苦い文学

警察署までの道【盗難の証明(5)】

チュニスの大通りブルギバ通りには、警察官や兵士がたくさんいる。交通整理係もいれば、ものものしく武装した人もいる。警察署はどこか尋ねるにあたり、私はもっとも怖そうではない若い女性の警察官を選んだ(チュニジアでは女性の警察官もたくさん働いている)。

その女性警官は、私が泊まっていたホテルの前で交通整理にあたっていたのだが、私の問いに、指で警察署を示してみせた。大通りを入ってすぐのところにあるというのだ。警察署がこんなに近くにあるのに盗みとはヤツめ大胆な……とぶつぶつ言いながら、私は警察署に向かった。

警察署に足を踏み入れると、ベンチのある部屋があり、そこに一人のジャンパー姿の男が座っていた。そして、待合室の右手に扉のない部屋があった。覗き込むとパソコンの置かれた小さなデスクにやはりジャンパー姿の男が座って何やら作業をしていた。鋭い目つきで私を一瞥した。

「ハハーン」と私は思った。「これは韓国型だな」 つまり、チュニジアも韓国と同じく、警官は特別な任務がないかぎり、地味な色のジャンパーを着用しているもようだ。

私は部屋の入り口に立ちその男性に「お金を盗まれました」といった。すると、何も言わずに待合室の方を指す。ああ、まずはこっちの人にか、と思い、私は最初の部屋に戻り、そこに座っているジャンパーの男に声をかけた。「お金を盗まれたのですが……」

すると、その男は迷惑そうな顔をした。ただの待っている人だった。

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盗難証明書【盗難の証明(4)】

泥棒への感謝の気持ちの只中にあって、海外旅行保険のことを思い出しえたのは僥倖であった。

「いや、泥棒を崇拝している場合ではない。盗難の補償があるかどうか確かめねば」

海外に行くときは必ず一般的な保険に入るようにしているが、これまでスーツケース破損の補償を受けた以外、使ったことがなかったので、盗難が対象になるかもわからなかった。

調べてみると、24時間ネット通話対応のコールセンターがあった。電話してみると、次のようなことを言われた。

「通貨盗難の場合は3万円を上限に補償の対象だが、盗難証明書が必要である」

盗難証明書は警察でもらえるというが、私はそんな手続きをしたことがない。というか、どこに警察署があるのかもわからない。いずれにせよ、もう夜遅いので警察に行くのは明日の朝だ。

そして、次の朝、私はスーツケースを持ってホテルを出た。もとからこの日に別のホテルに移る予定だったからだが、たとえそうでなくても、私はもう滞在したくはなかった。

チェックアウトのさいに、ホテルの人がもう一度「誰も部屋に入れない」と繰り返した。私はもう盗難証明書のことで頭がいっぱいで、それはもうどうでもいいように思えた。

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泥棒への感謝【盗難の証明(3)】

はじめは20ドル札がないのに気がついた。おかしいと思って、改めて手持ちの現金を数えてみると、3万円が抜き取られていた。

20ドル札だけならば落とす不注意もあるかもしれないが、3万円の場合は無理だ。そこで、盗まれたのだと私は結論づけた。

お金は部屋のスーツケースに入れておいたから、誰かが部屋に入ったのだ。そして、現金が消えたことに気がついたその日の午前、私は数時間出かけていた。その時間に入ることができるのはホテルの関係者だけだ(チュニジアのホテル関係者のために弁じておくとこんなことは今までなかった)。

そこで私はまずフロントに行き、盗難があったことを告げた。フロントの男性は「部屋に誰か入ることなどない」という案の定の返事だったが、とにかく言っておくことに意味がある。

それから、私はひどくがっかりして過ごした。いつもは鍵をかけておくスーツケースを、開けっぱなしで外出してしまったことを悔やんだ(もっとも、後になって私はスーツケースが壊されていることにも気がついた)。

ああ、3万円あれば何ができただろう! 私はその日の午後、クヨクヨと考え続けた。

高田馬場の決闘で知られる堀部安兵衛は、江戸で巾着切りにいつの間にか大金を抜き取られらとき、これが腕に覚えのある剣豪とでくわしたのであれば、危険な試合に発展したことだろうが、巾着切りの名人でよかった、と感謝したというが、私も心痛のあまりついにそんな境地にまで至ってしまった。

泥棒よ、ありがとう! お金を全部取らずにいてくれて! パスポートも手付かずのままにしてくれて! 見てください、私はこんなに豊かです!

