苦い文学

富裕層の習慣

富裕層といわれる方々には、共通する習慣があります。お金を大事にする、無駄遣いをしない、というのはもちろん富裕層ですから当たり前のことですが、このほかにもたくさんあります。なかでも私が富裕層の方々を見るにつけ、いつも感心させられ、見習いたいものだ、と思う習慣が3つあります。それは、新しいことに挑戦する、失敗を恐れない、感謝の心を忘れない、というものです。

富裕層が挑戦? などというとびっくりする人もいるかもしれません。ですが、みなさんも、富裕層の方々が宇宙旅行に飛び出したり、海底探査に乗り出したり、見ず知らずの人々にお金を配っているのをみたことがおありではないでしょうか。お金は、好奇心いっぱいで常にチャレンジしている人に集まってくるのです。

ここで、私がお会いした富裕層のあるお方のチャレンジについてお話しさせてください。この方が関心を持たれたのはまさに「富裕層の習慣」でした。ご自分も富裕層であるそのお方は、富裕層の習慣を実践することで本当に人が富裕層に仲間入りできるのかどうか、果敢にも実験で確かめようと考えたのでした。

このお方は、スラム街に人を送り、数名の貧しい子どもを連れてきました。そして、「富裕層の習慣」を教え込んだのでした。たとえば、時間を大切にする習慣、貯金よりも投資を優先する習慣、モノよりも経験を重視する習慣、グチをこぼさない習慣……その好奇心旺盛なお金持ちは、貧民の子どもたちにありとあらゆる富裕層の習慣を身につけさせると、地下の小部屋に閉じ込めました。そして、ビデオカメラを通じて、これらの子どもたちが富裕層になるかどうか、観察をしたのでした。

結論から申し上げますと、実験は失敗に終わりました。子どもたちは、富裕層になる兆候を見せずに、あえなく飢え死にしてしまったのでした。

私は、富裕層とはなんと素晴らしい方々だろう、と思わずにいられないのですが、その富裕層の方は、失敗したことを残念に思いませんでした。それどころか、喜んだのです。なぜなら、それは新しいことに挑戦した証拠だからです。そればかりではありません。そのお方は、子どもたちへの感謝の言葉すら口にしていたのです!

苦い文学

新宿駅の秘密

昔、JR 新宿駅は、東西に分かれていた。まるで冷戦時代のベルリンのようで、自由に行き来することなどできなかった。つまり、いったん東口に出たら最後、西口にはけっして行けなかったし、西口に出た者も同様だったのだ。

もちろん、どんな境界をも乗り越えていこうとするのが人間だ。東口と西口を繋ぐ細い秘密の獣道がいつの間にかできあがっていた。若いころの私たちはその通路を通って、東西をこっそり行き来していたものだ。ときどき売店でお饅頭とか買ったりして。

そうではあっても、私たち地元の民にとって、JR 新宿駅がこんなふうに分断されていることは悲劇だった。小学校のどのクラスにも新宿駅に分断された家庭の子どもがいたし、東西に隔てられた恋愛は常に悲しい別れに終わった。同じ新宿区民なのにどうして一緒になれないのだろうか? 私たちはそんなふうな悲しい疑問を抱きながら大きくなった。

それが、ある日のことだ、驚くべき発表がなされた。JR 新宿駅に東西を繋ぐ一本の大通路を作るというのだ。私たちが長年夢見てきた、まさに新宿区民の悲願であった。私たちは歓喜し、その完成を心待ちにした。

そして、それはついにできた。「新宿駅東西自由通路」という立派な名前までつけられた。自由! まさに自由だ。私たちは自由に大手を振って東西を往来し、どの改札口であろうと東西に抜けることができるようになったのだ……ああ、だがその後になんということが起きたことだろうか!

もしかしたら、と私は思うのだ。駅の構造の複雑さというものは一定なのかもしれない、と。「新宿駅東西自由通路」ができて、駅構内の構造が単純になったかと思いきや、今度は小田急線、京王線、西口広場のあたりに複雑怪奇な迷宮ができているではないか。いま、JR 新宿駅は、入ることもできないし、出ることもできない、恐ろしい悪魔の城だ!

