旅・観察

J-HOPE の励まし

K-POP の世界では、たくさんの若い日本人も活躍している。異国の地でたったひとり、韓国語を学び、厳しいトレーニングを積み、表舞台に立つチャンスを掴む。これは、大変なことだと思う。もちろん、思ったようにいかない人もいるかもしれないが、それでも私はこれらの人々に励まされずにはいられない。

私ももう少し若かったら、同じように韓国で夢を追いかけていたかもしれない。そんな思いに駆り立てられて、私も異国で挑戦してみることにした。ベルリンの学会で発表をすることにしたのだ。

そして、ベルリンに向かった私は、発表当日の朝、会場となる大学に到着した。大学には公園のような広い敷地があって、そこを横切れば会場に入れる。だが、心細さと緊張のため、私はぐずぐずと歩き回っていた。なにしろ、誰も知らない中、ひとりぼっちで発表するのだ……。

大学の敷地のあちこちには、骨組みで支えられたビニールのシートが立てられていた。私はそのひとつひとつを見て回った。大学のイベントの告知などがドイツ語で書かれている。だが、その中に一般のイベントの広告もあるのに気がついた。それは夏の音楽フェスの広告で、出演するミュージシャンの名前が書かれていた。

その中で、いちばん大きく、そしていちばん上段に記されていたのは、ジャスティン・ティンバーレイク と J-HOPE だった。そうなのだ。J-HOPE も異国でたったひとりで発表しようとしているのだ…… BTS の他のメンバーもなしに。同じ発表仲間として、私は彼に励まされたような気がした。

そして、とにかくそういうことにして、私は会場に入った。

小説

神のみぞ知る(3)

「それは『赤信号はみんなが渡るときがいちばん怖い』という言葉です」とドイツ人は答えた。

「確かに日本と逆ですね。で、どんな意味なのですか」

「ドイツの歴史についてはご存知でしょう。私たちドイツ国民はかつて恐ろしい犯罪を犯したのです。どうしてそんなことが起こったのでしょうか。どうして『殺すな』という聖書の教えをあれほど簡単に破ることができたのでしょうか。それは私たちドイツ国民がみんなでルールを破ったからなのです」 

ドイツ人はしばし沈黙した。「そうなのです。私たちは学んだのです。みんなで赤信号を渡るとき、とても恐ろしいことが起こるのだ、と。ちょっとあれを見てください!」と、彼が指差したその先には歩行者用の赤信号があった。

「あの赤信号の人物が、両手を広げて立っているのは、ああやって、後ろからやってくる人々が赤信号を渡らないように、防いでいるのです。そうやってドイツ国民ひとりびとりが自分の責任においてルールを守ろうとしているのです。歴史を繰り返さない、そういう固い決意があの赤信号に込められているのです!」

これを聞いた日本人は大いに感動したというが、ここで、真偽のホドについては、もろもろひっくるめて、それこそ神のみぞ知る、であるということを注記しておきたい。(おしまい)

小説

神のみぞ知る(2)

そのとき、ふとある記憶が蘇ってきた。違う、私は知っていた。「通せん坊」ポーズには意味があったのだ。

これはドイツに留学していた人から聞いた話だ。その人はあるドイツ人学生と、ベルリンの街を歩いていたのだ。二人が道を横断しようとしたとき、信号が赤に変わった。彼は立ち止まったが、ドイツ人学生のほうはそのまま彼を置いて渡ろうとした。車通りがなかったからだが、数歩で引き返してきて、謝った。

「これは申し訳ないことをした。赤信号なのに渡ってしまいました」

「いえ」と日本人。「日本でなら私も渡っていましたよ」

「しかし、日本人は誰でもルールを守るというではありませんか」

「そんなことはありませんよ。日本ではなにしろこう言うくらいですから。『赤信号、みんなで渡れば怖くない』って」

その言葉を聞くや、ドイツ人はひどく真面目な顔つきになった。「なるほど……面白い格言ですね。ですが、ドイツにはそれとまったく反対のスローガンがあるのです。だからなおさら私は自分のしたことを恥ずかしく思っているのです」

「というとどんな言葉ですか?」と興味をそそられた日本人は尋ねた。

小説

神のみぞ知る(1)

ベルリン滞在中に、ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンの訃報を知った。街角のニュース速報で見たのだ。

ビーチボーイズの名曲は数知れないが、後世に与えた影響の大きさでいえばアルバム『ペットサウンズ』がまずあがる。このアルバムにも名曲が多いが、いろいろ好みがあるにしても、代表曲を「神のみぞ知る」とするのに異論はないだろう。

メロディ、コーラス、演奏、アレンジ、どれをとっても完璧で、初めから終わりまでが、まるで小さい宇宙のようにひとつの世界を作っている。歌詞もまたロマンチックだ。

God only knows what I’d be without you(君がいないと僕がどうなるかなんて、神様だけが知っている)

ところが、よくよく考えてみると、ロマンチックどころか、これは脅しではないだろうか。今の時代にこんなことを女性に言ったら、接近禁止命令はまず間違いないところだろう。

それはさておき、「God only knows」は英語の慣用句でもある。「誰にもわからない」という意味で、「自分は知りませんよ、神様にどうぞ聞いてください」という、いわば無責任な態度だ。