損失を直視したくないあまり、泥棒を称えるという心的機制まで働き出したのだ。だが、そのとき私は海外旅行保険のことを思い出した。

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新しいホテルで【盗難の証明(2)】

チュニス滞在のさいの定宿であった Grand Hotel de France が閉鎖中だったので、私はとりあえずその日の宿を探す必要に迫られた。

そこで、少し離れたところにある Hotel Carlton に行った。このホテルは、チュニスの大通り、ブルギバ通り沿いにあって、ロケーションもいいが、200 ディナール(約1万円)と高めだ。

去年の夏、私は図らずもこのホテルで一週間過ごすことになった。初めは一泊だけの予約だったのだが、熱を出して動けなくなり、このホテルの一室でひとり苦しんだ。これはつらい思い出だが、このホテルでなければもっと悲惨な思いをしていたかもしれない。そういう意味では「恩」があるが、行ってみたら満室だった。

ブルギバ通り沿いにはたくさんホテルがあるが、安いホテルはそれほど多くはない。Hotel Carlton のすぐ隣にもうひとつホテルがあって、見た目はパッとしないが、安そうだった。行ってみると空室があるとのことで、そこに決めた。一泊 100 ディナール(約5千円)だ。

当初は、チュニスから南部に行く予定だったので、長くて3泊程度のつもりだったが、予定が変わって、結局、このホテルに11連泊することになった。そして、最後の夜に3万円と20ドルを盗まれた。

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Grand Hotel de France【盗難の証明(1)】

チュニジアのチュニスに滞在するときの私の定宿は Grand Hotel de France だ。メディーナと呼ばれる旧市街の入り口、フランス門の近くにある。

古いホテルで、フランス時代の面影がある。小さなエレベーターもあって、昔の映画に出てくるような網戸をがちゃんと閉めるタイプのものだった(その後、普通の箱型になった)。

部屋は小さいが、清潔だ。薄暗いが、中庭に面したバルコニーを開けると、光が差し込む。冷蔵庫もないし、ネットも部屋によっては繋がらないが、とにかく安全なのがいい。不愉快な思いをしたことは一度もない。

シャワー・トイレ付きの部屋と、共同の部屋がある。運悪く、共同の部屋しか空いていないときは、ひとまずそこに泊まって、空き次第、シャワー・トイレ付きの部屋に変えてもらったものだった。

値段は、一泊 55 ディナール(2600円)。チュニスで外国人観光客が泊まるようなホテルは、最低でも 100 ディナールはするから、どちらかというと現地の人向けの宿だ。地方から来た人かアルジェリア人が多いようだった。

このホテルはネットでは予約できないようだから、私はいきなり訪れる。満室の時もあるが、たいてい部屋が空いている。そんなわけで、今年の2月末にチュニスを訪問したさい、予約もなしに、スーツケースを引っ張ってホテルに行った。

そして、閉館中なのを知ったのだった。

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異界のテレビ(2)

見ると画面で日本人たちが話している。それはドラマのようだったが、見覚えのないものだった。ちょうど最後のシーンのようで、やがて、エンディング曲が流れ出した。そして、また別の日本語のドラマが始まった。ということは、これは外国の放送に日本のドラマの断片がたまたま映し出されたのではなく、日本のテレビ放送だということだ。

その次に放送された30分ドラマも彼の知らないものだったが、徐々にある疑いが頭をもたげてきた。そして、続いてやはり見たことのない映画が始まった。タイトルの後に監督の名が映し出されたとき、彼の疑いはある確信へと変わった。その監督はいつだったか性暴行で逮捕され、業界から追放され、その作品はすべて上映不可能となったのだった。やはりそうなのだ。その前のドラマも、前の前のドラマも思い当たりがあった。このチャンネルでは、すべてなんらかの不祥事によりお蔵入りとなった作品が放送されているのだ。

映画が終わり、今度はアニメが放送された。その次はまたドラマだった。いずれもメディアを騒がせた「お蔵入り作品」ばかりだった。ふと気がつくと、いつの間にか夜が白み始めている。もう空港に向かわなければならない時間だった。彼はテレビをつけっぱなしにして身支度を済ませ、スーツケースを持った。だが、どうしたわけか、彼はテレビを消すことができなかった。ホテルならそれくらい許されると思っていたのかもしれないし、もしかしたらある予感があったのかもしれない。

