苦い文学

千葉の熊

「千葉県は最強の県なのです」と語るのは吉田九郎さん。「美しい海もあれば峨々たる山もあります。海産物も野菜もないものはありません。東京ディズニーランドと成田空港がある県などほかにあるでしょうか。ですが」と声を曇らせます。

「最近、千葉に欠けていることが明らかになりました。それは熊です」

千葉県には熊がいないのは、関東平野に囲まれ、利根川で本州と切り離されているという地理的な要因によるものだとされています。

「そうだとしても、最強の県に最強の動物がいないっておかしくないですか?」 吉田さんはこう問いかけて笑います。

他県で熊のニュースが流れるたびに悔しい思いをしていた吉田さん、千葉を熊の住む県にするため、いくつかのプロジェクトを立ち上げてきました。熊の千葉県移住を促進するウェブサイトを制作したり、利根川に鮭を放流してみたり……ですが、どれもうまくいきませんでした。

すっかり手詰まりになった吉田さんにある日名案が浮かびます。「そうだ、熊になろう、と。ええ、熊を連れてこようという発想がそもそも間違っていたのです。『いないなら私がなろうツキノワグマ』 戦国武将の発想です」

現在、吉田さんは、千葉の山奥で黒い毛布をかぶってひとりで暮らしています。

「日を追うごとに自分が熊になりつつあるのを感じています。ガオー」

千葉の熊第1号が人々を襲いはじめるのもそう遠くないことかもしれません。

苦い文学

終わりの始まり

ニュースで誰かが預言者よろしく「これは終わりの始まりといえるでしょう」と語ったとき、私たちはその空虚な響きに驚愕した。

「終わりの始まりだと!」

私たちはどんなに頑張っても、この「終わりの始まり」を否定もできなければ、偽だと暴くこともできなかった。

「終わりの始まり」……終わったと言いきっているわけでもない。と同時に、なにか別のことが始まったとも主張しているわけでもない……いや、それどころか、なにひとつ言っていないのだ!

なぜなら、どんなことだって始まったからにはいつか終わるのだから。つまり、なにかの始まりとは、すでにしてなにかの終わりの始まりなのだ。そして、なにかが存続するかぎり、終わりの始まり状態が続く……。ああ、「終わりの始まり」とは終わらないということだ!

なんと禍々しい言霊だろうか。この言葉を使う者は絶対に正しく、だれひとり反論できない。もう無敵なのだ。まるでこの語句には真実という頼もしい味方がついているかのようだ。

このような言葉を許してもいいものだろうか? 「徹底的にこの言葉に抵抗しよう!」私たちはついに立ち上がった。終わりの始まりの終わりの始まりのために……。

苦い文学

男たちの責務

お正月だから、変わったところに行ってみようと、スーパー銭湯に行った。浴場内にはいろいろなお風呂がある。まず、泡風呂に入ってみた。

底から湧き出る泡に打たれていると、腹の出たのと痩せたのとの二人連れが入ってきた。足を湯に入れながら、痩せたほうがこう言った。

「社長、そういえば、お子さん元気ですか」

すると腹の出たほうが「ああ、元気元気、毎日サッカーばかりでさ、男の子だね」

私は泡風呂を出て、外の露天風呂に行った。茶色い湯で体にいいらしい。しばらくすると先ほどの二人がやってきた。貧相なほうが足を突っ込みながら太ったほうにこう言った。

「そういえば、社長、お子さんいらっしゃいましたよね」

「うん、娘。最近じゃ、お父さんイヤって、まったく女の子はむずかしいや」

次に私はつぼ風呂に入り、再び室内に戻って電気風呂と炭酸風呂に入った。それからひとつ「ととのう」とやらを体験してみようとサウナに行ってみると、あの二人が先にいて、私が室内に入るとこんなことを話しだした。

「社長、なんでも最近、お子さんが生まれたとか。おめでとうございます」

「ありがとう。初めての子だからもうかわいくって」

浴場を出て、脱衣所で体を拭いていると、あの奇妙な二人もやってきた。そして、同じような会話をいくども繰り返すのだった。「社長」はそそくさと着替えおわると、ひとりでさっさと外に出ていった。痩せたほうはといえば、社長が残していったタオルを片付けているのだった。

