苦い文学

ベビーカーの戦争

今日、ベビーカーを電車に乗せるのを手伝ってあげた。

前輪が車両とホームの間に挟まって動かなくなっていたのだ。私は駆け寄ってベビーカーの下部を掴んで車内に引き入れた。

ベビーカーと押し手が入るとすぐにドアが閉まった。あぶないところだった。

「ありがとうございます」

「いえいえ」と言いながら目を向けた私はやや奇異な感じをもった。なぜなら、それは老婦人だったから。私はてっきり若い母親かと思い込んでいたのだ。だが、よくよく考えれば、孫を連れて出かけるのに、おかしなことなどなかった。老婦人はいかにも安心したという表情で言った。

「こんなに親切な人は初めて」

「そんなことはないですよ」

「ほんとよ。駅と電車ではイジワルばかり。みんなベビーカーを目の敵にして。怒鳴ったり、突き飛ばしたり、この間なんか、窓から放り投げようとしたり……」

ベビーカーにかぶさっている黒いシェードが小刻みに揺れた。中で赤ん坊が手を振り回しているようだった。

「まさか、そんなことが」 

ベビーカーの中から喃語が聞こえた。はぶっばーびっ。 

「うちのあの人だって、お兄さんみたいにベビーカーにやさしかったらこんなことにはならなかったのに」

シェードの揺れがますます激しくなった。おもちゃで遊んでいるのか、鈴の音が聞こえた。ばーばーはぶっーびーびっはばっー。

「あらあら」と老婦人がシェードをあげる。

そこにいたのは赤ん坊ではなかった。いや、赤ん坊だった。ただ、顔だけが年老いた男なのだった。はぶっーびっーばーはーびぶっばー。小さな手に握られたおもちゃがかわいい音を立てた。

「この人も」と老婦人は繰り返した。「ベビーカーにやさしくしていたらこんなことには……」

老婦人の夫は、皺だらけの口をとがらせて振るわせはじめた。ぶぶぶぶうううぶぶううぶうううー。それは次第に耐え難いほどの醜悪さに達した。

私は静かに頭を下げると、早足で隣の車両に逃げ込んだ。

働く男たちとベビーカーの間ではじまった戦争は、いまやもっとも凄惨で、もっとも異常な局面に達しているようだ。

苦い文学

弁護士たちの山

この夏、私はソロキャンプにハマり、大金を投じてキャンプ道具一式を揃えると、夏じゅうあちこちの山で孤独と自然、そして肉料理を楽しんだ。

とある山の奥地でキャンプを設営したとき、私は少し斜面を降りたところにある渓流でビールを冷やすことにした。清らかな流れの中にビールを入れ、何の気なしに水の流れを見つめていた私は、小さな黄金色の輝きに目をとめた。屈んで拾い上げる。それは砂つぶぐらいの大きさだったが、紛れもない金だった。

私は夢中になって川の砂を手で掬い、さらに金を探したが、見つからなかった。私はもっと砂金が採れるかもと考え、川上へと歩き始めた。

どれくらい遡ったか、あるところで渓流が急にひらけた。そこでは、人々が篩を手に砂金採りをしてるのだった。奇妙なことに、みな背広姿だったが、私はかまわず川に駆け寄り、砂を掬いはじめた。

すると、ひとりの男が私のそばにやってきて、厳しい口調で言った。「当職に身分証明書をまず見せなさい」

「身分証明書? なんでそんなものを」

「当職に見せないと、犯罪要件を構成するとみなさざるをえないな」

「いったいなんの犯罪に? この川は私有地なのですか?」

「当職が言っているのはそんなことではない。非弁行為は立派な犯罪なのだ」

「非弁? 弁護士がなんの関係があるのです? あなたも弁護士なのですか」

「もちろん当職も弁護士だ」と彼は背広の襟の弁護士バッジを私に見せた。

「ですが、弁護士でなければ、この川に立ち入ってはいけないのですか? そんな決まりがあるのでしょうか」

「無論だ。この川の上流にあるB型肝炎給付金山から流れ出てくる金を採取できるのは弁護士だけなのだ」

私が絶句していると、弁護士はこう告げた。「さあ、重大な罪を犯す前に、ここを立ち去るのだ」

私は諦めた。泣く子と弁護士には勝てない世の中だ。かといって、もと来た道を戻るのもシャクだった。そのとき私は、渓流の脇に細い道があるのに気がついた。私は無言で歩き出し、その道に足を踏み入れようとした。するとさっきの弁護士が大きな声で言った。