そんなことを考えながら、私はベルリンの街を歩き回っていた。そして、信号を何度も渡っているうちに、あることに気がついた。

赤信号では、人の形が赤く光る。これは日本でも同じだが、日本では人が直立しているだけなのに、ドイツでは人が両腕を広げて、まるで通せん坊をしているみたいに立っているのだ。

信号で立ち止まっているだけなら、直立している姿で十分なのだが……これはいったいどういう意味があるのだろうか。

旅・観察

靴の穴

ドイツに来て、靴に穴が空いているのに気がついた。

つま先の横のゴムの部分に切れ目が入っていて、私はそういうデザインかと思っていた。だが、旅に出ると時間ができる。それでよく見てみたら、単に劣化しただけなのだった。どうりで雨が降ると水が滲みてくるわけだ。

明日は人前に出る用事があるので、急に恥ずかしくなった。自分でも気がつかないくらいなので、どうということもないかもしれない。だが、と私は考えた。もしかしたら、日本でも周りの人はとうに穴の存在に気がついていたけど、不憫に思って言わなかっただけかもしれない、と。

そこで、私は靴を買いにベルリンの街に出た。歩き回って(つまりそれだけ靴を消耗して)ようやく靴屋を見つけたので入ってみた。きれいなスニーカーが並んでいる。値段を見ると、160ユーロ(2万7千円)だ。高いので他を探すと、どれをみても100ユーロ以下のものはなかった。1万7千円の靴など、絶対にこれを履いて歩かない、という固い決意がなくては買えない。

別の店を探すと、近くに大型衣料品店があった。吊るされている服を見るとどれも安い。靴も置いてあった。値段を見てみると、50ユーロ(8千円)だ。もうこれしかない、と思って靴選びを始めるが、どの靴も日本だと2〜3千円のレベルなのだ。日本なら8千円でもっと気の利いた靴が買える。そう思うとあんなに旺盛だった購買意欲も失せた。

ホテルに帰って、もう一度、靴の穴を観察した。最初に見たより、穴が小さくなっているような気がした。たぶん、明日には塞がっているのではないかと思う。

旅・観察

トーマス&ブライアン

ベルリンの街を歩いていたら、大きな本屋があった。入って探索していると、トーマス・マンの特設コーナーがある。生誕150周年ということらしい。『魔の山』や『ブッデンブローク』などの長編の中に “Der Tod in Venedig” のペーパーバックを見つけた。『ヴェニスに死す』だ。

短い小説だし、翻訳でも読んでいるので、買おうかと思ったが、私のなきに等しいドイツ語力を慎重に検討した上で、結局やめた。これほどの小説ならば、日本でも容易に買えるはずだし、そもそも読みもしない本を買うのはバカげている。

本屋を出て、再び街歩きに出る。首都ということもあるのだろうが、あちこちでイベントやコンサートの広告を目にする。知らないミュージシャンも多いが、ジェスロ・タルやデュランデュランなど、知ってる名前にでくわしたりすると楽しい。

ぶらぶら歩いていると、ショーウィンドーの中の大きなディスプレイに見覚えのある顔が映し出された。ビーチボーイズのブライアン・ウィルソンだ。まさかベルリンでライブでもするのだろうか? しかし、認知症で引退したと聞いたが……と一瞬思ったが、“Tod(死)” の一語でニュース速報だということに気がついた。

……にしても、やっぱり “Der Tod in Venedig” 買っとくかな、旅の思い出になるし……。

旅・観察

ベルリンの信号

ベルリンの街を多少歩き回ってみてわかったのだが、信号の時間がとても短いのだ。青になったから横断歩道を歩き出し、真ん中の分離帯に到達する。さらに残りの横断歩道へと踏み出す。だが、そのときにはもう赤になっている。つまり、ちょっと幅のある道は青一回分では渡り切ることができないのだ。

しかし、だからといって、イライラさせられることはない。赤で待たされる時間もまた短いのだ。だからすぐに道を渡り切ることができる。

ドイツの歩行者信号が日本とまたもうひとつ違うのは、青信号の点滅がないことだ。青はいきなり赤への変わる。2種類しかない。青信号が点滅すると、私たちはどうしても焦って走り出してしまうが、ドイツではそんなことは起こりえない。いかなるためらいもなく赤に変わってしまうので、かえってスッパリ諦められるのだ。

私はドイツの信号を知る前までは、日本の青信号に心から感謝していた。なぜなら、点滅は青信号が私たちに寄り添ってくれていることの証だったから。それは「ほら、もうすぐ赤に変わるよ。急いだらどう?」という親身のチカチカだったのだ。だが、ドイツの歩行者信号を知った今、私はそう思わない。

日本の青信号は、むしろ、点滅で私たちを煽っていたのだ。政治家が国民を煽るときは、支配を強めようとしているときだ。それと同じで、青信号は点滅によって私たちを振り回し、服従させようとしていたのだ。しかも、考えてみてほしい、赤に変わる瀬戸際に、横断歩道を走って渡ることがどれだけ危険なことかを。

私たちを支配するためなら、その命すら犠牲にしてもいい、そんな無慈悲な青信号の言うがままになるくらいならば、赤信号で渡ったほうがはるかにマシというものではないだろうか。