苦い文学

スマホと人類史

2010年代、スマートフォンの普及により、街中や駅などの施設内でスマートフォンを操作しながら歩行する人類が出現した。これらの行為は「歩きスマホ」と呼ばれた。

「歩きスマホ」は多くの事故や犯罪の原因となった。それにともない「スマホ歩かれ」による被害者も増大した。

そこで、人類は「歩きスマホ」の弊害を乗り越えるべく、「スマホ歩き」の開発を進めた。その結果、2030年代になると、人類は「スマホ歩き」を徐々に身につけるにいたった。

「スマホ歩き」により、人類の歩行能力、歩行速度、歩行領域は格段に向上した。現在では、「スマホ歩き」は、人類史上、初期人類の直立歩行に次ぐ偉大な進化だとされている。

続く 100 年の間に、スマホ歩きは改良が進められた。22世紀半ばには完成に達し、スマホ歩きはここに全盛期を迎えることとなった。偉大なる「ホモ・スマホ・アムブランス(スマホ歩きするヒト)」の時代の到来である。

この時代になると、駅では「スマホを操作せずに歩くのは大変危険です」とアナウンスされるようになった。

苦い文学

シネクドキ

シネクドキは、比喩のひとつだ。『明解言語学辞典』では、「特殊なものによって一般的なものを表す、またはその逆方向の転用」とされる。

「特殊なものによって一般的なものを表す」とは、どういうことだろうか。たとえば「お茶に行かない?」や「お茶しない?」の「お茶」がよく例に出される。

ここでいう「お茶」とは、緑茶や紅茶でもありうる。だが、通常は「お茶に行かない?」というと、「喫茶店で何か飲まない?」という意味だ。だから、実際には「お茶」にはコーヒーやココアやレモンスカッシュなども含まれうる。

つまり、「お茶」という特殊なものが「飲み物」という一般的なものを表していることになる。

その逆の「一般的なものによって特殊なものを表す」例はなにかというと、「花見」がしばしば挙げられる。

「花見に行く」といっても、見にいくのは普通はバラやチューリップではない。サクラだ。つまり、「花見に行く」の「花」という一般的な名詞は、サクラという特殊なものを表しているのだ。

では、それぞれ配偶者のいる男女が、いっしょにお茶して、花見に行った結果、不倫に発展したとしたらどうだろうか。

「不倫」とは「倫理に反すること」を意味する一般的な語にもかかわらず、常に「配偶者のいる人が、別の異性と性的関係を持つこと」という特殊な意味で用いられている。不倫もシネクドキだったのだ。

だから、この2人についていえば、不倫関係というよりも、シネクドキ関係といったほうがより適切であろう。

苦い文学

AI 時代の隠者(2)

取材も終わりこの現代の隠者の家を去るときがきた。私は帰りぎわにふと思いついて、こう言った。

「これから私は AI の世界に戻りますが、そこであなたのことを記事に書こうと思っています。もちろんネットを通じて配信する予定です」

「どうぞ」

「ですが、記事に書かれたあなたの情報のせいで、あなたが『AI の餌』になってしまうのではないでしょうか」

「ああ、その心配ならいりません」

「といいますと」

「あなたが立ち去ったのちに、何百万ものフェイクニュースが流れるからです。そのニュースはあなたに似た人物が私に似た人物を訪問した記事で、無数のバリエーションがあるのです。あなたの書いた記事はその記事に埋もれてしまうことでしょう」

「ニュースを流すとは? ここにはネットも何もないとおっしゃっていましたが?」

「ここにはありません。ですが、無数に配信される記事の中で訪問された私の小屋のひとつにはあることでしょう。そこでは強力な AI が無限ともいえる数のフェイクニュースをこしらえているはずです」

私は混乱した。すると彼は笑った。

「お気づきでしょうか。あなたもこれらのフェイクニュースの一部なのですよ。あなたも、私も、この小屋も、なにもかも、あなたのお書きになる記事も、それを読んでいる人ですらも」