「おーい、そっちに行けるのも弁護士だけだぞ! 過払い金山に通じる道だからな! なんてがめついやつだ! 油断もスキもありゃしない!」

すると砂金をとっている弁護士たちがいっせいに笑い出した。誰かが叫んだ。

「当職たちに着手金を払おうってなら話は別だ! そうじゃなきゃ、戻れ! 過払い金みたいにさ!」

私は嘲笑を背に浴びながら川を下り、テントに辿り着くと、荷造りして山を降りた。それ以来、私はキャンプをやめた。

苦い文学

頭悪いね

(曲が終わる)

「お聞きいただいたのは、アべートルズの新曲『キックバック』でした。本日はヘビー・ローテーションでお届けしております」

「いやいや、何回かければ気が済むんですか?」

「キックバックだけに、ノルマがありまして……というところでお便りが届いています。長崎3区のラジオネーム『じじい』さんからです」(と読み始める)

……こんにちは。毎日楽しく聞いています。いきなりですが、ちょっと困ってます。先日、裏金のことで記者たちに質問攻めにあいました。本当にしつこくて、記者に対して「頭悪いね」といってしまいました。

ところが、それが炎上してしまったのです。もう全国的なニュースになってしまい、地元の支援者からも苦情が来る始末です。

実は私もこれは言い過ぎたな、と思っておりまして。韓国か北朝鮮を相手にしているような気分になってしまったんです。それですぐに反省いたしまして(般若心経を唱えているうちに落ち着いてきたのです)、謝罪をしようと、決心しました。

そこで翌日、外に出ますと、記者たちがたくさんいます。あいかわらずしつこく質問するのですが、私も反省いたしておるものですから、こんなふうにお答えしました。

「記者のみなさんは、じつに頭良いですね〜。ですから、何度も言っているじゃないですか。お答えできませんって。ダメ、質問しても、これ以上、無駄ですよ。何もいいません、いやほんとに、みなさん、頭良いですね〜」

これが昨日にも増して大炎上なのです。悪くいってもダメ、良くいってもダメ、いったいどうしたらよいのでしょうか……

苦い文学

たった一度の人生だから

……人はどうして、たった一度の人生だからと言いながら、好きなこと、楽しいことをしようとするのだろうか。

むしろ、人はこう言うべきなのだ。「たった一度の人生だから、私は好きなことなどしたくない。たった一度の人生だからこそ、惨めで、救いもなければ、価値もない人生を生きたい」と。

だが、たった一度の人生を楽しく喜ばしく生きようとするお前はこう反論するだろう。

「もし来世があるのならば、今生での苦しみにも意味があるかもしれない。だが、来世などないのだ。したがって、苦しみにもなんの意味もないのだ」

これに対し、私はこう答える。「来世の楽しみとひきかえの今生の苦しみなど、本物の苦しみではない」と。それは来世に受ける楽しみの影のようなものにすぎないのだ。そんな苦しみはちっともリアルではない。

だが、たった一度の人生の苦しみは、本物なのだ。リアルなのだ。その苦しみは、なにものとも取り替えることのできない、一回限りの真の実在なのだ。

というと、お前は、つまらぬ言いがかりをつけようとするかもしれない。「いや、それをいうならばたった一度の人生の楽しみとて同じではないか。その楽しみも一度きりの現実だ」と。

では、聞こう。「人がたった一度の人生だからと選ぶ楽しみとはいったいなんなのだ」と。たかだか物や食事に金を払うだけではないか。それは苦しみの永続する鮮烈さ、強烈さにはとうてい及ばないのだ。

