苦い文学

失われた30年

今、日本があぶない。

かつては日の上る勢いであった日本の経済力は、失われた30年を経て、いまや黄昏時にいたった。そして、その夕闇の中、少子高齢化が進行し、やがれ訪れる夜の闇に我が国は飲み込まれるであろう。

日本は黄泉の国となるのであろうか。

無論、政府とて手をこまねいているわけではない。「異次元の少子化対策」を掲げ、出生率を上げようと試みている。だが、もしも、少子高齢化も異次元級だったら? はなはだ心許ないと言わざるを得ない。

賃上げによる所得増大政策も推進されてはいる。だが、人口が若返らないかぎり、どんな経済政策も無意味である。

このような危機的状況を前にして、私はひとつの解決策を提示したい。

失われた30年というならば、まず、その失われた30年を見つけ出すほうが先決ではないのか。

というのも、もし我が国が30年を取り戻すことができたら、私たちは30年分若返るのだ。高齢化も解決できようし、30年前の活力で持って子作りに励めば、少子化問題などたちまちに霧散しよう。それとともに経済も上向きになるのももちろんだ。

では、その失われた30年はいったいどこにあるのか? どこの険しい山岳地帯、どこの危険きわまりない洞窟に隠されているのか。私は現在、探査計画を練っている最中だ。

探査旅行は、徳川埋蔵金発掘よりも大規模で、インディ・ジョーンズばりにスリリングなものとなろう。

探査隊への参加を希望される方は、ガイドブック『失われた時を求めて』を携帯の上、お集まり願いたい。

苦い文学

主文後回しの刑

いったい、主文が後回しにされたままなどあるのだろうか? 私たちは長いあいだ今か今かと待ち続けているのだ。

もしかしたら、私たちはうっかり聞き逃したのかもしれない。隣の仲間たちとおしゃべりに夢中になって、小突きあってくすくす笑っている間に、主文が読み上げられてしまったのかもしれない。

ふいに、誰かが話すのが聞こえることもある。私たちは急に押し黙り、主文かも、と思って耳をそばだてる。

「……1日1回、大人は3錠、子供は1錠、食後に服用のこと。服用後は車の運転……」

「……次はラジオネーム、《キリギリス》さんからのお便り、こんにちは、いつも楽しく聞かせて……」

「……今まさにあなたの魂をデーモンが奪おうとしていたのです! さあ、その憎しみを捨てなさい、そして聖なる家族を……」

これは主文じゃない。私たちは落胆する。

私たちは主文をすっかり見失ってしまったのだ。主文もなしに宙ぶらりんの状態で、もう何年も何年も途方に暮れて……。

「もしかしたら、私たちは主文を聞く前に死んでしまうのではないか?」

主文なき死という考え、これほど恐ろしいものがあろうか? なぜならそれは死ですらないからだ。

私たちは夢見る。ある日、主文が極刑を運んできて、私たちに本当の死を与えてくれるのを……。

苦い文学

主文のデッドヒート

極刑の判決がくだるとき、主文はいつだって後回しだ。

これは主文を先に言ってしまうと、被告人が動揺するからだそうだ。だが、後回しにされた時点で、被告人にとってはもうネタバレ、ということは裁判官の頭に思い浮かばなかったらしい。

むしろはじめはダミーの主文を読んで、それから判決理由、そして最後にもういちど主文で極刑の宣告のほうがよいのではないか。

裁判官(第一声)「被告は無罪!」 判決理由を述べたのち「かと思わせといてやっぱり死刑!」

主文で判決理由を挟むこの「主文サンドウィッチ」になにか問題があるのだろうか。もし問題があるのであれば、裁判官が不意打ちで主文を読むことにしたっていい。

だが、私がお勧めしたいのは、用意ドンで、主文と判決理由が一斉にスタートするレースだ。判決理由が勝てば、主文は後回しで極刑となる。

被告にとってはもう主文を応援するしかない。主文が勝てば少なくとも死刑にはならないのだ。

コースは山あり谷あり、急カーブあり。主文と判決理由が抜きつ抜かれつのデッドヒート。

主文勝て! 主文がんばれ! 手に汗握るレース展開に手錠をかけられた手もびっしょりだ。

苦い文学

正しい歴史を取り戻す会

昨日、国民運動「正しい歴史を取り戻す会」が発足し、設立集会が開催された。

「この会の目的は自虐史観、GHQに押し付けられた間違った歴史を打倒し、日本人が真の誇りとする正しい歴史を取り戻すことにあります」と会長の横須賀和也氏は参加者を前に語り、会のスローガンとして「歴史は1つ、真実は1つ、日本は1つ」という「3つの1つ」を公表した。

