苦い文学

署長室の対決【盗難の証明(8)】

いきなりの対決の設定に、盗難証明書が欲しいだけの私は絶句した。それに、こんなふうに当事者同士を対峙させるやり方が、まともな警察のやり方なのかどうか、疑問に思った。だが、それでも私は支配人に盗まれた状況と金額を話し、相手は早口で「そのような話は従業員から聞いていない」と語った。

それから、私たちは再び外に出された。しばらくすると、支配人が仕事着を着た女を連れて戻ってきた。客室係だ。私たちは再び署長室に集められ、ソファに腰掛けた客室係は、私の部屋での仕事について語った。「毎朝、ゴミを捨てて、床を掃除して、ベッドを……トイレを……」

「昨日の担当は?」

「いえ、私ではなく、今日は休みです」

客室係の話が終わると、支配人が言った。「盗みなどありえません。誰も部屋に入れないのですから」

そして署長が私のほうを向いて言った。

「私はここにきて5年になるが、X ホテルでこんなことが起きたとは聞いたことがない」

私は、今日休んだ客室係のこととか、署長の耳の信頼度のことやら、いろいろなことを言いたかったが、我慢してこう言った。

「私が言いたいのは、ホテルで盗られたかどうかではなく……」

すると署長が口を挟んだ。「じゃあ、ホテルで盗まれたかどうかわからないというんだな!」 署長はこう言うと、両手でジェスチャーをしながら支配人のほうを「やれやれ、とんだ大騒ぎですな!」といった顔つきで見た。

だが、私は署長の曲解を訂正した。

「いいえ、そうではなく、ここで誰が盗んだかを議論したいのではなく、私はただ盗難証明書が欲しいのです! 保険! 補償!」

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何があったか彼女に言うのだ【盗難の証明(7)】

私はいったんホテルに戻り、9時半過ぎに警察署に行った。待合室には何人かの人々がいて、3脚ある椅子に空きはなかった。

横の部屋を覗き込むと、別の年配の男がいた。私は中に入り、事情を話した。パスポートの提示を求められたので渡す。男は名前などを確認した。

「どこで盗まれたのか?」

「X ホテルです」

「X ホテルというと、この近くの?」

「ええ」

「で、いくら?」

「20ドルと日本円で3万円です」

「3万円というと、いくらぐらい?」

私は通貨のアプリで換算してみせた。「650 ディナールぐらいです。それで、日本に帰って補償を請求するために盗難証明書が欲しいのです」

男は私に外で待つようにいった。待合室は椅子に空きがなかったので、カウンターのような台に寄りかかっていると、さっきの男が私に椅子を持ってきてくれた。

待合室の奥の壁にボードが貼ってあって、紛失証明書にいくら、失踪届にいくら、などと発行手数料が書いてあった。自分も必要なのだろうか、などと考えて待った。男がいる部屋で誰かがしきりに怒鳴っていた。警察24時だ。

さっきの年配の男が出てきて、私を呼んだ。男は待合室の奥の通路に私を案内し、右手にある扉を開けた。大きなデスクとソファが置かれた部屋があった。男はそのデスクの向こうに回り込み、椅子に座った。デスクの上にはアクリルのネームプレートがあった。デスクの前に椅子が置かれていて、私にそこに座るよう促した。私はこのときようやく彼が署長で、ここが署長室だということに気がついた。

年配の女も一緒に署長室に入ってきた。署長はその女もデスクの前のもうひとつの椅子に座らせた。

「この人は」と署長は私に言った。「X ホテルの支配人だ。何があったか彼女に言うのだ」

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今日は行けません【盗難の証明(6)】

気まずい思いをしながら、私は警察署内のベンチで待った。すると、さっきの警察が声をかけてきた。「30分後に戻ってこい」

私は外に出た。時間は7時45分だ。ラマダーン中なのでどこの喫茶店も開いていない。ハビブ・ブルギバ通りに出ると、中央の歩道に据えてあるベンチがあった。そこに座って、寒いなか待つことにする。