そしてとうとう、テレビをつけたまま、ドアを開け、部屋から一歩踏み出した。その瞬間、彼の背後で日本語が別の番組の始まりを告げた。

「さあ、今日から……まりました、……っちゃんと……いくんが生放送でお……するニュー……ラエティ、司会はこの私……しま……がさせていただき……」

彼が画面を見ようと振り向いたとき、ドアがけたたましい音を立てて閉まった。そして、しんと静まり返る廊下を彼はふらふらと歩み出した。

「たぶん疲れてたんだ、って考えるのが普通だね。けどさ、ときどき思うんだ、あれはもしかしたら夢じゃなかったんじゃないかって……」と、この話をしてくれた彼は身震いしてみせるのであった。

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異界のテレビ(1)

桃源郷の昔から、人々はたまさか垣間見た異界のありさまを記録に残してきた。今回お伝えする話もその類といえるかもしれない。

私の友人に X という研究者がいる。その彼が国際学会で発表するために、ある小国の首都に滞在していた。学会の最終日、他の研究者との交流ののち、彼はホテルに戻った。帰国の便は翌日朝だったため、そうとう早く出なくてはならない。彼は荷造りと寝支度にとりかかった。

あとはもう寝るだけとなって、彼はこの国にきてから一度もテレビを見ていないのに気がついた。メディアに関する研究をしている彼は、外国に行くと必ずテレビ放送をチェックするが、今回ばかりは忙しくてテレビをつける暇すらなかったのだった。

そこでテレビをつけた。もう深夜だったから、残念なことに現地のテレビ放送はほとんど終わっていた。彼はチャンネルを順に押していった。アメリカの映画やヨーロッパのドラマがときどき画面に現れた。そして、かなりチャンネル番号が進んだところで、NHKの国際放送にでくわした。

しばらく見たのち、彼はさらにチャンネルを押し続けた(「深く潜る」と彼は表現した)。映るのはいわゆる砂嵐ばかりで、もうなにも映らない領域に到達したかのようだった。このまま押していっても、もとの「1」に戻るだけだ、と彼が思い始め、惰性でリモコンのボタンを押していると、不意に日本語が飛び込んできた。

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フキダシのドットたち・・・

私はネットで、友人とメッセージのやり取りを続けていた。

私たちはK-popについて話していたのだが、あるアイドルの新曲の話題になったとき、私はこう言った。

「あれ、一回聴いてもういいかなって。最近の傾向かもしれないけどガチャガチャしててメロディがないんだよな」

こう送信した後、私は彼がこのアイドルの大ファンだったことを思い出した。

すぐに取りつくろう言葉を送ろうとしたが、彼のほうで入力中のマークが出現するのが見えた。フキダシの中で小さいドットの列が薄くなったり濃くなったりしている。

私は彼の返事を待った。あんがい同意見かもしれない、と思ったからだったが、彼はずっと入力中のままだった。

私はしばらく待っていたが、灰色のドットのアニメーションは変わらなかった。なにを書いているのだろうか。私はメッセージを送ろうかと考えたが、そのとき家人に呼ばれて携帯を閉じた。

