散文

カレン・ニューイヤー 2026(2)

今年のカレン・ニューイヤーは 12 時に始まって 17 時まで続く。前半は式典で、カレン人の歴史や文化に関するスピーチや、ダンス・歌などが行われていた。後半は私はいなかったのでわからないが、おそらく他のビルマ関係の団体のスピーチなどもあったに違いない。

ダンスはカレン人の伝統的な集団舞踊で、若い人たちが中心になって練習してきたものだ。大阪にもカレン人のコミュニティがあって、その若者たちが東京にやってきてダンスを披露していた。

私は若い人はほとんど知らないが、古い友人たちにはたくさん会えた。そのうちの何人かは壇上に上げられ、在日カレン人のための長年の活動に対する感謝として若いカレン人たちから記念品を贈呈されていた。これは、功労者の顕彰というよりも、若い人たちが増えたので、これまで日本で活動してきた年長の人々を知ってもらおうという意味で企画されたとのことだ。

私は式典のあいだ、舞台の前や、ときには舞台裏に入り込んで写真を撮ったりしていた。舞台裏の袖のミキサー台のところに友人がいた。横に座ってカレン・ニューイヤーにつきものの食事について尋ねた。

「食事は 4 階で食べる。このホールでは食べることができないから」と残念そうな様子だったので「でも、いいじゃないですか。これだけの人が集まったんだから」と私は言った。

彼が残念に思っていたのは、本当は、同じ場所で食べて、みんなで楽しむのがこのお祭りだったからだ。しかし、東京ではそんな会場は見つからない。20 年以上前、日本のカレン・ニューイヤーがまだ内輪の集まりだったとき、私たちはバンドで演奏して、歌ったり、食べてたり、飲んだりしたものだった。だが、もはやそんなときは来ないだろう。日本のカレン人コミュニティはそんな段階にまで成長したのだ。

そうだとしても、今、東京のどこかで、別の国の別のグループが、かつてのカレン人のように、小さなお祭りを楽しんでいる、それは間違いないように思われる。

苦い文学

未来の歴史

最近、研究者と知り合いになった。なかなか近づきになる機会もないので、私は思い切っていろいろ質問してみた。

なんでも歴史の研究者だという。「徳川綱吉とかですか」と私が尋ねると、研究者は笑って「ええ、それも歴史の研究ですが、少し違うのです。貴族の歴史を研究しているのです」

「貴族というと、江戸時代にはいないですよね」

「いいえ、いましたよ。ですが、私の研究しているのは昔の貴族ではなく、未来の貴族なのです」

「未来に貴族が?」

「ええ、未来世界では貴族がいっぱいなのです」 研究者は私に未来の貴族社会について教えてくれた。確かに銀河の皇帝はもちろん、伯爵や男爵で溢れているのだ。

「ところで」と研究者。「現在の日本には貴族はいませんよね」

「ですが、勲章はありますよ」と私は上級国民のことを思い出しながら言った。

「なるほど、それも貴族社会の名残のようなものですね。ですが、基本的には貴族はいませんし、そうした名残もますますなくなっていくでしょう。これは実は世界的な傾向なのです。貴族という身分制がなくなって、誰もが平等だとする民主主義が広がりつつあります」

「確かに。でも YouTuber は貴族みたいに威張ってますよ……」 研究者は私の言葉を聞かずに話しはじめた。

「ですが、おかしくありませんか? 世界が今後ますます平等になっていくのに、遠い未来ではなぜか貴族がたくさんいるのです。どういう歴史的な過程を経て、未来においてこの貴族が生まれたのだろうか、それが私の研究テーマなのです」

「大変なご研究ですね」

そのとき、この歴史研究者の隣にいた別の研究者が口を挟んだ。

「私も実は似たような研究をしているのです」

「なんと、それはどういった」

「フェミニズムの歴史です」

「というと、生類憐れみの令とか?」

「いや、フェミニズムとは、男性の一部としてではなく、ひとりの人間として女性も生きることができる、という考え方です。現在の世界ではこうした考えが徐々に広がっています。ですが、ここで問題があるのです」

「どんな問題ですか?」

「未来は、現在よりも確実に女性が自分らしく生きることのできる社会になっているはずなのですが、どうしたわけか、どの女性もみなビキニを着て宇宙を飛び回っているのです……いったいどういう歴史的な過程を経たのでしょうか……」

苦い文学

注文者たちの日

コロナが来るずっと以前のこと、彼はとある居酒屋で絶望していた。なぜかというと、何度手を挙げ、どれだけ声を張り上げても、店員たちが彼のところに来てくれなかったからだ。

ぶらりと入ったこの店で、たまたま大テーブルに空いている席を見つけ座ったのはいいものの、最初の注文ができずにもう1時間が過ぎようとしていた。おしぼりも箸もお通しもまだなのだった。

