苦い文学

読書灯の悲しみ

飛行機に乗るたびに、私は暗い気分にならずにはいられない。機内の読書灯たちの悲しみを思うと、どうしてもそうなってしまうのだ。

昔は、人々は飛行機の中で本や雑誌を読んだものだった。そして、そのために設置された電灯、つまり読書灯を遠慮なく活用したものだった。

だが、時代は変わった。今や、人々は本など読みはしない。機内では映画を楽しむこともできるし、スマートフォンがあれば、動画や読み物にはこと欠かない。そして、これらのデバイスに読書灯は不要なのだ。読書灯たちは、携帯の動画や機内エンターテインメントに夢中になっている乗客たちを見て、どんな思いでいるだろうか。

「いや、私は読書家だ」という人もいるかもしれない。だが、はたしてこの読書家たちに、機内で読書灯をつける勇気がおありだろうか? それぞれの画面を見つめる人や、眠っている人、眠ろうとしている人のただなかで、自分だけ読書灯をつけ、無作法なまでに眩しい光で周囲の人々の安寧を妨げる胆力がおありだろうか? もちろんないに決まっている。悲しいことに、本の虫は弱虫でもあるのだ。

白状してしまえば、この私だって、そんな勇気はないのだ。ただ、暗闇の中ひとり座り、持ってきたが決して取り出すことのない本のことを思いながら、いつしか眠りが訪れるのを待つしかない。せめて、夢の中で本を開くことができると期待しながら……。

そして、今、酷寒の空で、悲しみを抱きながら沈黙している読書灯たちもまた、生まれたての太陽のように輝いてくれることだろう。

苦い文学

トワイライトゾーン

飛行機には、必ず魔の存在がいて、人間に悪をなすので、用心したほうがいい。私は子どものころ、トワイライトゾーンというドキュメンタリー映画でこの事実を知った。その映画では、機内の窓から外を見た男が、魔物が翼を破壊しようとしているのを目撃してパニックになった、という実話が報告されていた。

この映画のせいもあり、私は飛行機に乗るときは、魔に魅入られないようにおさおさ用心おこたりなく過ごしている。しかし、気の緩みでもあったのだろうか、ベルリンに向かう飛行機で私はついに恐ろしいものを見てしまったのだった。

機内で私は通路側に座っていたのだが、通路を挟んで数列前にひとりのおじさんが座っていた。私の席は、そのおじさんの背中と後頭部がよく見える場所にあった。

それは真夜中、つまり機内の電気はすべて消され、誰もが眠っている時間に起きた。私も寝ていたのだが、どうしたわけか目が覚め、ただぼんやりと前を眺めていた。そのとき、私は前のおじさんが奇妙な動きをしているのに気がついた。

おじさんは備え付けのブランケットを相手に格闘しているのだった。初めは体に巻き付けようとモゾモゾしていたが、それはすぐにだらりと床に垂れ下がってしまうのだ。おじさんはそれを引き上げて、マフラーみたいに首に巻こうとした。そこで固定して下に垂らせば全身を覆えるという計画だった。それはうまくいったかに思えたが、それも束の間ブランケットはハラリとほどけて、すべて下に落ちてしまった。

それからもおじさんはあれこれ試すがどれもうまくいかない。それほどまでにブランケットで体をすっぽりくるんで安眠したかったのだ。私は半ば眠りながらその様子を見ていたのだが、もしかしたら、そのせいでかもしれない。おじさんの隣に異様な存在が立っているのが見えたのだった。その魔物は、おじさんがブランケットを体に巻き付けるたびに、いやらしい笑みを浮かべながら、爪の尖った指で引っ張るのだった。おじさんの安眠を妨げていたのはこの魔物だったのだ。

魔物のイタズラはそればかりではなかった。魔物はおじさんが体を動かした瞬間にシートに敷かれていた白い枕をつかむと足元に放り投げる。おじさんが枕を拾おうと身をかがめた瞬間、魔物は今度はブランケットを床に落とすのだ。

おじさんの苦闘と魔物のイタズラはそんなふうにずっと続いていた。だが、私のほうでは別の悪魔、つまり睡魔が再び訪れ、そのままぐっすりと眠ってしまった。

私は、客室乗務員につつかれた。目を覚まして、周りを見ると朝食を運ぶワゴンがあった。朝がやってきたのだ。私は伸びをし、その拍子におじさんの姿が目に入った。

おじさんの頭の上には、丸めたブランケットが載っかっていた。

飛行機には魔の存在がいるので、絶対に用心したほうがいい。

苦い文学

感じるゾーン

ベルリンに行くため、空港の搭乗ゲートに着くと、もうボーディングのアナウンスが始まっていた。

女性スタッフがボードを掲げて、ビジネスクラスと子連れの家族に搭乗を促していた。しばらくすると、エコノミークラスの搭乗も始まった。女性スタッフが Zone 1 と記されたボードを見せて回る。該当する人々が席から立ち上がり、たちまち列ができた。

