小説

反対側のドアが開きます

都内の電車で奇妙なできごとが発生した。ある特定の車両だけ乗客がいなくなるのだ。どういうことかというと、その車両に乗ると、乗客はひとりひとり前後の車両に移動していき、やがて無人になってしまう。

しかも、移動した乗客たちには一様に異常な振る舞いを見せた。すなわち、誰もが苦しげな表情でぶつぶつなにやら繰り返すばかりなのだ。この「症状」は下車するまで続くことも明らかになった。鉄道エンジニアたちが、車体を調査したが、異常な点は見当たらなかった。駅長が、もはやこれはお祓いをするほかない、と諦めはじめたとき、白い制服を着た駅員たちが姿を現した。「我々は異常現象究明部です。非科学的な対応をする前に、我々に任せてください」

駅長が「もうエンジニアたちが徹底的に調べたのだ」というのも聞かずに、白駅員たちは勝手に、問題の車両に乗り込み、聞いたこともないような掛け声をあげて、奇怪な機器を振り回していた。駅長たちは呆れながら見ていたが、10 分もしないうちに、白駅員が叫んだ。「これだ!」

異常の原因が明らかになったというのだ。白駅員が駅長たちを車両に呼んだ。

「これを見てください」と白駅員は乗降ドアの上の電光掲示板をさし示した。「実際に運行中のときのプログラムのまま、案内が流れるようにしてもらいましょう」 電光掲示板に「次は東京」と表示され、次の瞬間、「反対側のドアが開きます」に切り替わった。

「これです! さあ、急いで反対側のドアを見てください!」

駅長は振り返って反対側のドアの上の掲示板に目を向け、思わず「あっ」と叫んだ。なぜならそこにも「反対側のドアが開きます」と記されていたから。

そして、これを見た瞬間、駅長はもう一度、反対側の掲示板を見ずにはいられなかった。

「反対側のドアが開きます」

そして、駅長は反対側を見た。

「反対側のドアが開きます」

頭の中で「反対側のドアが開きます」がぐるぐると回り出し、駅長は「ま、真ん中のドア」とうわごとのように繰り返しながら、ふらふらと車両を連結するドアのほうに歩いていき、隣の車両に姿を消した。

苦い文学

自己肯定感の高め方

自己肯定感とは、ありのままの自分を受け入れること。自己肯定感が高いと、自分はなんでもできるという自信が溢れてきます。だから、自己肯定感の高い人ほど、積極的にチャレンジできますし、努力などしなくても自ずと成功が舞い込んできます。

また、自信のある人の周りにはたくさんの人が集まります。いわゆる「人たらし」と呼ばれるのもこんな人。周りからチャンスとサポートがどんどんやってくるので、気がつかないうちに成功してしまうのです。

では、逆に自己肯定感の低い人はどうでしょうか。自信がなく、いつも隅っこにいます。まるでダンゴムシのようなので、誰も寄って来ません。孤独で貧しい人がこれにあたります。こうした人は毎日を生きるのがつらいです。一歩あるくごとに、自己肯定感がすり減っていくのです。

そして、とうとう自己肯定感がゼロになると、自殺かテロのどちらかしかありません。自己肯定感が低いというのは本当に恐ろしいのです。

ですので、自己肯定感を高めていくことがとても大事です。では、自己肯定感を高めるには、どうしたらいいでしょうか。

まず、自己肯定感を高めることができるという自己肯定感を高めることです。そしてそのために、自己肯定感を高めることができるという自己肯定感を高めることができるという自己肯定感を高めることです。そしてそのために、自己肯定感を高めることができるという自己肯定感を高めることができるという自己肯定感を高めることできるという自己肯定感を高めることができるという自己肯定感を高めることできるという自己肯定感を高めることができるという自己肯定感を高めることできるという自己肯定感を高めることができるという……

苦い文学

ぶつかる人

上野駅の構内を歩いていたら、急に後ろから押された。振り向くと、見知らぬ男が倒れかかってきたのだった。驚いて押し返すと、男は別の通行人のほうへとよろよろと進んで行った。

