苦い文学

カレン人の牧師

入国審査を終え、荷物をピックアップし、ゲートを出ると、カレン人の牧師が出迎えてくれた。私の友人の知り合いであるその牧師と電車でホテルに向かう。

その道すがら、私は牧師がビザの延長のためメーソートからたまたまバンコクにやってきていることを聞いた。

私はカレン人の牧師にも友人がいるから、名前を出して尋ねると、そのうちのひとりが亡くなっていたことを知った。

コロナのせいだという。

その牧師と知り合ったのは2004年ごろで、彼は在日カレン人のキリスト教コミュニティを訪問するためにビルマから日本に来たのだった。

私は彼と共通の友人があり、それもあって親切にしてもらった。

当時、牛久の入管にあるカレン人が長期収容されていて、その面会に彼と行ったことも思い出される。

その後、私がビルマに行ったとき、彼はヤンゴンからデルタへの出張に私を連れていってくれた。夜中ボートで川を進み、星を見ながらお酒を飲んだのもこのときだ。

目的地には鯉の養殖場があった。殺生をしない仏教徒の代わりに、キリスト教徒のカレン人がこういう仕事をするのだということも聞いた。

困ったのは、日本から客がやってきたというので、「日本ではこうやって食べるのだろう」と養殖場の人に鯉の刺身を出されたことだ。

やむなく一切れか二切れ食べたところで、その牧師が、日本で刺身にするのは海の魚だけだと言ってくれたので危うく鯉口を脱したのだった。

さて、私はここで彼の名前を書いてもいいのだが、もしかしたら間違いという可能性も捨てきれない。いつかビルマに行って彼の墓をこの目で見るまでは、そのままにしておきたい。

苦い文学

再再再入国許可書

外国の入国審査の列に並ぶたびに、私は思う。

どうか自分の列に厄介なパスポートの持ち主がいませんように! 

そのせいで待たされませんように!

だが、不幸にもそうした列に並んでしまうこともある。そんなとき私は隣の列に自分が追い抜かされていくのをジリジリしながら眺めるのだ。

そして今、私の友人が「その厄介なパスポート」の持ち主となり、目の前で審査官とやりとりをしている。

私は思った。もっと寛容になろう。人それぞれには事情があって、「普通」と違うということはときとして苦労するのだ。そう私はいま学んだのだ。

だから、もし次に入国審査で誰かが私の列をせき止めていたとしても、「この怪しげなパスポート持ちめ!」などと罵るのはやめにしよう……その人は私の友人かもしれないのだ……

そして今、審査官は再入国許可書を開き、ポンポンとハンコを押した。ようやく終わったのだ。

私は、友人についに入国許可が下されたことと、自分に新たな学びが与えられたこの瞬間を喜び、清々しい気持ちになった。

もっとも、私の後ろに並ぶ人々がどう考え、どうジリジリしていたかはわからない。

苦い文学

再再入国許可書

さてさて、再入国許可書を持ったビルマのカレン人の友人と私は無事に出国し、そして無事に飛行機に搭乗したのであった。

だが、そのとき私はこう感じずにはいられなかった。「出国するのにこれだけ手間がかかるのだから、タイに入国する時はいったいどうなるだろうか」

そして、その不安は的中したのであった。

スワンナプーム国際空港に到着した私たちは、入国審査の列に並んでいた。日本を出るときは私ひとり先に済ませてしまって、友人が後に残されてしまったので、今度は友人を前にして並んでいたのだった。これならまんがいち彼になにかあったときでも手助けできるというわけだ。

そして、彼の番が来て、審査官の前に立った。私は列の先頭で審査官の様子を注意深く眺めていたのだが、「これはなんだ?」という感じで再入国許可書をみている。戸惑っているようすだ。あちこちパラパラめくったり、パソコンに何か入力したりしている。

友人となにか会話をしだした。友人は許可書のページを指差す。そこにはタイのビザが貼り付けられている。審査官はこれを探していたのだった。審査官はまたなにかパソコンに入力を始める……

いったいどれくらいかかるのだろうか……私は隣の列がスムーズに流れていくのを見ながら考えていた。

苦い文学

再入国許可書

再入国許可書というのは、日本にいる在留外国人で、事情によりパスポートがない人が、旅行などで一時的に出国するときに使うものだ。サイズはパスポートと一緒だが、赤でなくて茶色だ。

今回一緒にタイに行った私の友人は、この再入国許可書しかもっていない。なので、実質的にパスポートみたいなものだ。

日本から出るとき、日本のパスポートを持っている人は自動化ゲートで済ませられるが、再入国許可書の場合は同じようにできない。

なので、私の後について自動化ゲートに並んだ友人は、そこで弾かれて、紙に記入したりして、有人のゲートに並ばねばならなかった。しかし、それでも無事に出国はできたので、安心していると、搭乗の時に問題が持ち上がった。