私は搭乗券を見た。Zone 4 と書いてある。まだまだ先だと思いながら、空いた席に座った。カウンターに向かう人々を見ていると、列の脇に立つひとりの男に目が止まった。

その男は見た目は普通の旅人のようだった。だが、私の目にいかにも異様に思われたのは、その赤みを帯びた顔とうつろな目つきであった。さらに観察すると口をもごもご動かして、「アッ」とか「ハッ」とか小声で言っているようだった。

この不審な男に気を取られている間に、新たな案内が始まった。女性スタッフが「Zone 1 & Zone 2」というボードを手にやってきた。

そのとき、さらに異様なことが起きた。例の男はそのボードを見るや、手で自分の胸を押さえたのだった。その顔はさらに赤みを帯びた。興奮しているのだ。体がワナワナと震えている。男は恍惚とした表情で自分の胸を手で覆っていた、いや、遠目からもわかるくらい強く握っていた。

そして、Zone 3 のボードを持ったスタッフがやってくるころには、次に何が起きるか、私は理解していたように思う。男は自分の腹に手を当てた。ここが Zone 3 なのだ! 手はその Zone を激しく掻きむしった。興奮の喘ぎがはっきりと聞こえた。顔は紅潮し、その目はまるで飴のようだった。

Zone 4 の番が来たとき、男の身に起きたことについては、なにもいうことができない。というのも、私は恐るべきカタストロフィの予感に居ても立ってもいられなくなり、ボードがやってくる前に列に並んでしまったからだ。ただ、Zone 4 のボードを持った女性スタッフが私の並ぶ列を通り過ぎていったとき、自分の背後でなにかが倒れる音と「ゾォオォンン……」という歓喜とも苦悶ともつかぬ呻きを聞いただけだ。

苦い文学

モバイル注文システムの未来

モバイル注文システムほど人類の夢を掻き立てるものはない。なぜならこれほど人間を苛立たせ、バカにされた気分にするものはないからだ。そのいっぽう、店側にとってこれほど便利なものはないのだ。つまり、これから大いに改善の余地があるのであり、それで人々はさまざまに空想を膨らませているというわけだ。

ある人は AI の発達により、注文という行為すらなくなると主張し、またある人は、いずれこのシステムは捨てられて、もと通りに人が注文が取りに来るだろうと考える。あるいは、人の代わりに高度なロボットがやってくると想像を逞しくする者もいる。

また、7月5日以降、人類が大きく変わると信じる者たちの中には、人類への最後の試練として、ナビダイヤルによる注文になると警鐘を鳴らす者がいるかと思えば、反対に、アセンションの結果、人類は調理場の人々の脳に直接声を伝えることができるようになると喜ぶ者もいる始末だ。

私にはまったく想像つかないが、ある科学者の予想がとても気に入ったので紹介しよう。

その科学者によれば、科学の発達により、客は仮想空間に転移して注文することになるというのだ。そうすれば、大きなメニューも広げられるし、仮想人物を直接呼んで注文することも可能だという。これならばモバイル注文システムに文句タラタラの人も大いに満足するに違いないのだが、その科学者はさらに踏み込んだ予想をしている。

仮想世界においてもいずれモバイル注文システムが導入されるだろうということだ。

苦い文学

鳥居のド真ん中

歩いていたらたまたま神社を見つけた。赤い大鳥居が立ち、参道の石段が木々の奥へと続いていた。私は神も仏も信じていないので、神社などよっぽどの必要がないかぎり行かないが、古びた感じが気に入ったので立ち寄ることにした。

鳥居をくぐって参道を歩こうとしたときだ、後ろから不意に怒鳴りつけられた。びっくりして振り返ると、中年男が立っていて「無礼者!」と怒っているのだった。

「鳥居をくぐるときは一礼するのが礼儀だろうが!」

私は不愉快だったが、土地の人を尊重したい気持ちもあった。「すいません」と言って、頭を下げた。そのまま歩いていこうとすると男はさらに大声でどやしつけた。

「お前はそれでも日本人か! 鳥居を通るときは真ん中を通るな! 神様の通り道だぞ! 人間は端を歩くのだ。こうだ!」と男は鳥居の右端を通った。「参道だって同じ! 真ん中は神様!」

