苦い文学

線審

混迷するこれからの世界でますます需要が高まる職業といえば、線審だろう。

線審とは、ボールが線から出たかどうか判定するプロフェッショナルだ。野球やテニス、サッカーでお馴染みだが、その活躍の場はフィールド外に広がりつつある。

たとえば EEZ(排他的経済水域)だ。北朝鮮のミサイルが、EEZ の外であろうと内であろうと、はっきりとわかる位置に落下すれば問題はない。だが、EEZ ラインのギリギリを攻めてきた場合はどうだろうか。線審の判定が必要なのは言うまでもない。

また、つい先日、岸田首相を狙った爆発物投げ込み事件が起きた。今後、同様な事件が増えそうな気配であるが、警備体制の強化とともに、線審の立ち合いも不可欠だ。

あっ、首相の街頭演説の最中、聴衆のだれかが筒状の物体を投げ込んだぞ!

「あぶない!」 SPたちがとっさに首相を庇う。と同時に線審が鋭い目つきで物体の落下地点を確認する。線を越えたか、越えないか?

旗が上がる! 「アウトッ」

警官たちはいっせいにテロリストにつかみかかる!

苦い文学

最後のおやじギャグ

おやじギャグというのはいうまでもなく、高齢男性が言いがちな「つまらない駄洒落」のことだが、現代では「加齢による言語連想機能障害」と呼ばれている(DSM-5による分類)。

この原因については、かねてから脳の老化との関連性が指摘されており、さまざまな研究が行われている。

最近発表された研究では、おやじギャグをいうグループ(OG)と言わないグループ(NOG)の脳の器質的特徴の比較が行われ、OG群では、ニューロンレベルでの脳の硬直インデックス(CSI)が有意に高いとの結果が出たそうだ。

よく知られているように CSI はまた死後硬直の基準指数でもあるから、おやじギャグとは、実は死後硬直の前駆症状なのではないか、という興味深い推論もなされている。

私にはこの推定の当否を判定するだけの材料はないが、おやじギャグが死後硬直の始まりであるならば、その終着点である死後のもっともカチンコチンの状態は、まさしく全身がおやじギャグといえそうだ。

生涯最後のおやじギャグを、思い思いのこわばりぶりで披露する死体たちを見れば、もっともおやじギャグを軽蔑する最先端のお笑い愛好家も、腹を抱えて大笑いせずにはいられないのではあるまいか。

苦い文学

異世界ネットワーク

初めに発見したのは北朝鮮の科学者たちとも言われているが、いずれにせよ、人類は、異空間への入り口の存在を突き止めたのだった。

しかも、一度それが発見されるや、世界中のあちこちにもその入り口があることが明らかになった。慎重な調査ののち、各地で探査隊が送り出された。

探査隊がもたらした情報は驚くべきものだった。それらの入り口は別世界に通じていたのだ。

しかも、それらの世界には人間の居住できる空間が広がり、さらにその世界が別の世界へと繋がっていた。つまり、人類は突然、自分たちが異世界ネットワークの一部であることを悟ったのだ。

それから500年の間、つまり、瞬く間に人類は異世界へと広がっていった。というのも、それらの世界は、地球よりも豊かで安全であり、さらには地球に存在しないエネルギーで満ちていたからである。

いまや、人類は無数の世界に居住し、世界をつなぐネットワークを通じて膨大な人とモノが行き来していた。

そして、この空前絶後の繁栄のさなか、急に異世界をつなぐ経路が消失した。ちょうどこの経路の発見から1000年後のことだった。

ネットワークは分断され、地球と異世界は交信不可能となった。

「異世界移動システムの無料お試し期間が終了したのではないか」というのが、みすぼらしい地球にとり残された人類の意見だ。

苦い文学

一流の耳

トップクラスのフィギュアスケート選手になるためには何が必要だろうか?

バランス力、筋力、柔軟性、瞬発力、しなやかさ、精神力、克己心、努力……どれも大事だろう。

だが、いちばん必要なのは、耳だと私は思う。

どんなにダサい音楽だろうと、朝から晩まで聴いてもへこたれない強靭な耳だ。

実際、普通の人だったら、フィギュアスケートで流れる音楽を聴くことに耐えられないだろう。

出だしはポロンと始まって、次第におおげさに盛り上がって、情感たっぷりに歌い上げたあげく、最高潮では決まってドガジャーンとシンバルが打ち鳴らされる、あのダサい音楽は、いったいどこで配信されているのだろうか? 