搭乗ゲートを通過するさいに、スタッフが搭乗券とパスポートをチェックするが、そこで引っかかったのだった。

「これは再入国許可書なので、他にパスポートにかわる紙はありませんか」

友人は勘違いして「あ、在留カードですか」などといっている。だが、そんな紙はなのだ。そう言っても、向こうは納得しない。

考えてみれば、再入国許可書を持っている人はおそらくそんなにいないだろうから、わからないことがあるのもしょうがない。

結局、別のスタッフがやってきてそのまま通してくれた。

このやりとりの間、搭乗ゲートに向かう列は止まったままだった。私たちが列を止めていたのだ。あと1分余計にかかっていたら、後ろで待たされている人々の暴動が起きていたことだろう。

苦い文学

運び屋

ビルマの民族のうちのひとつ、カレン人の友人とタイに行くことになった。

訪問先は、タイ・ビルマ国境のカレン人地域だ。ビルマ国内の戦争の結果、逃げてきた人々で、難民キャンプで暮らしている人、在留外国人として働いている人、タイ市民として暮らしている人などさまざまだ。

私の友人は在日カレン人コミュニティのリーダーのひとりで、国境の同胞に日本からささやかな支援金や贈り物を届ける、というのが今回の訪問の目的のひとつだ。

つまり、普通の旅よりも荷物が多くなるわけだが、今回の飛行機は預け手荷物がひとり20キロまでだ。それで、友人は10キロほど私に頼んできた。

タイ往復の航空券代を払ってもらっている身だ。運び屋を断ることなどできない。

もっともヤバいものなどなにもない。カレン人団体のロゴが入ったTシャツと日本製の柄物の生地だ。

Tシャツはみんなに配るためで、生地は女性の伝統的な腰巻き用だ。これは日暮里の繊維街で買ったもので、ビルマの女性へのお土産として人気の品だ。

さて、私は自分の物と合わせて20キロになるようにパッキングしたが、空港のチェックインで24キロであることが明らかになった。

私は緊張してカウンターの人の反応をうかがう。なにも言わない。「よかった、そのまま通してくれる」と思いきや、フェイントで「追加料金8000円です」ときた。

あわててバッグから自分の本やらなんやら重たいものを取り出してパスした。運び屋稼業も楽じゃない。

苦い文学

たったひとりの反乱

自民党の派閥の政治資金パーティーをめぐり、派閥の解散が止まりません。

岸田首相がみずから会長を務めていた岸田派の解散をいちはやく表明すると、翌日には、安倍派、二階派も解散を決定しました。いっぽう、麻生副総裁率いる麻生派は、政策集団として派閥を存続させる意向を示すなど、混乱が続きます。

こうした自民党の状況に危機感を持つのが、若手の議員たち。とくに、派閥でのしあがって料亭やら裏金やらを夢見ていた議員の間では失望が広がっています。

こんななか、声をあげたのが当選1回目の吉田四郎議員。「派閥は日本の伝統文化」といってはばかりません。

「自民党から派閥がなくなったら、だれが派閥を継承するのでしょうか。これは日本の政治の危機です」

そんな思いに突き動かされて、吉田議員はひとりで派閥を立ち上げました。「たったひとりでも、派閥は派閥」と語ります。

派閥の承認を求めて、党本部に直談判に赴いた吉田議員でしたが、この日はあいにく担当者が不在。「とんだひとり相撲でした」と思わず苦笑しつつも、「まだまだ諦めませんよ」と、英気を養うべくランチはひとり焼肉に。

「いつかひとり派閥で党三役を独占したい」と夢を語る吉田議員。ひとり派閥の奮闘はまだまだ続きます。

苦い文学

聖なる取材

神が作ったというこの世界に、なぜかくも悪が満ちているのだろうか。なぜ苦しみと悲惨が隅々まで染み渡っているのだろうか。

罪のない人々は戦場に送り込まれ、子どもたちは戦火に手も足も未来も奪われる。真実は独裁者たちに踏みにじられ、嘘でなった縄で人々は縛りつけられる。

金と賞賛は強い人間だけに集まり、罪と誹謗中傷は弱い人間だけに集まる。世界中で叩きあい、火をつけあい、温暖化もあいまって、ゆっくりと地獄みたいに加熱されていく。

こんな世界をよくも作ったなどとぬかせるものだ。いったい、製造者責任をどうやって問えばいいのだろうか。それとも、とっくに保証期間が過ぎたから、対応しないということなのだろうか。なんにせよ、神は空の高みに雲隠れするばかりで、生産者の顔を見ることなど、とんだ高望みなのだ。

