苦い文学

不徳

私は犬を飼っている。マンション暮らしなので、たまには自由に走らせてやりたくて、車に乗せてドッグランに連れて行った。

その日は日曜の昼だというのに、奇妙にもほかに誰もいなかった。人の吐息のような湿気のある空気が立ち込めていて、私はしきりに汗を拭った。

それでも犬は元気に走り回っていたが、不意に私のところに怯えて逃げ込んできた。ドッグランのスタッフが大きな黒犬を連れて入ってきたのが見えた。

私は、震える犬を撫でながら、自分自身も得体の知れない不安を感じた。そして、スタッフのほうに再び目をやったとき、彼が連れているのが犬ではないことに気がついた。

それはシェパードほどもある黒い軟体動物だった。

スタッフは私に近づいてきた。その生き物も身をくねらせながらその脇を進んできた。私はとっさに犬を抱き上げた。その生き物はおぞましかった。

「すいません。今日はもう閉園です」と彼は言った。

私はうなずき、彼が連れている「もの」について尋ねた。

「ああ、これはフトクです」

「フトク?」

「ええ、急に訓練しなくてはいけなくなりまして、申し訳ありませんが……」

相手の態度に非日常的なところがなかったせいか、私は好奇心が湧いてきた。

「そのフトクとはなんなのですか? はじめて見ました」

「ああ、まともな人なら見ることはありませんよ。これは、不徳の致すところの不徳です」

「不幸の不に徳川の徳の?」

「ええ、ときどき不徳が不始末をしでかすので、飼い主の方が訓練してほしいと」

私は理解した。「つまり、不徳の致さぬようにしてくれと」

スタッフは笑った。私はその笑い声を聞きながら、犬を抱いて足早にドッグランを立ち去った。「私の不徳の致すところ」とは、こう言う人間にとってみれば「私の犬がやったこと」と言うのと変わらないのだ、という事実に驚きながら。

そして、あのおぞましい生き物がいかに哀れかと気がつき、自分の犬をいっそう抱きしめた。

苦い文学

奇跡

先日、映画館に行ったら、観客席で車椅子の人と男の人が言い争っていた。

二人とも興奮しているので事情がよくわからなかったが、どうやらこういうことらしい。

観客席には車椅子の人が鑑賞できるようなスペースが設けられている。それは観客席の中央にあり、その前は通路になっている。

立っている男はチケットを予約するとき、前が通路の席にしたいと考えていた。というのも、前に座席がないし、足を伸ばせるからだ。

だが、その日のその回は通路前の席はいっぱいだった。そこで、彼は車椅子のスペースの後ろの席を取ることにした。車椅子の客が来なければ、少なくとも前は開いていることになるからだ。

だが、劇場に入ってみると、車椅子の客がいるではないか。そこで彼は車椅子の客が車椅子いらずになるようにと念じに念じた。

すると、奇跡が起きた。車椅子の客がいうには不思議な直感に動かされたということだが、気がついた時にはすっくと立ち上がって、歩き出していたのだという。

彼はそのままポップコーンを買いに行き、戻ってくると、当然のことながら車椅子に座った。これが男の気に食わなかった。

「歩けるようになったのに、車椅子にまた座るのはおかしい!」

口論が始まった。「おかしい」「いや、おかしくない」「普通の座席に座れ!」「いや、この席を私は予約したのだから動かない」

業を煮やした男が、車椅子の客を押し除けて自分が車椅子に座ろうとしたところで、警備員に摘み出された。

このできごと以来、私は奇跡を信じるようになったが、同時に奇跡を信じなくもなった。

苦い文学

日本版DBS

【ザンゲー通信 記者の論点】
教師による子どもたちへの性犯罪が後を絶たない。

学校だけではなく、学習塾も性犯罪の舞台となった。被害にあった子どもを思うといたたまれない。

このような状況で、我が国でも「日本版DBS」の論議が活発になっている。「日本版DBS」とは性犯罪歴のある人物が学校などで働けないようにするシステムだ。

だが、「DBS」は性犯罪を完全に抑止するわけではないことも指摘されている。というのも、これから新しく性犯罪を犯そうと教職についた「まだ見ぬ性犯罪者」については防ぎようがないからだ。