一時間ほどして、再び携帯を開くと、私は彼の入力中のステイタスが変化していないのに驚いた。もしかしたら、と私は思った。入力の途中で放置しているのかもしれない。

それから私はこのことをすっかり忘れてしまった。二日ばかりのちにふと思い出して、アプリを開くと、彼はまだ入力中なのだった。

やはり彼は怒っていたのだ。それで、とんでもない長編の反論を執筆中なのだ。確かにそんなことをしでかしかねない男だったが、私はこの途方もない空想を打ち消した。

不可解な思いに囚われながら、私は、左から右へ動いているように見えるその小さなドットを見つめていた。

すると、私は奇妙なことに気がついた。それらのドットのアニメーションは、いつもの入力中のものとはどこか違うのだ。

私は目を凝らして、そのドットたちを見つめた。私の老眼の目が欺いたのであってほしいと思うが、それらはドットに似た文字であり、ひたすら罵りの言葉を繰り返していた。

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KIRINJI 病

私の友人が急病で病院に搬送されたと聞いて駆けつけた。絶対安静と掲げられた病室の前に行くと、年老いた彼の父がいて、容態を聞くと命に別状はないとのことで一安心した。

「いったい何の病気なんですか。この間会ったときは元気に見えましたが」

「実は、数ヶ月前から調子がおかしくなっていたのです……」と彼の父は詳しく教えてくれた。

私の友人は音楽が好きで、古いものから最新のものまで何でもよく聴いていたのだが、あるとき若手のミュージシャンの曲を聴いているとこんなことをつぶやきだした。

「これはなんだか KIRINJI の影響を受けているな」

KIRINJI とは、今の日本の音楽に多大な影響を与えているミュージシャンで、彼がそう思うのも無理からぬことであったが、話はそれだけでは済まなかった。その日以降、彼はなにを聴いてもこんなふうにぶつぶつ言うようになってしまったのだった。

「このメロディーの流れは KIRINJI の『愛の Coda』だな」
「なんかわからないけど雰囲気が『ニュータウン』だぞ」
「ちょっと待てよ、これは『まぶしがりや』のコード進行のヴァリエーションかな」

家族は不安げに見守るしかなかったが、今日、いきなり「なんだこれは KIRINJI の『雲呑ガール』そのままじゃないか!」と大声で叫ぶと、卒倒した。なんでもそのとき彼は YouTube で「オバケのQ太郎」の主題歌を聞いていたのだという。

それで今回の緊急搬送となったが、医者は意識を失った彼を見るなり、家族にこう言ったそうだ。「ほら、この爪を見てください。痩せているでしょう。これは KIRINJI 病 の初期症状なんです」

この KIRINJI 病、国内で症例が数例あるのみという珍しい病だというが、さいわいだったのはここで治療に入れたことで、十分に完治可能だという。だが、もしこのまま放置していたら慢性化する恐れがあったとのこと。そうなると、ガラスのベルが鳴り響くのを聞いても、夜に子どもの泣く声が踊り場に響いても、KIRINJI に聞こえるようになってしまうのだそうだ。

今、彼は医師の厳重な管理のもと治療を受けている。朝昼晩に抗 KIRINJI 剤を投与されているとのことで、近いうちにヤバめのライムでパンチラインをフローに乗せる元気な彼の姿が見られるかもしれない。

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無ゴミ箱社会の到来

異国の大通りを歩いていたら、数名の日本人に出会った。日本人たちは、道端に立ち、行き交う人々を真剣な面持ちで見つめているのだった。そのうちのひとりが叫んだ。

「あっ、あれあれ、あの男性、見事ですねえ!」

「ほうほう、でどんな?」と別のひとりが尋ねると、叫んだ方は「こうでした!」と手をブラリとさせて身をよじってみせた。すると誰かが言った。「いや、もうちょっと肩が下がって、脇を引き締めていた」

「なるほどなるほど、ではそれでもう一度お願いします」と別のひとりがビデオを向けて、その「フォーム」を記録しはじめた。

私は異国で異常なふるまいをするこれらの同胞が気になって、思い切って尋ねてみた。するとリーダーらしき男性が答えた。

「私たちは将来の日本のための調査をしているのです。現在、日本では深刻な少ゴミ箱化が進んでおり、じきに街中からすべてのゴミ箱が消えることでしょう。私たちは、この本格的な無ゴミ箱社会の到来に備えて、どのようにしたら日本人がさりげなく道でゴミを捨てられるようになるかを研究中なのです」

そのとき、誰かが声を上げた。「ほら、見ましたか! あの男性! タバコを口に持っていくその瞬間に、脇から紙屑がはらりと落ちました」

「見ました! 実にスマートなポイ捨てぶりでした!」「忘れないうちに記録記録!」

うれしげに騒ぐ仲間たちにリーダーが微笑みながら私に言った。「私たちはこれらの貴重なデータを持ち帰って、帰国後、日本初の『ポイ捨て研修』を東京で開催する予定です。ここでお会いしたのもなにかの縁でしょう。会の案内を差し上げますから、どうぞご連絡ください」

私はそのリーフレットをありがたく頂戴すると、お辞儀をして立ち去った。そして、角を曲がったところで、放り捨てた。