私はもう我慢ならなくて逆戻りして外に出た。よっぽど鳥居を蹴りつけていってやろうかと思ったが、こらえて真ん中を通るだけにした。

家に帰って、鳥居のくぐり方について、インターネットで調べた。神様の通り道などというバカげた説をいうのもあれば、そんなことを一言もいわないのもあった。どちらともつかないのだ。

いずれにせよ、ああいう手合いは、自分こそが正しいと思いこみ、そうでないものを外道と蔑むのだ。自分だけが鳥居のド真ん中を通っていると思っているのだ。

苦い文学

オールジャパン認証機構

「日本人が一丸となって、オールジャパンで力を発揮すれば、きっと素晴らしい日本を取り戻せることでしょう」 安倍首相が語ったというこんな言葉を掲げて設立されたのが、オールジャパン認証機構(AJCO)。

日本人の活躍の場を広げ、日本で生まれた素材や原料の使用を推進することを目的とした団体です。今、この団体がある疑惑に揺れています。

(ぼかしの入った映像、荒れた会議の様子)「なにがオールジャパンだ!」「嘘っぱちなじゃないか!」「そうだ!」「そうだ!」

そもそもこの団体の「オールジャパン認証」とはなんなのでしょうか。ホームページを見ると……

「日本人のパワーを結集して製作された製品、生産された作物、あるいは、国産の素材のみを用いて作られた商品・フードなどに与えられるのが『オールジャパン認証』です。」

「オールジャパン認証を得るには AJCO の審査を受けなくてはなりません。製造者・生産者に外国の血が一滴でも流れていた場合や、オールジャパンとは認められません。外国産の原料、外国人の力、外国の思想が混入していないか、厳しいチェックをパスしたものだけが、晴れて「オールジャパン認証」を受けられるのです。」

そして、騒動のもととなったのがこの認証シール。企業は、これを商品など貼ることでオールジャパン認証を受けたことを明示することができます。ですが……

会議に出席した人々は口々に不満を語ります。「オールジャパン認証シール? これを作るのに中国に発注したというんだから、呆れてものもいえないよ!」「ほら見てくださいよ。日本語がわからないから『オ一ルヅヤパソ』になってるんです!」「団体は『中国は昔は日本だったから』というんですよ。いくらなんでも取り戻しすぎでしょ!」

機構側は、シールの認証手続きに間違いはなかったと、徹底抗戦する構えです。

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備蓄米の開発

コメの価格が高騰し、政府が備蓄米の放出に踏み切ったニッポン。そんななか、新たな試みにチャレンジする人がいます。経済部記者が取材しました。

「少子高齢化による米作農家の減少と農林水産省の失政のせいで、もはや日本人全体に行き渡るだけの米の生産は不可能といっていいでしょう。それなのに、備蓄米は極めて評判が悪いのです」

こう分析する吉田さんは語ります。「そんなら、備蓄米の評価を変えるようなすごい備蓄米を開発してやろうではないか、と思ったのです」

米作りの経験はありませんでしたが、吉田さんは、備蓄米の開発に奮闘中です。

吉田さん「新米に負けず劣らずおいしい備蓄米を作るのに何が必要でしょうか? それは技術です。日本には優秀な技術があります。そして小さいけれど世界一の中小企業がたくさんあります。私は、日本の底力を使って、つまりオール・ジャパンで備蓄米を作り上げたいのです」

(備蓄米開発への協力を求めて、下町の工場を訪問する吉田さん。すぐに追い払われる)

(汗を拭いながら)吉田さん「いや、難しいですね……でも諦めません。備蓄米が日本を変えるって本気で思ってますから」

備蓄米にどうしてそこまで情熱を傾けるのでしょうか。記者が聞くと、吉田さん、意外なきっかけを話してくれました。

吉田さん「僕はね、工場で長年働いていたんですが、若い新入社員が入社したんです。そしたら、新米が入ったから、備蓄米はいらない、って、クビですよ。そのときからです、備蓄米と聞くともう黙っていられなくなったのは。ええ、備蓄米の意地を新米どもに見せてやりますよ!」

こう決意を語る吉田さんの備蓄米がニッポンの食卓にのぼる日もそう遠くないかもしれません。

苦い文学

備蓄人

今年は日本にとって大きな転換の年となるだろう。日本は一億総中流といわれたように経済的に均質性の高い社会であったが、近年は貧富の差が広がり、格差社会に変わりつつあった。今年はこの格差が極限まで拡大し、社会が二分される。つまり、経済的格差が、まったく異なる2種の日本人を生み出すのだ。

