苦い文学

扇子の汚染

暑くなってきたせいか、小さな扇風機を持ち歩く若い女性をあちこちで見かけるようになった。もう風物詩のような感じだ。

そして、同じくように、扇子をバタバタあおぐおじさんたちも現れた。

不思議なことにおじさんたちは絶対にハンディファンを使わない。そして女の子も絶対に扇子を使わない。まるでおじさんと女の子は互いに不可侵条約を結んだみたいだ。

それはともかく、おじさんたちはいつでもどこでも扇子でバタバタあおいで、周りの人をイラつかせる。きっと、わざとやってるのだ。混んでいる電車の中だっておかまいなしだ。

考えてもみてほしい、おじさんの汗を主成分とし、さらに肌の成分や口臭成分が配合された気体が、耳障りな音とともに車両中にばら撒かれるのだ。いや、両どなりの車両にだって影響がないとはいえない。

これを不快といわずしてなにを不快というべきだろうか。

おじさんたちはいうかもしれない。「いや、これは汚くない。ちゃんと処理してあるからどこに流しても大丈夫だ」

だが、果たしてそうだろうか。私たちは懐疑的だ。それにたとえそうだとしても、風評被害というものがある。

韓国の人々が不安に思うのも無理もないことではないか。

苦い文学

外国人ごっこ

友人のKは、半年に一回は休みを取って外国に出かけるほどの旅行好きだった。異国の街の景色を見るのが好きで、一日中、見知らぬ街を歩き回って飽きなかったという。

やがてコロナの時代となり、誰もが外国に行けなくなった。Kもはじめのうちは我慢していたが、月日が経つにつれ、異郷への思いが募ってきた。

だが、当時は外国どころか、隣の県に行くことさえ憚られる時期だった。それでも漂泊の思いやみがたく、ついに彼はある考えに逢着した。

「日本を外国として見ればよいではないか」

そこでKは、外国人になった気持ちで、都内を歩くことにした。

なんと素晴らしい景色が広がっていたことだろうか。見るものすべてが珍しく、美しかった。人々はこぎれいでおしゃれだった。ゴミが落ちていないのにもびっくりした。

本物の寿司を食べて感動し、コンビニではカゴいっぱいに買い物してしまった。夜の渋谷スクランブル交差点に興奮し、歌舞伎町では勇気を出してひとりでラーメン屋に入ってみたりした。

秋葉原では、見たこともないような漫画やグッズに夢中になった。ふらふらと歩いていると、不意に声をかけられた。メイド姿の女の子だ。日本語で何か言っている。あたふたして手振りで断りながらも、心の中ではこう決心した。

「次来るときはもっと日本語を勉強してこよう」 

東京ではどこに行っても楽しみと驚きがあった。そんな楽しい日々は、ある夜更け、彼が警官にあやしまれて呼び止められるまで続いた。警官はすぐに変わったようすに気がつき、こう言った。

「パスポート、プリーズ」

Kは現在、不法滞在のため入国管理局に収容されている。私は面会に行き、カタコトの日本語で事情を聞くことができた。近々、強制送還される予定だという。

苦い文学

ジェンダーレス・トイレ 

私たちの市長が駅前の公衆トイレについて懸念を表明された。

「東京では、自称女という輩が、女性トイレに入り込んで、性犯罪し放題というではないか。私たちの駅前の公衆トイレではそんなことは許さない」

市長のお考えでは、反日フェミニストどものたくらみだ、というのだ。

そこで、市長は、駅前の公衆トイレの清掃にあたる女性清掃員たちに、「自称女」どもが女性トイレに入り込まないか、見張らせることにした。

しかし、すぐに女性清掃員たちから反対意見が寄せられた。

「ただでさえ少ない人数で働いているのに、この上、監視業務など請け負えません。また、侵入した男性が暴れたら、高齢の女性である私たちがどうして立ち向かえましょうか」

市長は言われた。「では、駅前の公衆トイレに男性の監視員を配置することとしよう」

さっそく男性の監視員が配置された。なんでも市長の身内ということだった。しばらくすると監視員は市長に訴えた。

「女性トイレの中で性犯罪が行われたときのことを考えると、外からの見張りだけでは不十分であります」

「うむ、我が市の女性たちを守るためにはやむなしだ」と市長は即断した。それで、男性の監視員は女性トイレ内に陣取って見張りをするようになった。

すると、公衆トイレを利用する女性たちは、監視員がときおりいやらしい目つきをしているのに気がついた。若い女性たちは、監視員の脇を通り過ぎるときに下品な言葉を投げかけられた。そして、何人かの女性は、シャッター音を聞いたような気すらした。

