苦い文学

入ってもいいですかの撃退(前編)

とある学校で日本語を教えている平助は最近ある問題に悩んでいた。

彼が担当していたのは朝の日本語初級クラスで、学生は日本に来たばかりのネパール人だ。

平助が早めに教室に入って、教卓で授業の準備をしていると、ネパール人の学生がやってくる。

「おはようございます、先生」

「おはようございます」

これはまったく問題ない。だが、何人かのネパール人男子学生は教室の入り口に立ち決まってこう言うのだ。

「教室に入っていいですか、先生」

「どうぞ、入っていいですよ」と応じながらも、平助は釈然としない気持ちになる。そもそも教室とは学生の場所ではないか。教員室ならばいざ知らず、そこに入るのに教員の許可など必要あろうか。

しかし、ネパールの学生が悪いとはいえない。ネパールではそうした習慣があるのかもしれず、学生たちはただそれにしたがっているにすぎないのだ。

むしろ責任があるのは教員のほうだ。考えてみれば、ネパールと日本の習慣の違い、つまり日本では教室に入るのに教員の許しをえなくてもよい、ということを、きちんと説明したことなどなかったのだから。

事前に教えずして、できないと怒るのは、愚かな教師のすることだ。

そんなわけで平助は、あるとき授業中に「教室に入るときには、なにも言わず入っていいですよ」とていねいに説明したのだった。

そして、翌朝、いつものように平助が教室にいると、学生が姿を現して告げた。

「入っていいですか、先生」

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訃報の行方

江戸時代の歌舞伎役者の年表を見ていると、四十代で亡くなる人が多いのに驚かされる。今は、医療の進歩により、さすがに四十代で亡くなるのは「早世」の部類だが、それでも五十代ともなると死を覚悟するようになる。

私と同年代の友人で、長らく小学校の教員をしていた吉田という男がいる。私も彼ももういつ死んでもおかしくない年齢で、このあいだ電話していて、自然とそんな話になった。

「そのうち、どちらからか訃報がいくようになるだろうな」と私。

「そうだろうね」

私は吉田と共通の友人の名前をあげた。「俺の場合は、村田に、川口に、佐藤、そして吉田の四人に訃報が行けば十分だな」

「俺も村田、川口、佐藤」と吉田は続け、「それから、山田だ」と私の名を含めた。

「ちょっと待てよ」と私は彼が独身なのに気づいた。「俺の場合は家族と一緒だから、家族が訃報を伝えてくれるだろうけど、吉田は独りだろ。誰が訃報を俺たちに伝えてくれるんだ」

これを聞くと、彼は絶句し、無言になった。私はまずいことを言ったと思い、話題を変え、電話を切った。それからしばらくして、吉田からこんなメッセージが届いた。

【私の訃報連絡網】 吉田>川口>佐藤>村田>山田>吉田

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国際カンケイ大研究!

今年の夏、国連が、アンケート「国家と国家のあいだに友情関係は成立する?」を大々的に実施し、その結果が公表されました! いったいどんな結果が出たでしょうか?!

「国家と国家のあいだに友情は成立すると思いますか?」という質問に、なんと半分以上の国家が「成立する」を選びました! 「成立しない」と「どちらともいえない」がそれぞれ約 20 %でした。以下、回答を寄せた国々からのコメントをご紹介!

【成立する派のコメント】
「我が国には友邦との強固な同盟関係が存在するため」
「たくさんの親日国に恵まれている我が国がその証だと思います」
「一部敵対勢力を除けば、すべての国家が我が帝国にひれ伏しているから」

【成立しない派】
「友人づきあいをしているうちに、いつの間にか敵意を感じるようになった」
「相手のふとした仕草が、思わず敵対感情を誘発して……その後はご想像にお任せします」
「ただの友達だと思っていたが、あるとき急に一方的に告白されて、開戦する事態に」

【どちらともいえない派】
「ほとんどの国家が友達未満敵以上なので」
「友人関係が成立したとしても、お互いの線引きが難しいから」
「友人関係から恋人関係、さらには結婚にまで至りましたが、その後関係が破綻し、二人の間に授かった領土の領有権をめぐって国際家庭裁判所で争う事態となった」

今回は「国家と国家のあいだに友情関係は成立する?」をテーマとしたアンケート結果をまとめました。結果を見るかぎり、世界平和はまだまだ、という感じですね!

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セクシャル・コンセント・マターズ・ハラスメント

今日、安全なセックスを求める男性たちが、国会議事堂前に集まり、怒りの声を上げました。

「性的同意は大事だ!」「尊重しろ!」「同意のない現状を変革せよ!」

(デモの主催者)「私たちは性的同意を求める男性の会です。性的同意は、安心安全なセックス・ライフを送るために不可欠なのです」

デモの参加者「ええ、まったく性的同意がないこの状況をなんとかしたくて、(デモに)参加しました。もうどこを探しても性的同意がないのです。どの薬局、どのコンビニでも品切れ状態が続いており、もう我慢の限界です(と股間を押さえる)」

