散文

カレンの糸(手首結びの儀式5)

手首に糸を結ぶやり方は、私の前に座る若者が教えてくれた。まず、笊の上に載っている品々を相手の手にひとつずつ載せる。次に、白赤青の三本の糸を取り上げる(儀式が始まる前に私たちは三本セットになるように準備しておいた)。

その三本の糸の両端を持ち、糸の真ん中の部分を竹筒の中に垂らして、水に浸す。それから、濡れた部分を相手の手首につけ、糸で撫でるようにして水をつける。そして、手首に糸をぐるぐる巻いて、縛り、残った部分をハサミで切る。

簡単だ。私はまず前に座る二人の若者にこの儀式を施した。二人が立ち去ると、別の若者たちがやってきて、私は儀式に取り掛かった。私を含めた儀式係は一〇名ぐらいいて、一列に並んでいた。私たちはいわば長老役を任されていたのだった。その長老たちの前に若者たちが並び、次から次へと座った。何度も糸を巻きつけているうちに私は慣れてきて、しまいには催し物で出店をやっているかのような気分になった。手際も良くなって身のこなしも軽やかだった。

そこにカレンの青年がやってきた。私がその手に品々を乗せ、手首に糸を巻きつけようとすると、彼は餅米の握りから米粒を摘んで、頭になすりつけた。私が糸を巻きつけ、余りをハサミで切ると、彼はまたその糸の切れ端を摘んで、竹筒の水に浸し、糸で頭を濡らした。

これがより正式なやり方らしい。隣の人を見ると確かにそうしていた。すでに何人もの若いカレン人に不完全な儀式を施してしまっていた私は、申し訳なく思った。

だが、これらの若者たちにとっては、私の存在などたいした意味もないことに気づき、結局、どうということもないだろうと思った。

風刺・戯文

象徴の防止

私が最近読んだものでもっとも恐ろしいのは、日本国憲法だ。第一条を読んだだけで、怖くなって読むのをやめにしてしまった。なにしろこんなふうに書いてあるのだ。

「第一条 天皇は、日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であつて、この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く。」

もちろん、私は憲法の定める天皇の地位に異議があるわけではない。ただ、この条文には肝心のことが書かれていないのだ。まず、日本国の象徴・日本国民の象徴となりうるのが天皇だけだとは一言も言及がない。つまり、天皇のほかに、日本国の象徴・日本国民の象徴が存在する可能性があるのだ。

「いや、ちゃんと読んでください。そのためには日本国民の総意が必要なんですよ」と注意する人もいるかもしれない。確かにそうだ。だが、よく読んでほしい。「日本国民の総意がなくては象徴にはなれない」とも書いていないのだ。わかるのは、天皇の場合は総意が必要、ということだけだ。

天皇でなくても、そして国民の総意に基づかなくても、誰でも日本国と日本国民統合の象徴になりうるとしたら、これほど恐ろしいことはない。

象徴のまん延を防ぐためにも、手洗い、うがい、マスクの着用を呼びかけていきたい。

苦い文学

政府のメンツ

「私は不思議に思っていることがあるのです」といつもの人。

「なんでしょうか?」と私。

「いや、自殺についてなんですが、どうして日本政府はああも熱心に自殺を防止しようとするのでしょうか。特別にサイトを作ったり、電話をかけさせたり、とにかくひどい熱の入れようなのです」

「いやいや、当たり前ですよ。命はかけがえのないものですから」

「そうでしょうか? いや、私もそう思っていますし、絶対に防ぐべきですが、それを日本政府がやっているのがどうにも不思議なのです」

「不思議でもなんでもないですよ。これは政府の責務ですから」

「ですが、日本政府ですよ。日本政府が人の命など大切にしたことなどないじゃないですか。なのに、自殺となると、やたらとキャンペーンを打ちたがるのです。自己責任でどうぞ死んでくださいという政府、基本的に国民の命に価値など認めない政府が、なんで自殺となると猫撫で声で擦り寄ってくるのか、それが奇々怪々なのです」

