小説

古書と古着(3)

もしもこれが小説であったならば、翌日、友人がその古着屋を再訪してみると、ショーウィンドウがすっかり模様替えされていたとか、あの稀覯本は影も形もなく、その代わりに熊のぬいぐるみが置かれていたとか、これに慌てた友人が店内に駆け込むと、別の店員がいてまったく話が通じなかったとか、そんなありきたりの、書くのも恥ずかしい展開になったろう。だが、私はそうするのに躊躇しない。なぜなら、その通り実際に起きたのだから。

そして私は、友人の悲嘆と呪詛についてくだくだしく書くかわりに、彼がその後とった行動について書くことにしたい。友人はただちに、古着屋巡りに出発したのだった。その日以来、東京中の古着屋が彼の探索の対象となった。

渋谷、下北沢、高円寺、自由が丘、中野はもちろんのこと、ときには千葉の柏や大阪のアメリカ村にまで足を伸ばすこともあった。

これも幻の書の手がかりを求めてのことだったが、その過程で、思わぬ副産物が生まれた。古いものに対する明敏な感受性をもっていた彼は、次第に古着の魅力に取り憑かれ、おしゃれになってしまったのだった。もちろん、それで終わる彼ではなかった。

今、彼は下北沢で古着屋を開いている。その店は、古着屋ゾーンから少し外れたところにあって、本当に小さな店だ。彼が扱っているのは、70 年代から 90 年代にかけてヨーロッパで売られていたシャツで、彼に言わせればこの時代の生地はもう現代では失われてしまった遺物なのだという。彼の勧めるままに手に取ってみる。「この手触りはもう作れないんだよ」とうっとりと説明してくれる。

彼の店にも小さなショーウィンドウがある。時代の雰囲気漂うシャツに囲まれた空間で、何も置かれていない小さな台が、ずっと待ち続けている。

苦い文学

ジャーナリスト・スタイル

【一流ジャーナリストが教える! 記事の書き方】
ジャーナリストにとってもっとも大事なことは何でしょうか。取材、資料集め、記事の執筆……、これらはどれも大切なのですが、何かとあえて問われれば、私は記事の最後の一文だと思います。

なぜなら、そこにこそ、ジャーナリストがいちばんいいたいことが詰まっているからです。私たち記者の魂がそこに込められているのです。

だから、むしろ、その最後の一文をどう書くか、ということに向けて私たちは仕事をしています。その最後の一文が、読者の心を動かすのですから、当然のことです。どういうことかご理解いただくために、すこし実際の例を見てみましょう。

たとえば、『笑ってバンザイ』というテレビ番組の司会者が脱税をしたとします。とすると、一流の記者ならば、すぐに最後の一文が浮かびます。

「どうやら、今回ばかりは『笑ってバンザイ』とはいかなかったようだ。」

そして、記者はその一文に向けて綿密な取材にとりかかるのです。

また、「白い心」というヒット曲のある歌手に不法薬物の疑惑が出たら、もう、最後の文は「大ヒット曲『白い心』が黒い心にならないよう気をつけてほしいものだ。」で決まりです。

こういうことを言うと、中にはこうおっしゃる人がいます。もし、「私がある記事のタイトルを見て、最後の一文が思い浮かんだとしたら、記者の言いたいことがわかったも同然なので、その記事はもう読む必要はないのでは」と。

まさにその通りです。そうした方の心にはもう「記者魂」が宿っているに決まっているので、記事を読む必要はいっさいありません。

苦い文学

老後サバイバル・セミナー

人生100年時代! あなたの老後は大丈夫ですか?

「大丈夫! 2000万円の貯金がある!」

えっ、それ本当に心配いりませんか? だって、老後に2000万円の蓄えがあれば十分だと言われていたのは大昔! 現在の物価上昇率からすると、最低でも6000万円必要な時代が来ているんです。そんなお金、どこにありますか。

「で、でも、年金があるから!」

年金制度崩壊間近だというのご存知ですか? 近いうち、年金はゼロになるのが確実! どうします? 生きていけますか?

「……なんだか、心配になってきました。どうしよう……」

心配ご無用! 私たちがお勧めする「老後サバイバル・セミナー」に参加すれば「一生ものの老後に負けない心と体」手に入ります!

唯一無二!【老後サバイバル・セミナーのご案内】
家なんていらない! 雨風にぜったい負けない体を作る「NASA直伝肉体改造術!」で火星でも野宿できるほど!
仕事なんていらない! 「物乞いスタートアップ支援!」 ゴザと欠け茶碗の選び方から、哀れもよおす口上まで、親身の指導で、日収一万円越え!
いざという時は芸で稼ぐ! 「芸は身をタスク化処理!」 細分化したタスク化により、あっと驚く芸を速攻で身につけて、上野公園にいざ集結〜!