別のデモの参加者「昔は小さな自販機で売っていたものですがね……えっ外国産の同意ですか? 日本の同意でないと漏れがありそうで怖いですね」

(機動隊と対峙するデモ隊がシュプレヒコールを上げる映像)「性的同意不足を解消せよ!」「吉本芸人とスポーツ選手による不当な買い占めはんたーい!」

性的同意の専門家は「政府は備蓄している古性的同意を早急に市場に放出すべき」と対策の必要を訴えています。

苦い文学

仮説や検証

日本語の問題に次のようなものがあった。

「朝は、ご飯( )魚などを食べます。」
( )の中に入るのは「と」・「や」のどちらか。

私は「と」だと思ったが、他の人は「など」があるから「や」だ、という。そこで答えを見るとその通り「や」だ。つまり正解はこうだ。

「朝は、ご飯や魚などを食べます。」

だが、これでは「ご飯を食べる朝と、魚を食べる朝と、それ以外のものを食べる朝がある」ということにならないだろうか。つまり、「普段は、ロックやジャズなどを聴きます」と同じで、どちらかなのだ。

これが「朝は、ご飯やパンなどを食べます。」ならば、主食どうしなので問題はない。だが、主食(ご飯)とおかず(魚)ではどうだろうか。おかずだけを食べる食事というのは、糖質制限などの特殊な場合以外にはないように思う。

いっぽう「朝は、ご飯と魚などを食べます。」は、毎朝、米を食べるが、おかずは「魚など」ということ、つまり魚、肉、納豆など日替わりということになる。つまりこうだ。

「朝食=ご飯+ x」(ただし x はおかずに限る)

もっとも、言葉は人によって受け取り方はさまざまだから、私の考えが正しいとはかぎらない。いろいろ考えているうちに、私は「朝は、ご飯や魚などを食べます。」がおかしくない場合があることにも気がついた。

すなわち、朝ごはんにいろいろな食べ物がずらりと並んでいて、その中の代表例(あるいは自分の好み)としてご飯と魚をあげるのならば、まったく不自然ではない。

そうした状況として、もっともふさわしいのはビュッフェ形式の朝食ではないだろうか。この仮説を検証するために、どうやら高級ホテルに宿泊する必要がありそうだ。

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ゴキブリの大きさ

ビルマ人と話していて、ゴキブリの話題になった。

「ゴキブリとはなんですか」とビルマ人。

「ゴキブリとは、日本人がもっともきらいな虫のことです。『日本人が見つけたら叩こうとする3大生き物』のうちのひとつだと言われています」

「他のふたつはなんでしょうか」

「女性と外国人です」

私は携帯でゴキブリの写真を探し、その人に見せた。

「ああ、この虫ですか。よく知っています」

「ビルマにはいますか?」

「ビルマにもいますが、日本のゴキブリよりももっと大きいです」

「へえ」

「日本に来たばかりのころ、この虫が耳に入ってしまいました」

「えっ?」

「寝ている間に入ってきました。それで、病院に行って、とってもらいました」

「それは大変でしたね」

「日本語もまだわからなかったから、大変でした」

「びっくりしたでしょう」

「はい、ビルマでもこんなことはなかったです」

「日本のゴキブリは小さいから、耳の穴がジャストサイズだったんでしょう……」

苦い文学

眠気のたたかい

昨日のこと、喫茶店の一角に座っていると、隣の席の会話が耳に入ってきた。

「おい、寝るな!」

「眠くない。眠いのはお前のほうだろう!」

「俺が寝るものか!」

隣を見ると、二人の男が向かい合って座り、猛烈な眠気に襲われているのだった。どちらももう白目を剥いて、頭をグラグラさせているのに、「眠たいのは自分ではない、お前だ」と、互いになじりあっていた。

「お前などすぐ寝るくせに! 俺なんかちっとも眠くないぞ!」

「嘘だ。もうお前は寝てるじゃないか! だからお前はダメなんだ」

「バカいうな! もしもお前の眠気が俺の眠気だったら、1秒と持ち堪えることはできまい!」

「なんだと! 俺の眠気のほうがお前よりももっと強力だ! もし俺の眠気がお前の眠気だったら、不眠気味だと精神科に駆け込むだろう!」

「俺の眠気のほうが強力だ!」

「俺のほうだ!」

「いや、俺だ!」「俺!」……

静かになったので、隣に目をやると、二人ともスヤスヤと寝ていた。テーブルに置かれたなにかの参考書と二つのコーヒーカップを見て、私は少し二人が哀れになった。

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独裁者のラーメン

北朝鮮から亡命してきて、日本で暮らしているという人と知り合いになり、北朝鮮の内情を詳しく伺うことができた。

貴重な話に感激した私は、その方を食事に招待することにした。ちょうど近くにつけ麺で有名なラーメン屋があるので、そこに行きましょう、と誘った。

すると、彼は震え出すではないか。「ラーメン屋ですか? 絶対に無理です。私を殺す気ですか?」

「いったいどうしてですか? おいしいと評判の人気店ですよ」

「なぜって、ラーメン店はすべて北朝鮮の手先が営業しているのです」

「そんなことはありませんよ」

「いいえ、絶対に北朝鮮です。ラーメン屋の店主を見てください。客を見下し、なにかというと舌打ちでびびらす、あの傲慢で残忍な人々を。これらの店主たちは、店内では俺がルールだとばかりに、メチャクチャな決まりを作って、客の自由と食事の安らぎとイヤホンを奪っているではありませんか。まさしく金正恩体制です」

