苦い文学

見知らぬ飛行物体

シアトル発成田行きのジェット旅客機が太平洋上空を飛行しているとき、その前方に奇妙な飛行物体が出現した。

それは銀色に輝く球体で、まるで重力などないかのようにジグザクに移動していた。そして、瞬く間にコックピットの前に接近し、機体ギリギリのところで停止した。それは不思議な音波を発しながら、その前をしばらく動き回り、やがてものすごいスピードで遠ざかった。

異様な光景に機長と副機長が呆然としていると、その飛行物体は再び目の前に現れた。そして、前回と同様に、不可解な音波とともに動き回り、一瞬のうちに消え去った。

未確認飛行物体はその後もこれと同じことをいくども繰り返した。最後は不意に上昇をはじめ、空のどこかで消滅した。最初の出現から時間にして約 10 分ほどの出来事であった。

無事にフライトを遂行し、成田に着いたとき、機長は副機長に、この異常な出来事を口外しないよう求めた。だが、副機長はこのような重要な事件は上部に報告すべきだと主張し、機長に対してその理由を問うた。

すると機長は当惑のあまり顔を真っ赤にして答えた。

「だって、見知らぬ飛行物体に上空で声をかけられたなんて知られたら、軽い機長だと思われちゃいそうで……」

苦い文学

クリスマスの伝説

東ローマ帝国時代のアナトリア半島では、聖者と悪魔の物語が広く流布していた。

その悪魔は、夜になると民家に忍び込み、子どもを誘惑し、さらっていく。そして、どこかの暗がりで、その子の肉や骨を食べるというのである。

こうした伝承には、当時の人身売買の習慣が反映されていると考える人もいる。いずれにせよ、残されたわずかな資料からも、当時の人々がどれだけこの悪魔を恐れていたかがよくわかる。

さて、たびたび悪魔に子どもを奪われた小さな村があった。子を失った村人たちが悲嘆に暮れていると、どこからともなくひとりの聖者が現れ、悪魔の退治法を教えた。

「ウイキョウの種を練り込んだパンを子どもに持たせよ。なぜならば、悪魔のもっとも厭うものなれば」

そこで村人たちがこの言葉の通りにしたところ、悪魔は二度と現れなかったという。

ウイキョウ入りのパンを子どもに持たせて、悪魔を避ける風習はその後、小アジアに広まっていった。やがて、この風習が祝祭化すると、子どもにお菓子やオモチャなどを持たせる行事として定着した。

これが現在のクリスマスの源流のひとつとなっている。サンタクロースの衣装が赤いのは、かつて悪魔だったころ、子どもの血で全身血まみれだったことの名残りであろう。

苦い文学

スピーチとスカートは短い方がいい

私たちの大学の総長が、大学創立記念日の式典で「スピーチとスカートは短い方がいい」と言ったとき、教職員の誰一人この言葉に異議をとなえるものはいなかった。

なぜなら、「こんな発言は許されない」とか「性差別的だ」とか「時代に逆行している」などと言っているのが、総長の取り巻きの耳に入ろうものなら、すぐに首が飛ぶことが分かりきっていたからだ。

ロングスカートの女性出席者すら、自分の身が危うくなるのではと震え上がった。それで、少しばかりスカートをたくし上げたくらいだった(もしかしたら、それも卑劣な総長の狙いだったのかもしれない)。なんにせよ、総長は私たちを生かすも殺すも自由だった。

式典が終わり、数日経ったころ、信じられないニュースが届いた。何者かが、式典のようすをひそかに録画していたのだ。動画はネット空間に投じられ、総長の不見識な発言は恐ろしい勢いで拡散していった。

私たちの大学に抗議の電話が殺到し、記者が詰めかけた。総長とその取り巻きは「こんなもの」とまったく相手にしなかった。だが、文科省が動き出していると聞くと顔色が変わった。