人々は市に苦情を言い立てようとしたが、その度に、監視員が市長の身内だということを思い出し、こうつぶやくのだった。

「まあ、少し様子をみてみよう」

今では、駅前の公衆トイレを使う女性たちは、隣の男性トイレに入っていく。男性たちも事情はわかっているからなにも言わない。

私たちの市にジェンダーレス・トイレが誕生したのはこんな事情からだった。

苦い文学

精神と肉体

青春時代には誰もが愛について悩む。私も学生時代、大いに愛に苦しんだものだった。

私を悩ませたのは、愛の二面性だった。愛は私の心を高鳴らせ、気高い気持ちで満たした。かと思うと、その同じ愛が、私の肉体にけがらわしい欲望を掻き立てるのだった。

「愛とは、精神から生まれた神聖なものなのだろうか。それとも、肉体から生まれた卑俗なものに過ぎないのだろうか」

この問いは私を苦しませ、悶えさせた。夜も眠れなくなった。ただでさえ繊細だった私は、やつれていった。

私の異変は周囲の注意を引かずにはいなかったようだ。当時、私は学生寮に寄宿していたのだが、寮長のO先輩が心配して声をかけてくれたのだった。

法学部で学ぶO先輩は私の悩みを聞くと、やさしく肩に手を置き、こう助言してくれた。

「そういう問題はあまり根を詰めて考えるものではないよ。むしろ心を落ち着けて、体の力を抜いてみたまえ。そうすればおのずと答えは見つかるだろう」

私は半信半疑であったものの、敬愛するO先輩の言葉なら、とさっそくその通りにしてみた。

そのとき私とO先輩は寮の1階ロビーのソファに座っていた。私はソファに身を沈め、目をつぶり、緊張を解いた。

すると、私の脳裏に精神と肉体が立ち現れた。そして、精神と肉体の間に美しく輝く丸い存在が浮かんでいた。

愛だった。

精神と肉体はといえば、その愛を自分の側に引き寄せようとしているのだった。愛は両者の間でひっぱられ、その力があまりに強くなったので、苦悶の叫びをあげた。すると、精神はひっぱるのをやめ、肉欲は愛を我が物とした。

私は目を開いた。O先輩が尋ねた。「答えは見つかったかな。いや、その表情を見るかぎり問うまでもなさそうだな」

「はい」と私は明るい声で答えた。「これもO先輩の名裁きのおかげです」

苦い文学

因果なき人

下町の古びたアパートの一室に因果なき人が住んでいる。

因果なき人というのは、原因とならず、結果にもならない人だ。その人がなにをしようとなにごとも生じないし、なにが起きてもその人には影響を及ばさない。

これは、私たちの世界が、原因と結果の連鎖によってできていることを考えると驚くべきことだ。その人の存在はこの世界にいかなる影響も与えないし、その逆もまた然りなのだ。

そうした人が、押上で暮らしている。寝て、起きて、食事したり、散歩したりしている。

私はどうしてその人が因果なき人となったのかは知らない。生まれついてかもしれないし、修行の成果かもしれない。いずれにせよ、私はとても不思議に思っていて、あちこちでこの話をしている。

すると、話を聞いた人によくこう言われる。

「お前が因果なき人について語ったり書いたりすること自体、因果なき人から生じた結果なのだから、結局その人は因果なき人ではないのではないか」

だが、私が因果なき人について語ることが、どうして因果なき人と関係していようか。

まったく無関係だからこそ、因果なき人と呼ばれるのだ。

苦い文学

町の死角をあぶり出せ

アナウンサー「防犯カメラをあちこちに設置したにもかかわらず、犯罪が減少しない……そんな悩みを抱える地方自治体が増えています」

ゲスト「ええ、私たちのところにもずいぶん相談をいただいています」

アナウンサー「その原因とはいったいなんなんでしょうか」

ゲスト「いろいろありますが、私たちがもっとも重大だと考えるのは、町の死角の問題です」

アナウンサー「町の死角とは?」

ゲスト「町なかにあるにもかかわらず、誰にも気がつかれないスポットのことです。犯罪はこうした町の死角で起きるのですが、多くの場合、そこに防犯カメラが設置されていないのです」

