旅・観察

ターウジュートへの土産

翌日の朝、私たちはターウジュートに向かって出発した。マトマータを出る前に、Sさんは八百屋でスイカとメロンを買い、食料品店でクッキーとジュースを買った。村へのお土産だ。

私たちが夜を過ごしたマトマータは、地中海に面した街ガベスから南西に向かう道路を一時間ほど進んだところにある。車はさらにその道を西に進む。十キロほど進むと、タマズラットという小さな村がある。この村でもベルベル語が話されている。

道をさらに西に向かうと、南部の都市ドゥーズに至る。また、タマズラットを起点に北に進む道もある。ターウジュートに向かう道だ。曲がりくねった山道を三〜四キロ進むとターウジュートに着く。

その道中、iPhone の地図を見ながら私は、ターウジュートの先にはなにがあるのか、Sさんに尋ねた。というのも道はそこで終わっていたから。

「なんにもないよ」と笑う。

同じベルベル語が話されている村でもタマズラットは違う。ガベスとドゥーズを結ぶ道の途中にあり、車が行き来し、観光バスも通る。大きな家もある。しかし、ターウジュートは通過点にもならない。行き止まりだ。そんな場所にベルベル語が生き残っている。

タマズラットに近づいたとき、Sさんが水を買い忘れたと言った。タマズラットで車を止め、Sさんは店に水を買いに向かった。車で待っていると、Sさんが一リットル半の水を十二本ぶら下げて出て来るのが見えた。私はてっきり自分の飲み水を買いに行ったのかと思っていたが、お土産だったのだ。

そういえば、前日の夜、ターウジュートでは断水が一週間続いているとSさんが話していた。ペットボトルの水がお土産になる場所に私たちはやってきたのだ。

小説

神のみぞ知る(1)

ベルリン滞在中に、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンの訃報を知った。街角のニュース速報で見たのだ。

ビーチボーイズの名曲は数知れないが、後世に与えた影響の大きさでいえばアルバム『ペットサウンズ』がまずあがる。このアルバムにも名曲が多いが、いろいろ好みがあるにしても、代表曲を「神のみぞ知る」とするのに異論はないだろう。

メロディ、コーラス、演奏、アレンジ、どれをとっても完璧で、初めから終わりまでが、まるで小さい宇宙のようにひとつの世界を作っている。歌詞もまたロマンチックだ。

God only knows what I’d be without you(君がいないと僕がどうなるかなんて、神様だけが知っている)

ところが、よくよく考えてみると、ロマンチックどころか、これは脅しではないだろうか。今の時代にこんなことを女性に言ったら、接近禁止命令はまず間違いないところだろう。

それはさておき、「God only knows」は英語の慣用句でもある。「誰にもわからない」という意味で、「自分は知りませんよ、神様にどうぞ聞いてください」という、いわば無責任な態度だ。

そんなことを考えながら、私はベルリンの街を歩き回っていた。そして、信号を何度も渡っているうちに、あることに気がついた。

赤信号では、人の形が赤く光る。これは日本でも同じだが、日本では人が直立しているだけなのに、ドイツでは人が両腕を広げて、まるで通せん坊をしているみたいに立っているのだ。

信号で立ち止まっているだけなら、直立している姿で十分なのだが……これはいったいどういう意味があるのだろうか。

苦い文学

不良の改心

不良が真面目になったとき、私たちは大喜びする。不良がまともな仕事に就くと、私たちは我がことのようにうれしくなる。

それはなぜだろうか。私たちの社会は帰順者を常に必要としているからだ。改心した不良たちは、私たちの社会に敵対するのをやめて、服従することを選んだ帰順者なのだ。

私たちの社会は不良との永続的な戦争状態にある。不良が投降して私たちの社会に下るということは、私たちの社会の勝利を意味するのだ。

だから、私たちにとって、シオらしくしている不良を見ることは、自分たちの勝利を実感することだ。そればかりでなく、そのような社会に生きる個々の自分たちも勝者となるのだ。

とはいえ、私たちが不良の改心を称賛すると、こう批判する人がしばしば出てくる。

「そんなことで元不良を褒めるのは間違っている。本当に称賛されるべきは、道を踏み外すことなく地道に頑張っている若者たちではないのか。真面目な人間が損をするような社会であってはならない」

こうした批判が的外れなのはいうまでもない。なぜなら、私たちが不良を持ち上げているとき、本当に持ち上げているのは自分達自身なのだから。

だから、私たちは本当のところ、不良になど関心はない。不良をだしにしていい気持ちになりたいだけなのだ。

それが証拠に、改心した不良のその後など誰も関心がない。私たちの社会に組み込まれて、それで終わりだ。

もっとも、自分が利用されたことにいつか気づき、もう一度改心して、もとの不良に戻る、まともな不良もいないではない。

苦い文学

扇子の汚染

暑くなってきたせいか、小さな扇風機を持ち歩く若い女性をあちこちで見かけるようになった。もう風物詩のような感じだ。

そして、同じくように、扇子をバタバタあおぐおじさんたちも現れた。

不思議なことにおじさんたちは絶対にハンディファンを使わない。そして女の子も絶対に扇子を使わない。まるでおじさんと女の子は互いに不可侵条約を結んだみたいだ。

それはともかく、おじさんたちはいつでもどこでも扇子でバタバタあおいで、周りの人をイラつかせる。きっと、わざとやってるのだ。混んでいる電車の中だっておかまいなしだ。

考えてもみてほしい、おじさんの汗を主成分とし、さらに肌の成分や口臭成分が配合された気体が、耳障りな音とともに車両中にばら撒かれるのだ。いや、両どなりの車両にだって影響がないとはいえない。

これを不快といわずしてなにを不快というべきだろうか。

おじさんたちはいうかもしれない。「いや、これは汚くない。ちゃんと処理してあるからどこに流しても大丈夫だ」

だが、果たしてそうだろうか。私たちは懐疑的だ。それにたとえそうだとしても、風評被害というものがある。

韓国の人々が不安に思うのも無理もないことではないか。

苦い文学

難民サッカー

久しぶりに在日カレン人の難民の友人と話をした。

現在、在日ビルマ難民の間で、サッカーが盛り上がっているとのことだった。

ビルマにはいろいろ民族がいるが、それぞれの民族でチームを作って、大会を行なっているのだそうだ。

大会の参加費は例えば1チーム3万円で、1位から3位まで何かの賞品が出る。この賞品代と会場費を除いた残額を、ビルマ国内への支援金とするのだという。つまり民主化支援イベントなのだ。

私がかつて在日ビルマ人の難民団体で活動していた時、団体のレクリエーションの一環として、サッカーチームの創設を提案したことがあった。ずいぶん前の話だが、これは結局実現しなかった。

おそらく、提案者たる私がサッカーのルールも知らないのに監督をやると言い張ったことと、その団体の会員のビルマ人がみな40代のおじさんだったことが関係しているのだろう(私はサッカーが大変な競技だということも知らなかったのだ)。

しかし、そのころに比べると今の在日ビルマ人社会はずいぶん若くなった。たくさんの若者が日本にやってきたのだ。だからこそ、こういう元気な活動もできるのではないかと思う。