ワイルドの悲しみの哲学では bitter / bitterness がのけ者にされていた。そのせいで、多少ばかり甘くなっちゃあいないかい、それが本当の realise かい、というのが私の論駁の趣旨だ。その点では、ワイルドの言葉をもじって、こう言ってやりたいぐらいだ。
Whatever is not realised is bitter.
が、だからと言って私は『獄中記』に苦味がないといっているわけではない。ただ、思想にまで昇華されていないだけで、実際のところ、bitter / bitterness でいっぱいなのだ。その意味では、realise されているかもしれない。もっとも、これはワイルドが意図したことではなかっただろう。
さて、bitter / bitterness の物語は、実は『獄中記』の後も続く。出獄後、ワイルドは刑務所の改善のために二通の手紙を書き、新聞で公開されている。手紙は、刑務所内の子どもと精神を病んだ人の処遇の改善などを強く訴えるもので、二通目はとくに「DON’T READ THIS IF YOU WANT TO BE HAPPY TODAY」という見出しで掲載されたほど、刑務所内の「胸糞」な事情が書かれている。これらの手紙も、刑務所内の bitterness にワイルドが与えたひとつの形といえるかもしれない。
現実から生まれた苦さは、現実から離れたとたん別物になる。苦さに苦いまま形を与えるのが、苦い文学とするならば、『獄中記』は、bitter / bitterness を甘く realise できなかったせいで、逆説的に苦い文学となった。私としては、この作品を、苦い文学認定図書第一号としたい。
つきましては、認定シールをお送りするので、レディング監獄の門にでも貼ってください。