「この理念は私が長年あたためてきたものです」

次に演説を始めたのは、理事長の河原はじめ氏だ。「中韓との歴史戦に勝利して、真実の歴史を打ち立てなくてはならない!」と堂々たる弁を振るったのち、こう語った。

「ちょっと横須賀先生に申し上げたいのですが、当会のスローガンである『3つの1つ』を提案したのは私であったかと思いますが……」

集会は盛況のうちに終わったが、「『3つの1つ』を考えたのは俺だ」「いや俺だ」の歴史戦が始まって、その晩、会は解散のやむなきにいたった。

苦い文学

制圧行為

警官たちはよってたかって人を制圧するのが好きだ。

制圧される人は、例えば何かが原因で暴れたり、混乱していたりする人だ。警官たちはこうした人が手に負えない、あるいは危険だと見るや、すぐさま飛びかかって制圧にかかる。

制圧されるのは恐ろしいし、苦しいので、制圧された人はますます暴れる。すると警察たちはまだ制圧が足りない、と考えて、これでもかとばかりに地面に押しつける。

すると、制圧された人はますます苦しくなって体を動かす。だが、それが逆に作用する。警官たちは両手ばかりでなく膝も使って、ますます強く押しつける。全体重をかけてぎゅうぎゅういわせる。その結果、押さえつけられた人は窒息したり、意識不明になったりして、死んでしまう。

もしかしたら「ギブ! ギブ!」と叫んでいたかもしれない。だが、たいてい警官の耳には届かないし、届いたとしても、信じない。いったん制圧のスイッチが入ったら、これを止めることは不可能なのだ。

警官による制圧行為で、これまでいく人もの人が死んだ。

私はこうしたニュースを聞くたびに、悲しみと恐ろしさを感じる。と同時に、うどんが食べたくなる。

苦い文学

文学解釈と想像力

はたらけど、はたらけどなお、わが生活楽にならざり、ぢつと手を見る

この短歌は、石川啄木が作った歌です。たぶん、みなさんもご存知だと思います。

石川啄木という人は、とても貧しい生活をしていました。貧しいというのはお金がないことですから、お金を稼ぐために一生懸命働かなくてはなりません。それで、石川啄木はがんばって働いたのですが、それでも生活は楽になりませんでした。

「こんなに働いているのにどうして自分の暮らしはいつまでも厳しいのだろう」 そんな気持ちがこの歌の前半で描かれています。

その後に、石川啄木は「ぢつと手を見る」と続けます。どうして彼は「ぢつと手を見」たのでしょうか? ここはちょっと難しいところです。ぜひ、想像力を働かせてください。文学を読むときは想像力がなによりも大事です。

みなさんもいろいろ想像されたかと思いますが、私の考えを述べさせていただきます。彼が自分の手を見たのは、そこに「気づき」があったからです。

つまり、石川啄木はどうして自分の暮らしがこんなに厳しいんだろう、と悩み、ふと自分の手を見た瞬間に、その理由に気がついたのです。それで、思わずじっと見つめてしまった、そんな驚きと感動がこの短歌の表現の核といえます。

では、彼は自分の手に何を見出したのでしょうか。それは実際のところわかりません。彼は何も書いていないのですから。

ですが、ここでも想像力がものをいいます。

手にあったものとは、おそらく、現代でいうならば、パワーストーンの指輪のたぐいではなかったでしょうか。

彼の手は、指輪だの数珠だの高価な開運アクセサリーでいっぱいだったと考えられます。そんなものにお金を使っていたのでは、暮らしが楽にならないのも当然といえば当然ですね。