私はもう好奇心を抑えきれなくなり、彼に話しかけた。そして、何度も子どもの話をしていた理由について尋ねた。

痩せた男は慇懃に答えた。「ああ、あれは当館独自のサービスでして、他のお客様のいるところでは、必ずああいった会話をするのでございます。見た目は控えめでも、ちゃんと責務を果たしているぞ、というアピール、これがあるとずっと銭湯も楽しくなるのに、という切なるご要望が、ささやかなモノをお持ちのお客様から多々寄せられまして、ええ、じっさいにお子様がいらっしゃらなくてもご利用可能です……」

苦い文学

弟橘媛

お正月は千葉県内房の舞浦に遊びに行った。

なんにもないところだが、漁村らしい古い町並みがそこここに残っていて、まるで『男はつらいよ』に出てきそうだった。港近くの土産物屋で干物を買い、食堂で新鮮な魚を味わった。

近くに舞姫神社という古い神社もあり、せっかくなので初詣にと寄ってみることにした。参拝者の列に並んでお参りを済ませ、境内をぶらぶら歩いていると、天女のような石像がある。「弟橘媛(おとたちばなひめ)」と刻まれていて、その脇の案内板にこんなふうに書かれていた。

「その昔、相模から上総に渡ろうとした日本武尊が、嵐に襲われ海上で立ち往生していたところ、その妻の弟橘媛が海神を鎮めるために、入水しました」

「その後、弟橘媛の袖が流れ着いたのが袖ヶ浦、衣服が流れ着いたのが富津(古くは布流津)、その腰巻きが流れ着いたのがこの舞浦です(古くは巻浦)。また、日本武尊が妻を偲んで詠んだ歌《君さらず袖しが浦に立つ波のその面影をみるぞ悲しき》の《君さらず》が木更津・君津の由来になったと言われています」

「舞浦市民有志は、尊い命を自ら絶って日本武尊を救った弟橘媛を記念して、寄付により、令和5年3月にこの像を建立しました」

そして案内板の末尾はこんなふうに締めくくられていた。

「*厚生労働省や自殺の防止活動に取り組む団体は、嵐を鎮めたいときは自分だけで解決しようとするのではなく、専門の相談員に相談することを呼びかけています」

苦い文学

経済回せ!

「経済回せ!」が私たちの合言葉。それこそが、この停滞しきった日本を甦らせるたったひとつの方法だ。

経済が回れば、金が動き、人々が潤う。金が血のように日本全体をめぐり、私たちに生命を与える。

だが、経済をどうやって回せばいいのだろうか? 「そもそも経済が回るものなどと知らなかった!」 こんなふうに叫ぶものすらいるありさま。

有名な経済学者が提案した。「経済を回すには富裕層の力がどうしても必要だ。なぜなら、経済を回すには経済力がモノを言うからだ」

私たちは富裕層に頼み込み、その力を借りて回すべき経済の開発に打ち込んだ。そして、それはついに完成した。経済を回す時がやってきたのだ。

私たちは管制センターに陣取り、モニターに映された巨大な構造物を注視した。準備万端だ。秒読み開始!

10、9、8……。エネルギーが満ち、経済機構がうなりはじめる。5、4、3……経済指数が限界まで上昇する!

2、1、回せ!

ミシミシと地響きを立てて経済が動き始める。回った! 成功だ! 私たちは歓声を上げ、互いに抱き合った。

そして、回り出した経済は私たちをバリバリと巻き込み、富裕層以外のすべての人々を挽肉にすると、どんな災害よりも激甚に日本を破壊して、海の底に転げ落ちていった。

苦い文学

パワーストーン(2)

「賢者の石?」 友人は酔いが覚めたようだった。「無限の富と不老不死をもたらすという?」

「そのとおりです。私はこの石だけが欲しいのです。私は賢者の石を作る資金が底をつくと、こうやって石を売り歩くというわけです」

「しかし、賢者の石はヨーロッパのものでは?」

「ああ、賢者の石に国境はありません。日本でも十分可能なのです」

「それは知りませんでした」 友人の口調が丁寧になったのに私は気がついた。

「じっさい、この日本でも賢者の石の存在することが古くから言い伝えられてきたのです。賽の河原の伝承はご存知ですか」

「ええ、三途の川の河岸で、子どもたちが石を積み上げていると鬼がやってきて崩す、という話ですね」

「その物語には、日本における賢者の石の謎が隠されていたのです。つまり、子どもたちとは私たち人間です。そして石を積み上げるプロセスそのものは……」

「賢者の石の生成過程だと。だが、鬼がこれを崩してしまう、これはいったいなんなのです」

「ええ、そこが問題なのです。私は当初、石を最後まで積み上げることが賢者の石の完成を意味し、鬼とはそれを妨げるものだと考えていました。そこで、この鬼とはなにか、そしてその鬼を排除する方法を長い間探し求めていたのです。ですが、これはまったくの間違いでした。鬼が石を崩したのち何が起きるか、ご存知ですか」