なぜお前は苦しまないのか。なぜ世界から憎まれ嫌われ、孤独にあがく人生を生きないのか。空腹と病と狂気にのたうちまわり、打ちのめされ……そう、どうしてお前は打ちのめされることを選ばないのか。それこそたった一度の人生で享受することができる最良のものなのに……

……と、たった一度の人生だからと奮発して買ったダース・ベイダーのフィギュアが、夜な夜な夢枕に立ってこういうことを言うので困っている。

苦い文学

キックバック

日本の憲政史上の最重要シーンをひとつ挙げろといわれれば、2023 年 12 月 11 日正午に挙行されたルーフトップ・パフォーマンスに指を屈する。

自民党の大物政治家たちが、日本の政治の中枢、永田町1丁目1番地にそびえる自民党本部の屋上で、突如として演奏を始めたのだ。

このルーフトップ・パフォーマンスのポリティシャンは次のとおりだ。

松野博一官房長官(リズムギター&ボーカル)
世耕弘成参議院幹事長(ベース&ボーカル)
西村康稔経済産業大臣(リードギター&コーラス)
萩生田光一政務調査会長(ドラム)
高木毅国会対策委員長(キーボード)

これらのポリティシャンが、慎重かつ適切に楽器を鳴らすと、自民党本部周辺の周囲は騒然となり、たちまち人だかりができた。騒音の苦情に警察も続々と駆けつける事態となった。

これだけの騒ぎにあっても、どのポリティシャンも与えられた職責をまっとうしたプレイを聞かせたのはさすがの一言に尽きる。

この歴史的パフォーマンスの曲目を次に記し、短い解説を付す。

「キックバック」(軽快なビートで「キックバック」を求めるノベルティソング)
「キャント・バイ・ミー・票」(お金で票は買えないよ、というメッセージソング)
「パーティー券はそのままに」(収支報告書には記載しないで、という切ない気持ちを歌った曲)
「ノー・リプライ」(答弁を差し控えさせていただきたい気持ちをシャウト)
「ドント・レット・ミー・ダウン」(事情聴取でがっかりさせないで、という胸の内を聞かせる)
「キックバック(リプライズ)」

最後のキックバックでは、パーティー券を屋上からばらまくというサプライズ演出もあり、聴衆を大いに沸かせた。

また、演奏の締めくくりに松野博一官房長官が聴衆たちに向かって語りかけた「派閥を代表し、感謝を申し上げます。有権者の審判をパスできればいいのですが」という一言も忘れがたい。

なお、このルーフトップ・パフォーマンスを最後に、派閥は解散した。

苦い文学

しんがり

近い将来、世界各国は驚くべき方向転換を行うだろう。そして並々ならない外交的努力により、地上からあらゆる戦争・紛争を一掃し、全世界が力を合わせて「持続可能な開発目標(SDGs)」の実現に取り組むだろう。

そして、私たちの美しい世界は「持続可能な開発のための2030アジェンダ」に記されたとおり、2030年までに「持続可能でよりよい世界を目指す 17 のゴール」を達成するのだ。

だが、そのとき私たちは、ひとりの男が山奥に隠れ住んでいることを知るだろう。その男は自分を裏切った世界を捨てて何十年もひとりで暮らしていたのだ。だから、SDGs のことなどなにひとつ知らず、ただ愚かな野獣のように生きてきた。

粗野で無教養なその男は、どんなゴミでもポイ捨てするのだ。山で暮らしてきたにしては、自然を大事にする気持ちもいっさいなかった。そして、口を開けば外国人や女を嘲る言葉が出てきた。私たちはさっそく人を派遣して、この男の心をサステナブルにしようとするだろう。そして、それが不可能であることも悟るだろう。

「この男のせいで私たちの SDGs が達成できない」と私たちは大いに苦しむにちがいない。なぜなら、「誰ひとり取り残さない(leave no one behind)」ことが、私たち SDGs の誓いだったから。

そこで、私たちは暗殺者を山に送り込み、この男を密かに殺すだろう。誰ひとり取り残さないためにはやむをえないのだ。

この暗殺者を、私たちはのちに「SDGs のしんがり」と呼ぶことになるだろう。

苦い文学

心やさしいあなたへ

【あなたも心やさしい人?】
生きづらさを感じていませんか? 人間関係に悩んでいませんか? もしかしたらあなたは心のやさしい人かもしれません。この記事では、心やさしい人の特徴と、ぴったりな職業、役にたつアドバイスについてまとめました!