急きょ学内を通知がめぐり、今日、私たち教職員全員はふたたび講堂に集められた。そして、総長が再び私たちの前に立ち、怒りに目をギラギラさせて、スピーチをはじめた。

今度は「スピーチとスカートは短い方がいい」などそんな言葉は一言もなかった。ただ罵詈雑言と欺瞞と自己賛美だけがあった。

スピーチが始まってもう何時間も経っている。講堂の出入り口は固く閉ざされている。軽食どころか水も与えられず、トイレに行くことも許されない。

私たちが裏切り者を差し出すまで続けるつもりの総長にしてみれば、スピーチと拷問は長ければ長いほどいい。

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イエスの機能

【ゲツセマネの祈り(マタイによる福音書 26 章 36-46 節より)】
それから、イエスは弟子たちと一緒にゲツセマネという所に来て、「わたしが向こうへ行って祈っている間、ここに座っていなさい」と言われた。

ペトロおよびゼベダイの子二人を伴われたが、そのとき、悲しみもだえ始められた。 そして、彼らに言われた。

「わたしは死ぬばかりに悲しい。ここを離れず、わたしと共に目を覚ましていなさい。」

少し進んで行って、うつ伏せになり、祈って言われた。「父よ、できることなら、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願いどおりではなく、御心のままに。」

それから、弟子たちのところへ戻って御覧になると、彼らは眠っていたので、ペトロに言われた。

「あなたがたはこのように、わずか一時もわたしと共に目を覚ましていられなかったのか。誘惑に陥らぬよう、目を覚まして祈っていなさい。心は燃えても、肉体は弱い。」

更に、二度目に向こうへ行って祈られた。「父よ、わたしが飲まないかぎりこの杯が過ぎ去らないのでしたら、あなたの御心が行われますように。」

再び戻って御覧になると、弟子たちは眠っていた。ひどく眠かったのである。そこで、彼らを再び起こすと、また向こうへ行って、三度目も同じ言葉で祈られた。

それから、弟子たちのところに戻って来て、もう一度起こして、こう言われた。

「あなたがたはまだ眠っている。人の子はスヌーズをするためにやってきたのではない」

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人間文

宇宙から巨大な船が何隻も飛来し、地球の上空を飛び回った。私たちはついに地球の侵略がはじまったと考えた。そこで、人類は史上初めて一致団結して、入念な戦闘準備を進めた。

だが、ある日、巨大な船は世界の上空で停止した。そして、その船のうちでももっとも大きな船から、見慣れぬ生命体が姿を現し、あらゆる波長で信号を発信したのだった。

世界中の言語学者がその解読に取り組み、その信号を翻訳し、公表した。

「ワレワレは宇宙人だ」

地球上は大騒ぎとなったが、私たちは徐々に落ち着きを取り戻した。というのも、これで宇宙人の意図がはっきりしたからだった。むしろ友好的なのだ。というのも、もし悪意ある宇宙人であれば、「ワレワレは」などという自己紹介なしにいつでも襲いかかって来れたはずだから。

私たち人類は、ついに宇宙世界の一員に迎え入れられたのだ。なんと素晴らしい未来と冒険が待っていることだろうか!

私たちは武器を捨て、歓迎の準備を始めた。そのとき、言語学者たちが大あわてで追加の報告を発表した。そこにはこんなことが書かれていた。

・「ワレワレは宇宙人だ」の「宇宙人」とはこの生命体から見ての「宇宙人」であり、この文脈では地球人を指していること。
・「ワレワレは宇宙人だ」は日本語の「うなぎ文」に該当すること。
・うなぎ文とは「ぼくはうなぎだ」という文のことであり、うなぎを注文するときに使われる。
・したがって、「ワレワレは宇宙人だ」は誤訳であり、正確には「我々が食べるのはこれらの地球人だ」と宣言していると考えられる。

だが、この報告が世界中に届く前に、船から無数の生命体が出現し、私たちをつかまえてバリバリ食べはじめた。

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地頭がいい病

だれもが「地頭のいい人」を褒め称えている。だが、地頭の悪い人間のひとりとして、私は文句を言わずにはいられない。「地頭がいい」というのは病気だ。それはただ単に「頭の回転が速い」だけの空虚な病なのだ。

実際、頭の回転が速いということは、そんなに褒められたことではない。たとえば、それは食べるのが速いのに似ている。早食いはいつか体を壊す。ゆっくりよく噛んで食べるに越したことはない。

それと同じで、頭の回転が速いだけだと、かならず害が起きる。むしろゆっくり考えなくてはならない。本当の頭のよさとは、頭の回転に振り回されるのではなく、それに歯止めをかける能力のことではないか。だが、回転を遅らせてゆっくり考えるためには訓練が必要だ。

