旅・観察

犬の友だち(1)

ターウジュートからチュニスに帰ってきて、一日休んで、再びSさんからベルベル語を学ぶ日々がはじまった。

私の滞在していたホテルは、中級のホテルで、同じ宿泊費ならばもっといいホテルもあったが、私はここに決めていた。なぜなら、一階に静かな会議室があって、誰も使っていないときに無料で使わせてもらっていたから。そして、利用する人はめったにいないようだった。

ホテルにはドアマンがいた。しかし、私が入ろうとしてもドアを開けてくれるわけではない。黙って玄関脇の椅子に座って携帯を見ている。あるいは、外に立って、電話をしたり、ぼんやり眺めたりしていた。ドアを開けてくれないばかりでなく、無愛想で挨拶すらしてくれないのだった。

ホテルの前にはいつも人が出入りしている店があった。夜になると酔った男たちが大声で話している。レストランのようだが、そうは見えなかった。私はそこが悪徳の巣のように思っていたが、ネットで調べたらちゃんとしたレストランだった。だが、私は行こうとは思わなかった。チュニジアのレストランは、お酒が飲めるものとそうでないものがある。そして、お酒が飲める場所は、室内の空気の八〇パーセントほどがタバコの煙だ。とてもうるさいので、耳栓も必要だ。しかし、もしそんなことをしていたら、酔っぱらいに絡まれること必定だ。

ホテルとレストランの間の道路の両側は、隙間なく車が止まっている。その多くがレストランの客の車のようだった。私はレストランから出てくる酔客たちのようすを見て、自分が勘違いしていたことに気がついた。

ドアマンではなく、ガードだったのだ。観察していると、外で大声が聞こえたり、何か不穏な動きがあると、玄関の男がすぐに立ち上がって外に出るのがわかった。だから、別に私に愛想よくする必要などないのだ。

しかも、ホテルの外の歩道にはときどき、汚れた大きな犬が寝転んでいた。通行人は怖がって避けて通る。私も噛みつかれたらたまらないのでやはり避けて通った。

苦い文学

不正行為

日本語能力試験(JLPT)は、日本語の能力を測定するテストで、高いレベルに合格すると、進学や就職に有利なため、しばしば替え玉受験やカンニングなどの不正行為が発生する。

受験の注意を見ると、イエローカード2枚もしくはレッドカード1枚で失格となるそうだ。どのような行為が対象となるかだが、これは普通のテストと変わらない。問題用紙を勝手に見たり、カンニングしたり、迷惑をかけたり、などだ。ただ、面白いのが「服や体に数字や文字などが書いてあったとき」だ。

うっかり日本語の書かれたシャツを着ていったら、失格になりかねないのだから、注意が必要だ。ただ、シャツなら脱げばなんとかなるかもしれないが、刺青の場合はどうなるのだろうか。国によっては刺青がそれほど特別なことではなく、誰もが目立つところに入れている文化もある。花や模様ならいいが、しっかり漢字で入っている人もいるかもしれない。そういう人がもし、JLPT に挑戦することになったらどうなるだろうか。試験監督に見咎められて、退場させられるのではないか。私はとても心配だ。

また、刺青ではないが、日本語学習者の中には、全身にお経が書いてある人もいるかもしれない。そういう人もどうなるのだろうか。試験監督に両耳だけもぎ取られて退場を命じられるのではないか。私はとても心配だ。

苦い文学

くずおれ部

女性アナウンサー「それでは次のニュースです」

男性アナウンサー「桑畑さん、『くずおれる』ってご存知ですか?」

女性アナウンサー「え? 『崩れ折れる』ではないんですか?」

男性アナウンサー「いえ、違うんです。では、映像をご覧ください」

(映像はじまる)
老人たちが会議室に集まっている。ひとりの老人が立ち上がり、みんなの前でグラグラと揺れ、がくりと膝をつき、そのまま尻餅をつき、横になる。

老人たちが倒れた老人を見て声をかける。「うーん、違うなあ!」「ちょっと、ズレているよ」「これは『崩れ折れる』だな!」 倒れた老人は恥ずかしそうに立ち上がる。

アナウンサー「この方々は、『くずおれる』を再現しようと活動を続けてらっしゃるのです」

(老人へのインタビュー)
「『くずおれる(頽れる)』とは、辞書を見ると『くずれるように倒れる。くずれ倒れる。』などと書かれていますが、語源を紐解くと『崩れる』とも『折れる』とも関係がないのです。もともとは『くずほれる』と一語だったのですが、『ほれる』が『おれる』となった結果、『折れる』と勘違いされて、『崩れ折れる』の仲間にされてしまったというわけです。私たちは『くずおれる』本来のくずおれ方を現代に復活させようと毎週活動を続けています」