苦い文学

左右と上下

柳家吉緑という三月に真打ちに真打昇進したばかりの若い落語家の方がいて、たまたまその人の落語を聞く機会があった。聞き手には、私を含め落語に疎い人もいたので最初は丁寧に落語の聞き方を説明してくれた。

落語で二人の登場人物が会話をしている場合、ひとりが話すときは顔を右に向け、もうひとりが話すときには顔を左に向ける。そうすることで、二人の語り分けをする決まりだということだ。もちろんこれは基礎の基礎で、さらに声色や言葉遣いなども大事に違いない。

昨日、神田伯山の講談を聞きに行って、会話の切り替えには、この左右型だけでなく、上下型もあることを知った。それは次のようなものだ。

たとえば悪党が善良な男を脅していて、善人は怯えて「申し訳ありません」と謝って逃げようとする。だが、悪党はそれに対して「お前はそれで逃げられると思っているのか」と脅すのだ。

こういった場面で、語り手はまず善人のセリフ「申し訳ありません」を、怯えた様子で言いながら顔を伏せる。「申し訳ありません」は末尾の方では弱々しく(たとえば「ヒエエ……」というように)かすれて聞こえる。しかし、このかすれた声が一瞬の沈黙ののち、ドスのきいた「フフフ……」となる。するとそれに続いて、凄みを帯びた声で、セリフ「お前はそれで逃げられると思っているのか」が伏せた顔から出る。こう言いながら、語り手はゆっくり顔を上げる。その顔は先の善良な男ではなく、もはや悪党の太々しい顔だ。

つまり、顔を下に伏せることで、二人の人物の会話を切り替えたというわけだ。この上下型は、悪党が凄みのある言葉や悪い決心を告げるときに劇的な効果をもたらすようで、昨日の講談は悪党ばかり出てきたから、非常に印象に残った。もちろん神田伯山の芸が巧みであったためで、その悪い顔をたくさん拝見することができた。

左右型・上下型というのは私が勝手に呼んでいるだけで、専門的な用語があるはずだ。そういったことを含めて、私はなにも知らないが、それでも、講談なり落語なりを楽しむことができるというのは、ありがたいことといえるだろう。

苦い文学

「徳川天一坊」を勉強する会

日暮里サニーホールで「『徳川天一坊』を勉強する会」という集いが行われるというので行ってみることにした。

というか、抽選に応募して当たったので行った。神田伯山が出ること以外よくわからず、「勉強するとは?」とも思った。勉強が苦手な私は多少不安だったが、それで怒られることはないだろうとも踏んだ。

内容はというと、「徳川天一坊」という全20席の長編講談を数席ずつ神田伯山が語るというものだった。この講談は初代神田伯山が「読んだ」もので、神田派にとっては大事な作品ということだ。

今回は、「徳川天一坊」の第3話から第5話までで、約1時間半。講談に入る前の、前座の講談(神田若之丞)と神田伯山のマクラも合わせると2時間半を超える長い会だった。

話はというと、徳川吉宗のご落胤詐欺を企む物語で、幕末の作品にありがちな悪党ばかり出てくるものだ。これが実に面白かった。講釈の芸に引き込まれ、濃密な時間を過ごすことができた。素浄瑠璃もそうだったが、映画やテレビのようなわかりやすい視覚的な情報がなくても、人を夢中にさせることができるというのは、不思議なことだ。

というか、映像はおろか文字もない時代から、人間は物語を聞いてきたのだから、そういうふうにできているのだろう。

今回は第4回目ということで、次回もぜひ行きたいところだが、チケットが当たるかどうかはわからない。

苦い文学

喫煙できる場所

私は昔タバコを吸っていたが、やめてもう何年にもなる。しかし、最近、苦しいことがあって、タバコでも吸わずにはいられないと、コンビニに駆け込んで、タバコとライターを買った(そして値段に驚かざるをえなかった)。

外に出て、封を切り、一本取り出して口に咥える。ライターをつけ、タバコの先に火を向けた瞬間、私は周囲の視線に気がついた。私がタバコを吸っていたときは、路上ならどこでも吸えたが、今はもう違うのだ。私はタバコをしまい、喫煙できる場所を探して歩き出した。

