールできるかが大事なのだそうだ。

私はといえば、浄瑠璃や歌舞伎は観るよりも読む中心で、しかも演技経験ゼロなので、受講生としては少し変わっていたと思う。

三味線コースは 7 人で、私と同じように「語り」と両方とっている人もいたし、「三味線」だけという人もいた。みな何らかの形で三味線の経験があり、若い頃に三味線弾きの修行をしたという男性もいた。

「エレキ弾いたことあっし、三味線もできんじゃね?」と軽い気持ちで受講したのは私くらいで、非常に苦労した。だが、教室のあたたかい雰囲気のおかげでなんとか最後まで行きつき、無事に第 77 期の修了証をもらうことができた。

風刺・戯文

はしご高

今日、東京都江東区高橋で、「高橋の祭典」が行われ、全国からおよそ1万人の高橋さんが参加しました。

全国の高橋さんで作る「日本高橋の会」の会長高橋さんの開会の辞とともに始まった祭典では、「高橋姓」の歴史、高橋の偉人の紹介、高橋の発展のために尽力した高橋さんたちへの表彰状の授与、世界各地の高橋さんからの祝電の紹介などが行われました。

今回の祭典では「高橋ナンバーワン・プラン」がはじめて採択されました。「今こそ、高橋の力を集結して、苗字のランキング1位を目指しましょう!」という、祭典実行委員長の高橋さんの掛け声に、高橋さんたちが「打倒佐藤! 打倒鈴木!」と勇ましく応じました。

会場では、高橋幸宏さんの名曲を演奏するコンサートや、クイズ大会「たかはし? たかばし? どっちでショウ!」などが行われ、大盛り上がりでした。

また「最高はしご高決定戦」で、全国のはしご高の高橋(*)さんが日本一のはしご高を目指して競い合いました。観客たちは、あまりの高さに空を見上げながら「はしご高っ」と驚きの声をあげていました。

*高は正しくは「はしご高」

苦い文学

いつか断食する日

ラマダンというのはひと月のあいだ、日の出から日没まで断食するイスラムの行事だ。今週、チュニジアにいた私はこの断食に1日だけ挑戦してみることにした。

半日飲み食いしないなど、たいしたことがないように思えるが、「するな」といわれて我慢するとなると話は別だ。私にはまったく自信がなかった。ともあれ、断食は午前5時前に軽い朝食を食べたのちスタートした。これから午後6時半過ぎまでなにも口に入れてはいけないのだ。

その日は車であちこち移動する日だった。12時を回ったころ、同行してくれたチュニジア人の友人が私に聞いた。

「ジュースでも飲むか。断食は少しずつ体を慣らしていくものだぞ」

「いや、結構だ……」と私。

しばらく経つとまた聞いてきた。

「菓子でも食べるか。無理するなよ」

「いや、結構だ……」

それから私たちは車を降りて、遺跡を訪問した。山の上にあるので、けっこう歩く。遺跡を見終わったのち、友人が私に言った。

「俺たちはこれから礼拝をするから、お前はこのカフェに座ってジュースでも飲んでなさい」

「いや……水をください……」

その日は暑く、熱中症が怖くなってきたのだ。口を湿らす程度に、と思っていたが、割合にがぶ飲みに近くなった。

けっきょくその後、あちこちでお菓子をもらったりして、お腹いっぱいになってしまった。

翌日は誘惑にも負けず、最後まで断食した。日没後はすぐ食事になる。私は20分ぐらい前から食卓に座って、「ゴーサイン」が出るのを待っていたのだが、この時間がいちばんつらかった。

苦い文学

塾頭からのメッセージ

諸君!

今、政治家として一歩を踏み出した君たちの目の前にある日本を見てほしい。

少子高齢化は社会を蝕み、経済的格差の拡大は人の心を荒ませている。

若者は迷惑行為で炎上し、老害が疫病のようにはびこる、そんな日本である!

『後漢書』にある「倭国大いに乱れる」さながらではないか。いや、心ある人は言うだろう。その時からわが国は乱れっぱなし、だと!

これはいったい誰の責任だろうか。言うまでもない。政治の責任である。

愚にもつかない政争、欲にまみれた派閥争い、聞くに耐えない野次合戦、無責任な水掛け論……こんなことに我が国の政治家がうつつを抜かしている間に、安定と繁栄は愛想を尽かして我が国から飛び去ってしまったのだ。

そんな政治でいいのか、私は問いたい。そうだ、諸君が目指すのはそのような政治ではない。国民すべてが力を合わす、そうした政治なのだ。

今こそ友情と慈しみの政治を始めるのだ。それこそが本当の政治だ。

それだけが国家の安定を実現する道なのだ!

我々日本人にそのようなことができるだろうか? いや、断言しよう!

できる。

縄文時代は1万3千年も続いたではないか。続いたということは安定していたということにほかならない。

そうだ、縄文の優れた先人たちに倣えば、1万3千年以上もの間、安定した国を作ることが可能なのだ!

第二の縄文時代の先駆けとなる諸君の働きを大いに期待している!

苦い文学

愛妻家

知人の同僚の、ある愛妻家の話だ。

彼の妻は病気で寝たきりだった。そのせいで彼には、人に言えない苦労もずいぶんあったに違いないが、愚痴のひとつもいわず、妻をいたわりつづけたという。

あるとき、彼が日焼けして職場に来た。聞けば、ふと妻に海を見せたくなり、病の妻とこどもを連れて遠出したのだという。「大変だったでしょう」と職場の者が感心して言うと「家族みんなで行けたのがうれしくて」と笑った。

やがて、その職場は大きなトラブルに見舞われた。そこで働く誰にとっても大変な時期が続いた。

そんななか、ある日、彼が無断で仕事を休んだ。携帯に電話しても通じない。翌日も彼は出てこなかった。

彼もまた、トラブルの対応で忙しくしていた職員のひとりだった。なので、精神的に参ってしまったのではないか、と誰もが心配になった。そこで、上司が家に電話をかけた。

妻が出た。

そして、寝たきり云々がすべて嘘であったことが明らかになった。

愛妻家の行方はといえば、実家にいた、寺にいた、などとさまざまな情報が流れた。だが、私の知人によれば、愛人の家にいたというのがもっとも確かということだ。