ライブ

noodles と宇宙ネコ子@新宿 red cloth

東新宿で、noodles と宇宙ネコ子のツーマンライブが行われるというので行ってみた。宇宙ネコ子が目当てだ。

宇宙ネコ子は、kano(ヴォーカルとギター)とねむこ(ギター)の女性 2 人のユニットで、元 Twitter(現 X)では物悲しいことを言っていたりするので、暗い人たちかと思いきや、音楽は洗練されている。だが、ライブに行ったら、そればかりでなく、ノイズ系であることもわかった。

メロディは、1980 年代のイギリスのインディー系を彷彿とさせるが、私はなんでもこの時代を彷彿としてしまうのでわからない。ねむこのギターの作るノイズとフレーズがその感じを高めている。サポートのドラムとベースもよかった。現在新しいアルバムを製作中とのことで、新曲も演奏した。

2 人とも SNS などでは顔を見せないので、どんな人たちなのかわからないが、ライブでは普通にしていた。2 人を見たい人はライブに行ったらいいだろう。

noodles は私はよく知らなかったが、1991 年結成で、今は女性 2 人(ギターとベース)だ。ドラムのサポートありのトリオ編成で、この最小のバンド形態の演奏を、生で間近に見て、かっこよさを改めて認識した。

苦い文学

日本人はバカ

「日本人はバカだ」

ある知識人がこうツイッター(現X)に投稿した。すると、たちまち轟々たる非難が沸き起こり、ツイッター(現X)は怒りの声で溢れた。「バカというやつがバカだ!」「なんだこの上から目線」「こいつは反日だ!」 するとその知識人、再びツイッター(現X)に投稿した。

「日本人は馬鹿だ」

同じく大炎上が巻き起こった。「日本人を貶すものは日本から出ていけ!」と息巻く者もいたし、「こんなのが日本人とは恥ずかしい」と嘆く者もいた。また「日本人がバカだというのならば、日本人であるあなたもバカということですよね」とお得意の遠くからの詰め寄り芸で、怒りを発散させる者も続出した。

X(前ツイッター)は沸騰し、ついには殺害予告まで飛び出す事態に。しかし、それにもかかわらず知識人はもう一度ツイート(現ポスト)した。

「日本人は莫迦だ」

不思議なことに、まるで炎上しなかった。そこで知識人は「やはり日本人はバカだった」と結論づけた。

苦い文学

現代の魔法使い

魔法などというとファンタジーの世界のものかと思うかもしれないが、現代の日本にも魔法は存在するし、魔法使いやその弟子もたくさんいる。

魔法使いになるためには、魔力を持たなくてはならない。この魔力は、現代魔法学では自己肯定感と呼ばれている。自己肯定感があれば魔法を使える。

魔法にはさまざまなものがあるが、現在おもに用いられているのは「引き寄せの法則」だ。この魔法を使えば、なんでも思うままに実現できる。

また、自在に富を生み出す錬金術も、魔法使いの多用する魔法のひとつだ。

ファンタジーでは魔法使いになるためには、弟子として修行を積んで、ランクを上げていかなくてはならないが、現代でも同じだ。セミナーや講習会、セッションやオンライン・ミーティングにせっせと参加して、師の魔法使いの教えを受け、「資格」や「免許」を取ることが求められる。かなりの出費を覚悟しなくてはならない。

また、書物も重要だ。ファンタジーの世界では、魔法使いになるためには、重厚な魔術の書を読みこなす必要がある。これらの書物は伝説の偉大な魔術師が書き残したのだ。

現代の魔法使いの弟子たちも書物から学ばねばならない。これらの書物は、ファンタジーの世界に比べると、薄くて、字も大きくて、安っぽい。たいていは、書店の「自己啓発書」のコーナーに並んでいる。たいして内容もないので何冊読んでも疲れない。

現代の魔法使いがこれらの本の中で、繰り返し語るのは、自己肯定感も引き寄せの法則も錬金術も実在するということだ。

私は長年の調査の結果、自己肯定感も引き寄せの法則も嘘だと結論づけた。だが、セミナーなどの参加費から判断するかぎり、錬金術だけは本物だと認めざるをえなかった。

苦い文学

鍋敷き

韓国ドラマでよく見るのが、即席ラーメンを鍋からそのまま食べるシーンだ。

日本では普通ではない食べ方のせいか、注目する人も多い。いわば定番の「韓国ドラマあるある」だ。

さて、この直喰いのとき、鍋はテーブルにそのまま置かれることになる。しかし、鍋は置かれる直前まで火にかけられていたので、当然熱い。それで、鍋敷きが必要になる。あるドラマでは、その鍋敷きに本が使われていた。

その本はそのドラマの悪役の自叙伝だったので、ドラマの演出かと思いきや、そればかりではなかった。ある韓国人の友人が私に自著をくれたのだが、そのときこんなことを言ったのだ。

「韓国では本を渡すときに『鍋敷きにもなりませんが』と言います」

これはもちろん謙遜だが、いずれにせよ韓国では本はいつでも鍋敷きにされかねないということであろう。

ところで、私は今年の 2 月に本を出したのだが、これまた鍋敷きにぴったりの厚さ、しっかりした製本なのだ。

鍋敷きが必要な人には、ぜひお手に取ってご確認いただきたい。

もしもすでにご購入を検討されているということであれば、「大鍋中鍋小鍋に使える3冊セット」というチョイスもある。この機会に、ぜひ。

苦い文学

立派な心

私は今年の三月末にそれまで4年いた職場を離れた。そのいきさつになにひとつ恥ずべきことはないが、今ここで語ることではない。

いとも簡単に人を切って捨てることのできる職場で、人々は内心に脅えを抱えて働いていた。私の事情を知る人は多くはなかったが、薄々感づいている人は私に近づかなかった。

私はひと月かけて、退去する準備をした。「盗撮事件を起こして懲戒解雇になる人間でも、私よりもっとニコニコしているにちがいない」と私は思った。

退去する日に、二人の同僚が食事に誘ってくれた。そのうちの一人が、とっておきの店だといって、パキスタン料理店に連れていってくれた。どうせカレーの一種でしょ、と思っていた私は、その予想を裏切るカレーに感動した。

また、私にあたたかく声をかけてくれた二人にも私は感動した。もしかしたら、今日の食事会は、出ていく私のためというよりも、残される自分たちのためだったかもしれない。だがかえってそれが、この(元)同僚たちが人間らしい立派な心の持ち主であることを証明しているように思えた。

店を出て、二人と分かれた私は、夜道を歩きながらつぶやいた。

「盗撮魔にはこんな友人はいないだろう」

だが、しばらくして思い直した。

「いや、盗撮写真を交換するお仲間がいるかもしれないな……」