風刺・戯文

背広の日

日本語を教えている平助に背広を着用せよとの命令が下された。学校が催す式典に、留学生とともに出席せよ、というのだ。

平助は背広を着ないように生きてきたので、窮屈な思いをするのは正直なところイヤだったが、しょうがない。その朝、クローゼットの奥からシワだらけの背広を引っ張り出し、ぶつぶつ罵りながら身につけ、慣れないネクタイを締めた。

学校に向かう平助の手には大きなバッグがあった。その中にはいつものシャツとチノパンの着替えが入っていた。式典が終わったら、ただちに背広を脱ぎ捨てて、着替えるつもりだったのだ。こんなもの一瞬たりとも着ていたくない……平助はそれほどまでに、背広を憎んでいた。

なぜこんなみっともないものを着なければならないのか。なんでこんなカバンをわざわざ持っていかねばならないのか。考えるだに腹が立ってきた。すべて背広が悪いのだ。

学校に着くと、すでに数名の留学生がいた。学生たちも式典に参加するので皆、背広姿だ。学生たちは平助を見ると「おはようございます、先生」と挨拶した。

平助も「おはよう」と不機嫌な顔で答える。すると、学生のひとりが言った。

「先生、今日はハンサムみたい」

その日一日中、平助は背広のままで過ごした。着替えにはさわりもしなかった。

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ストレスチェック

今年、平助はある学校で、非常勤として授業を一コマ担当した。前期だけだから、契約期間も9月いっぱいで終わりとなった。すると、10月になって、その学校からこんなメールが送られてきた。

「ストレスチェックのお知らせ」

メールを開くと「必ずストレスチェックを受けてください」と書いてあり、どうやら常勤の教員や職員が対象のようだ。契約の終わった非常勤には関係ない、と平助はメールを削除した。しかし、2週間後、またメールが来た。

「【周知】ストレスチェック実施のご案内」

今度も削除すると、1週間ほどのちにさらなるメールが送られてきた。

「【重要】ストレスチェックのご案内」

メールには、「*このメールは現在実施中のストレスチェック未受検者の方に送っています。」とあり、ストレスチェックの URL が貼り付けられていた。そこまでいうのなら、と平助はリンクに飛んでストレスチェックを受けることにした。

60 問ほどの質問があって、そのそれぞれに「そうだ まあそうだ ややちがう ちがう」のどれかで答えるのだった。

1問目「非常にたくさんの仕事をしなければならない。」
2問目「時間内に仕事が処理しきれない」

どうやら質問は、常勤向けのようだった。非常勤暮らしの平助は、やるせない思いを抱きながらも答えていくと、こんな質問が出てきた。

12問目「私の部署内で意見の食い違いがある」

もう無理だ、と平助はタブを閉じた。

それから数日後、メールがやってきた。

「【緊急】ストレスチェックを受けましょう!」

平助はもう確信していた。連中は非常勤を相手にストレス発散しているのだ、と。

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入ってもいいですかの撃退(後編)

平助は頭に血が上った。「うるさい、言わなくていいと言っただろ!」と口から出かかったのをなんとかこらえて、「入ってください!」と答えたが、それでも聞く人が聞けば、そこにトゲトゲしさを感じたかもしれない。

結局のところ彼の説明は効き目がなく、「入ってもいいですか」は相変わらずだったのだ。

平助はこの「入ってもいいですか」をいくども浴びたせいかもしれない、学生が入ってくるのを見かけると、ぶるりと体を震わせるまでになった。そうやって「入ってもいいですか」から身を守ろうとしていたのだ。そして、その過剰な反応がかえってこの問題を解決に導いた。

いつものように平助は教室にいた。すっかり過敏になっていた彼は、人の気配を察し、びくりとして、教室の入り口に目をやる。

ネパール人の学生が入り口に立っていた。あの容赦なき「入ってもいいですか」の学生だ。そして、その口がかすかに動いた。「入ってもいいですか、先生」を繰り出そうとしている、と身構えたとたん、平助の口がほとんど無意識のうちに開いた。

「おはようございます」

すると、その学生は「おはようございます、先生」と返事をし、なにごともなかったように教室に入り、着席した。

平助は初めは驚いた。が、すぐになにが起きたかを理解した。「そうなのか、先手必勝だったのか」

今では、平助はどの学生よりも早く教室に入り、教卓の前で学生がやってくるたびに「おはようございます」作戦を遂行し、「入ってもいいですか」を毎朝、撃退している。

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入ってもいいですかの撃退(前編)

とある学校で日本語を教えている平助は最近ある問題に悩んでいた。

彼が担当していたのは朝の日本語初級クラスで、学生は日本に来たばかりのネパール人だ。

平助が早めに教室に入って、教卓で授業の準備をしていると、ネパール人の学生がやってくる。

「おはようございます、先生」

「おはようございます」

これはまったく問題ない。だが、何人かのネパール人男子学生は教室の入り口に立ち決まってこう言うのだ。

「教室に入っていいですか、先生」

「どうぞ、入っていいですよ」と応じながらも、平助は釈然としない気持ちになる。そもそも教室とは学生の場所ではないか。教員室ならばいざ知らず、そこに入るのに教員の許可など必要あろうか。

しかし、ネパールの学生が悪いとはいえない。ネパールではそうした習慣があるのかもしれず、学生たちはただそれにしたがっているにすぎないのだ。

むしろ責任があるのは教員のほうだ。考えてみれば、ネパールと日本の習慣の違い、つまり日本では教室に入るのに教員の許しをえなくてもよい、ということを、きちんと説明したことなどなかったのだから。

事前に教えずして、できないと怒るのは、愚かな教師のすることだ。

そんなわけで平助は、あるとき授業中に「教室に入るときには、なにも言わず入っていいですよ」とていねいに説明したのだった。

そして、翌朝、いつものように平助が教室にいると、学生が姿を現して告げた。

「入っていいですか、先生」