また、教師による性犯罪の増加も問題だ。この調子だと、たとえ「日本版DBS」が開始されたとしても、もう登録も追っつかなくるのではと懸念されている。

しかも、増加率を考慮に入れると、やがては教師全員登録という事態にもなりかねない。

もっとも、そのときには子どもに対する性犯罪はゼロになっている可能性が高い。というのも、もはや我が国には子どもはひとりもいなくなっているはずだから。

苦い文学

「せよ」の魔力

私たちは「しろ」といわれても絶対にしない。なぜならとても失礼だからだ。

だから、「して」とか「してください」とか「しなよ」とか「しろって」とか、他にもたくさんあるが、こういうふうに言われてはじめて、私たちは「しようかナ」とか「するか」という気分になる。

そのいっぽう、奇妙なことに私たちは「せよ」にはまったくそんなことを感じない。

「せよ」も「しろ」も同じ「する」の命令形なのに、「せよ」と言われても、不愉快にはならないし、それどころかただちに「する!」という気になってしまうのだ。

ある調査によれば、小学校男児30人に「勉強しろ」と言ってみたところ、勉強したのは3人だったのに対して、「勉強せよ!」といったら、28人が勉強をはじめたそうだ。

どうやら「せよ」には不思議な力があるようなのだ。この力ゆえに、私たちは次のような文句をよく目にすることとなる。

「この夏、3Dを体験せよ!」
「新しいポケモンをゲットせよ!」
「次なるミッションをクリアーせよ!」

こういう文句を見るたびに私たちは興奮気味に「する!」と立ち上がるのだ。

とはいえ、注意していただきたいこともある。それは「せよ」の魔力は、男の子か、未熟な成人男性にしか効かないということだ。

女性にはまったく効かない。

苦い文学

うわさレベル

「うわさレベル」という言葉が話題になっています。うわさの「レベル」とはどんなレベルなのでしょうか。さっそく調べてみました!

うわさレベルには0から7までの8つのレベルがあるそうです。ひとつひとつ見てみましょう!

うわさレベル0:まったく聞いたことのないレベルです。例えば、無関係の人々ですね。

うわさレベル1:うわさがあるとかすかに聞いたことがあるレベルです。練習生のレベルですね。

うわさレベル2:うわさを一度くらいは聞いたことがあるレベルです。所属するとこのレベルかも。

うわさレベル3:うわさを一度ならず何度か聞いたことがあるレベルです。関係者のみならず、たいていのマスコミ・メディアはこのレベルで、見て見ぬふりですね。

うわさレベル4:うわさをはっきり聞いたことがあるレベルです。内部のスタッフはこれで決まり!

うわさレベル5:うわさが真実であると確信しているレベルです。ここまできたらもう共犯者?

うわさレベル6:もう「根も葉もないうわさだ」と否定しているレベルです。守るのに必死なレベルですね!

うわさレベル7:「まずい噂が流れている」とおののいているレベル。間違いなく張本人のレベルです!

うわさレベルはこんなにあったんですね!

今回は「うわさレベル」について調べてみました!

「うわさレベルで知っていた」と誰かが言うとき、それがどのレベルなのかをしっかり判定することが大事ですね!

苦い文学

多様性推進局

「多様性は国家の原動力である。国民の多様なあり方が認められる社会であれ」

こう書かれた額が掲げられているオフィスで、私が担当しているのは多様性申請の受理だ。

それはなかなか大変な仕事だった。朝8時半にはオフィスの前に申請者が詰めかけて押し合いへし合いしているのだ。

もっとも、それも無理はなかった。多様性申請が認められないと、就労や給与の点で非常に不利になるのだから。

私はさっそく申請者への対応に取り掛かった。

多様性サービス係に連れられて、今日最初の申請者が前に座った。渡された申請書をざっと見る。「多様性申請の理由」に「同性愛者」と書いてある。

私は彼・女に言った。「あー、同性愛者ですか。残念ながら、これでは通らないですよ。お帰りください」

「そんな、同性愛は認められないのですか」

「ええ、残念ながら」

「多様なあり方を認めるというのに?」

「ええ、我が国にもうどれだけ多様な同性愛者がいると思っているのですか」(申し訳ないが私はもうこの申請者にうんざりしていた。)