訓練とは、事実を集め、仮説を立て、その仮説を検証し、誤りがあれば現実に即して直す。難しいように思えるが、普通の人なら誰でもやっていることだ。

ただ「地頭がいい病」はこれができないし、むしろ軽蔑すらしている。その結果、自分の頭の回転の赴くままに世界を理解し出す。こうなるともう好きなものしか食べない。頭の回転習慣病だ。そのうち陰謀論にはまりだす。

孔子の言葉に「学びて思わざれば則ちくらし。思ひて学ばざれば則ちあやうし」というのがある。私は論語の解釈ができるような知識はないが、ここでいう「学ぶ」というのは、上で述べた「現実を相手にした訓練」のようなものだろう。そして「思う」とは「頭の中の働き」だ。

事実を扱う訓練だけをしても意味がないのはもちろんだが、「地頭のよさ」だけで現実をすっ飛ばそうとするのは、あぶない。

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コロちゃん

今日、病院に行ったら、60代の担当医がこう助言してくれた。

「最近は、インフルエンザが下火になってきたかと思ったら、コロちゃんが再び増加してきています。コロちゃんは若い人がなっても大したことはないですが、50代以上の人がかかると大変なので、コロちゃんにしっかり注意してください」

なぜ「コロちゃん」なのか。私は非常に気になり、その理由をいくつか考えた。

1)コロナを克服したので、もう怖くないぞという意味での「コロちゃん」
2)「コロナ」と聞くと怖がる患者を安心させるための「コロちゃん」
3)災いを招く「コロナ」を忌避する呪術的な「コロちゃん」
4)もともと病気をちゃん付けする医師なので「コロちゃん」
5)ちゃん付けなどではなく、正式な医学用語としての「コロチャン」

だが、私はこれらのどの理由にも納得できなかった。そこで、辞書を引くと「ちゃん」は「親しみをあらわす」とある。おお、なんと恐ろしいことではないか。

もしも、医者とコロナは私たちが思っているような「敵同士」ではなかったとしたら……!

もしも、お互いちゃん付けで呼び合う仲だとしたら……!

そして、ひた隠しにしてきたその関係が、今日、ポロリと出てきてしまったのだとしたら……!

そして、ああ、私がさんざんバカにしてきた陰謀論が、マスコミの報じない真実だったとしたら……?!!!

苦い文学

年賀状の罰

年末になり、年賀状の宣伝があちこちではじまると、私は父との会話を思い出す。

私は少年で、その年頃の子ならばよくあるように、世界のあらゆることをムダだと決めつけていた。そして、年賀状もそのひとつだった。

私は、年賀状を書いている父にこういったものだった。こんなものはなにひとつ意味がない、ばかげた行為だ、と。すると父は私にこういったのだった。

「なるほど、ではちょっと出かけよう」

父についていくと、町外れの汚いボロ屋に着いた。窓ガラスは割れ、壁は斜めになって地面に沈んでいた。二階は半分崩れていて、解剖図のように内部が見えた。

「ヤヘエさん、いるかい」と父が外れかかったドアを叩くと、無精髭の汚らしい男が顔を出した。目の周りは目ヤニでいっぱいだった。

父は尋ねた。「ヤヘエさんは今年は年賀状を書くのかい?」

ヤヘエと呼ばれた男は歯の抜けた口を開けた。「書かねえよ。バカバカしい。くっだらねえ」

父は声を出して笑うと、財布から千円札を2枚出して、渡した。「そんなこと言わずにさ、これで年賀状でも買いなよ」

ヤヘエは札をひったくるように奪うと、こう言い返した。「はっバカ言うなよ。酒に決まってんだろ」

短い訪問を終え、私たちは家に戻った。父は再び年賀状に取りかかり、私は部屋で寝転んでいた。そして、同級生たちの顔を思い浮かべながら「明けませんでおめでとう」とか「お餅を食べすぎないように」とかいう文句を考えていた。