アナウンサー「では、町の死角をカバーするように防犯カメラを設置するというのがいいのですね」

ゲスト「ですが、どこに町の死角があるかを特定するのが非常に難しいのです。死角というだけあって、普通の人には見つけることはできません」

アナウンサー「なるほど。では、いったいどのように見つけるのでしょうか」

ゲスト「私たちの方法をご紹介しましょう。映像をご覧ください」

(五百人ほどのみすぼらしい格好をした人々の群れが映し出される)

ゲスト「これはヘビースモーカーたちです。私たちは依頼のあった町に、筋金入りの喫煙者を連れてきて、放つのです」

(喫煙者たちが町中に散らばる。しばらくすると、人目につかないところでこそこそタバコを吸い始める)

アナウンサー「おや、タバコを吸いはじめましたね」

ゲスト「ええ、この町では喫煙所以外での喫煙は禁止されているのですが、私たちが町の喫煙所を閉鎖しているので、喫煙者たちは我慢ができず、隠れて吸い始めるのです」

アナウンサー「たしかにマナーの悪い喫煙者が思わぬところでこっそりタバコを吸っているのを見かけますね。非常に迷惑ですが……」

ゲスト「それが私たちの役に立つのです。これらの喫煙者がこっそりタバコを吸う場所こそが町の死角です。いわば喫煙者たちは町の死角発見の達人なのです」

アナウンサー「へー、思わぬ使い道があるものですね」

(町のあちこちの陰でタバコを吸う喫煙者たち。いっぽう、調査員たちが喫煙者に仕込まれた発信機をたよりに町の死角をマッピングしていく)

ゲスト「私たちはこのように喫煙者の動きを一日中追跡することによって、町の死角マップを完成させるのです」

アナウンサー「そのマップにもとづいて防犯カメラを設置すればよいということですね」

ゲスト「ええ、そうです。この町でも私たちのマップをもとに防犯体制を見直し、犯罪の減少につなげました」

アナウンサー「素晴らしいですね。ですが、調査の後、これらの喫煙者はどうするのでしょうか。このまま野放しにしていては危険ではないでしょうか」

ゲスト「ははは、じつに簡単ですよ。映像をご覧ください」

(調査員が町の広場に行き、アルミの灰皿を地面に放り投げる。わらわらと喫煙者が灰皿に集まってきたところを、投網で捕獲する)

苦い文学

「早く元気になって」

元気な人が「早く元気になって」という声を毎日聞くようになった。

元気な人は元気であるのに、そう言われ続けたら、どうなるだろうか。もしかしたら自分が元気ではないのだろうか、という気がしてくるにちがいない。

さらにそれでも「早く元気になって」という声はやまない。

その人はついに自分が元気ではないのだと思い込む。なんだか暗い気分になる。あれほど元気だったのに、と昔のことばかり考え出す。すっかり意気消沈して、だんだんと病気になってしまう。

病名もわからない。だから、どんな治療も効き目がない。ただ苦しいだけだ。なんとかして回復しようと必死になるが、その度にあの声がどこからともなく聞こえてくる。

「早く元気になって」

この声を聞くと、回復への気力がたちまち打ち砕かれる。そして、元気でいることが途方もない不可能事のように思えてくる。自分には元気など無理なのだ。いや、もう元気でいるべきではないのだ。それが自分の運命なのだ。

こうなるとさらに病が悪化する。もう寝たきりで、1日のほとんどをうつらうつらと過ごすようになる。

そんなある日、枕元に誰かが立つ。病人の手を握り、慈しみのこもった声で告げる。

「早く元気になって」

病人は夢見心地で答える。「ありがとう。でも、ごめんなさい、もう無理そう……」

病人はそのまま白目を剥き、息絶える。

苦い文学

見えないメガネ

みなさんは2つのメガネがあるとしたら、どちらを選ぶでしょうか。ひとつは度は弱くて、もうひとつは度が強い。

度が強いほうだ、とおっしゃる声が聞こえます。確かに、遠くまでくっきりはっきり見えますね。

ですが、遠くまで見えるのは本当によいことでしょうか。たとえば、遠くに厄介な知人がいたとして、度が強いメガネで気がついてから無視するのと、度の弱いメガネでそもそも気がつきもしないのとどちらがよいでしょうか。

それはもちろん、度が弱いほうです。知らんぷりするという良心の痛みとも、みえみえのそぶりを知人に見破られるという危険からも免れているからです。見えないということは心を自由にするのです。

