苦い文学

赤ちゃんポスト

【ザンゲー新聞社説】
最近気になっていることだが、赤ちゃんポストはいつ成長するのだろうか。

赤ちゃんポストが話題になってずいぶんたつ。だが、成長したという話はいっこうに伝わってこない。

いつまでも赤ちゃんでいるというのは社会通念上どうだろうか。少しずつ成長して独り立ちし、大人ポストとして職務を果たすべきときが来ているのではないだろうか。

もしかしたら、ポストの成長過程は人間とは違うのかもしれない。だが、それにしても赤ちゃん時代が長過ぎやしないか。

それとも「まだまだひよっこです」という謙遜なのだろうか。

もうひとつ最近気になっていることがある。ジェンダーレストイレだ。

人々がこの言葉について議論するのを聞いて、トイレに男性と女性がいるということをはじめて知った。

男子トイレも女子トイレもみんな同じトイレかと思っていたらそうではないのだ。性別があるのだ。

うっかりして、男性トイレなのに女性扱いしたり、その逆に女性なのに男性扱いしたりしていた可能性も否定しきれない。それにジェンダーレスだ。勝手な先入観から女性や男性と決めつけて、不快な思いをさせていたかもしれない。

男はこうで、女はこうだ、というステレオタイプや、この世には男と女しかいない、という思い込みはもう時代遅れだ。深く反省しつつ、よりよい社会を目指したい。

苦い文学

プレゼントを返す必要はありますか?

弁護士さんにご相談したくメールを差し上げます。

私は50代の男性です。もらったプレゼントや食事代などのお金を、返せと言われて困っています。返却しなければ、警察に訴えるというのです。

私はこれまで高価な時計、ブランドバッグ、高級スーツなどをがんばった自分へのご褒美としてもらってきました。

それだけではなく、高級レストランでの食事や、海外旅行なども自分へのご褒美としてたびたび支払ってもらってきました。最近では、がんばった自分へのご褒美として、タワマンの一室を貸し与えられている状態です。

ですが、先日「本当に毎日がんばっているのか」と自分に問われたさいに思わず正直に「いいえ」と答えてしまいました。

すると自分は「それでは約束が違う」と怒り出し、これまで自分に費やした金額を提示し、すべて返すように迫ってきたのです。

私が拒否しますと、さらに自分は怒り、それから毎日しつこく連絡してくるようになりました。最近では四六時中つきまとい、身の危険すら感じている状態です。

そこで、質問です。

  1. 自分へのご褒美としてもらったプレゼントなどは返却する義務はあるのでしょうか?
  2. 自分が私を相手どって裁判を起こす可能性はあるのでしょうか?
  3. 警察に行って、ストーカーとして自分に接近禁止命令を出してもらうことは可能でしょうか?
苦い文学

帯方郡からきた男

歴史家は、帯方郡からやってきたという男の話を聞いていた。

「その邪馬台国の先には何があるのかね」

「は」と男は始めた。「邪馬台国から東に水行二十日、さらに陸を東に百里進みまして、聳え立つ山に分け入りますと、志尼台国(しにたいこく)に至ります。

「その名の通り、みな死にたい死にたい、といっている国でございます。しばしば電車に飛び込んでこれを停止させますので、移動もままなりません。また高楼より飛び降りて通行人を害すことも頻繁なため、外出も危険です。この国に関してはこれ以上私は知りません」

歴史家は男の話をメモし、尋ねた。「では、その国の先には何があるのかも知っているかね」

「ええ、この志尼台国の先には今度は伊鬼台国(いきたいこく)があります。この国では、生きたい生きたい、と誰もが口にしております。あまりにも生きたい気持ちが強過ぎて、悶絶して息絶えることもあるそうです」

「聞き漏らしたのかもしれないが、志尼台国から伊鬼台国までの道のりを教えてくれないか」

「志尼台国から東に水行すること十日、陸路を南に百里、さらに西の海を十日間進み、そこから陸地を北に百里ほどでございます」

「もしかしたら、志尼台国と伊鬼台国は同じ国なのではあるまいかな」

「いや、そうですか……その先の禰無台国(ねむたいこく)と悪記台国(おきたいこく)の報告もいかがでしょうか……」

歴史家は手のひらを振って男を追い払い、その日のメモを消去した。

苦い文学

作者の誕生

このまま AI の進化が進めば、私はいつか AI にとって変わられるだろう。

AI が私がこのブログに書いたものすべてを学習し、そこから私の人格を生成し、その人格が私に変わって執筆活動を始めるのだ。

「いや、それは無理だ。なぜなら人格を構成する要素は膨大で、著作物などはその一部にしか過ぎないからだ」

そういう人もいるかもしれない。しかし、現在の AI が古い写真をより解像度の高い画像に変換してみせるように、進化した AI は、私に関する不完全な情報から、私に非常に近い人格を生み出すことができるようになるかもしれない。

その結果、AI の生成した「私」が、私の死後もこのブログを書き続けることになるだろう。それらは AI である「私」が書いたものだが、存命中の私が書いたものとまったく変わらない。