しかし、盗難証明書が出るまでどれくらいかかるのか。日本で紛失届をいくどか出したことがあるが、たいして時間はかからなかった。盗難届は日本でもそんなにすぐには終わらないだろうが、チュニジアではもっとかかりそうだ。だが、さっき警察署を見たかぎり、朝から人が詰めかけて列を作っているようではなかった。案外、すぐに終わるかもしれない。

私はその日の午前9時に人と会う約束があった。そこで、ベンチに座っている間に「10時に会うことにしたいのですが」とメッセージを送っておいた。

8時20分になった。私は再び警察署に行った。すると、今度は白いジャンパー姿の若い警察官が対応してくれた。事情を話すと、「なるほど。わかった。心配するな。1時間後に来い」

警察署を出た私は「すみません。今日は行けません」とメッセージを送った。

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警察署までの道【盗難の証明(5)】

チュニスの大通りブルギバ通りには、警察官や兵士がたくさんいる。交通整理係もいれば、ものものしく武装した人もいる。警察署はどこか尋ねるにあたり、私はもっとも怖そうではない若い女性の警察官を選んだ(チュニジアでは女性の警察官もたくさん働いている)。

その女性警官は、私が泊まっていたホテルの前で交通整理にあたっていたのだが、私の問いに、指で警察署を示してみせた。大通りを入ってすぐのところにあるというのだ。警察署がこんなに近くにあるのに盗みとはヤツめ大胆な……とぶつぶつ言いながら、私は警察署に向かった。

警察署に足を踏み入れると、ベンチのある部屋があり、そこに一人のジャンパー姿の男が座っていた。そして、待合室の右手に扉のない部屋があった。覗き込むとパソコンの置かれた小さなデスクにやはりジャンパー姿の男が座って何やら作業をしていた。鋭い目つきで私を一瞥した。

「ハハーン」と私は思った。「これは韓国型だな」 つまり、チュニジアも韓国と同じく、警官は特別な任務がないかぎり、地味な色のジャンパーを着用しているもようだ。

私は部屋の入り口に立ちその男性に「お金を盗まれました」といった。すると、何も言わずに待合室の方を指す。ああ、まずはこっちの人にか、と思い、私は最初の部屋に戻り、そこに座っているジャンパーの男に声をかけた。「お金を盗まれたのですが……」

すると、その男は迷惑そうな顔をした。ただの待っている人だった。

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盗難証明書【盗難の証明(4)】

泥棒への感謝の気持ちの只中にあって、海外旅行保険のことを思い出しえたのは僥倖であった。

「いや、泥棒を崇拝している場合ではない。盗難の補償があるかどうか確かめねば」

海外に行くときは必ず一般的な保険に入るようにしているが、これまでスーツケース破損の補償を受けた以外、使ったことがなかったので、盗難が対象になるかもわからなかった。

調べてみると、24時間ネット通話対応のコールセンターがあった。電話してみると、次のようなことを言われた。

「通貨盗難の場合は3万円を上限に補償の対象だが、盗難証明書が必要である」

盗難証明書は警察でもらえるというが、私はそんな手続きをしたことがない。というか、どこに警察署があるのかもわからない。いずれにせよ、もう夜遅いので警察に行くのは明日の朝だ。

そして、次の朝、私はスーツケースを持ってホテルを出た。もとからこの日に別のホテルに移る予定だったからだが、たとえそうでなくても、私はもう滞在したくはなかった。

チェックアウトのさいに、ホテルの人がもう一度「誰も部屋に入れない」と繰り返した。私はもう盗難証明書のことで頭がいっぱいで、それはもうどうでもいいように思えた。

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泥棒への感謝【盗難の証明(3)】

はじめは20ドル札がないのに気がついた。おかしいと思って、改めて手持ちの現金を数えてみると、3万円が抜き取られていた。

20ドル札だけならば落とす不注意もあるかもしれないが、3万円の場合は無理だ。そこで、盗まれたのだと私は結論づけた。

お金は部屋のスーツケースに入れておいたから、誰かが部屋に入ったのだ。そして、現金が消えたことに気がついたその日の午前、私は数時間出かけていた。その時間に入ることができるのはホテルの関係者だけだ(チュニジアのホテル関係者のために弁じておくとこんなことは今までなかった)。