私には理解できなかったが、ここにありのままを記した。

苦い文学

AI 時代の隠者(1)

AI から隠れたひとりの男がいる。

その人は、自分について電子的に記録された、あるいは記録されうるすべての事柄、つまり経歴、公的記録、写真、メッセージなどの情報が AI に学習・利用されないように消去し、そのうえで AI の手の届かない人里離れた僻地に暮らしているという。

私はサミュエル・バトラーの『エレホン』を手がかりに、その人物の居場所を突き止め、単独取材を敢行した。

木造の粗末な家にひとり住む彼は、私の来訪を快く受け入れてくれ、その暮らしぶりを包み隠さずみせてくれた。

「ここにはインターネットはもちろん電話もありませんから、もっぱらすることといえば自給自足のための農作業、そして読書ぐらいです」

「不便はない、ということでしょうか」

「いいえ、不便なことは不便です。ですが、どんなに便利であろうと、 AI の餌になることだけはごめんです」

「AI の餌?」

「AI の学習のための素材ということですよ。人生が最終的には AI に学習されるためだけだとしたら、それに何の意味があるでしょうか。私たちの生は、ネットの情報以上のなにものかでなくてはなりません」

私は彼の考えに感銘を受け、また彼が作ってくれた AI フリーの食事にも感心したのであった。

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乗客を救え!

庶民の生活を見るために電車に乗っていた大富豪は、ある光景に目をとめた。

座席に座っている乗客が隣で居眠りしている人に寄りかかられているのだった。その人はいかにも迷惑という表情だったが、肘で突き飛ばすわけにもいかずじっと我慢していた。

この様子に心を痛めた大富豪は、財団の研究員たちに対策を練るように命じた。

研究員たちは寝ずに研究に打ち込み、数ヶ月後、大富豪のもとに2枚のシートを持ってやってきた。

「このシートを肩に貼れば、寄りかかってくる人はいなくなります」

大富豪はなんでも自分が一番でないと気が済まなかったから、誰よりも先にそのシートを試したくなった。そこで、早速両肩にシートを貼り付け、研究員たちを率いて電車に乗り込んだ。

大富豪は7人掛けのシートに腰掛け、その両脇に研究員が座った。電車が走り出し、こぎみよく揺れ出すと、徹夜続きだった研究員はたちまち居眠りを始めた。

ふたりの研究員は頭を揺らし、ゆっくりと大富豪のほうに体を傾けていった。

「もうそろそろだぞ」

向かいの座席で観察していた研究員たちが言った。

電車ががたりと揺れ、2人の研究員の頭が、大富豪の肩に倒れかかった。すると、その瞬間、研究員の2つの頭は肩から弾かれた。肩に貼られたシートの反発力が、もたれかかった頭を瞬時にはね除けたのだ。

「うまくいったぞ!」

研究員たちは喜んだ。

その後も、両脇の研究員が寄りかかろうとするたびに、反発シートが作動し、頭を何度も弾きとばした。大富豪も反発シートの効果に満足したのか、前にいる研究員に向かってほほえんでみせた。

大富豪たちが電車に乗り込んで、1時間以上経っていた。今度は大富豪が眠気を感じた。しばらく我慢していたが、眠気には勝てず眠ってしまった。大富豪は頭をぐらぐら動かし始め、やがて頭を右にがくりと傾けた。そのときだった。恐ろしいことが起きたのは。

右肩に貼られたシートが大富豪の頭に反発したのだ。大富豪の頭はたちまち左に倒れた。すると、その瞬間、左のシートの反発力が作動し、右に突き飛ばした。だが、右の反発シートがそれを許さない。すぐに左に弾く。すると左でも弾かれる。結果として大富豪の頭は右、左、右、左と激しく揺れ動くこととなった。