そもそも私たちに視力は必要でしょうか。

もちろん、視力があるに越したことはありませんが、よい必要はあるでしょうか。

大昔は必要だったでしょう。狩をする私たちにとって、遠くの獲物の動きが見えるか見えないかは、生死を左右しました。また、危険な獣の接近にできるだけ早く気がつくことも重要でした。ですが、現代社会では追うべき獲物もいないし、迫りくる野獣もいません。車や電車がぼんやり見分けられればそれでいいのではないでしょうか。

実際のところ、はっきり見えればいいのは、携帯だけです。それが見える程度の視力で十分なのです。それ以上の視力は不必要、いや、見えすぎることの危険と不快を考えれば、むしろ百害あって一利なしです。現代社会は狩猟社会から抜け出てそんなところにまできてしまったのです。

みなさんの中には、そもそもメガネなど必要のない方もいるかもしれません。失礼を承知であえて申し上げましょう。そうした方々は、いまだに狩猟社会を生きているのです。

現代人として生きたければ、ここにご用意した「あえて視力を落とすメガネ」をぜひお試しください。

苦い文学

ノース・コリア芸能ニュース

ボーイズ・グループ DPRK(ディープロック)のジョンウンが、SNS を通じてエネルギッシュで多彩な魅力を存分にアピールし、世界中の人民の感嘆を誘った。

ジョンウンは、近日中に予定されているニュー・シングル「軍事偵察衛星」の音源とダンスの一部をサプライズ公開し、東アジア人民のカムバックへの期待を刺激した。

タイトル曲となる「No Announce#」には、繊細で野生的なボーカルにエレクトロポップの雰囲気が加えられ、完成度を高めた。所属事務所は、IMO(国際海事機関)による非難決議採択を受けて「われわれの事前通知がこれ以上必要ないという公式な立場の表明とみなす」というメッセージを込めたと説明した。

サプライズ公開された映像では、ジョンウンのラブリーで美しいビジュアルも目を引く。洗練された衣装で、独特の拍手パフォーマンスを見せつけ、非民主的な雰囲気を誇った。

ニュー・シングル「軍事偵察衛星」は近日中に通告なしにリリースされる。

苦い文学

秘密の救護活動

コロナが収束して電車も再び混み合うようになった。それだけでも不快なのに、最近の蒸し暑さだ。昨日の朝、満員電車の中で立っていた私は、不意に気分が悪くなり、ふらふらしだした。

倒れる……と思った瞬間、いくつもの手が私を支えた。かすんだ目で見ると、数人の男が周りにいるのが見えた。ひとりが小声で囁いた。

「体の力を抜くのだ」

朦朧としながら私はその言葉に従った。「そうだ、そのままでいい」 男たちは私が倒れないように支えているのだった。

男は私の鼻にハンカチを押し付けた。爽やかな香りが鼻孔をくすぐり、私はやや気分が落ち着いた。

やがて電車は駅に停まった。ドアが開く。その駅ではいつも誰も降りないので車内も動きはない。そのとき、駅員がドアの外に立ち車両の中を覗き込んだ。

男たちが緊張するのがわかった。先ほどの男が私の背に何か固いものを押し当ててささやいた。

「命が惜しくなければ静かにしているんだ」

駅員がジロジロと見ているうちに、ドアが閉まり、電車が動き出した。男たちの緊張が緩むのがわかった。男が言った。

「すまなかった。こうするしかなかったのだ」

「でも、いったいなんのために?」 やや元気を取り戻していた私は尋ねた。

「駅員の中には体調不良者をめざとく見つけて、救護活動をしたがる一派がいるのだ。もし君がそんな連中に見つかっていたら、救護活動で電車が遅れていただろう。そうなったらこの電車の乗客全員が遅刻だ! 私たちは駅員が見つける前に電車内の体調不良者の救護を行う『電車の遅延を許さぬ乗客たち』のメンバーだ」

「そうですか。そんな団体が……うっ!」 私は急に胸のむかつきを感じ、震えが止まらなくなった。

男は言った。「いかん、吐くぞ!」

「吐いたら停車まちがいなしだ!」と別の男。「これしかない!」と男は自分の手提げを開き、私の顔に差し出した。

私はその中に思う存分吐いた。

「ふーっ」 男たちは安堵の息をついた。私も吐いたせいでだいぶ気分が楽になった。

しばらくして電車は駅に停車した。どっと人々が降りる。押し出された私は、これら英雄的な男たちの姿を一目見ようと振り向いた。

そこにはスーツ姿の普通の会社員たちが立っているだけだった。

どっと電車に乗り込む人々に隠されるその瞬間、パンパンに膨らんだ手提げをぶら下げたおじさんが、私にウインクしたような気がした。