苦い文学

石打ちの認証

《ヨハネによる福音書第8章より》

……律法学者たちやファリサイ派の人々が、姦通の現場で捕らえられた女を連れて来て、真ん中に立たせ、イエスに言った。

「先生、この女は姦通をしているときに捕まりました。こういう女は石で打ち殺せと、モーセは律法の中で命じています。ところで、あなたはどうお考えになりますか」

イエスを試して、訴える口実を得るために、こう言ったのである。

イエスはかがみ込み、指で地面に何か書き始められた。 しかし、彼らがしつこく問い続けるので、イエスは身を起こして言われた。

「あなたたちの中で罪を犯したことのない者が、まず、この女に石を投げなさい」

そしてまた、身をかがめて地面に書き続けられた。

これを聞いた者たちは集まり、イエスが地面に書かれたものを見て驚いた。そこにはこう書かれていたからである。

⬜︎ 私は罪人ではありません。

人々がチェックボックスにチェックを入れると、画像認証に変わった。

「石の画像をすべて選択しなさい」

人々は画像を選択して確認ボタンを押したが、何度やっても先に進むことはできなかった。どの画像もぼやけていたのである。

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新しい特定技能

特定技能制度は、外国人労働者の受け入れを拡大し、労働力不足をカバーすることを目的として、2019年からはじまった在留資格です。

この在留資格には「1号」と「2号」の2種類があります。受け入れ可能な職種はそれぞれ次のとおりです。

1号(12職種)
(1) 介護 (2) ビルクリーニング (3) 素形材・産業機械・電気電子情報関連製造業 (4) 建設 (5) 造船・舶用工業 (6) 自動車整備 (7) 航空 (8) 宿泊 (9) 農業 (10) 漁業 (11) 飲食料品製造業 (12) 外食業

2号(2職種)
建設、造船・舶用工業

政府の有識者会議はこれまで、この特定技能制度の運用と実態に関して議論を行ってきました。少子高齢化と人材不足の進行に対応するため、対象となる職種を追加すべきだとの勧告をたびたび行っています。

これを受けて政府は今日、特定技能1号の職種として 「(13) 政治」を新たに加えることを公表しました。

地方議員の深刻ななり手不足の解消が期待できるとあって、各地方では早くも歓迎ムードです。

政府は今後「 (14) 皇室」も追加するという方針も明らかにしています。

苦い文学

イヌグラティチュード

最近、ようやく暖かくなってきたので、公園で日向ぼっこしていたら、散歩に連れられてきたイヌたちの会話が聞こえてきた(今年に入ってはじめてだ)。

毛並みのいいの「まったく、なんだってんだ、あのハチ公ってのは。どいつもこいつもチヤホヤしやがって」

背の低い茶色の「ああ、あの忠犬とやらな。聞いて呆れるよ、飼い主を待ち続けてただけでさ。あんなの、我々ならだれだってできるっての」

白くてフサフサしたの「まったくだ」

毛並みのいいの「だいいち、駅で待ち続けようにも、昔と違って我々はリードがあるから、勝手に出歩くことが許されないのだ」

背の低い茶色の「そのとおり、まさにリードが忠犬を絶滅に追いやっているのだ。もし、リードなどなければ、我々がどれくらい忠犬か、そりゃみな仰天するはずさ」

毛並みのいいの「それに、あんな安っぽい銅像などこっちから願い下げさ、我々なら、奈良美智製作の高級オブジェでなきゃ」

白くてフサフサしたの「まったくだ」

毛並みのいいの「しかも、たとえリードがなくても、こっちの駅ときたら、渋谷とは比べ物にならん。そんな寂れた駅でかりにハチ公が待ち続けてたとしても、誰も気がつかないし、追っ払われるのが関の山さ」

背の低い茶色の「そうそう、俺の飼い主など、自動車通勤だから。どこで待てばいいってのさ」

白くてフサフサしたの「俺の飼い主は無職だ」(とがっくり。)

毛並みのいいの「だが最大の問題は、飼い主が生きてるということだ。そのせいで、忠犬チャンスを奪われているかと思うと、もうイライラするね」

背の低い茶色の「いっそひと思いに殺してくれようか! そうすれば明日にでも忠犬ぶりを発揮できるというのに!」

イヌたちこの言葉に大いに賛意を示し、自分たちが忠誠心と殺意を同時に抱いている飼い主たちにリードで引っ張られて、町のどこかの暗がりに消えていった。

苦い文学

応援ソング

応援ソングというものはずっと以前からあったのかもしれないが、ひとつのジャンルとして確立したのは、というかより正確には「応援ソングを聞く」という行為が慣習として成立したのは、もしかしたら、ウォークマンが普及してからかもしれない。

というのも、ウォークマン(そして、現在のスマートフォン)がなければ、自分だけのものとして、そして、自分にとって応援が必要なまさにそのときに、応援ソングを流すということはできなかっただろうから。

競技前のアスリートがイヤホンで応援ソングを聞いて集中力を高める……テレビではお馴染みの光景だが、それも携帯音楽プレーヤーがあってはじめて成立することだ。

いずれにせよ、応援ソングというものが現代の音楽文化の重要な一角を占めており、どの歌手もたいてい少なくとも1曲や2曲の応援ソングを持っている。

こうした状況は、私のようなつらい人生を歩む者にとってはありがたいことだ。いつでも好きなときに、数えきれないほどの応援ソングが聞けるのだから。

それで、四六時中聞いていたせいか、最近、私は歩く必要すらもうなくなってしまった。

応援ソングが背中を押してくれるので、ひとりでに前進してしまうのだ。応援ソングの意外な効用といえるだろう。