そこで私はまずフロントに行き、盗難があったことを告げた。フロントの男性は「部屋に誰か入ることなどない」という案の定の返事だったが、とにかく言っておくことに意味がある。

それから、私はひどくがっかりして過ごした。いつもは鍵をかけておくスーツケースを、開けっぱなしで外出してしまったことを悔やんだ(もっとも、後になって私はスーツケースが壊されていることにも気がついた)。

ああ、3万円あれば何ができただろう! 私はその日の午後、クヨクヨと考え続けた。

高田馬場の決闘で知られる堀部安兵衛は、江戸で巾着切りにいつの間にか大金を抜き取られらとき、これが腕に覚えのある剣豪とでくわしたのであれば、危険な試合に発展したことだろうが、巾着切りの名人でよかった、と感謝したというが、私も心痛のあまりついにそんな境地にまで至ってしまった。

泥棒よ、ありがとう! お金を全部取らずにいてくれて! パスポートも手付かずのままにしてくれて! 見てください、私はこんなに豊かです!

損失を直視したくないあまり、泥棒を称えるという心的機制まで働き出したのだ。だが、そのとき私は海外旅行保険のことを思い出した。

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新しいホテルで【盗難の証明(2)】

チュニス滞在のさいの定宿であった Grand Hotel de France が閉鎖中だったので、私はとりあえずその日の宿を探す必要に迫られた。

そこで、少し離れたところにある Hotel Carlton に行った。このホテルは、チュニスの大通り、ブルギバ通り沿いにあって、ロケーションもいいが、200 ディナール(約1万円)と高めだ。

去年の夏、私は図らずもこのホテルで一週間過ごすことになった。初めは一泊だけの予約だったのだが、熱を出して動けなくなり、このホテルの一室でひとり苦しんだ。これはつらい思い出だが、このホテルでなければもっと悲惨な思いをしていたかもしれない。そういう意味では「恩」があるが、行ってみたら満室だった。

ブルギバ通り沿いにはたくさんホテルがあるが、安いホテルはそれほど多くはない。Hotel Carlton のすぐ隣にもうひとつホテルがあって、見た目はパッとしないが、安そうだった。行ってみると空室があるとのことで、そこに決めた。一泊 100 ディナール(約5千円)だ。

当初は、チュニスから南部に行く予定だったので、長くて3泊程度のつもりだったが、予定が変わって、結局、このホテルに11連泊することになった。そして、最後の夜に3万円と20ドルを盗まれた。

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Grand Hotel de France【盗難の証明(1)】

チュニジアのチュニスに滞在するときの私の定宿は Grand Hotel de France だ。メディーナと呼ばれる旧市街の入り口、フランス門の近くにある。

古いホテルで、フランス時代の面影がある。小さなエレベーターもあって、昔の映画に出てくるような網戸をがちゃんと閉めるタイプのものだった(その後、普通の箱型になった)。

部屋は小さいが、清潔だ。薄暗いが、中庭に面したバルコニーを開けると、光が差し込む。冷蔵庫もないし、ネットも部屋によっては繋がらないが、とにかく安全なのがいい。不愉快な思いをしたことは一度もない。

シャワー・トイレ付きの部屋と、共同の部屋がある。運悪く、共同の部屋しか空いていないときは、ひとまずそこに泊まって、空き次第、シャワー・トイレ付きの部屋に変えてもらったものだった。

値段は、一泊 55 ディナール(2600円)。チュニスで外国人観光客が泊まるようなホテルは、最低でも 100 ディナールはするから、どちらかというと現地の人向けの宿だ。地方から来た人かアルジェリア人が多いようだった。