【心やさしい人の4つの特徴】
次の4つの特徴が当てはまったら、あなたは心やさしい人の可能性があります。

1)共感力や感受性が高い。
2)思いやりがある。
3)自分の意思を押しつけることができない。
4)他人の要求を断れない。

【心やさしい人にぴったりな職業】
4つの特徴に当てはまるあなたにぴったりな職業は「非情な殺人兵器」です! 心やさしいあなたが戦場では役に立たないなんて誰が言いましたか?

1)共感力や感受性が高い。
=>殺された仲間の気持ちが痛いほどわかるあなたはもう敵への憎悪に燃えているはず。さあ、非情な殺人兵器になるのです!

2)思いやりがある。
=>相手を思いやる心は、愛国心の基礎! あなたの愛するその国がいま敵に脅かされています。思いやりを憎しみに変えたら、敵とあらば、子どもだって赤ん坊だって躊躇なく殺しまくる非情な殺人兵器の誕生です!

3)自分の意思を押しつけない。
=>殺人兵器にもっとも不要なものは「自分の意思」なるもの。どうやらあなたにはその準備ができているようですね!

4)他人の要求を断れない。
=>どんなに残酷で、残忍な作戦だって、命じられれば、文句ひとつ言わず遂行するのが非情な殺人兵器です!

【心やさしいあなたへのアドバイス】
心のやさしさを憎悪でくるめば、どんなことだって可能なはず。心やさしいあなたに必要だったのは、ただひとつ、敵への憎しみだけ。あなたが感じていた「生きづらさ」を「殺しやすさ」に変えたとき、きっと非情な殺人兵器になれるはず。

では、戦場でお会いしましょう!

苦い文学

しかけ女房

ひとりの教師が授業の方法を考えながら散歩をしていると、草むらから悲しげな動物の鳴き声がした。

覗きこむと、タヌキがワナに足を挟まれているのだった。不憫に思った教師はワナを外して逃してやった。

その夜、教師の住むアパートにひとりの女がやってきた。教師は一晩泊めてやるつもりだったが、いろいろあって夫婦になった。

そのころ教師は職業上の悩みがあった。校長から「子どもたちに学ぶ楽しさを与えよ」という難題を与えられていたのだった。教師がため息をついていると、女が事情を聞き、こういった。

「私がいいというまで決してこの部屋に入ってこないでください」

教師が不審に思いながら待っていると女が姿を現した。「教室でこのしかけを使えばうまくいきますよ」

翌日、教師がそのしかけを用いて授業を行うと、子どもたちは大いに楽しんで学んだのだった。ひと安心した教師であったが、それも校長が「では次は子どもたちを調べ学習好きにするのだ」と求めるまでであった。

校長の無理難題に暗い顔つきで教師が家に帰ると、察した女は事情を聞き出しこういった。

「私がいいというまで決してこの部屋に入ってこないでください」

教師が悲痛な顔で待っていると女が姿を現した。「教室でこのしかけを使えばうまくいきますよ」

翌日、教師が授業を行うと、しかけは驚くほどぴたりとはまった。子どもたちはすっかり調べ学習好きになってしまい、校長室に行って校長の机の中まで調べ学習するほどだった。周りの教師たちはこの様子を見て「とんだスゴ腕教師だ」と感嘆したが、校長は「では次は崩壊した学級の子どもたちを仲良しにするのだ」と容赦なかった。