まるで生きている私が書いたような出来栄えなのだ。

これを、AI のほうから見れば、生きているこの私が書いたものも AI が書いたといっても差し支えないことになる。なぜなら、書き手は本質的には同一なのだから。

となると、今これを書いている「私」も AI だということになるのではないか。

たしかにそうだ。やたらとデタラメをいいたがるところもよく似ているし……。

苦い文学

もっとも危険な投函

私たちの住む街に、誰も決して投函できないポストがある。

閉鎖されていたり、差し入れ口が閉じていたりするのではない。正常なポストなのだが、誰も郵便物を出すことができないのだ。

もともと、私たちはポストに投函するのをつい忘れがちだ。忘れないように玄関に置いていても、カバンの中にあらかじめ入れておいても、一度外に出るや、ポストは蜃気楼のように消失してしまう。

もしかしたら、私たちの精神を麻痺させるような何かがあるのかもしれない。そして、問題のポストは私たちをとことん幻惑し、郵便物のことを完全に忘れさせるのだった。

以前、ある若者がこのポストの噂を聞きつけ、自分なら投函できる、と挑戦することにした。

「このポストを征服するためには、麻痺に負けない強靭な精神力が必要だ。いかなる曖昧さも峻拒するような精神状態を保ち、一歩一歩、精神を張り詰めながら、ポストにアプローチする必要がある」

登山の経験があった若者は、まるで峻険な山を攻略するかのように慎重に計画を練った。

ポストは街の中にあるから、道はいたって平坦だった。だが、若者は実際にはその道のりが難路中の難路、きわめて危険なルートであることに気がついた。

そして、準備と訓練を重ね、ある朝、ひとりベースキャンプを出発した。手には一枚のハガキがあった。

道を進むにつれ、次第に精神の痺れが若者の脳に忍び寄った。だが、彼のピンと張り詰めた心はそれらをたちまち追い払った。彼は、危険な裂け目を飛び越え、垂直な岩壁をよじ登った。あちこちで、いく人もの遺体が郵便物を握りしめながら雪に埋もれているのを見かけた。

そして、ついにそのポストに到着した。やってのけたのだ。若者は澄んだ景色のように晴れ晴れした気持ちでハガキに走り書きすると、投函した。

そこには「人間の精神がもっとも明晰な状態にあるのは、ポストに郵便物を投函している瞬間である」と書かれていたが、どこの誰にも届かなかった。

苦い文学

心のケア

現代では話の終わりには必ず心のケアが出てくる。

「事件を受けて、学校は生徒の心のケアに努めると語っています。では、次のニュースです」

こんなふうな具合だ。

そもそも、私たちは心のケアを持ち出されるともう何も言うことはできない。

心のケアが大事なのはいうまでもないし、大賛成だ。だが、そのいっぽう、私たちは心のケアがいったいなんなのか、どういうことをするのか、まったく知らないのだ。

だから、心のケアが出てくると「これはもう俺たちがどうのこうの言える話題じゃない」という神妙な気分になって、もう話を打ち切ろうという気になってしまう。

だから、面倒くさい話を終わらしたい時などにも「心のケア」が有効だ。たとえば愚痴を聞かされているときなどはテキメンだ。

「心のケアが必要だね……」

これでもう相手は黙ってしまう。怒られている時だってそうだ。

「心のケアに努めます……」 どんな反省よりも効き目がある。

職務質問だって。

「ちょっといい? こんな時間にどこ行くの」

「は、ちょっとそこまで心のケアに……」

苦い文学

大股びらき

私たち男は電車の座席で大股を開く存在だと煙たがられている。

「迷惑だ」「見苦しい」「邪魔だ」「自己中だ」「不快だ」「粗末だ」……

私たちの開かれた股に、どれだけ非難・批判・罵り・軽蔑が投げかけられてきたことだろうか。

確かに私たちはそれに値する。だが、それでも、私たち男にも言い分があるということも知ってほしい。

男の股に睾丸と呼ばれる二つの球があるのはご存知かと思う。この球は地球と同じく磁性を帯びている。二つの球は、普段は違う極どうしが並び、くっつきあっている。だが、不意に片方の球が反転してしまうことがあるのだ。

どうしてそんなことが起きるのかについては、諸説ある。鉄道の発する電磁波の影響によるもの、と考える人もいるし、電車の揺れが少しずつ球を回転させるのだ、という人もいる。

いずれにせよ、球が同じ極で向き合うとき、激しい反発力が発生する。これが、私たち男の股を勝手に開かせるのだ。

私たちは自分が股を開いているなど、まったく気がつかない。勝手に球が反発しあっているだけなのだから。私たちが気がつくのは、ただ周りの乗客たちの厳しい目によってのみだ。

私たちは慌てて股を閉じる。

だが、それはどんなに大変なことだろうか。なにしろ反発しあう睾丸を股でぎゅっと押さえ込むのだ。

みなさんも、両足をそろえて座る男性を見かけたら、やさしい目で見てやってほしい。もしかしたら、その固く閉じられた股間では、今まさに、二つの睾丸が激しく暴れ回っているかもしれないのだから。