【少子高齢化今だけキャンペーン実施中】
セミナー参加料金(通常価格[税込]150万円)が出生率の減少分だけ割引に!(例えば、出生率が前年度より5%減少した場合、料金も5%引きになります)

さらに、キャンペーン中にお問い合わせくださった方に朗報! 

『だれにも迷惑をかけない行旅死亡人ハンドブック』をいまならもれなくプレゼント!

苦い文学

カップ・アンド・ボール

その夜、私は仕事帰りにコンビニに寄った。ちょうど入り口脇の駐車場が空いていたので、そこに車を停めて、店内に入った。

数分後、私は缶チューハイを買い込んで、車内に戻った。家に帰らなければ、と思ったが、どうしても我慢できなかった。缶を一本取り出すと、慌てて開けて一口啜った。

酒が血のように全身を駆け巡るのがわかった。家まではもう5分もかからない。私は缶をドアのポケットに隠し、エンジンをかけた。

その時、私の目の前に一人の男が現れた。黒いタキシード姿で、黒いハットの下には青白くシワだらけの顔があった。異様な光を帯びた目が私に向けられていた。

私が叫ぼうとすると、男は白い手袋をはめた手をすばやく挙げ、人差し指で口を封じてみせた。

男の前に、小さな台が現れた。その上には、二つのカップと一つのボールが置かれていた。男は滑らかな手つきで私に二つのカップが空であることを示し、それから、台に置かれたボールに、片方のカップを逆さにしてかぶせた。そしてもう一つのカップも底を上にして置くと、二つのカップを素早く入れ替えだした。

お馴染みの手品であることはもう明らかだった。私はボールの入ったほうのコップを見逃すまいと食い入るように見つめていた。

手の動きが止まった。不思議な手品師は、ポケットから棒を取り出し、前に置かれた二つのカップの上で左右に揺らした。その目は私に向けられていた。

どっちだ。私はもはやわからなくなっていた。どっちだ。

手品師のウォンドが右のカップの上に来たとき、私は叫んだ。そっちだ!

手品師はウォンドで、カップを叩いた。トントン。さらに叩く。トントン。そして、急にカップの底を強く打った。カップは反動で飛び上がり、底を下にして立った。

ボールがあった!

私が快哉の叫びを上げると、たちまち、すべてが消え去り、私は車の中にいるのだった。私はいい気分で缶を取り出して一口飲み、サイドブレーキをさげようとした。

その瞬間、運転席の窓を誰かが叩いた。見ると、警官だ。その目は私が持っている缶チューハイをしっかり捉えていた。

私は車の外に立たされた。警官は飲酒運転だと言い張り、私を解放しようとしないのだった。言い合っている間に、コンビニから男が出てきて、私を胡散臭そうに見ながら、私の隣に停めてあるミニバンに乗り込んだ。

警官はまもなく私に何度か飲酒運転の逮捕歴があることを突き止めた。彼は私の肩に手をかけ、パトカーのほうへと促した。

そのときだった、ものすごい音があたりに鳴り響いた。見れば、隣のミニバンがコンビニに突っ込んで店内をめちゃくちゃにしていた。人々の悲鳴が聞こえた。

彼もまた右を選んだのだ。

苦い文学

宇宙から見れば

ある世界的有名人が、いまこそ地球の平和のためになにかをするべきだと考えた。

さまざまな案が出された。国際的平和団体への寄付、難民支援、平和教育活動への参加……。これらの活動にはもちろん意味があったが、世界的有名人の彼にとっては地味でありきたりに思えた。

すると、ある人が「宇宙に行って世界全体に平和をアピールしたら」と提案した。彼はそれに乗った。

宇宙へ行くための準備が始まった。とんでもない費用がかかったが、協力者やら、スポンサーやら、クラウドファンディングやらでなんとか賄うことができた。

そして、彼を乗せたロケットは宇宙に飛び立ち、宇宙ステーションに無事到着した。

地球は青く輝いていた。世界配信の準備が整い、彼はこの美しい星を前に、全人類に向けて語りかけた。

「みなさん、この地球を見てください。宇宙から見れば国境など見えないのです。ただ美しい地球があるだけです。国境などたいして重要ではありません。ただちに戦争をやめましょう。国境をめぐって争うなど、なんと愚かなことでしょうか」

彼は不意に黙った。地球をしげしげと眺める。その顔に驚きの表情が浮かんだ。

「いや、宇宙から地球を見れば、国境だけでなく、人間も見えませんね……」