通行人はとっさに男を突き飛ばした。男はその勢いのまま壁に激突し、跳ね返され、床に倒れた。

「これはただごとではない」と私は駆け寄った。よく見ると、手は擦り傷とあざで二目と見られないありさまだ。顔はあちこちが腫れて膨れ上がり、鼻血が流れでていた。明らかに暴行の被害者だ。

あわてて介抱しようと手を差し伸ばすと、男は手で拒み、苦痛に呻きながら立ち上がった。そして、おぼつかない足取りで歩き始め、今度は大きな柱に頭からぶつかった。

「大丈夫ですか!」と私は叫んだ。男は柱に跳ね飛ばされながら「ええ! 大丈夫です!」 こう言った直後、男は自動販売機に正面衝突し、「というのも、私はなんにでも」と叫ぶ。

と、外国人観光客のスーツケースにつまづいて転ぶ。「いたっ、ぶつかるたちなのです」

苦悶に歪んだ顔で「ですのでー」と男は叫ぶと、高校生たちが現れた。男はそっちのほうに突進する。

若者たちは男の接近を手で防ぎ、笑い声を上げながら強く跳ね返す。男はまるでボールのように転がっていく。

「私は! 私は!」と男。その先にはエスカレーターがある。その手すりに激しく衝突する。脇腹を苦しげにさすり、大声で叫ぶ。

「卑劣なぶつかりおじさんではございません!」

男はエスカレーターにばたりと倒れこみ、そのまま上方へと運ばれていった。

苦い文学

我々は何を持って生まれてくるか

我々は生まれるとき、何を携えて生まれてくるか。

これは、時代、文化、宗教によって、さまざまに考えられてきた。おそらく、もっとも基本的なものは、魂を持って生まれてきたとするものだろう。

この魂には運命や宿命が刻まれている考え方も広く見られる。生まれた日や、曜日や、時間、星の運行、星座が重要なのはそのためだ。同じ運命でも、神の定めた運命とする文化も多い。

仏教的な考え方では、生まれるときに人は、カルマ、因縁、前世の業を抱えてやってくるという。これと似ているのが、前世の記憶や生まれる前の記憶を持って生まれてくる人がいるという信念である。

家というものが人間を規定する文化では、子どもは血を背負って生まれてきたとみなされる。先祖の霊、先祖の守り神、守護霊といった存在もやはり、生まれたときから付いてくるものとされる。この家が拡大すると、人は民族の血を受け継いで生まれてくることになる。

だが、生まれるときに持ってくるものが、これらのように宗教的で非科学的なものばかりとはかぎらない。現代では人は遺伝子情報や環境をともなって生まれてくるという考え方も広く見られる。

また、すべての人間が人権を持って生まれてくるというのもあるが、これは倫理的な要請から生まれた虚構である。人は使命を持って生まれる、という考え方もやはり同様に倫理的なものである。

このように、時代や文化によってさまざまな考え方がある。

さて、現在の日本はといえば、我々は「人は自己責任を持って生まれてくる」と信じている。

苦い文学

侵略者

宇宙から侵略者がやってきて、地球征服の手始めに日本を攻撃することにした。

巨大な宇宙船が東京上空に突如として出現した。宇宙人がその奇怪な姿を現し、日本政府に告げた。

「我々に服従しないと直ちに攻撃を始める」

このときの首相は毅然とした態度で知られていたから、この恐ろしい通告に対しても毅然とした態度で臨んだ。

「我々日本民族はいかなる脅しにも屈しない!」

すると宇宙船の内部から巨大な大砲が現れた。宇宙人は告げた。

「愚か者どもめ、お前たちの望み通り、攻撃を始めてやろう。まずはお前たちの領土のこの島からだ!」

大砲から光の束が放たれ、竹島を一瞬のうちに消し去った。

そのとき、日本政府の飛行機が現れ、首相が顔を出し、宇宙人に熱烈な感謝を述べだした。政府は、韓国政府に対し、竹島が日本固有の領土であることは、歴史的にも国際法上も、そして宇宙的にも明らかとなったと高々と宣言した。さらに超党派の議員団はこの日を記念して「宇宙の竹島記念日」とする法案を国会に提出した。日本中が宇宙人歓迎ムードに湧いた。

宇宙人は、征服しても得るものはなさそうだと、遠い銀河に飛び去っていった。