「もちろん」と友人は震える声で答えた。「地蔵が現れて子どもを救うのです。では、賢者の石とは……」

「そうです。地蔵です。地蔵とは《大地の宝蔵》を意味する言葉です。地蔵こそ最強のパワーストーンだったのです」

しばしの重い沈黙ののち、友人が口を開いた。その声には興奮があった。

「では、どうやってその地蔵を手に入れるのです」

「ああ、そのためにはいくらお金があっても足りないということ以外、お教えできません。私は象徴でもって語りました。お話しできるのこれだけです……とんだ無駄話をいたしました。そろそろ店じまいとしましょうか」

「そんな! 資金難とおっしゃっていましたね。どうか私に支援させてください」

友人の懇願にもかまわず、老人は並べられた商品を片付け始めた。机の下から箱を出し、ひとつひとつ仕舞っていく。

そのとき、罵声が響き、私と友人は強い力で突き飛ばされた。いかつい男たちが机につかみかかってひっくり返した。パワーストーンはきらきら輝きながら地面に散り、あちこちに転がっていった。「誰に許可もらってここで商売してんだ!」 男たちは老人を投げ飛ばし、その懐から、売り上げとおぼしき金銭を掴み取った。

私たちは大慌てで立ち去った。そして、賢者の石を手に入れた老人が、いつかこれらの鬼たちを懲らしめる日が来るようにと祈った。

苦い文学

パワーストーン(1)

夜通し酒を飲み、友人たちと初詣に出かけたら、屋台がいろいろ並んでいた。「お、こりゃなんだ」と酔っ払った友人がそのうちのひとつに目をつけた。それは小さな机だけの店で、「開運! パワーストーン」と書かれた紙が貼ってあった。

覗いてみると、キラキラした石でできた小物が並んでいる。友人は水晶とローズクォーツのブレスレットを指差し、説明書きを読んだ。

「金運・財運のブレスレットか。そしてこっちは」とネックレスを指した。「厄除け・健康・開運をもたらすラピスラズリとタイガーアイの希少品、だとさ」

こうつぶやきながら友人は、この小店の主人をじろじろ見た。くすんだ防寒着に、穴の開いた手袋、毛玉だらけのニット帽のくたびれきった老人で、しきりと鼻を啜り、顔色も悪かった。友人は頭を振りながら主人に尋ねた。

「金運だ開運だなんだいうが、おじいさん、嘘じゃないの? ほんとだったら、こんなところで石売ってるわけなんかないよね」

私はひどく困惑した。友人は酔うといつもこうなのだ。すると店の人はこういった。

「ええ、その通りですね。どうして私が元旦からこんな寒いところでこんな商売をしているかというと」と、彼は裾を捲り、痩せた手首を見せた。そこにはパワーストーン・ブレスレットがいくつも巻きついていた。

「これらが私にもたらしてくれるどんな金運も追っつかないほど浪費してしまうからです。それで、しかたなく、こんなことをしているのです」

「じゃあ、その無駄遣いをやめりゃいいんじゃない」と友人はさらに絡んだ。

「ああ、いまさらそれは無理です。なにしろもう気の遠くなるような長い年月、続けてきたのですから。それに、じっさい、あと少しで完成しそうなのです」

「なにがさ」

「賢者の石です」

友人は一瞬かたまった。

苦い文学

自然の不思議な摂理

自然というものはまったく不思議だ。枯れ葉のように見える虫や、目のような模様で天敵を威嚇する蝶などはどのように進化したのだろうか。私にはどうも、神のような知性を想定する「インテリジェント・デザイン説」が正しいように思える。