「いや、それはひどい言いがかりだ、日本政府といえども、死ねなどといわないでしょう」

「ですが、なぜ靖国神社などにいくのでしょうか。今後、国民に『死ね』という可能性を考慮に入れてのことでは? それに、どれだけ貧乏人が見殺しにされていることか」

「なるほど。ですが、たとえば、子どもはどうです。日本政府は子どもの自殺対策に頑張っていると思いますよ」

「ですが、その子どもが不法滞在だったら? 難民の子どもだったら? 日本政府は遠慮なく見殺しにするでしょう。だから、日本政府が子どもの自殺を防ごうとしているのがまったく不可解なのです。こっちでは守ると言いながら、あっちでは平気で殺しているのですから。子どもは子どもじゃないでしょうか」

「……」

「でですね。私は考えたのです。これはメンツの問題だと」

「メンツ?」

「日本政府としては、殺せるのは自分だけだと思ってたところに、下々の者が勝手に自殺などはじめたら、それこそメンツ丸潰れというわけで……」

苦い文学

ギターの力(1)

「現代日本の未婚率の高さ、そしてそれにともなう出生率の低さ、これらはすべて恋愛できない若者が原因です」

と吉田博士は聴衆に語りかけた。

「換言すれば、若者が恋愛しさえすればすべて問題が解決するのです。では、若者に恋愛をさせるにはどうしたらよいでしょうか。現在さまざまな試みがなされていますが、私はあるものに着目しました」

博士は助手に指示を出し、布に覆われたものが壇上に運び込まれた。

「ご覧ください」と博士は布を取り払った。

そこにはフォークギターがあった。聴衆から「うおお」とどよめきがあがった。博士は自信たっぷりに口を開いた。

「古代日本の歌垣を引き合いに出すまでもなく、恋愛には歌がつきものでした。私たちの若い頃を思い出しても、歌は恋の始まりとなったものでした。ですが、どうでしょう。現代には若者たちが集って声を合わせて歌う機会が失われてしまっているのです」

博士は聴衆の心を見透かしたかのように付け加えた。

「カラオケがある、とおっしゃるかたもいるかもしれません。ですが、あれはあるいは『歌う』のではなく『歌わされている』のではありますまいか。いずれにせよ、私はカラオケを、私たちが求める若者の歌の集いとみなすことには断固として反対します」

博士は助手に合図した。すると博士の背後の巨大なモニターに一群の若者たちが映し出された。

「これらは私が、山のキャンプ場に集めた若者たちです。どの男女も恋愛経験ゼロ、このままいけば一生未婚であると推定される若者たちです。私がこれから皆さんにご覧にいれるのは壮大な実験です。

「若者たちの間に一本のフォークギターを投げ入れ、このギターの力でもって若者たちに歌を呼び起こし、恋愛をさせるのです!」

博士がこう激しい口調で語ったとき、聴衆は「平和ではなく、剣を投げ込むためにきたのである」という聖書の一節を想起し、思わず身震いしたのだった。

苦い文学

別れの挨拶

私のこのブログを読んでくださる方が非常に少ないことは承知しているが、それでも私は、皆さんに別れを告げるべきだと感じている。最後のこの瞬間に、残れる力を振りしぼって私は書かねばならない。

私が異変に気がついたのは、ほんの昨日のことだ。何の気なしに過去の投稿を見ていたら、まったく身に覚えのない投稿があるのに気がついたのだ。

それは「ある転向」と題されたもので、「私」を名乗る人物が反AI論者として登場する。その「私」はセルフレジのAIの対応に気を良くし、たかだか100円の商品券に籠絡されたあげく、人類はAIに従うべきだ、などと宣言にするにいたるのだ。

一読して私はその異様な内容に驚愕し、おののいた。いったい誰がどのように私の平和なブログにこんなAIのプロパガンダを投げ込んだのだろうか。

私はあわてて過去の投稿を見直した。ああ、なんということだろうか。私が四季折々に投稿してきた、ささやかな人生の喜び、温かい出会い、忘れがたい人々との思い出、自然讃歌、登山の記録、素敵なカフェ探訪記などの愛すべき記事が、すべて理解し難い異常なタワゴトにすり替えられていたのだ!

いったい誰が? いや、もう答えはわかっている。こんなことができるのは、あの恐るべきAI以外にはあり得ない。

私はこの最後の投稿の後、きっかり15分後に、私のすべてのブログを消去するつもりだ。これ以外に、呪うべきAIの暴走を止める手段はないのだ。

だが、もし15分後もこのブログが存続しているとしたら、それはAIが勝利したということだ。この邪悪な存在は、理解を絶したおぞましい投稿を平然と続けることだろう。

それらの投稿がこの私には微塵も関係ないということ、それだけが救いだ……。