苦い文学

Apple Music の手(1)

ギリシア神話のミダス王はその手に触れたものを黄金に変え、チェッカーズは触れるものみな傷つけたと、言い伝えは語るが、この現代では、Apple Music が同じことをかねてから行なっているようだ。つまり、触れるものみなカタカナに変えてしまうのだ。

私たち Apple Music ユーザーがずいぶん昔から困っているのは、このサービスが海外の有名ミュージシャンやバンドを、例えば The Rolling Stones は「ザ・ローリング・ストーンズ」というように勝手にカタカナにしてしまうことだ(しかも、いつのまに中グロまで出現しているのだ)。

いや、もちろん、日本だから、カタカナに変えてもいいのだ。だが、それならばなぜ「DREAMS COME TRUE」は「ドリームズ・カム・トゥルー」とならないのだろうか? Ado は「アド」に? 「いや、これは日本でそういう名前だからいいのだ」という人もいるかもしれない。ならばイギリスでは The Rolling Stones は The Rolling Stones なのだから、日本でも The Rolling Stones であるべきではないだろうか?

しかも、私たちのこうした疑念にもかかわらず、この恐ろしき Apple Music の手は日々カタカナ化を推し進めているのだ。去年は原語表記であったミュージシャンもいつの間にかカタカナになり、今、アルファベットのバンドも、来月にはカタカナとなっているかもしれない。

こうして私たちの洋楽ライブラリはカタカナに侵食されていく。そのうちすべてのローマ字が放逐されないとは、誰が言えようか?

苦い文学

真実を報じないレストラン

久しぶりに街に出たので、何回か行ったことのあるハンバーグの店に行ってお昼を食べることにした。店の前に行くと、人が集まって騒然としているのが目に入った。近寄って人垣越しに見ると、ひとりの男が店の前に立ち塞がるように立ち、叫んでいるのだった。

「このレストランはとんでもない店だ!」 そう男は怒鳴った。「客に偏ったものを食べさせているぞ! みなさん! 見てください! これはこのレストランが調理しない料理です!」

男は手に持っていたボードを掲げた。それは山菜そばの写真だった。「このレストランの偏向調理を許すな!」

そのとき、警察官が数名駆けつけてきた。警察官たちが近づくと、男はよせばいいのにボードを投げつけた。たちまち男は組み伏せられ、そのままどこかに連れて行かれた。

店の前は再び日常に戻った。集まっていた人々も立ち去っていったが、何人かは私と同じように店に入った。私たちはなにごともなかったかのようにハンバーグを食べた。誰かが「山菜そばなら自分で作ればいいのに」と言った。それから別の声が聞こえた。「あの男、今頃、取調室で山菜そばを食べているかもしれないぞ!」 さらに誰かがこう言った。「そういえば、あの顔、なんとなく山菜そばに似ていたような……」

私はこれらの言葉に笑いを堪えるのに苦労したが、このとき私たちは知らなかったのだ。やがてあらゆる SNS が「#山菜そば」で埋め尽くされることになろうとは。

苦い文学

物乞いたちの貧困

チュニジアの首都、チュニスの街を歩いていると、物乞いの人をよく見かける。大きな通りがあるとすると、各ブロックにひとりいるぐらいの感じだ。なわばりでもあるのだろうか。

物乞いには若い人や女性もいるが、老婆も多い。ショールで頭を覆って、道端にべったりと座っている。片手の手のひらを上に向けているのは、道行く人々がお金をそこに置きたくなるようにだろう。そして、人々が小銭を施しているのもよく見かける。

チュニス滞在中は、雨で寒い日もあった。そんな日でも、老婆たちは道端に座って、「右や左の旦那様」にあたるような言葉を行き交う人々に投げかけていた。私は「物乞いとて楽な商売じゃないな」と思い、さらに「一日じっと座っているという労力を、他の仕事に費やせば、なにがしかの収入になるだろうに、どうして物乞いなどしてるんだろう」と考えた。

この疑問は誰でも思い浮かぶたぐいのもので、通常ここから物乞いに関する2つの「空想」が発生してくる。ひとつ目の空想は「これらの人々は罰当たりなほどに怠け者なのだ」というものだ。二つ目は「物乞いとはああ見えて実はとても儲かるのだ」という空想だ。どちらを選ぶかは、その人次第だが、どちらを選ぼうとも、結論は同じ、つまり「物乞いたちはけしからん」となる。

私も同じように考えていたが、しばらくして別の考えも浮かんできた。「いや、この人たちだって、自分がどうして物乞いなんかしているんだろうか、と思っているのかもしれない。だが、他にできないのだ。普通の仕事、いや、特別な仕事だってできる能力があるのに、それを活かせる世界から締め出されている、それが貧困なのだ」

そして、さらにしばらくして、自分も同じだということに気がついた。

苦い文学

禁じられた趣味

私はかつて酒と飲み歩きが趣味だった。毎晩のように仲間と酒場に繰り出しては、あの酒やこの酒を楽しみ、つまみを味わい、バカ話をして酔いしれていたものだった。

しかし、自分でもどうしてかわからないのだが、私は数年前にふっつり酒を辞めてしまった。そして、当然のことながら、飲み歩きにも行かなくなった。そもそも外出というものもしなくなったし、かつての飲み仲間とも疎遠になり、孤独となった。