公園、路地、裏通り……どこを探しても、吸えそうな場所はなかった。そこで駅に行くと、駅の外に、薄汚れたガラスに囲まれた喫煙所があった。中に入ると、タバコの煙と、灰皿でくすぶるタバコのイヤな匂いが鼻を突いた。そこに閉じ込められ、口をすぼめてタバコをむさぼる喫煙者たちは、惨めだった。

私は喫煙所を出て、別の場所を探し始めた。すると、駅の近くで喫煙可の喫茶店を発見した。心弾ませながらそのドアを開ける。だが、そこで目にしたのは、喫煙所と変わり映えのしない侘しい光景だった。私は引き返して外に出た。

私はなにも惨めな気分になるためにタバコを吸おうとしているのではなかった。広い空を見ながら、煙を思いきり吐き、悲しみを解消したいのだ。そんな場所はどこにあるのだろうか。私はなおも探し続けた。

日本中を歩き回ったが、ついに見つからなかった。中国のとある山奥ならば喫煙できるという噂を聞きつけ、私は中国に渡った。現地の人さえ足を踏み入れぬ辺境を旅すること数週間、ついに広々とした野原を見つけた。ここなら大丈夫と、タバコに火をつけたとたん、伝説の野人がやってきて、私は追い払われた。

苦い文学

しがらみなきゾンビの時代

その政治研究所は、日本の政治をより良くするために設立された団体だった。元来は政治に関する発言や提言を行なっていたが、やがて、しがらみのない人間の培養を行うようになった。

どうしてかというと、日本に欠けているのは、しがらみのない政治だからだと考えていたからだ。強権と忖度が横行する日本では、政治は常にしがらみによって歪められていた。政権は自分たちが癒着している富裕層のために政治を行い、それ以外の貧困層には見向きもしなかった。まっすぐで正しい政治が行われるためには、しがらみのない人間が政治家にならなけれならなかった。

だが、当時の日本にはしがらみのない人間はひとりとしていなかった。どの日本人も特定の親から生まれてきたのであり、生まれたときから親子関係というしがらみに縛られていたのだった。

そこで、「完全にしがらみのない人間を生み出し、しがらみのない政治を実現させよう」と決意した研究所は、研究と実験を繰り消し、ついにしがらみのない人間の培養に成功した。

その日、ついにしがらみのない政治が実現する日がやってきた。研究所の門が開かれ、しがらみのない人間たちが続々と出てきた。これらの存在は、日本中へ散っていき、やがて人間たちを襲い始めた。

しがらみなきゾンビの時代が始まったのだ。

苦い文学

しがらみのない政治

吉田百郎がついに県会議員に当選した。「しがらみのない政治」というたったひとつの政策を提げて、利権と忖度にまみれ、裏金と暴言に毒された県議どもに挑み、勝利したのだ。

「みなさんのおかげでしがらみのない政治がついに実現しました!」

当選の一報を受けて、吉田は事務所でこう語りかけた。目の前には、吉田が立候補表明して以来、全力を尽くして選挙を戦ってきた支援者たちが満面の喜びを浮かべて詰めかけていた。熱烈な拍手が沸き起こった。

そのとき、これらの支援者を前にして、吉田百郎は、あらゆる応援を捨て去った。ちょうど蛇が皮を脱ぎ去るようなものである。さらに吉田百郎は、有権者の票を捨て去り、諸々の県民と県の諸々の問題を捨て去った。ちょうど蛇が皮を脱ぎ去るようなものである。

こうして吉田は、あらゆるしがらみを脱し、それにより有漏にして有為なる世界を択滅した。そして、無為にして無漏なる涅槃へと到達し、解脱に至った。

なお、県選挙委員会によれば、吉田百郎の失職にともなう補選は、今月17日に告示され、24日に投票が行われる予定である。

苦い文学

私のイヤホンガイド

AirPods は Apple のワイヤレスイヤホンで、iPhone と相性がいいので、私も使用しているが、最近、面白い機能が追加されたのを知った。それはイヤホンガイド機能だ。

イヤホンガイドというと、歌舞伎などの伝統芸能の物語の説明や解説などに用いられるものだが、AirPods の機能は違う。AirPods を耳に装着していると、装着している私の行動について解説してくれるのだ。