フィギュアスケート選手だけに特別にダサい音楽が流してくれる有線放送でもあるのだろうか? 

私はどこの街のどんなところにいようとも、フィギュアスケート場を探し当てることができる気がする。ダサい音楽が流れてさえいればだ!

「フィギュアスケート選手を目指す諸君! この世界で一流になろうと思うのならば、かっこいい音楽は諦めることだ! スミスもデヴィッド・シルビアンもいっさい忘れたまえ!」

「コーチ! 山田がこっそりテレヴィジョンを聞いていました!」

「なに! ミート・ローフを全曲聴き終わるまでウサギ跳びだ!」

苦い文学

Jアラート防衛

今日は、政府の全国瞬時警報システム(Jアラート)の警報が発令され、朝から騒然としていた。

「落ちる」というので、国際社会における日本の地位や出生率のことかと思いきや、北朝鮮のミサイルのことであった。

北海道のどこかにミサイルが落下するというのだ。やがてこれは訂正され、当初思っていたほど危険ではないということがわかったが、それでも、朝の貴重な時間を北朝鮮に振り回されたのであった。

そして、これこそが北朝鮮の狙いでもある。私たちが慌てたり、怯えたり、北朝鮮の威力に「恐れ入ったり」するのを見るのが楽しいのだ。

しかし、ちょっと考えればわかるように、私たちを慌てさせるには、実際のところミサイルなどいらない。ただ警報が鳴れば、私たちは反射的に騒ぎ出すだろう。

ならば、むしろ、北朝鮮にJアラートのボタンを渡せば済むことではないだろうか。

北朝鮮は、ミサイルを発射する代わりに、ミサイルが発射されたというJアラートを鳴らすのだ。

これなら、わざわざ貴重なミサイルを撃たなくても済むし、日本もミサイル落下の恐れがなく安心だ。

ただし、大事なのは私たちのリアクションだ。そう思えば、鳴ったときにちょっとおつきあい程度に驚いてやるくらい、なんでもないではないか。

苦い文学

イデアと似姿

古代ギリシアの哲学者、プラトンによれば、私たちのこの世界は、真の実在であるイデアの似姿に過ぎないのだという。

つまり、この世界の愛とか善といったものは、イデア界にある本物の愛や善の似姿なのだ。そして、似姿だからこそ、不完全なものでしかない。

プラトンに言わせれば、この不完全な似姿を脱して、真の姿へと向かうことが、哲学という営みなのである。だが、別の哲学者はこの考え方を無意味だとして、退けたという。

その哲学者はこう反論した。

「むしろ、イデア界に存在するさまざまな真の実在が、より完全に近い形で私たちの世界に届くようにするのが哲学者の仕事ではないだろうか。できるかぎり本物に近ければ、私たちの哲学生活は大きく変わるはずだ」

そこで、この哲学者は、イデアをロスレスでこの世界に送信する装置を考案し、さらに通信するデータ量が著しく増加することも考慮して、お得な通信プランの提供も始めたという。詳しくは、ディオゲネス・ラエルティオスを参照されたい。

苦い文学

居眠り

電車で居眠りしていても、私たちは乗り過ごすことはほとんどない。たいてい、降りる駅の直前で目が覚める。それどころか、目が覚めたときに、降りる駅でドアが開いていた、なんてときすらある。私たちは慌てて座席から飛び上がり、外に出る。

どうしてこうしたことが起きるのかについては、いろいろな意見がある。私たちは眠りながら無意識では起きているのだ、と言う人もいるし、体内時計が自然とセットされているのだ、と考える人もいる。