最近、赤ん坊の泣き声に関する研究が公表されたが、これなどもまさしくインテリジェント・デザイン説の新たな証拠となりそうだ。

どんな研究かというと、赤ん坊の泣き声と逆の位相をもつ音波の生成がそのテーマだ。わかりやすくいえば、赤ん坊の泣き声のノイズキャンセリングだ。

さまざまな実験が行われ、ついに赤ん坊の泣き声を打ち消すにもっとも適当な音声が明らかになった。それが驚くなかれ、男性高齢者の怒鳴り声であったのだ。

私たちは公共施設や電車の中で、赤ん坊の泣き声にイラ立って怒り出す男性高齢者にしばしば出くわす。じつはこの高齢者の行動はノイズキャンセリングとして最適であったということになる。

もちろんのこと男性高齢者は自分の声にそのような機能があるとは思っていない。ただ怒り狂っているだけなのだが、結果として逆位相の音声が生じノイズキャンセリングとなっていた。まさに自然の摂理というべきではなかろうか。

もしかしたら、イラ立つ男性高齢者の不機嫌な顔、恐るべき無慈悲さ、偏屈ぶりなども、知性ある存在がこしらえたデザインかもしれない。私たちは自然の不思議に感嘆せずにはいられないのだ。

苦い文学

駅の階段での祈願

駅のホームから改札口に上がる階段は、上り優先部と下り優先部とに手すりで分けられていて、たいていは下りのほうが幅狭になっている。

私たちの乗った電車がホームに止まる。私たちはどっと降り、改札口に上がろうとする。しかし、降りた人が多すぎて、一度に階段に入りきらず、階段の前で列ができる。列はノロノロとしか進まないが、私たちはじっと耐えている。

ところが、私たちのノロい列のとなりで、階段をすいすい上がっていく人々がいる。あろうことか下り優先部を駆けあがっているのだ。

列に並ぶ私たちはじっと堪えながら、これらの無法者が次々と追い抜いていくのを見上げる。憎しみをむき出しにしながらこう呟く。

「なんで駅員たちはこうした連中を取り締まらないのか!」
「奴らにとってルールなどなんの意味もないのだ」
「生来の犯罪者だ!」

そして、駅とホームの神々に祈願する。「どうか降りる人を出現させて、これらの不届き者を懲らしめてください!」 だが、いつまで待ってもだれ一人降りてこない。その間にも、犯罪者どもはどんどん上にいってしまう。私たちがまだ階段の一段目にもたどり着いていないというのに!

私たちはついにこう考え出す。

「あいつらのようにしたってなにが悪い? 駅員どもも何も言わないじゃないか」
「そうだ。こんなところでくすぶっているくらいならば、俺たちだって!」

私たちは意を決して、もはや一歩も進まなくなった上りの列を離脱する。そして、下り優先部の下部に立つや、一気に駈けあがる。

だが、そのとき、突如として降りる人々が出現し、蹴散らされた私たちはホームの下に転落する。

苦い文学

小数点以下の子どもたち

内閣は新しい少子化対策担当大臣に、日本一のバカを任命した。これまで頭の良い人々がなにをやっても成功しなかったので、逆の人に担当させてみたらうまく行くのではないかと考えたのだ。

バカで新しい少子化対策担当大臣は、就任にあたって次のように述べた。

「日本は世界でももっとも少子化が進んでいる国のひとつです。現在、日本の出生率は、1.26 %と過去最低を記録しています。これは、1 と 0.26 の子どもしか生まれないということです。このままでは日本がなくなってしまうので、私は全力をかけてこの問題に取り組みます」

そして、次のようなバカで骨太な政策を掲げた。

「任期中に、出生率を 2 %にまで上昇させることをお約束します。現在の 1.26 %のうち、課題なのは、0.26 という小数点以下の子どもたちです。これらの 1 に達しない子どもたちが、1 になったら、間違いなく出生率は 2 %になります」

さっそく大臣は、0.26 の子どもたちの支援を始めた。0.26 が 1 になるようにするのは非常に大変だった。教育も大事だし、家庭環境の改善も重要だ。所得も上がる必要がある。医療と福祉の果たす役割も不可欠だ。0.26 の子どもたちが、すこしでも 1 に近づけるように、大臣はさまざまな政策を実現していった。

バカな大臣のバカな政策だったが、不思議と出生率は上がりはじめている。