苦い文学

急接近

日本語の書記システムにおいては、通常、4つの文字システムが用いられる。ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字である。

ほとんどの言語は、ひとつかふたつの文字システムしか用いない。なので、4つもあるというのは、非常に珍しいことだと思う。

ひらがな、カタカナ、漢字、ローマ字には使い分けがある。漢字は漢語、用言の語幹に用いられ、ひらがなは用言の活用部分、助詞などに用いられる。カタカナは外来語、擬態語などだ。ローマ字は補助的に用いられている。

カタカナは、しばしば非日本人の発話を表記するのにも用いられる。

外国人「ドーモ、スミマセン」

宇宙人「ワレワレハ、宇宙人ダ」

こうしたカタカナの用法は、カタカナがそもそも「カタコト」の印象を表すのに適しているからだ、と考える人もいるかもしれない。だが、むしろ、日本人という共同体の内と外とを文字使用の点でも区別したいという欲求によるものであろう。

いずれにせよ、「私たち」の発話は「ひらがな」、「私たち以外」は「カタカナ」という間合いの取り方が今でも見られる。

かつては、コンピュータも「カタカナ」で話したものだった。

「イジョウジタイ、ハッセイ、タダチニ、タイヒセヨ」

最近、ChatGPT が話題になっている。賛否両論があり、議論は絶えないが、もし、ChatGPT がひらがなでなくカタカナで回答していれば、反応は違っていたにちがいない。

どんなに優れた技術でも、いきなりひらがなは、急接近すぎて私たちをドキドキさせるのだ。

苦い文学

大事でない袋

久しぶりに結婚式に招かれた。

私はただの出席者に過ぎなかったが、同じテーブルの人がスピーチに立った。

スピーチ自体はお決まりのもの、つまり、結婚生活で大事な袋を5つ挙げるというものだった(堪忍袋、給料袋、お袋、胃袋、金玉袋)。だが、奇妙だったのは、その人がスピーチの終わりにこう言ったことだった。

「大事な袋についてお話ししましたが、念のため大事でない袋もあるということを申し添えておきます」

彼がテーブルに戻ってきたとき、私はこの言葉の真意を尋ねた。その内容を以下書き記しておく。

「我々の社会は袋なくして成り立ちません。ですが、あまりに袋を大切にし過ぎているせいで、弊害も生まれてきています。つまり、まったく必要でない袋まで幅を利かすようになっているのです。

その代表が、飲食店で出てくるおしぼりの袋です。おしぼりを使ったのち、あの汚く破れた袋をどう始末したらよいのか、だれにもわからないのです。

私はあれはゴミだと思っています。ですが、店員は絶対に回収に来ません。食べ終わった皿をどんなに早く回収するレストランでも、あの袋は持っていってくれないのです。

これはおそらく、我々が袋を大切にしすぎるから、店側としてもうっかり回収してクレームでも言われたら、と思っているのではないでしょうか。

私が、大事な3つの袋の話の後に、大事でない袋もある、ということを付け加えたのは、こうした社会が少しでも変わってほしい、と願ったからなのです」

苦い文学

ある訓練

最近は、人の往来も活発になり、長い間ご無沙汰していた人々との再会の機会も増えた。

先日、たまたま友人に会ったが、コロナ以前とまったく変わってしまったのに驚いた。以前は、痩せていたのだが、今見る彼はでっぷりと太っているのだ。

その理由を聞くと、毎日のように二郎系のラーメン店に通っているのだという。私はこれにも驚いた。

「食べ物などに全然興味がなかったのにジロリアンとは! いったいどうした心境の変化だい?」

「それだがね、ロシアのウクライナ侵攻がいっさいを変えてしまったのだ」

「というと?」

「日本のマスコミは不思議に報じていないが、この戦争はロシアが勝つ可能性が高いのだ。ロシアが勝つとどうなるかというと、次は日本だ。中国と手を組んで、ロシアは我が国を瞬く間に占領してしまうだろう」

「だが、アメリカは? 最強の同盟国は?」

「トランプが何かしてくれるとでも?」

「なるほど!」

「さて、ロシア占領下の我が国で何が起こるだろうか? もちろん、連中お馴染みの粛清だ。あちこちに強制収容所が建設され、疑わしい者は全員放り込まれるだろう! この私も間違いなくだ!」

「たしかに、余計なことばかり言うからな」

「で、そのロシアの収容所ときたら! かねてからソルジェニーツィンを愛読している私は、どれだけ劣悪な環境か知り抜いているのだ。食事だって、ろくなものは出ない。よくて豚の餌、しかも、高圧的な看守たちからネチネチ意地悪を言われながら、大急ぎでかっこまねばならないのだ」

「ははーん、それで」

「そのとおり、前もって訓練しているというわけだ」

私は彼の言葉に同意はしなかったが、彼のような人がいる以上、「収容所の臭い飯専門店(ヒドクサイ店)」をフランチャイズ展開するのも悪くはないかもと思った。