目を覚ます原因はわからないが、これはまるで死のようだ。

私たちの人生は電車の中で居眠りをしている人に例えられよう。寝ているあいだに次から次へと駅が通過していくが、私たちはそれに気がつくことなく、夢を見続けている。

だが、降りるべき駅が近づくと、私たちは不意に目覚めるのだ。

私たちは時が来たことを悟り、慌てて電車から降りる。

その先に何があるかは、誰にもわからない。私たちはただ電車で見た夢のかけらを抱えて、どこかに消えていく。

苦い文学

チャンドス卿の毛蟹

敬愛する友よ、私が次のような経験について話すのをご容赦ください。

北の地を旅する私はとある朝市でふたつの毛蟹を食べ比べしたのです。

ひとつ目の毛蟹は確とした秩序ある姿でいかにも美味しそうでしたが、その身を食べるとすぐに、口の中で崩れてしまいました。口のなかで、さまざまの概念がとつぜん曖昧な色合いになり、輪郭をなくして入り混じってしまったのでした。

私は眩暈を起こし食べるのをやめました。

もうひとつの毛蟹は、初めのものとはまったく違いました。とるにたらぬ被造物のようであり、地面に転がる石のようでもありました。ですが、ひとたび口にするやいなや、その味の流れが言葉にならない無限の恍惚感を引き起こしたのでした。

私はただちにこちらの方の毛蟹を買い求めました。

敬愛する友よ、この毛蟹を、おまけにベーコンをつけて、送料無料の大特価でお届けすることをお許しください。お支払いは着払いにてお願いいたします。

*上記のような文面の手紙とともに、一方的に毛蟹などの食品を送りつけて代金を要求する詐欺が増えています。身に覚えのない商品は絶対に受け取らないでください。

苦い文学

難民難民

「難民」という語は、通常、宗教や政治的意見を理由に迫害を受けるおそれがあるため自分の国から逃げた人のことを指すが、日本語では別の意味でも使われている。

それは「居場所やものにあぶれた人」のことを表す用法で、普通は前に「居場所」や「もの」を表す名詞が来る。

例をあげると、「ホテル難民」とはどのホテルも満室で宿泊場所がない人のこと、「病院難民」とは、病院が足りなくて十分な治療を受けられない人のことだ。

居場所がないというのは行き場を失うということだから、そこから「帰宅難民」などという言葉も出てくる。

「もの」の例では、「チケット難民」「ランチ難民」などがあり、チケットが手に入らなかったり、ランチを食べられなかったりする人のことを指す。いずれも「座席」に関係があるので、これも、居場所がない、というところから発展してきたものだろう。

「ネットカフェ難民、ネカフェ難民」というのもある。ただし、これはネットカフェに入れない人ではなく、ネットカフェにしか居場所が見つけられない人のことをいう。特殊な意味だが、やはり居場所に関連している。

さて、よく知られているように、日本は難民認定数が非常に少ないということでお馴染みだ。その理由はいろいろ考えられるが、いずれにせよ、日本に逃げてきた難民にとってはつらいことだ。

認定難民というのは、法律的な地位のことだ。だから、難民に認定されないというのは、法的な居場所がないということでもある。

なので、難民としての居場所がない難民は、我が国では難民難民と呼ぶことを提案したい。

苦い文学

荒野の誘惑

イエスが荒野にひとりいると、悪魔がやってきて言った。

「もしおまえが神の子ならば、この石をパンにすることができるはずだ」 

イエスは答えた。「人はパンだけで生きるものではない、と書いてある」

それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、世界のすべてを見せて言った。

「もしも私にひざまずくのならば、世界のすべてをあげよう」

イエスは答えた。「主なる神を拝し、ただ神にのみ仕えよ、と書いてある」

それから、悪魔はイエスをエルサレムの神殿の上に連れて行き、言った。

「もしお前が神の子ならば……」

私「ちょっと、ちょっと、お前ら二人なにやってるんだ! 勝手に入ってきて! とっとと出ていけ!」

イエスと悪魔、泡食って逃げ出していった。

私はといえば、人生に絶望していたのだった。過去を振り返れば、そこにはなにもなく、ただ荒涼とした荒野が広がっていた。かといって、将来にもなにかあるわけでもなかった。むしろいっそうひどく荒れ果て、草一本生えないというありさまだった。

すると、ちょうどいい荒野があると聞きつけてイエスと悪魔がやってきて、例のくだりをおっ始めやがった。油断も隙もありゃしない、とはこのことだ。