今度は別の老人が立ち上がって、「くずおれる」の実演を行う。頭からバターンと激しく床に倒れる。老人たちから声が上がる。

「いいかも!」「その調子!」「うーん、ちょっと折れている感じが強かったかな!」「そうそう、これじゃ『折れ崩れる』だ!」

倒れた老人は脳震盪を起こし、立ち上がれずに痙攣している。

(頭に包帯を巻いた老人)
「私たちの体が持つまで、『くずおれる』を探求しますよ!」

女性アナウンサー「はあ、とても勉強になりました。日本語って奥が深いですね」

男性アナウンサー「ええ、日本語の良さを次世代に伝えたいと、みなさん語っておられました。『くずおれる』をきわめたのちは、『倒れる』と『斃れる』のたおれ方の違いを明らかにしたいと意気込んでおられましたよ」

女性アナウンサー「無理をして、くずおれなければいいですね。では次はお天気です……」

苦い文学

120 パーセントの魔法

ペテン師になるための第一歩は「120 パーセント」の魔法を使えるようになることだ。

「120 パーセントない」「120 パーセント出しきる」「120 パーセント叶える」などなど、自在に使いこなしてこそペテンもうまくいこうものだ。

だが、120 パーセントとはなんだろうか。100 までしかないからパーセントなのだ(cent=100)。それを、20 パーセントも増量してしまう。これが魔法の魔法たるゆえんだ。

もちろん「前年比 120 パーセント」という言い方はある。だが、それはなにかとの比較があってのことだ。ペテン師が「120 パーセントない」というとき、去年に比べて今年はもっとなかった、ということを言いたいわけではない。

ペテン師が「120 パーセント」で言いたいのは、100 パーセントよりすごいということだ。20 の上乗せで粉飾してだまくらかそうとしているのだ。

だが、ペテン師が「120 パーセント」の魔法を振るう理由はそれだけではない。この言葉は、現実を覆い隠すのに都合がいいからだ。

その証拠に、ペテン師は絶対に「100 パーセントない」とは言わない。なぜなら、それだと現実的に検証可能になってしまうからだ。百分率を越えた魔法の世界に相手を連れ込めば、なんでも好きなようにできるということを、ペテン師は知っているのだ。

修行を積んで「120 パーセント」を使いこなせるようになると、ペテン師は「200 パーセント」「2000 パーセント」など、上級の魔法の習得を始める。

苦い文学

海の詐欺

海の者だという人から電話があった。私に聞きたいことがあるというのだ。

「某月某日に、竜宮城に行って饗応を受けましたか?」

「いいえ」

「こちらの記録によると、その日、あなたが竜宮城にやってきて、三日三晩のもてなしののち、金銀財宝と玉手箱を手にして帰ったとあるのですが」

「その日は出社していたので。会社に問い合わせてもらえばわかりますが」

「いや、これで結構です。あなたが竜宮城に来ていないということがわかれば、それで十分です」

「いったいどうしたんです。私にも事情を教えて欲しいものですが」

「何者かが、あなたの名前を騙って竜宮城に行き、ご馳走と財宝と玉手箱を詐取した疑いがあるのです」

「気味が悪いですね。誰がそんなことをしたというのです」

「亀が首謀者で、蛸をそそのかして、あなたの偽物に仕立てあげたという線が濃厚です」

「蛸が私に!」

「ええ、亀はあなたに成り済ました蛸を恩人だと偽って竜宮城に連れて行き、竜宮城の財産を不当に奪ったのです」

「そうですか。事情はわかりました。では」

「ちょっと待ってください。実は困ったことがありまして」

「えっ、なんですか」

「捜査の行き違いから、あなたに対して逮捕状が出されているのです。あなたの逮捕を防ぐため手を尽くしたのですが、どうしても法律上、保証金を30万円、至急納付しなければ逮捕だというのです。あくまでも形式的なもので、お金はすぐに返還されるのですが……」