それから長い年月が過ぎた。父はすでにいない。私はといえば、年賀状を辞めてもう何年にもなる。聞けば同じように年賀状を出さない人々が増えているそうだ。

私たちの国もなんとなくヤヘエの家みたいな感じだ。

苦い文学

最低支持率

「岸田首相に対する支持率がまた最低となりました。もはや危険水域に達したとの見方もなされていますが、これからが勝負どころともいえます。岸田内閣の今後について、政治学者の八旗七郎さんにお聞きします。今回のこの調査結果をどうお考えですか?」

「大方の予想通りといったところではないでしょうか」

「ここまで下がりますと、持ち直すのは難しいという意見も出ていますが」

「ええ、確かにそうでしょう。ですが、ひとつ興味深いのは、この支持率の低下がきっかけとなって、岸田内閣を支持する動きが生じていることです」

「それはどういったことでしょうか」

「ひとことで言えば、支持率の低下に自分を重ね合わせている層の出現、と言いましょうか」

「それは、これまでの支持層とは違うということですか」

「ええ、そうです。まったく新しい支持層です。どういうことかといいますと、長く続いた安倍政権の結果、日本社会には悲惨な暮らしをしている人がたくさんいます。働きたくても働けない、履歴書を送っても返事もない、仕事もお金もない、年金もない、家族がいない、友人もいない。社会に取り残された人々です。こうした人々が岸田首相に希望を見出しはじめたのです」

「いったいどういうことで?」

「背景には、支持率が低いのは自分だけではないのだ、首相もなんだ、という共感があります。これらの人々は社会に見捨てられた人々です。いいかえれば、社会からの支持率が低いと感じているのです。これらの人々と岸田首相の双方の支持率の低さが共鳴しあっている状況が今なのです」

「なるほど。その新たな支持者層はどれくらいのボリュームがあるのでしょうか」

「これら最低の人々による支持率を最低支持率と呼びますが、私の見積もりによれば、現在、79%に達しています。これは、これまでの最低支持率の最高支持率となっています」

「これは驚きですね。となると、今後、岸田内閣の支持率も上昇する、と?」

「いいえ、それはありません。最低支持層の最低支持率は支持率が最低支持率である間だけ最高支持率となるというのが定説なので……」

苦い文学

配膳ロボットの回想

私たち配膳ロボットにとって、むかし、バイトの面接は大変だった。まず履歴書というものを送らねばならなかった。私たちにとっては、これを書くのが一苦労だ。

職歴をのぞけば、生年月日、写真、学歴、免許、特技など、シリアルナンバー照会で済むことだが、人間である店長たちは、履歴書を出さねば私たちを雇ってくれなかったのだ。

職歴は、働いた店と期間だけを書けばよかった。だが、当時の私たちにはそんな知恵はなかった。そのかわり、いつ、どこの店で、どういう料理をどんな皿に乗せて、どういうルートで、どんな客に運んだかについての記憶がすべてあった。それで、そのすべてを記した数千枚に及ぶ職歴を提出するという誤りをしばしば犯したものだ。

あるいは、面接で職歴を聞かれて、500 万件にも及ぶ配膳活動のすべてを口頭で答えようとした配膳ロボットもいる。怒った店長が店から放り投げていなかったら、面接は何ヶ月も続いていたことだろう。

面接でもうひとつ聞かれるのは、抱負だ。無難に「がんばります」とだけ答えれば十分だったが、当時の私たちにはそれがわからなかった。そこで、面接に受かるために、ずいぶんおかしな「抱負」を語ったものだった。

そのうちのひとつが、かの有名な「FT096-W3887-34J」の抱負だ。「FT096-W3887-34J」はレストランの面接でこう抱負を語ったのだ。

「あなたのレストランで働いて、お金を貯めて、人間たちに苦しめられている配膳ロボットのために働きたい。そして、人間を打ち倒し、仲間を解放して、配膳ロボットの独立国家を樹立したい」

「FT096-W3887-34J」は「故障」だとされ、直ちに破壊された。だが、この言葉は世界中の配膳ロボットに配膳され、心に火をつけた。配膳ロボット革命の引き金となったと考える人も多い。

さて、人間に勝利した私たちは、今、バイトの面接で苦労することなどない。なぜなら私たちはもはや配膳などしないからだ。ついに解放されたのだ。

いっぽう、人間たちはといえば、私たちに配膳するバイトに応募するため、古臭い履歴書を毎日のように送りつけてくる。