それは新米を食べることのできる新人と、備蓄米しか食べることを許されない備蓄人だ。新人は富裕層や政治家たちだ(政治家が備蓄米を放出するのに躍起になっているのはこれが理由なのだ)。いっぽう、備蓄人は私たち貧困層だ。

はじめは新人と備蓄人の間に大きな違いはない。なぜなら、新米とその前年の古米はほぼ同じだからだ。

だが、もっともっと貧富の差が拡大し、古米や古古米などが新人たちの食べる家畜の餌に回されるようになったら、どうなるだろうか。私たち貧困層は、もっともっと古い米しか食べられなくなるのだ。それはもはや米とはいえないくらいに変質し、干からび、虫に食われ、カビだらけだ。毒や棘でいっぱいで、とても食えたもんではないが、私たちにはこれしかないのだ。

だが、数世紀も経てば、私たち備蓄人はそうした古い米をなんなく摂取し、無駄なく消化できるよう適応し、進化してしまう。そして、数万年、数億年ののちには、備蓄人は、新米を食べる新人とは似ても似つかぬ外観の生き物となっていることだろう。

そのとき、新米を食べる新人たちは、人類とは異なる生物へと進化した私たちの観察を始めることだろう。古の n 乗の米を、管状の摂取器官でついばむ私たち備蓄人をレンズ越しに見ながら「やあ、この生物が食べているのは、ビッグバン直後にできた米だ」などと宇宙のロマンに胸を躍らせることだろう。

苦い文学

押しボタン式

押しボタン式信号機のある横断歩道では、誰でも知っているように、信号は勝手に変わってくれない。道を渡りたいときに自分でボタンを押して、信号を青にしなくてはならないのだ。もしボタン式であることを知らずにいたら、ずっと待ち続けることになるが、これはしばしばあることだ。

私はこの押しボタン式信号機にイヤな思い出がある。とある横断歩道で、男が待っていたのだ。後から来た私はその隣に立った。男の脇には電柱があり、そこに黄色い「押しボタン」装置があった。見ると「おまちください」の表示になっている。つまり、すでにボタンを押してくれていたのだ。

やがて車が停止し、信号が青に変わった。私は少し急いでいたので、小走りに渡ろうとすると、後ろから声が聞こえた。「俺がボタンを押したんだから、俺より先に渡るな!」 私は怖くなり、そのまま足を早めて逃げたが、これは非常に不愉快な経験だった。

そんなわけで、私はこの押しボタン式信号機のあるところでは慎重にふるまうようになった。先に押して待っている人がいるときは、その人が歩き出してから渡るようにしている。自分が先に押したときだって、決して先にはいかない。むしろ、慎み深いところを見せようとして、他の人を先に行かせる。どんなに急いでいてもだ。

もっとも、なかには上品で奥ゆかしい人もいる。横断歩道の前で、「どうぞお先に」「いえ、そんなことはできません。そちらこそ、どうぞ」などと譲り合いになり、結局、信号が赤になってしまう。

苦い文学

すべてのコメに懺悔しな

「古古古米は動物のエサだ」————

コメの高騰が続くなか、備蓄米についてこう発言した政治家が大きな非難を浴びています。思わぬ大炎上に、政治家は「この度の発言につきまして国民のみなさまに心より謝罪いたします」と SNS で発言しましたが、これがさらに火に米油を注ぐ事態に。

「謝るのは国民に対してではありません!」「謝るならおコメにかと」

こうした怒りの声を受けて、政治家は SNS に次のような投稿をしました。

「動物の餌などと失礼なことを言ってしまった古古古米にも謝罪いたします」

これで事態は沈静化するかと思われました。ですが、一般の方からのこんな投稿が国民の怒りに再び火をつけることに。

「この政治家の方は、いずれ古古古米となる、古古米と古米と新米の気持ちを考えたことがあるのでしょうか。古古米と古米と新米にも謝るべきです!」

さらにはこんな意見が飛び出てくる。「古古古米に謝罪してこと足れりというのは、逆に古古古古米と古古古古古米、古古古古古古米を動物のエサだ認めることではないでしょうか? これらの古古古古米、古古古古古米、古古古古古古米の悔しさを思うと、怒りに体がふるえます。これは差別です!」

ついにはこんな発言まで。「特定のコメだけ謝罪するのではなく、個々のコメに寄り添って謝罪すべきではないでしょうか」

ことここに至って、この政治家は、日本中のコメの一粒一粒を訪問する謝罪行脚を開始しました。