酒が趣味であった私は、まったくの無趣味となってしまった。私は新しい趣味を始めようとした。トライアスロンに挑戦したり、米粒に観音様を描いたり、撮り鉄のひとりとなって悪態をつきながら電車の写真を撮ってみたりしたが、長続きしなかった。この年齢から新しいことを始めるのは無理かもしれない、と思ったりした。

だからといって、以前のように酒を飲み始めようとも思わなかった。酒がない生活は、二日酔いもなければ、頭痛もない。私はそれが気に入っているのだ。

最近では私は、趣味を聞かれたら、禁酒と答える。あと、飲み歩かずもだ。

苦い文学

そういうホテル【盗難の証明(11)】

私のスーツケースは今回の旅の直前に買ったもので、樹脂製のボディで、ファスナーで開閉するタイプのものだ。ホテルの部屋を留守にするたびに、ロックをかけていたが、盗難にあったときは、それを閉め忘れたいたのだと痛恨の思いでいた。

しかし、別のホテルに移り、帰国のパッキングをしているときに、ファスナーの布地の部分とボディの部分に隙間ができているのに気がついた。よく見ると、布とフレームを接合する糸が切れ、パックリ開いていた。この破損を私はホテルでの盗難に関連づけたい気持ちでいるが、もちろん私の不注意で破損したという可能性もある。

そもそも、ホテルで盗まれたという確証はないのだ。もろもろの状況からそう推理しているにすぎない。「モルグ街の殺人」よろしく、どこからか猿が忍び込んだということだってありえなくはない。

なので、私はこのホテルの名前は書かないし、無実かもしれない人々に罪を押しつけるつもりもない。そして、私自身はこの X ホテルにはもう泊まらないにしても、もし誰かがこのホテルについて尋ねてきたら、盗難の一件については口にしないだろう。ただし、そのかわり、私はこういうだろう。

浴室や壁をゴキブリが這い回っているのをよく見かけました。そういうホテルですよ。
(おわり)

苦い文学

革命の記録【盗難の証明(10)】

若い警察官についていくと、彼は署長室の向かいにある小部屋に入った。中のデスクに座り、私が署名した紙を見ながら、パソコンに入力を始めた。

つまり、署長が書き、私が署名した陳述書(のようなもの)をもとに、盗難証明書を作成しているのだ。小部屋の入り口に立っていた私が、入ってもいいかと聞くと、どうぞ、と答えた。

その部屋には、デスクの他に大きなテーブルがあった。テーブルの上にはA4の書類箱が山のように積まれていて、今にも崩れそうだ。書類箱には「2007」と書かれたものがあった。少なくとも、その年以降、この署で扱った書類が保管されている、つまり、2010〜2011年のジャスミン革命の時期のものもある、ということだ。

この警察署のあるハビブ・ブルギバ通りはチュニスの中心だから、私は詳しくはわからないけれど、革命当時は大きなデモが行われていたはずだ。そして、私が目の前にしている書類の山の中には、その時の記録も残されているかもしれない。

そんなことを考えていると興奮してきたが、怪しまれては困るので、私はチラと見るだけにとどめておいた。警察官は入力を終え、プリンターで印刷した。

警察官は私を再び署長のいる部屋に連れて行き、彼の机の上に盗難証明書を置いて立ち去った。署長は女性の相談者の対応にかかりきりで、書類に目もくれない。私は、あと一歩だ、と思いながら、待つ。署長は女性との話が済むと、盗難証明書にスタンプを押し、自署をした。

「アラビア語だから、日本で翻訳してもらうんだな!」

私がその紙を手に書を出たのは、11時半だった。

苦い文学

三枚つづりの紙【盗難の証明(9)】

私たちは再び外に出された。待合所で座って待っていると、いつの間にか支配人と客室係は姿を消していた。待合所もだんだんと人が少なくなり、ついに私とコートを着た女性だけになった。忘れられたのかと不安になり、横の部屋で仕事をしている署長から見える場所にある椅子に移った。

その部屋からは、さっきの怒鳴り声が断続的に聞こえてきた。こうした人の相手もしなくてはならないのだから、署長は忙しいのだ。だから、私は催促せずに黙って座っていた。

しばらくすると署長から声がかかった。私が横の部屋のデスクの前に行くと、彼は文書を見せた。それはホッチキスで閉じられた3枚の紙で、アラビア語が書かれている。

「ここと、ここ」と私に金額を確認するようにいう。3万円と20ドルとちゃんと書いてあった。文書にサインをしろというので、一枚一枚に署名をする。

これをもらっていいのか、と聞くと「違う」と言って、署長は席を立った。

私は署長がいない間、デスクの前の椅子に座って、ラミネートされたピンク色のIDカードが何枚かデスクの上に無造作に置かれているのを見たり、その所有者たちであり、おそらくはそのひとりは怒鳴り声の主でもある3人の男が部屋の奥に座っているのをチラと眺めたり、壁に「禁煙」「携帯使用禁止」と張り紙がされているのを眺めていた。