「いや、それはちょっと……」

「しかもですよ。このラーメン恐怖政治に恐れをなして店外に亡命したとても、私たちは安心してはいられないのです。ラーメン屋の独裁者たちは、その逃げる背中を目掛けて、SNS で無慈悲な言葉のミサイルを次々と発射して攻撃するではありませんか! EEZ 圏内に! ただの客なのに! いいえ、すみませんが、私は遠慮いたします」

こう言うと、その方は帰ってしまった。結局、私はひとりでその店に行き、ひとりでつけ麺を食べた。

店内に貼られている大勝軒のオヤジの写真が、次第に金日成に見えてきた。

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トーチョー

ローマ字の綴りで “ky” は “Tokyo” や “Kyoto” などのように、日本語の「キャキュキョ(kya, kyu, kyo)」に用いられる。

ビルマ語にはこの「キャ、キュ、キョ」に当たる音がない。別になくてもいいのだが、問題はこの音をビルマ文字で “k” と “y” にそれぞれ当たる音の組み合わせで表記し、なのに実際の発音は「キャ、キュ、キョ」ではなく、「チャ、チュ、チョ」(に似た音)となることだ。

そんなわけで、ビルマ語話者は「Tokyo」を「トーキョー」ではなく「トーチョー」と発音する。ビルマ文字の綴りに変換してしまうのだ。どうしてこんなことが起こるかだが、おそらく昔はビルマ語には「キャ、キュ、キョ」という音があったが、これが歴史的変化により「チャ、チュ、チョ」に変わってしまったのだろう(こうした変化は他の言語でもよくある)。音は変わってしまったが、綴りは変わらないので、 “ky” が「チャ、チュ、チョ」を表すこととなってしまったのだ(こうした綴りのずれは、日本語にも英語にもたくさんある)。

もっとも、ビルマ語話者が「キャ、キュ、キョ」を発音できないわけではない。ただ、それはいわば「外国語の音」なので、若干の訓練が必要なのだろうと思う。

以前、東京に来たばかりのビルマ語話者が「ここがトーチョーか」などと言っていると、先輩のビルマ語話者が「トーキョーだよ」と訂正したことがあった。外国では「チャ、チュ、チョ」ではなくて「キャ、キュ、キョ」のときもあるよ、ということはビルマ語話者はそれなりに意識しているようだ。

さて、以前、留学生に日本語を教えていたときのことだ。いくつかの調味料が教科書に出てきたので、私はあるビルマ人学生に音読させてみた。

「塩、醤油、酢、ソース、マヨネーズ、ケキャップ……」

ケキャップだって!

と、私は心の中で叫んだ。このビルマ人学生は、「チャ、チュ、チョ」は「キャ、キュ、キョ」で発音する、ということを意識しすぎて、「チャ」のままでいいものまで「キャ」に直してしまったのだ。

この現象は、言語学では過剰訂正(つまり、なおしすぎ)と呼ばれている。

苦い文学

エアエアクオート

映画やなにかで、欧米の人が会話中に、両手の人差し指と中指を同時にクイクイと曲げる仕草を見たことがある人も多いだろう。

これは、英語などで用いられる引用符(”ダブル・クオーテーション・マーク”)を表す「エアクオート」と呼ばれるジェスチャーだ。エアクオートを使うと「他の人はそう言ってるけど、自分はあまり賛同していないよ」というようなニュアンスを表すことができる。

私の友人が先日、このエアクオートでギネス記録にチャレンジした。「どういうこと?」と怪訝に思う人もいるかもしれないが、こうだ。

ある言葉に両手でエアクオートをしたのち、すぐにその両手を少し外側にずらして、もう一度エアクオートを行うと、二重にエアクオートが行われていることになる。あえて文字で表せばこうだ。

   ““バカ””

彼はこのエアクオートをどこまで重ねることができるか、引用の限界に挑んだのだった。ギネス公認の記録は 578 回で、まずはこれを超えることが目標となる。

友人はギネス審査員たちの見守るなか、驚くべきスピードでエアクオートを積み重ねていった。まさに超人的な集中力・体力・腕力だった。576 回、577 回、578 回、579 回! ついに世界新記録達成だ! だが、彼のクオートはやまない! 590 回、前人未到の 600 台! そして、619 回! ここで惜しくも彼は力尽きた! しかし、彼こそがギネス記録保持者なのだ。

審査員たちが駆け寄り、左右からエアクオートの数を確認する。1、2、3……。審査員たちが急にざわめき出し、予想外のアナウンスをした。右側のエアクオートのマークがひとつ足りない、と。指を曲げ忘れたのか、それとも、曲げ方が弱かったのか……それにしても痛恨のミスだ。

残念ながら新記録とは認められなかったが、私たちはみんなで彼を “チャンピオン” とエアクオートで褒め称えた。