大富豪は頭を左右に振りながら目を覚ました。奇声を発しながら両手をあげて頭を抑えようとするが、その両手も弾かれてしまう。

「これはただごとではない」

研究員たちは大富豪に駆け寄り、非常な苦労のすえ、反発シートを無効化した。だが、そのときには大富豪は意識を失ってしまっていた。

翌日、病院で目を覚ました大富豪は、頭を左右に振りながら、反発シートを処分するように研究員たちに命じた。

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蛙化現象

蛙化現象とは、恋愛障害のひとつで、近頃大きな話題となっている。

どんな障害かというと、片思いのうちはそれこそ恋焦がれて相手を崇拝せんばかりだが、一度相手が好意を向け出すと、たちまち熱が冷める、それどころか、相手が汚らわしく気持ち悪く思えてくるというものだ。

「蛙化」というのは、グリム童話の巻頭の「カエルの王さま」に由来している。「人なつこい美しい目をした王子」も「きたならしい、いやらしいかえる」になる、ということらしい。

童話ではカエルが王子になるのだから、逆で、辻褄が合わないように思える。だが、そもそも王子がカエルになったのは「悪者の魔女の魔法にかかって」いたためだというから、もしかしたら魔女の恋愛障害の結果、王子はカエルになってしまったのかもしれない。

「蛙化現象」という名称の問題はさておき、ネットニュースによれば、ある男性がこの現象を抑制する特効薬の開発に打ち込んでいるということだ。

その男性も蛙化現象にずいぶん悩まされたのだという。この現象を克服したいという思いが、彼の研究欲に火をつけたのだ。

この男性は、ニュースでこう呼びかけている。

「完成した暁には、僕のまわりの女性にはみんなこの薬を服用してほしい。そして、勇気を出して僕の胸に飛び込んできてほしい」と。

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山手線を応援します

山手線と京浜東北線は田端から品川まで並走している。

この2つの路線のうち私はだんぜん山手線を応援している。山手線は真面目だし、乗っている人も上品だ。いっぽう、京浜東北線はそうではない。乗っている人はみな刺青をしている。

そして、いつだってのろい。たとえば京浜東北線が上野駅を先に出て、山手線がその後に出たとしても、東京駅では勝負はついている。山手線が決まって勝つのだ。たぶん、運転手の練習量が段違いなのだろう。

山手線が京浜東北線を追い越すときが、この世で一番楽しいときだ。どんどん追い抜かれていく京浜東北線を見ながら、私たち乗客は両手を振り上げ、歓声を上げる。あかんべえをしている人もいれば、祝杯をあげている人もいる。いっぽう、京浜東北線の乗客はみなうなだれて悔し涙を流している。

京浜東北線の乗客たちはよっぽど悔しいのか、ズルまではじめた。昼間、乗客が少ない時間を狙ってこっそり駅を飛ばしだしたのだ。そんなことまでして勝ちたいのかと私たちはおかしいやら呆れるやらだ。

京浜東北線の乗客には申し訳ないが、私たち山手線の乗客はもうあなたたちには興味がない。私たちは別のステージにいるのだ。なにしろ今の目標は、東京・品川間を新幹線より早く走ることなのだから。

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孤独な人々の最後

孤独が犯罪の社会では、思想も厳しく管理されている。

小学校で教わるのは「絆」とか「架け橋」とか「協力」とか「仲良く」そんなことばかりだ。孤独の芽を摘むのに躍起になっている。いつも合唱、団体競技。独唱や個人競技は禁止だ。独創性などもってのほかだ。

いじめはいじめられているほうが悪い。多勢に無勢では、いつだって多勢のほうが正しい。

孤独を奨励するような意見を表明するともうそれだけで危ない。ひとりでのんびりしたい、などもう危険思想だ。「ほっといてくれ」と言っただけで捕まった人が何人もいる。ひとりで食事するのは間違いなくテロリストだ。個室に入ったとたん特殊警察が踏み込んでくる。このあいだだって、数十年前にソロキャンプを勧めた罪で何十人も有罪となった。