「ですが、同性愛者の私は差別されていますよ!」

「ええ、それはあなたがただの同性愛者だからです」

「ただの? ただのってどういうことです?」

「多様な同性愛者があまりにもいらっしゃるので、ただの同性愛者は認められる可能性が低いのです。なぜなら少しも多様性に貢献しないので。では……」

と私が切り上げようとすると、申請者は慌てて引きとめた。

「ちょっと待ってください。私だってただの同性愛者ではありません。こんな経験も、ほら、こんなことも……」

そうやって彼・女は、自分の特別な点を数え上げ、実演してみせた。だが、どれもこれも私がもう何千回も他の申請者たちから見聞きしたものだった。

私はもう耐え難くなった。デスクの下のボタンを押し、多様性サービス員を呼び出して、この申請者を排除してもらった。

おそらく、彼・女はまた来るだろう。この社会に数少ない多様性を引き当てて「ただの同性愛者」ではないということを証明するまで、何度でもやってくることだろう。

苦い文学

汚染人

私たちは長い間、汚染水とともに生きてきました。

汚染水の産湯をつかい、汚染水で割った粉ミルクを飲み、汚染水で煮炊きしたものを食べ、汚染水の海で泳ぎ、汚染水で排泄物を流し、汚染水のスーパー温泉に通い、末期の水まで汚染水、といった具合で、汚染水にどっぷり浸かった暮らしを営んできたのです。

人々は私たちを蔑み、恐れました。憎しみのあまり、いっさい店に入れぬと張り紙した料理屋もございました。迷惑電話もじゃんじゃん鳴り響きました。いつしか人々は私たちを汚染人と呼ぶようになりました。

汚染人!

今までこのような不名誉な呼ばれ方をした人間たちがあるものでしょうか。私たちはがっくりと肩を落とし、この世界のもっとも暗い地点でひっそりと生きていこうと決心したのでございます。

そんなときです。あの方が現れたのは。そのお方は神々しい光をまとい、私たちにこう告げたのです。

「聞きなさい。そして、こうべをあげ、胸を張り、涙を拭いなさい。私はあなたたちが二度と汚染人と呼ばれぬために来たのである。なぜなら、私が来たことにより、この瞬間から先、世界が滅びるまで、汚染水は処理水となったのだから。さあ、行くがよい、処理人よ」

私たちは快哉の叫びを上げました。もはや私たちは汚染人ではない。処理人だ! なんとうれしい知らせでしょうか。

そして、この記念すべき時以来、処理人は世界中に広まり、富み栄えております。

苦い文学

キャップ

9月7日の記者会見はまさに歴史的なものであり、会見が始まったその瞬間から、1日以上経った今でも多くの人が意見や感想、あるいは批判をメディアで表明している。

そして、まさにその会見にたまたま立ち会っていたこの私もやはり自分なりの見解を記すべきだと思う。

会見に臨んだのはひとりの女性と二人の男性であった。女性のほうは髪が長く、男性たちはこざっぱりとした身なりであった。

ただ一点、変わっていたのは3人ともキャップをかぶっていたことだった。

まず女性が沈痛な顔つきで語り始めた。

「私たちはキャップをこよなく愛する仲間たちの代表としてこの場に来ています。今、私たちは大きな危機に直面しております」

この後を男性が引き継いだ。

「キャップは野球選手と野球好きの子どもがかぶるものであり、いい大人がかぶるものではないとされてきました。

「かつては『大人でキャップをかぶっているのは、野球選手か変質者に決まっている』などと心無いことを言われたものでした。ですが、私たちは立派な大人でもキャップをかぶれる、かぶったっていいんだ、ということを身をもって示してきたのです。

「最近では偏見もだいぶなくなり、うれしいことに大人でもキャップをかぶろうというかたがずいぶん増えているようです」

そしてもうひとりの男性がマイクを取った。

「そんな時に何でしょうか。人類史上、もっとも愚かな性犯罪者がキャップをかぶっている写真がメディアで大々的取り上げられているのです! テレビ、雑誌、ネットでさんざん繰り返され、善良なる市民、とくに子どもたちに偏見を植え付けています。大人でキャップをかぶるのは変質者でもなんでもない、と偏見をなくすべく頑張ってきた私たちの努力が水の泡です。

