ライブ

君が四角くなる前にリリースパーティ@下北沢BASEMENTBAR

正式なタイトルは、「君が四角くなる前に pre 『きらめきとして現れるであろうあらゆる小さなセカイのためのプロレゴメナ』リリースパーティ。「君が四角くなる前に」というバンドの新譜記念ライブだ。

1 番目に客演した宇宙ネコ子が目当てで行ったが、2 番目のゲスト cephalo の演奏には陶酔感があった。主役の「きみしか」も華やかだった。

月曜日に、Todd Rundgren のライブで NHK ホールに行き、16,800 円のチケット代と 3 階隅の席について愚痴った私だったが、今回は 3,000 円で、会場も小さい。それがよかった。

だがなによりもよかったのは、NHK ホールでは座席指定だったのに対して、今回は立って音楽を聞けたことだ。Todd Rundgren でだって、もちろん立って聞いたっていいのだが、座るのが基本で「立ってもいいよ」となると、立つのに理由と決意がいる。だが、「はじめから全員起立」だと、なんにもいらない。

立ったまま聞いていると、音を全身で感じられる。それは喜びであり、解放だ。座っていたら、どうしても頭で聞いてしまう。音楽は足で聞いてもいい。

私は日曜日に義太夫節演奏会にも行った。すごい演奏だったが、もしかしたらこれもみんな立って聞いたほうがいいのではないかという気もする。もっとも、義太夫節は高齢の観客も多いからそうもいかないだろう。

いずれにしても、よい音楽をいつまでも体験できるように、足腰を鍛えておかねばならない。しかし、寝たきりになったとしても「オールスタンディングだよ」と言われれば、私なら立ち上がるかもしれない。

苦い文学

誰ひとり取り残さない

世界と人類がよりよく存続するために、2015 年、国連総会で採択されたのが「持続可能な開発目標」、略称でSDGsと呼ばれる 17 の目標だ。私はこの目標のどれも素晴らしいと思っている。

だが、素晴らしいのはそればかりではない。これらの目標の実現にさいして、「誰ひとり取り残さない」ことが重視されているのだ。つまり、この目標は一部の特別な人のためではない、そう、私のためでもあるのだ。

私はこの SDGs のことを聞いてからというもの、国連からの連絡を心待ちにするようになった。もちろん、私にもわかっている。世界にはたくさんの人がいるから、いくら誰一人取り残さないと言っても、順番というものがある。いきなり全員など無理なのだ。

「今ごろ、国連はどこの国の人に連絡をしているだろうか。日本は有名で素晴らしい国だからきっと最初のほうに連絡をするに違いない」

「しかし、日本だってたくさん人がいるのだから、一人一人連絡するのは大変だぞ……きっと一斉メールで通知が来るのだろう」 だが、待てど暮らせど連絡がない。私はだんだん不安になってきた。

「もしかしたら、私のことを忘れたのでは? ミスかなにかで! あれほど、誰ひとり取り残さない、と言っていたくせに!」

明日の朝、私は始発に乗って、東京の国連の事務所に行くつもりだ。もしかしたら、自分だけ取り残されたのではないか、と思うと、もう居ても立ってもいられないのだ。

苦い文学

断食のとき

私は今ラマダンまっただ中のチュニジアにいる。

ラマダンとは、ひと月のあいだ断食をするイスラムの行事のひとつだ。もっとも1ヶ月まるごと食べないというのではなく、日の出から日没までの間だけだ。その間、食べ物はもちろん水も口にしてはいけない。

私にとってはラマダン期間中の訪問は初めてだ。ムスリムでない私が断食をする必要はないが、さすがに人前で飲み食いするのは憚られるので、ホテルにいるときだけにしている。

ところが、昨晩からホームステイすることになった。家の人が「明日は一緒に断食してみる? でも、つらければ飲み食いしてもいいよ」という。私はやってみることにした。

そして今朝、私は午前5時前に起こされた。ヨーグルトとマドレーヌみたいなお菓子を一緒に食べる。水もたくさん飲む。これから午後6時半すぎまで食べられないと思うと緊張してきた。

「あっ」

私は慌てて、昨晩から充電中のiPhoneを手にとった。フル充電できていなかったらどうしよう!

だがすぐに、別にiPhoneは昼間でも電気を食べてもいいということに気がついて、そのまま置いた。

苦い文学

童夢

ムーディー・ブルースのほうではないのだが、大友克洋の全集が去年から刊行されていて、買いそびれたままになっていた。

こういったものは初めから買わないと特典がつかない。いまさら買っても遅いので諦めていたら、(案の定というか)刊行が遅れていて、それにともない第1期の特典応募期間も延期されているという。

それでさっそく第 1 回配本の『童夢』を購入することにした。

おそらく全国民が一度ならず二度、三度と読み返している作品なので、とくにいうべきことなどないが、何十年ぶりかに読み直してみて、前半と後半では絵が違うのに気がついた。前半は、大友克洋の短編時代の雰囲気があって懐かしい。だが、後半はずっと『AKIRA』の絵柄に近くなる。「ヨッちゃん」なんて、後半では『AKIRA』の大佐みたいだ。詳しいことはわからないが、後半はずいぶん書き直したそうだ。

さて、今回読み直して、一番驚いたのは、老人の「チョウさん」が、65歳だったということだ。

この漫画が出た当時は、65 歳という年齢は老け込んで超能力を使っても不自然ではなかった。だが、現代では 65 歳といえば超能力どころか、金田や鉄雄と一緒にバイクを乗り回しててもおかしくない年齢だ。

40 年のあいだにいかに高齢化が進んだかということであろう。

苦い文学

日本で一番かたいもの

友人と、豚骨ラーメンを食べに行った時の話だ。頼んだのは私が先。「カタ麺で!」と付け加える。

すると、友人が「こっちはバリカタで!」

私はちょっとカチンときた。利いた風なこと言うじゃないか。

やがてラーメンが来た。我々はほぼ同時に麺を啜り終えた。すると友人が店長に「替玉お願い、ハリガネで」

そして、私のほうを見ると、半笑いで「店長、こっちにも替玉、カタ麺で……」

私は遮った。「こっ粉落としで!」 そして友人を蔑むような目で見返してやった。

そして、2度目の替玉の時がやってきた。先手を打ったのは私。

「粉落としじゃもの足りねーよ。店長さんよ、ひとつダイヤモンドで!」

そして友人のほうを指して、笑いを堪えながら「こちらさんにはニュウメン……」

すると友人、私を睨みつけるや大音声を発する。

「宮内庁の頭!」

そして、かんらかんらと大笑いしながら「日本にはこれ以上固いものはありゃしやせんて!」 もう勝ちを確信したってわけ。

ところが私ときたら、まっこと悠然たるもの。

「ダイヤモンドはやめで! こっちは……」と自信たっぷりに————

「真子の決意!」

店内が水を打ったように静まり返った。友人はわなわなと椅子からずり落ちた。私の勝利が確定した瞬間だった。

そして、2回目の替玉を食べ終えた我々は、ラーメン屋を出ると、そのまま歯医者に直行した。