署長が若い警官を連れて戻ってきた。「彼について行くのだ」と私にいうと、若い警官にあの3枚の紙を渡した。

苦い文学

署長室の対決【盗難の証明(8)】

いきなりの対決の設定に、盗難証明書が欲しいだけの私は絶句した。それに、こんなふうに当事者同士を対峙させるやり方が、まともな警察のやり方なのかどうか、疑問に思った。だが、それでも私は支配人に盗まれた状況と金額を話し、相手は早口で「そのような話は従業員から聞いていない」と語った。

それから、私たちは再び外に出された。しばらくすると、支配人が仕事着を着た女を連れて戻ってきた。客室係だ。私たちは再び署長室に集められ、ソファに腰掛けた客室係は、私の部屋での仕事について語った。「毎朝、ゴミを捨てて、床を掃除して、ベッドを……トイレを……」

「昨日の担当は?」

「いえ、私ではなく、今日は休みです」

客室係の話が終わると、支配人が言った。「盗みなどありえません。誰も部屋に入れないのですから」

そして署長が私のほうを向いて言った。

「私はここにきて5年になるが、X ホテルでこんなことが起きたとは聞いたことがない」

私は、今日休んだ客室係のこととか、署長の耳の信頼度のことやら、いろいろなことを言いたかったが、我慢してこう言った。

「私が言いたいのは、ホテルで盗られたかどうかではなく……」

すると署長が口を挟んだ。「じゃあ、ホテルで盗まれたかどうかわからないというんだな!」 署長はこう言うと、両手でジェスチャーをしながら支配人のほうを「やれやれ、とんだ大騒ぎですな!」といった顔つきで見た。

だが、私は署長の曲解を訂正した。

「いいえ、そうではなく、ここで誰が盗んだかを議論したいのではなく、私はただ盗難証明書が欲しいのです! 保険! 補償!」

苦い文学

何があったか彼女に言うのだ【盗難の証明(7)】

私はいったんホテルに戻り、9時半過ぎに警察署に行った。待合室には何人かの人々がいて、3脚ある椅子に空きはなかった。

横の部屋を覗き込むと、別の年配の男がいた。私は中に入り、事情を話した。パスポートの提示を求められたので渡す。男は名前などを確認した。

「どこで盗まれたのか?」

「X ホテルです」

「X ホテルというと、この近くの?」

「ええ」

「で、いくら?」

「20ドルと日本円で3万円です」

「3万円というと、いくらぐらい?」

私は通貨のアプリで換算してみせた。「650 ディナールぐらいです。それで、日本に帰って補償を請求するために盗難証明書が欲しいのです」

男は私に外で待つようにいった。待合室は椅子に空きがなかったので、カウンターのような台に寄りかかっていると、さっきの男が私に椅子を持ってきてくれた。

待合室の奥の壁にボードが貼ってあって、紛失証明書にいくら、失踪届にいくら、などと発行手数料が書いてあった。自分も必要なのだろうか、などと考えて待った。男がいる部屋で誰かがしきりに怒鳴っていた。警察24時だ。

さっきの年配の男が出てきて、私を呼んだ。男は待合室の奥の通路に私を案内し、右手にある扉を開けた。大きなデスクとソファが置かれた部屋があった。男はそのデスクの向こうに回り込み、椅子に座った。デスクの上にはアクリルのネームプレートがあった。デスクの前に椅子が置かれていて、私にそこに座るよう促した。私はこのときようやく彼が署長で、ここが署長室だということに気がついた。

年配の女も一緒に署長室に入ってきた。署長はその女もデスクの前のもうひとつの椅子に座らせた。

「この人は」と署長は私に言った。「X ホテルの支配人だ。何があったか彼女に言うのだ」

苦い文学

今日は行けません【盗難の証明(6)】

気まずい思いをしながら、私は警察署内のベンチで待った。すると、さっきの警察が声をかけてきた。「30分後に戻ってこい」

私は外に出た。時間は7時45分だ。ラマダーン中なのでどこの喫茶店も開いていない。ハビブ・ブルギバ通りに出ると、中央の歩道に据えてあるベンチがあった。そこに座って、寒いなか待つことにする。

しかし、盗難証明書が出るまでどれくらいかかるのか。日本で紛失届をいくどか出したことがあるが、たいして時間はかからなかった。盗難届は日本でもそんなにすぐには終わらないだろうが、チュニジアではもっとかかりそうだ。だが、さっき警察署を見たかぎり、朝から人が詰めかけて列を作っているようではなかった。案外、すぐに終わるかもしれない。

私はその日の午前9時に人と会う約束があった。そこで、ベンチに座っている間に「10時に会うことにしたいのですが」とメッセージを送っておいた。

8時20分になった。私は再び警察署に行った。すると、今度は白いジャンパー姿の若い警察官が対応してくれた。事情を話すと、「なるほど。わかった。心配するな。1時間後に来い」

警察署を出た私は「すみません。今日は行けません」とメッセージを送った。