研究

野蛮な発表

二〇二六年十一月十四日と十五日に長崎大学で開催される日本言語学会第173回大会の発表題目リストが公開された。口頭発表は全部で四十のタイトルがあるが、そのうちのひとつが私のもの、「ターウジュート・ベルベル語における動詞文の否定」だ。

これは去年から今年にかけて行った三回のチュニジアでの調査に基づくものだ。発表要旨はそのうち公開されるのではないかと思う。

締め切りの八月二十日に応募したとき、私はなかなかいい提案ができたと思っていたが、だんだんと違うような気がしてきた。これまで日本言語学会の大会では三回不採択になったことがあるが、データからはみ出て大きいことを言ったとき、言いかえれば、データと主張が釣り合わないとき、そうなるようだった。今回応募したものはタイトルはおとなしいが、内容に少しワイルドなところがあった。この野蛮なところがどう受け取られるか、それ次第で不採択もありうると私は思っていた。

ただ、負け惜しみで言うのではないのだが、不採択は決して悪いことではない。初めに不採択になったテーマは、のちに単著に結びついた。別のテーマは、ただ単に準備不足だっただけで、今も大いに発展の余地があると考えている。飼い慣らすのには時間がかかるのだ。

そんなわけで、今回も不採択になったとしても、それはそれで使い道があるだろうと考えていたが、結局のところ、採択された。当日は野生味あふれる発表にしたい。

風刺・戯文

中流の旅

しばらく前のことですが、私は、ニュースを見てとても驚きました。日本で貧富の格差が広がり、このままだと富裕層と貧困層だけになってしまう、というのです。

昔、日本は一億総中流と言われていました。なのに、その中流がごっそりいなくなってしまったのです。私は自問自答しました。自分は中流だろうかと。というのも、もし中流ならば、私は絶滅寸前の種ということになるからです。「ここにいるぞー!」とニュースに反論したかったのです。ですが、答えはノーでした。私は貧困層だったのです。

この日から、私の中流探しの旅が始まりました。知り合いを訪ね、知り合いの知り合いをさらに訪ね、中流かどうか聞いて回りました。ほとんどが悲しげに首を振って、貧困層だと答えました。ごくまれに「富裕層だ」とベンツの窓を開けて答える人もいました。ですが、中流と自認する人はひとりもいなかったのです。

いったい、中流はどこに行ってしまったのでしょうか? どこか遠い国を流れる川の中流のジャングルに潜んでいるのでしょうか。あるいはもう手遅れで、ニホンオオカミのようにとうに絶滅してしまったのでしょうか。せめて剥製でもみつかりはしないかと、今は各地の中学校を回っているところです。

苦い文学

割れた酒瓶

日本は治安が良くて、キレイで、ゴミひとつ落ちてない、などといって鼻高々な私たちだが、じつのところ、ポーランドもキレイで、ゴミひとつ落ちていない。また、どこに行っても、安全で、不快な思いをすることなく過ごせる。

要するに素晴らしい国なのだ。ただひとつの点を除けば。

ときどき道端に、凄惨な割れ方をした酒瓶が転がっているのだ。たいていはビール瓶だが、もっと強そうな酒もある。

酔っ払った人間たちが空いた酒瓶を道端に投げ捨てて、むごたらしく割る。ポーランドでの生活もそうそう楽ではなさそうだ。いずれにせよ、サンダルで歩く私は、これがいちばん怖かった。

興味深かったのは、どんなに酒瓶を割ろうとも、これら酔漢はけっして吐いたりしないということだった。道端にゲロなど落ちていないのだ。日本では割れた酒瓶などめったに見ることはないが、ゲロなら任せとけだ。

いったいこれはどういうことだろうか。

割れた酒瓶の数とゲロの量は反比例するのだろうか? 日本政府とポーランド政府による合同調査の開始を心待ちにしたい。

苦い文学

天国への道

私は死に、ありがたいことに天国行きと決まり、天国の門にいたる行列に並んでいた。

しかし、その行列、並大抵のものではないのだ。ずっとずっと先まで続いていて、天国の門など見えやしない。もしかしたら自分は最後尾なのでは、と不安になって(というのも生前、「最後尾の男」という長編小説を読んだことがあったからで)振り向く。いや、そんな心配などないくらい後ろにも行列が続いていた。

こんなに天国行きの人がいるなどとは思いもよらなかった。もし知っていたら、生前たくさんの人とうまくやることができたかもしれない……。

列は順調に進んでいた。だが、やがて私たちの列に並走する別の列が出現した。その列は私たちと同じように前進していた。そして、2つの列が肩を並べるほどに接近したとき、向こうの列の連中が叫んだ。

「おいおい、割り込みするな。俺たちの後ろに並べ!」

私たちも負けじと怒鳴った。「割り込みしようとしているのはお前らだ。間抜けな奴の後ろに並んだのを後悔するがいい!」

私たちは互いに肩で押し合い、小突きあい、突き飛ばしあった。「ここまできて後ろに並べるものか! 地獄に堕ちろ!」 こう私たちの誰かが叫ぶや、双方の怒りが爆発し、殴り合いになった。

もみくちゃになり、あわやと思わせる瞬間もあったが、私たちのほうがより本当に天国にふさわしかったものらしい。連中は蹴散らされ、ついに後ろのほうに潰走した。私たちは勝鬨を上げた。

「俺たちが本物なんだ! 列の本流を死守した!」

そして、再び列は穏やかに順調に進んでいった。ある地点で列は3つに分かれた。私たちは互いに別れを告げ、それぞれ選んだ列に進んでいった。

そして、さらにその列はいくつかに分かれ、さらに分かれ、分かれ……。

気がつくと私はひとりで暗い坂道を下っていた。

苦い文学

保証金受領証書

私が身元保証人をしているビルマ人の難民がビザをもらった。彼女は入管に収容されていたことがあり、仮放免された時に30万円の保証金を納めた。

その返還の手続きで、私の署名が必要なので、会うことになった。

保証金を返してもらうには、一枚の紙がどうしても必要だ。それは「保証金受領証書」で、これは保証金を納めたときにもらうものだ。

だが、この紙、これが実になくなりやすいのだ。そして、彼女もやはり紛失していた。

「保証金受領証書」がなくなったときの手続きについては、すでにこのブログで書いたが(「証書をなくしたら」2022/03/18、「盗難又は遺失届出証明書」2022/03/19)、要するに警察になくしたと届け出て、証明書をもらわねばならない。

これは特別な「裏技」でもなんでもなく、入管がそうしろと指示しているのだ。そして、入管がわざわざそんなことを言うということは、この紙をなくす人続出ということでもある。

お金に関わる紙なのに、どうしてそんなになくしてしまうのか。それには理由がある。もっとも大きな理由は、保証金受領証書をもらった時から、返還手続きまでの期間が長いということだ。

今回の場合は、彼女が仮放免されたのが2012年だから、つまり、10年もの歳月が流れている(仮放免の10年など短いほうだ。入管では時間の流れが異なるのだ)。

10年だろうがなんだろうが、ちゃんと金庫にでも保管しておけばいい、という人もいるかもしれないが、仮放免の人の生活はそんなに落ち着いたものではない。

経済的にも不安定だし、たいていは共同生活なので、そんな中で、一枚の紙を保持するというのはなかなか難しいだろう。

おそらく、「保証金受領証書」自身も「こんなに待たされるのでは」と見切りをつけて、どこかに行ってしまうのではないだろうか。