このホテルはネットでは予約できないようだから、私はいきなり訪れる。満室の時もあるが、たいてい部屋が空いている。そんなわけで、今年の2月末にチュニスを訪問したさい、予約もなしに、スーツケースを引っ張ってホテルに行った。

そして、閉館中なのを知ったのだった。

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異界のテレビ(2)

見ると画面で日本人たちが話している。それはドラマのようだったが、見覚えのないものだった。ちょうど最後のシーンのようで、やがて、エンディング曲が流れ出した。そして、また別の日本語のドラマが始まった。ということは、これは外国の放送に日本のドラマの断片がたまたま映し出されたのではなく、日本のテレビ放送だということだ。

その次に放送された30分ドラマも彼の知らないものだったが、徐々にある疑いが頭をもたげてきた。そして、続いてやはり見たことのない映画が始まった。タイトルの後に監督の名が映し出されたとき、彼の疑いはある確信へと変わった。その監督はいつだったか性暴行で逮捕され、業界から追放され、その作品はすべて上映不可能となったのだった。やはりそうなのだ。その前のドラマも、前の前のドラマも思い当たりがあった。このチャンネルでは、すべてなんらかの不祥事によりお蔵入りとなった作品が放送されているのだ。

映画が終わり、今度はアニメが放送された。その次はまたドラマだった。いずれもメディアを騒がせた「お蔵入り作品」ばかりだった。ふと気がつくと、いつの間にか夜が白み始めている。もう空港に向かわなければならない時間だった。彼はテレビをつけっぱなしにして身支度を済ませ、スーツケースを持った。だが、どうしたわけか、彼はテレビを消すことができなかった。ホテルならそれくらい許されると思っていたのかもしれないし、もしかしたらある予感があったのかもしれない。

そしてとうとう、テレビをつけたまま、ドアを開け、部屋から一歩踏み出した。その瞬間、彼の背後で日本語が別の番組の始まりを告げた。

「さあ、今日から……まりました、……っちゃんと……いくんが生放送でお……するニュー……ラエティ、司会はこの私……しま……がさせていただき……」

彼が画面を見ようと振り向いたとき、ドアがけたたましい音を立てて閉まった。そして、しんと静まり返る廊下を彼はふらふらと歩み出した。

「たぶん疲れてたんだ、って考えるのが普通だね。けどさ、ときどき思うんだ、あれはもしかしたら夢じゃなかったんじゃないかって……」と、この話をしてくれた彼は身震いしてみせるのであった。

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異界のテレビ(1)

桃源郷の昔から、人々はたまさか垣間見た異界のありさまを記録に残してきた。今回お伝えする話もその類といえるかもしれない。

私の友人に X という研究者がいる。その彼が国際学会で発表するために、ある小国の首都に滞在していた。学会の最終日、他の研究者との交流ののち、彼はホテルに戻った。帰国の便は翌日朝だったため、そうとう早く出なくてはならない。彼は荷造りと寝支度にとりかかった。

あとはもう寝るだけとなって、彼はこの国にきてから一度もテレビを見ていないのに気がついた。メディアに関する研究をしている彼は、外国に行くと必ずテレビ放送をチェックするが、今回ばかりは忙しくてテレビをつける暇すらなかったのだった。

そこでテレビをつけた。もう深夜だったから、残念なことに現地のテレビ放送はほとんど終わっていた。彼はチャンネルを順に押していった。アメリカの映画やヨーロッパのドラマがときどき画面に現れた。そして、かなりチャンネル番号が進んだところで、NHKの国際放送にでくわした。

しばらく見たのち、彼はさらにチャンネルを押し続けた(「深く潜る」と彼は表現した)。映るのはいわゆる砂嵐ばかりで、もうなにも映らない領域に到達したかのようだった。このまま押していっても、もとの「1」に戻るだけだ、と彼が思い始め、惰性でリモコンのボタンを押していると、不意に日本語が飛び込んできた。