「メディアのかたにお願いしたいのは、いますぐあの写真の使用を停止してくださいということです」

この要望ののち、質問の時間が設けられたが、質問する記者はひとりもいなかった。というか、記者たちみんなとっくにいなくなっていた。

3人は無念の表情を浮かべていたが、この問題もまた日本のマスコミが真面目に取り上げるには30年ばかり早すぎたというべきであろう。

苦い文学

レトルト効果

今世紀最大の発見といえばレトルト効果だろう。時間の多元性が明らかになったのだ。

平たくいえば、私たちの世界には複数の速度の違う時間が流れているということだ。これは歴史的な大発見だが、実にささいな日常的な経験から導き出された事実でもある。

みなさんはこんな経験はないだろうか。

レトルト食品を買いしばらく放置したのち、その存在を思い出し、慌てて賞味期限を見る。すると、賞味期限切れまで、例えば、あと2ヶ月ある。あなたはまだまだ時間はあると思って再び放置する。だが、次にその存在を思い出すのは、例えば、4ヶ月後、つまり賞味期限を2ヶ月も過ぎたあとなのだ。

どうしてこんなことが起きるのだろうか?

この問題に取り組んだのが、都内在住の物理学者、吉田六郎さんだ。レトルトカレー好きの吉田さんは、何度も実験を繰り返し、ついに以下の事実を明らかにした。

1)レトルトを中心に時空が歪んでおり、そのレトルト空間では時間の流れが遅くなる。それゆえ、レトルトの時間感覚で2ヶ月も経っていないと感じていても、実際には4ヶ月も経過しているのだ。

2)レトルト空間の時間の流れの遅さを利用すれば、未来への旅が可能となる。これがレトルト効果だ。

3)さらなる実験の結果、レトルト効果の大きさは、レトルトの大きさに比例することがわかった。

そこで、吉田さんはレトルト効果の実用化に打ち込み、ついに1年で10年先に進むことのできる巨大レトルトを開発した。

吉田さんはこう語る。「このレトルトでは、まだまだ賞味期限が1年あると思っていると、次に発見するのは10年後ということになります。ですが、実はレトルト内では1年しか経っていないのです」

さっそくレトルト内で1年過ごすパイロットが選ばれ、先日レトルト内に密封された。いよいよ密封というとき、吉田さんは、この時空の旅人にこう語りかけた。

「では10年後の世界でお会いしましょう。もっともあなたはひとつしか年をとっていないはずですが」

私たちもこの実験に興味津々だが、そのいっぽう吉田さんがレトルト密封後、何気なく漏らした「肉がゴロゴロ入ってる」のほうが気になっている。

苦い文学

ギターの力(4)

ギターのストロークはもはや目に見えないほどの速さに達していた。その激しい演奏とともに若者たちの歌声とも叫びともつかぬ声が反復しながら続いていた。手を繋ぎ、抱き合っていた男女たちは、再びひとりに戻って、頭を振り、手を振り上げていた。

助手が博士に叫んだ。「危険域に達しています! 直ちに介入すべきです!」

「やむない!」と博士は苦渋の決断をすると、会場の人々に向いて厳しい顔で語った。

「少し予期せぬ事態が起きましたが、まもなく元どおりになります」

だが、そのとき、会場から悲鳴が上がった。モニターの中で、ギターを若者から奪おうとした助手が弾き飛ばされたのだ。博士は振り向いてモニターを見た。いまやギターは暴走を始め、若者たちを恐ろしい歌の世界に引きずり込もうとしていた。

ギターの恐ろしい轟音が、若者たちの口から狂った歌を生み出した。

「人間なんてラララーララララーララ、人間なんてラララーララララーララ、人間なんてラララーララララーララ」

博士は飛び上がった。「いかん、ジャンボリー化が始まった! こうなったらもう止める手立てはない! みなさん、ただちに退避してください!」

凄まじい叫びと混乱が始まったが、博士はそれにかまわず壇上を去り、地下通路を通って、キャンプ場に走った。

助手がすがりつく。「博士! 危険です! もう私たちには手が負えません」

「弦を切ればなんとかなるかもしれん!」

「ですが、それでは博士の命が!」

「この力を目覚めさせた者が責任を取らねばならぬのだ!」

博士はニッパーを片手に若者たちの輪の中に飛び込み。ギターに手をかけ、弦を切った。閃光が走る。そして、巨大な光が生じ、すべてを飲み込んでいった。

光が消え去った後に残されたのは、一面の焼け野原。そこをさまよう人々は、どこかで「禁断の遊び」が鳴り響いているのを聞いたような気がした。