店はさほど混んでいるわけでもなかったが、どういうわけか店員たちの知覚から彼の存在は滑り落ちてしまうようだった。声をかけると店員はちょうどよそ見している。来たと思って手を挙げると、厨房に呼ばれて急に引き返す。彼は店員がもっとも近づき、なおかつこっちのほうを向いているときを辛抱づよく待つ。ついにその時がくると、もうなかば腰を上げるようにして「すいませーん」と大きな声で叫ぶ。だが、その声はおりから湧き起こったサラリーマンたちの野太い笑い声にかき消されてしまう……。

彼の顔には疲労と深い悲しみが浮かんでいた。その歪んだ口は「いつもこうなることはわかっているのに、どうして店になんか入ったんだろう!」とでも言いたげだった。そう、彼はいつもこんな目に遭っていたのだ。彼はかぶりを振って、店から出ようと立ち上がった。

すると、そのとき、誰かが彼の腕を掴んだ。それは向かいに座る若い男だった。

その若い男は、彼の腕をグイと引っ張って再び座らせると、店員を呼んだ。まるで魔法のようにすぐに駆けつけてくる。男は壁の品書を見ながらゆっくりと言った。

「えーとね。上唐揚げともつ煮込み、あと、エシャレット、それから、芋焼酎で」 と、ここで彼のほうを向いた。「でね、なににします?」

彼は慌てながら「え……ビールで、あと、タコぶつ」

「じゃあ、それでお願い」と男は頼んだ。

店員が去り、注文が運ばれてくるまでのあいだに、若い男は自分がIT関係の会社の経営者だと明かし、こう言った。

「失礼ながら、先ほどから拝見しておりましたが、ぜひご協力をお願いしたいと思いまして」

「ご協力とは?」

「現在進行中の私たちのプロジェクトに加わっていただきたいのです。その悔しいお気持ちをプロジェクトに思う存分ぶつけてもらえたら……」

店員が芋焼酎のグラスと中生ジョッキをテーブルに置いた。若い男はグラスを持つと彼にうながした。「さあ、乾杯しましょう! 私たちが変えようとしている世界のために!」

2人が乾杯したこの日こそが、現在の「タブレット注文システム開発記念日」だ。この日、タブレット端末で注文すると、全品5%引きになる。

散文

心臓の火と舌

人間の体の中には、塔が立っている。それは五重塔で、下から、地・水・火・風・空の順だ。地は下半身、水は腹、火は心臓、風は肺、空は頭に対応している。

人間が話す仕組みはこの塔に関連している。塔が垂直で、心臓が肺にくっついていると、心臓で燃えている火によって左右の肺に二種の風が生まれる。これが舌に伝達されると、舌が動き出し、話せるようになるのである。

動物が話せない理由も、この仕組みによって説明される。動物は横になっている(つまり立てない)ため、心臓と肺のつながりが切れており、心臓の火が舌に伝わらない。それゆえ、犬や猫は人間のように舌を動かすことができない。

ただし、犬が前足をあげ、後ろ足だけで立つ、いわゆる「ちんちん」の格好をする場合は別だ。心臓の火が舌に伝わるため、犬は賢い芸などをするようになる。

また、人間の赤ん坊が、ハイハイをしている間は話すことができないのも、同じ理屈からである。

そして、狸・狐・猫が人に化けて話し出すのも、これらの動物が立って歩く場合に限られるのである。

上記は、最近読んだもの(『近世色道論』の「ぬれほとけ」)に書いてあった理論だ(本当は陰陽が絡むが、私にはわからないので簡略化してある)。

思えば、ガンダムもトレーラーの上で横たわっている時は、ザクにやられそうになっていたが、アムロが乗り込んで起き上がらせたとたん、強くなったのだ。

いよいよもって真実といえよう。

苦い文学

赤い老眼

私は老眼がひどいので、眼鏡を2種類使用している。ひとつは外出用の眼鏡で、遠くまで見える。もうひとつは室内用で、パソコンを使ったり、韓国のドラマを見るときに使用する。しかし、この眼鏡では本の文字やスマートフォンは見ることができない。そういうときは裸眼だ。

つまり、遠距離用眼鏡、手元用眼鏡、裸眼という三段階を使い分けていることになる。しばしば混乱して、自分が眼鏡をかけているのかかけていないのかわからなくなるのは不便だ。

だが、目が悪いということも必ずしも悪いことばかりではない。

この間、カレン人の友人と喫茶店で話をした。ビルマでデモ隊に軍用車が突っ込んで何人もの人が殺された事件の話になった。

彼は、その惨劇の写真を、日本で行われるデモで使用するというのだ。彼はスマートフォンをいじりだした。

ビルマの人々との付き合いが長い私は、すぐに予期した。私はテーブルに置いておいた遠距離用の眼鏡に掛け替えた。

「ほら、この写真。かわいそうだね。みんな子どもだよ」

彼は自分のスマートフォンの写真を私の前にさし出した。

「ああ、そうですか」

と画面をのぞき込んだ私であったが、早めの対策のおかげで、何か赤いものだけ以上のものを見ないで済んだのであった。