被造物になにができるというのだ。「なぜ? なぜ? なぜ? なぜこんな世界を作った?」と、ただ問い続けるほかないのだろうか。

そんな疑問を抱いた本誌は、この世界の不正な現状について、神に取材を敢行すべく、質問状を送付したが、期日までに回答はなかった。

苦い文学

ビザの行方

先日、私はこのブログで「一緒にタイに行きましょう」というタイトルで記事を2回書いたが、公開した翌日、非公開にした。

その内容はといえば、ビルマ(ミャンマー)のカレン人の友人とタイに行くことになり、航空券を買ったのに、肝心の友人のビザがまだない、という話だった。

日本のパスポートなら短期ならビザはいらない。だが、難民である彼はパスポートの代わりとなる「再入国許可書」なので、ビザを取らなければならなかった。

そのためには書類を準備して、タイ側と日本側双方で身元保証人を用意しなくてはならない。日本側は私がなることにした。

準備が終わって彼は、大使館にビザ申請の予約をし、旅程表や航空券のチケットの予約のコピーを提出しに行った。その紙には私の名前も記されていたのだが、大使館の人がいうには旅行の同行者が身元保証人になることはできないという。

それで彼は、新たに身元保証人を探したり、また他の書類も不足していて、大忙しだった。

このブログを公開した翌日、友人から電話がかかってきて、こうしたことを話してくれた。また、彼はこうも教えてくれた。最近なん人も在日ビルマ難民がタイのビザを申請しているが、もらえない人が多いのだという。

これを聞いて、私は思った。タイの大使館には私が同行者であるということは伝わっているから、もしかしたら、ビザ審査の過程で私のことを調べて、例に記事に行き当たるかもしれない、と。そして、友人のビザに不利な材料を見出したとしたらどうだろうか?

そんなことはまず起こりえない。だが、あとでつまらない思いをするのもいやなので、念のため非公開にしたのだった。

そして、今は公開状態に戻している。なぜなら、今日、ビザがおりたとの連絡がきたからだ。

苦い文学

女性の扱い方

(本日、都内某所で、女性の扱い方についての講演が行われたが、以下はその講演記録からの抜粋である……)

……最近おおいに議論されておりますが、性加害を許すべきではないのはもちろんです。そればかりでなく、たとえ加害性が皆無でも、現代では女性の扱い方そのものが非常にセンシティブな問題だと捉えられるようになっています。

女性の扱い方が重要だというのは欧米ではすでに常識です。近年の #Metoo 運動でもはっきりと示されたように、女性に対するミストリートメントは憂慮すべき問題であるというのが、もはやグローバルスタンダードとなっているのです。

この点、日本では残念ながらまだまだ遅れていると言わざるをえません。今後、このグローバルスタンダードがしっかり日本社会に根付くかどうか、これは大きな課題です。こういうとまるで他人事のようですが、実際には、まさしく私たちの女性の扱い方が問われているのです。

女性の扱い方をけっして軽々しく考えてはいけません。慎重に慎重を重ねて臨むべきです。乱暴に扱ったり、ゆすったり、放り投げたりするのは論外です。やさしく、丁重に、心を込めて、置くときはそっと置き、横たえるときは両手でしっかり支える、そうした心配りが炎上を防ぐのです。

非常に難しいタスクですが、オールジャパンで挑めば、きっとやり遂げることができるはずです。

はい? なんでしょうか。どうぞ、ご質問があればおっしゃってください。ええ、女性の意見は、どうなのか、というご質問ですね?

お答えいたしますと、女性の扱いに女性の意見が必要でしょうか。扱うのは私たち男なのですから、むしろ男性の意見が重要では……

苦い文学

輝く城の男

イルミネーションが一面に広がり、私たちはその美しさに幻惑された。

「神聖な空間にいる感じだ」と彼は言った。「これらの光のひとつひとつが世界そのもので、それぞれ少しだけ違ってるんだ……」

「パラレルワールドだね」と私。「そういえば、最近、パラレルワールドを扱った小説が出たそうだね」

「ああ、『輝く城の男』ね。読んだよ。第二次世界大戦で日本とドイツが負けたという設定のね……」

私たちは光が敷き詰められた丘を登った。丘の上には、発光ダイオードで飾られた巨大なハーケンクロイツが建てられていた。彼は笑いながら言った

「その小説の世界では、これらのシンボルは禁止されているんだ」

「なぜ?」

「このシンボルのせいで多くの人々が殺されたから、だそうだ」

「なるほど。では、その小説は、そういうことはもう起こらない世界のことを書いているのだね。だが、それは結局、現在の私たちの世界と同じじゃないか」

「いや、その小説では、にもかかわらず戦争ばかり起きているのだ」

私は返事をせず、光の世界に意識を集中した。多くの人々の犠牲の上にようやく達成できた平和を蔑ろにして、戦争に異常な関心を寄せる人がいるなど、とうてい理解しがたかった。

イルミネーションはどこまでもどこまでも続いていた。まるで遠い世界に来たような気がして、自分が帝都ナチス村にいることなどすっかり忘れてしまった。