もうみんな「わたし」とか「おれ」とか「あたし」とか言わない。いつだって「わたしたち」だ。

仏教も、キリスト教も、イスラムも禁教の憂き目だ。ひとりで修行するのが犯罪的だというのだ。想像をたくましくしてワイセツだという人すらいる。中国や北朝鮮の文物も輸入禁止だ。一党独裁が孤独を助長するからだ。

そのかわり、民主主義は徹底している。ただし、一票を投ずることだけは禁止されている。

もっとも、こんな生活をしているのは一般人だけだ。

権力者や富裕層は、会員制の高級なホテルやレストラン・バー、山奥の豪華なロッジで、ひそかに孤独を楽しんでいる。

苦い文学

孤独な人々の続き

孤独な人々を当局に通報した後は、どうすればいいのだろうか。

これは簡単だ。

孤独を矯正するための施設に放り込むのだ。施設は集団生活だから、孤独な人を孤独でなくするにはうってつけだ。

そればかりではない、朝から晩まできつい労働が待ち受けている。友情、協力、親愛、人の情けを徹底的に叩き込むのにはこれがどうしても必要だ。あまりにも忙しいので、もう孤独について考える暇のないくらいだ。

この施設の中でも密告が奨励されている。ちょっとでもひとりでいるところを見られようものなら、反逆的な孤独犯だとみなされて、きつい刑罰が加えられる。

だから、みんないつも誰かと一緒にいる。トイレに行くにも、女学生みたいに手を繋いでいく。

もちろん、施設は劣悪な環境だ。シラミとダニ、奇妙な虫たちとの同居生活だ。食事もひどいものだ。残飯と変わらない。しかも分かち合いの精神を涵養するために、わざと量を少なくしてある。だから、分かち合いというより奪い合いだ。

厳しい労働と栄養失調のせいで、施設では、みんなどんどん死んでいく。死んでも孤独であることは許されない。遺体はみな、同じ穴に投げ込まれる。

確かに施設は恐ろしい。だが、施設の外だって安全とは言えない。

孤独が犯罪である以上、孤独な様子などみせられない。いつも快活な表情でウキウキしていなくてはならない。外歩くときは、いつも誰かと肩組んで歩く。脇の下の匂いなど気にしていられない。

一瞬でもひとりぼっちにならないように、携帯電話は手放せない。どうでもいいメッセージを絶えずやり取りしている。さもなければ「単独犯」だとみなされてしまうからだ。

あやうくひとりきりになってしまったときなどは、電話をしているふりでなんとかごまかせる。しかしこの手で逃れる人がおおぜい出たので、ちゃんと通信記録までも調べられるようになった。

もはやこの社会ではどこであろうと、ひとり歩きは危険なのだ。

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孤独な人々

孤独な人はいつ爆発するかわからない。孤独はまるでガスみたいで、溜まりすぎるとちょっとしたきっかけで爆発してしまうのだ。

その爆発の結果どうなるかは、ニュースで見る通りだ。テロ行為や銃の乱射や無差別殺人だ。

こうした犯罪を防ぐためになにが重要だろうか。当然のことながら孤独な人々を作らないことだ。

では、そのためにはなにが必要だろうか。まずは孤独な人を特定することが大事だろう。

孤独な人の特定はそう簡単ではない。おそらく一番いいのは、孤独な人を通報する制度をはじめることだ。

身の回りにいる孤独な人をできるだけ多く当局に通報するのだ。犯罪者予備軍なのだから、プライバシーだの人権だの言っている場合ではない。孤独な人を当局に明け渡すのは、社会を救うことなのだ。

また、スマホのアプリを開発してもいいかもしれない。スマホのカメラを人に向ければ、アプリが孤独かどうかを判定してくれるのだ。80%以上だとスマホが勝手に警察に通報してくれる。

こうした通報を奨励するために、報奨金も出したほうがいい。金額はマムシ駆除と同じ額でいいだろう。

また、一万人以上孤独な人を通報した功労者には勲章を贈るべきだろう。

もっとも、そんなにたくさん通報した人に、友人がいるかどうかはわからないけれど。