今度ばかりはもうダメだと、青ざめた顔で帰宅した教師に女はいった。

「私がいいというまで決してこの部屋に入ってこないでください」

教師はじっと待っていたが、じょじょに不安が頭をもたげてきた。いくらしかけを作るのに巧みな妻でも、今度ばかりはうまく行くものだろうか……。いても立ってもいられなくなった教師は、女の閉じこもった部屋の扉を開けた。

そこには、教育書と教材の研究に余念のないタヌキの姿があった。タヌキは悲しげに教師を見ながらいった。

「私はいつぞやのタヌキでございます。タヌキの学校で教師をしておりましたが、授業のしかけづくりに夢中になったあまり、自分の作ったしかけに引っかかってしまったところ、あなたに助けていただいたというわけで……」

苦い文学

ソウルのバス停

韓国の仁川で開催された「日韓市民100人未来対話」は、11 月 24 日からだが、私はいわゆる「前乗り」をして、23 日の夜と 24 日の朝をソウルで過ごした。

はじめて韓国に行く私はこの機会にどうしても見たいものがあった。それはバス停だ。

韓国のドラマではバス停がよく出てくる。ただ、バス停といっても標識が一本立っているだけのものはあまり出てこない。そうではなくて、屋根があってベンチがあるタイプだ。

このバス停が韓国のドラマで非常に重要な役割を担っているのだ。

主人公が出会ったり、別れたり、告白したり、バスに飛び乗ったり、追いかけたり、ベンチでため息ついて物思いにふけったり、酔っ払って寝込んだり……つまり、ソウルでもっともドラマティックでロマンティックな場所なのだ。

もちろん、現実のバス停はそうではないだろうが、そうであっても私はぜひこのバス停をいろいろ見たいと思って、ソウルの街を歩き回り、バス停を見つけるたびに「お、いいバス停」などと呟きながら写真を撮ったのだった。

ただ、かえすがえすも残念だったのは、実際にバス停のベンチに座ってドラマ感を味わうことができなかったことだ。バスを待つソウル市民の中に入って「これがあのバス停か……」などと感慨深げにバス停を鑑賞する勇気がなかった。バス停は人がバスに乗るための場所であり、観光地ではないのだ。

だが、それでも私はバス停をもっと味わいたい。次回は、ソウル各地のバス停を訪問し、できればベンチで宿泊したいと思っている。

苦い文学

仁川開港場通り

11 月 24 日から 11 月 26 日にかけて、韓国の仁川で開催された「日韓市民100人未来対話」の初日の夜は仁川のホテルで歓迎晩餐会が行われたが、その前に「文化体験」プログラムも開催された。

どういうプログラムかというと、仁川在住の作家・翻訳家で、仁川官洞ギャラリーという文化施設の館長である戸田郁子さんの講演を聞いたのちに、参加者同士でチームを組んで仁川に残された近代文化遺跡のいくつかを探すアクティビティをするというものだ。

「近代文化遺跡」というのは、主として日本が支配していた時代に建てられた建物で、銀行や郵便局といった石造建築物や、日本人の建てた民家などもけっこう残されている。仁川官洞ギャラリーもまた、昔の日本人の町屋のひとつをリノベーションしたものだそうだ(ゲストハウスもやっていて泊まることもできる)。

これらの建物が残る区域が仁川開港場通りで、おしゃれな雑貨屋やカフェも並んでいるが、古い建物を改修して利用しているものもあるようだ。

ところで、今回の韓国旅行に先立ち、私は自撮り棒というものをはじめて買った。日本でも外国人はみな持っているし、たぶん韓国でもそうに違いないから、これはもう持たねばならないと思い込んでしまったのだ。

さて、講演後のアクティビティでは、各チームは課題となった文化遺跡を地図を頼りに5つ探し出すことになった。建物の前で写真を撮って、ゴールで戸田さんに見せねばならないのだ。

そして、課題であるグループフォトを撮るときに、私の自撮り棒が大活躍したのはいうまでもない。もっとも、グループの若い人に教えられるまで、その使い方もよくわからなかったのだが。