例えば私がコーヒーを飲もうとするとこんなふうに解説してくれる。「ここで主人公がコーヒーを飲むのは眠くならないようにそうしているのです」 また道を歩いていると「この時代の道は舗装されているのが普通で、人々は硬い路面から足を守るために靴を履いていました」と時代背景にまで踏み込んだ解説が聞ける。

また、どのように情報を得ているのかわからないが、出会う人についても教えてくれる。「今、主人公が話している人物が着ているシャツは UNIQLO で買ったものです。このことから着ている人が普通の庶民であることがわかります」 また私の友人について「この人は善人のようですが、物語の後半で、主人公を裏切るとんでもない悪人であることがわかります」というので、すぐにその人と縁を切った。

私はこの機能が気に入って、もうなくては済ますことができないくらいだった。だが、さっき、イヤなことが起きて、すぐに使うのをやめた。

AirPods がこんな解説を私の耳元で囁いたのだ。「この場面ののち、主人公が死ぬという衝撃の展開が待っています」

AirPods も捨ててしまった。やっぱりワイヤレスより、有線のほうがいいと思う。

苦い文学

トランプのせい

アメリカで学会があるという知らせを耳にしたので、締め切り当日の1月8日、口頭発表に応募した。2月末に採択通知が来た。アメリカに行くのだ。

だが、状況は、私が応募した1月初めとは大きく変わっていた。トランプが大統領に就任したのだ。アメリカに入国する外国人が不当に拘留されたとか、追い返されたというニュースが出ていた。SNS やネットに反アメリカ的なことを書いていたせいで入国拒否された、などという人もいた。

私自身が入国時にトラブルになる可能性はないとは思うものの、誰であろうとそれがゼロとは言い切れないのが、現状のようだった。

また、こんなことを言う人もいた。「今のアメリカに旅行に行くことは、経済的にトランプ政権を支えることになるから、渡航を控えてほしい」 私が行っても、はした金の円をばら撒く程度なので影響はゼロだ。にしても、考慮すべき意見だと思った。

いろいろ考えた末、私は行くのをやめた。そのかわりオンラインで発表することにした。学会はそういう選択肢も用意してくれていたのだ。

さて、現地の時間に合わせると、発表は朝の6時だ。私は午前3時に起きて、発表を終えた。デキからいうと、惨憺たるものだった。私にとって、オンライン発表を英語でするのは初めての経験だった。会場の雰囲気がわからないので、途中でフワフワして、何を話しているのかわからなくなった。質疑応答でも、ありがたいことに質問してくれた人がいたが、オンラインのため、よく聞き取れず、的外れな答えをしたようだった。

もしも、現地で発表していたら、と思わずにはいられない。トランプ政権の弊害といえるだろう。

苦い文学

パワハラ裁判

「自分のやったことはパワハラだとちゃんと認定してほしい、その一心です」 そう語るひとりの男が、国と被害者を相手取って裁判を起こしました。

男は現在、傷害罪などに問われ起訴されていますが、自分の犯罪行為については否定していません。にもかかわらず、男は冤罪だと主張しています。

男「なぜなら、まったく間違っているからです。私はパワハラをしたのです。これは単なる傷害罪ではありません。パワハラによる暴力事件です」

記者「パワハラだ、と訴えておられるその理由はなんでしょうか」

男「私は社会的地位があり、高収入なんですよ。そうしたパワーある人間が行う暴力行為が、パワハラでないわけがないでしょう。パワハラはパワーある富裕層のみに許された特別な犯罪なのです。そんじょそこらの貧乏人や弱者男性のセコい犯罪行為と一緒にしてほしくないというのが正直な気持ちです。国は、高額納税者である私の意見を尊重すべきです。それが民主主義ではないでしょうか」

男は、まるでパワーを誇示するかのように選りすぐりの弁護団を結成し、弁護士たちに罵声と暴言を浴びせながら、ともに裁判を戦ってきました。

そして、今日、判決の日———裁判所から勝訴の紙を掲げた弁護士が走り出てきました。男の行為がパワハラと認定された瞬間でした。

「長くつらい戦いでした。このように勝利を勝ち取ることができたのも、ひとえに俺様のおかげだ」とパワハラ男は喜びを語りました。