ライブ

ニガミ17才@東京キネマ俱楽部

ニガミ17才が2024年2月17日以来、2年ぶりにライブ活動を再開するというので、今日の東京公演(東京キネマ俱楽部)に行ってみることにした。

会場に行ってみると、たくさんの人がいた。年齢もさまざまだ。「待望の公演」とはよくいうが、これほどこれがぴったりのライブはない。

会場に入ると、ステージに奇妙なマネキンが飾られている。今回のタイトルは「nigami 17th birthday!! plan10【トミーは野球になりたかった】@東京公演」という。これがトミーだ。

この東京キネマ俱楽部というのは、すこし変わった作りで、ステージの右手の階段が小さなバルコニーにつながっている。会場が暗くなると、バルコニー奥の幕から昔のアメリカ映画に出てくるような男女が出てきた。あらかじめ置かれたテーブルに座って、飲食を始める。女性は赤いドレスを着ている。男性は立派なスーツ姿でまるで岡田真澄のようだ。

そしてライブが始まる。2年のあいだに、メンバーは岩下優介と平沢あくびの2人になった。その間、大きな活動は聞こえてこなかった。だが、今日、2人のサポートメンバーとともにぶっつけられた演奏は、以前と同じく強烈で楽しかった。

ライブのコンセプトとなったトミーは、岩下優介の説明によると、捨てられたロボットで、ニガミ17才が拾ったのだ。そして、トミーと同じように捨てられたようなニガミ17才も今、観客たちに拾われている、と感慨深い言葉が語られた。私もいつか拾われると期待してもいいだろう。

トミーがもたらした効果かわからないが、ライブそのものが緊密になり、以前の曲がアレンジや構成の点でアップデートされ、さらに複雑になり、奥行きが加わっていた。ライブとは、単に曲を並べるのではなく、編集作業でもあるのだと(いまさらながら)気がついた。捨てるも拾うも編集次第だ。

さて、ライブの間じゅう、ステージ上方で楽しげに飲食している男女の姿は、このロボットの記憶の一部だとのこと。ライブが終わり、ほとんどライブ第2部といってもいいような厚みのあるアンコールののち、2人の俳優が紹介された。男性がデッカチャンだということがわかった(ニガミの MV にも出演している)。

今年は「アクセル踏む」というニガミ17才、行きたくなくなるくらいライブをやってほしい。

苦い文学

最強のパスポート

彼が日本国民としてもっとも誇らしいのは海外旅行に行くときだ。なぜなら彼のパスポートは世界最強だからだ。

この最高のパスポート片手に空港内を颯爽と歩くとき、彼は周囲の弱パスポート保持者たちの羨望のまなざしに焼かれそうだ。

それもそのはずこのパスポートを手にした者は世界中のありとあらゆる国を観光することができるのだ。

外交の勝利と平和の賜物だ。赤く燦然と輝いている。

最高だというのは、誰か偉い人や強者がそう決めたのではない。世界の国々が選んだベストワンなのだ。世界の仲間ナンバーワンだ。

このパスポートを持っているだけで彼の懐はあったかだ。まるでカイロのようなのだ。

だが、最近彼にとってショッキングなことが起きた。シンガポール人が最強パスポートの座を奪ったのだ。

それ以来、彼は空港でシンガポール人を見かけると、その眼前にバチーンとパスポートを叩きつける。そのシンガポール人が自分のパスポートで、彼のをひっくりかえすことができるか挑戦するのだ!

バチーン! そんな音が今日も空港で響き渡っている。

苦い文学

シリアルキラー復活プロジェクト

デビッド・バーコウィッツ、テッド・バンディ、ジョン・ゲイシー、ハンニバル・レクター……昔、アメリカが強大で、輝いていたころ、各地にそれこそ綺羅星のごとくシリアルキラー(連続殺人鬼)がいて、それぞれの技と趣味を競ったものだった。

だが、現在はどうだろうか。シリアルキラーのニュースなどとんと聞かないのだ。そのかわりアメリカから聞こえてくるのは、銃乱射事件ばかりだ。昔は人ひとり殺すのにも、皮を剥いだり、冷蔵庫に保存したり、食べてみたりと、個性豊かだったが、いまは銃を振り回して一度にまとめて殺すだけだ。これは単なる大量殺人で、連続殺人ではない。

もはやシリアルキラーの時代は終わったのだろうか、そんな味気のない世になってしまったのだろうか、そんなふうに嘆いていたところ、アメリカからじつに愉快なニュースが届いた。

