旅・観察

コロナの壺

楠勝平「おせん」(1966、『彩雪に舞う…』2001、青林工藝舎)

 2月21日から3月2日にかけて、チュニジアに行ってきた。現地を出たのが3月1日だから、9日間ほど滞在したことになる。
 チュニジア行きは、12月に計画したもので、当然ながら、コロナウィルスのことなど頭になかった。
 コロナが広がるにつれ、行くべきかどうかずいぶん迷った。自分がすでに感染していて、チュニジアで発症してしまったり、友人たちに移してしまったりしたらどうしようとか、あるいは、フランスでのアジア人に対する様々ないやがらせが報道されていたから、フランス語圏でもあるチュニジアでそんな目に会ったらどうしようとか。
 そうした可能性のうちもっとも悲しいことだと思われたのは、親しい友人たちが、コロナを恐れるあまり、掌返しで私を拒絶するという事態だった。ふと楠勝平の漫画「おせん」が思い出された。
 貧しい町娘のおせんは、裕福な恋人と戯れている間に、高価な壺をうっかり割ってしまう。するとおせんはその瞬間、顔色を変えて恋人が割ったと責め出すのである。恋人はこれにショックを受け、そして二人の仲も壺のように壊れてしまうというわけだ。
 できればそんな物悲しい経験をしたくはない、と思いつつ訪れたチュニジアであったが、実際は滞在期間中に出会ったどの人も暖かく迎えてくれた。ホテルやレストラン、電車でも不愉快な思いをすることはなかった。コロナの壺は割られていなかったのだ。私と会ったり、そばにいたりするのを不安に感じた人もいただろうが、それをあからさまにする人はほとんどいなかった。
 これは、本当にありがたいことだった。
 それどころか、街を歩くとしばしば「コロナ! コロナ!」という温かい励ましの声すらいただいた。きっと、育ちの良い子どもたちや、前途有望な若者たちに違いない。ただし足早に通り過ぎたのでどうだかしれない。

旅・観察

スーク・イル・ビルカ

 チュニスのメディーナにあるスーク・イル・ビルカ(Souk el-Berka)は、現在は宝石店が立ち並ぶが、かつては奴隷市場であった。チュニジアの口承文芸の「親を売る者」という物語では、少年が馬を買うために親をスーク・イル・ビルカに連れて行って競りに出す場面がある。

 「みんな、新しい着物と馬が必要だ。立派な行列を作ってスルタンの御前に出られるようにな」(と寺子屋の先生が言います)。
 少年たちは喜び勇んで出て行きます。商人の子は帰宅して父に言いました。
 「お父さん、先生がこんなことを言いました。お父さん」
 「息子よ、私になにができるというのかい。昼と夜の食事を才覚するのもやっとなのに」
 少年は泣き出しました。
 「他の子たちはできて、どうして僕だけダメなの。他の子たちは行くのに、どうして僕だけダメなの。みんななんて言うだろう。このままじゃ僕はずっと友達の笑いものだよ」
 こんな調子が、一日、二日、三日と続きまして、ついに哀れな父親は音を上げました。
 「どうしたらいいか教えてやろう。外に出て私を売りなさい。私と引き換えに手にしたもので馬を買うのだ」
 「お父さんを売るだって? 死んだほうがマシです」
 「私を売れと言ったのだ。これは命令だ。歯向かう気かい」
 そこで、少年は父親を市場に連れて行きます。当時は、ビルカ・スークでは奴隷の売買をしておりました。そこにいる競売人に「この老人を競りにかけてください」と言いますと競りの始まりです。

アル・アルウィー物語集第1巻「親を売る者」