シリアルキラーを復活させるプロジェクトがかの地で進行中だというのだ。白人男性をターゲットにシリアルキラーへの転身を促すさまざまな支援が実施されているという。

興味深いのは、このプロジェクトに巨額の資金を提供しているのが銃規制反対派のロビー団体だということだ。なんでも「銃乱射事件が増えたのは、シリアルキラーが減ったせいであり、シリアルキラーを保護育成すれば、銃乱射事件は確実に減る」のだという。

つまり「銃が人を殺すのではない、シリアルキラーが人を殺すのだ」というわけだ。

このプロジェクトによって、全米各地でシリアルキラーが大いに活躍するようになれば、銃乱射などという不粋な行為も姿を消すに違いない。そんな安全で偉大な時代の到来こそ Make America Great Again でなくてなんであろうか。

苦い文学

粛々の神

寝ていたら夢枕にぼわわーんと不思議な存在が現れた。神々しいことこの上ない。

おののいて平伏すると、その存在はこう告げたのだった。

……「粛々と」という言葉、お前も知っておろうが、あれをな、近頃、政治家どもがよく使うので、えらく迷惑しておる。そもそもあれは「おごそかに」という意味でな、それで「粛々と進める」というのは「定められた手続きを遵守してことを進める」という意味で使われるようになったのだ。だがな、政治家どもが無考えに使うものだから「既定事項として議論の余地のないものとして進める」というような意味合いが生じてしまったのだ。政治家ともあろうものが議論を避けるとは思い上がりもはなはだしい、というわけで、それ以来「粛々と」の価値は下落する一方なのだ。お前は日頃、政治家に文句言うこと盛んなるによって、ひとつ頼むのだが、この「粛々と」についてもブウたれるがよいぞ……

私はハハッと畏まり、こう尋ねた。

「おそれ多くも申し上げますが、かくも「粛々と」について心配されるとは、いかなる神様でございましょうか」

……我は時間の神なるぞ。お前たち人間が、やれ死ぬのはいやだ、やれ待ってくれと泣き叫ぼうと、粛々と滅びの暗闇に突き落とすのが、この我の貴い務めというわけでな、実際、時間ほど粛々と進むものはないのだ……

苦い文学

原始社会におけるハゲの機能

我々の社会における顕著な特徴は、社会的地位の高い男性ほどハゲが多いという傾向である。保育園の園児の集団と比べてみれば、これはいっそうはっきりしよう。

先月、サイアミーズ・ネイチャー誌にパトリック・コーガン博士が発表した論文は、人類学的見地からこの特異な傾向を論じたものであり、きわめて示唆に富む考察が展開されている。以下はその要約である。

原始時代の狩猟採集生活においては、男女の明確な分業が存在した。男は狩猟に出かけ、女は採集を行っていたのだった。

狩猟には集団的な協力関係が不可欠であり、この狩猟を通じて、我々の社会生活の基礎をなす重要な特徴、すなわち、コミュニケーション能力と組織構成力が育まれた。
 
コミュニケーション能力とは、言語や手振りで相互の行動を伝達しあう能力である。組織構成力は、目的達成のために役割を分担する能力であるが、とくにリーダーの存在が重要なものとなる。

つまり、狩猟の成否を握るのはリーダーの指示ということになるのだが、この指示はどのように伝達されるべきものであろうか。

もちろん言語は重要である。しかし、狩りの現場においては言語は、獲物がその音声に気がつき逃げてしまうという点で役に立たないのである。

では、身振り手振りはどうだろうか。これはある程度は有効だが、距離が離れれば離れるほど視認性が低下するという弱点がある。

コーガン博士はここで大胆な説を提唱する。すなわち、原始時代の狩猟においては、ハゲ頭の光の反射による信号が重要な役割をはたしていた、というのである。

リーダーが太陽に反射するハゲ頭を手で覆ったり露出したりすることによって、あらかじめ決められた光の信号を遠方の男たちに送信し、狩猟を成功に導いていたに違いない……こう博士は推論するのである。

「したがって、ハゲたリーダーがいる集団ほど生き残る可能性が高かった」と博士は結論づける。「現代のリーダーにも同様の特徴が見られるのも、その名残りにほかならない」

最近ますます毛が薄くなってきている私であるが、博士の研究は、まさに私の頭にさした一条の光といえよう。