苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(おわり)

ツアーは、まずはじめにアウシュヴィッツ収容所内をまわる。それから、博物館の外に出て、シャトルバスに乗り、10分ほどの距離にあるビルケナウ収容所を見学する。その後、再びバスで博物館の入り口に戻って終了・解散となる。全部で3時間強だ。けっこう疲れる。

私の見るかぎり、博物館には3つの書店があった。ひとつは私が最初にガイドブックを買ったところで、入り口入ってすぐのところにある。2つ目はアウシュヴィッツ収容所の出口にある。そして、3つ目はビルケナウ収容所の入り口にあった。

単独行動はしにくいでの、私はツアーのあいだじゅう、本屋をゆっくり見ることはできなかった。そこで、ツアーが解散したのち、再び入場して、最初の本屋に行くことにした。

この再入場が面倒くさかった。再入場はエントリー・パスがあれば無料でできるが、博物館の外にあるチケット売り場で入場券をもらわなければならない。そして、このチケット売り場には、事前にネット予約せずにきた人たちが並んでいるのだ。

私は事前に予約しなければ入れないと書いたが、当日いきなり行っても入ることはできる。その場合、空きのあるツアーに参加しなければならない。だが、そうしたツアーは午後の遅い時間にしか残っていないので、それまで少なくとも2〜3時間は博物館の外で待たねばならない(ネットで見たときは午前のポーランド語とロシア語のツアーしか残っていなかったが、チケット売り場には午後に英語のツアーもあった)。

また、ネットの情報によれば、すべてのツアーが終わった後に個人で自由に入ることができるという。たとえそうだとしても、それまでの時間、外で時間を潰さなくてはならないようだ。

さて、私は列に並び、入場券をもらい、再び博物館の中に入った。本屋には、ポーランド語、英語、ドイツ語、フランス語などの西洋諸語に加えて、日本語、韓国語などの書籍が売られていたが、当然ながらポーランド語、英語がもっとも多い。私は博物館が出版している『アウシュヴィッツ:写真で見る歴史』(英語版)という大きくて重い本を買った。

さて、帰りのバスは、クラクフからのバスが着いたバス停から出る。そのすぐ隣、博物館寄りのバス停が、ビルケナウ収容所を往復するシャトルバスが出るところだ。私はクラクフ行きの時刻表をシャトルバスのバス停で探し、ないので困っていたが、それはクラクフ行きのバス停のところにあった。

午後1時半ごろにバスが来て、クラクフに戻った。帰りは交通事情のせいか、2時間かかった。

アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館の内部については書かない。また写真もあげない。予約専門サイトでは、オンラインツアーの予約もできる(https://visit.auschwitz.org/)。

(画像はシャトルバス)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(6)

館内に入場してそのまま歩いていくと、奥の突き当たりにベンチの並ぶ待合所がある。電光掲示板があり、ツアーのスケジュールが並んでいる。そこでツアーが始まるのを待つ。その間、団体は団体でどんどん中へと進んでいく。

待つ前にしなくてはならないことがある。言語別のシールをもらうのだ。これは待合所の向かいにある(つまり博物館の入り口に背を向けた)インフォメーション・カウンターで、パスを提示するともらえる。そのシールがツアーの目印になっている。ポーランド語は赤のシール、英語は白だった。それを胸などに貼っつける。

また、私は待っているあいだに、セキュリティゲートを通ったところにある書店に行き、公式の日本語ガイド(『追悼の場 AUSCHWITZ-BIRKENAU 案内書』)を買っておいた。ポーランド語の解説がわからないので、せめてガイドで情報を補おうというハラだ。

グループはポーランド人だけかというとそうでもなかった。若い日本人たちもいた。私と同じく前日に予約した愚か者たちのようだった。

時間が来ると、ツアーの解説者が、言語名の記されたボードを持ってやって来る。これがツアーの始まりだ。待合所にある入り口を通って、地下のホールに降りる。そこで、レシーバー付きのヘッドフォンが渡される。これを通じて解説者の話が耳に直に入ってくるのだ。

私たちは解説者を囲みながら、アウシュヴィッツへと入っていく。同行した日本人は、ポーランドの解説者が話しているあいだ、後のほうでぺちゃくちゃ喋っていた。まったく愚かな連中だ。だが、私はといえば、ポーランド語がわからないのがバレないように解説者の近くにいたりした。わかったという感じでしきりにうなずいたりして。

後をついていくにも、他のポーランド人をさしおいて、従順な弟子のようにその真後ろにピッタリくっついていった。解説者はポーランド語で話しながらどんどん進んでいく。後ろにいるのが一言もわからない愚か者だとは、夢にも思わなかったろう。

(画像は、インフォメーション・カウンター)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(5)

バスは予定通り1時間半後にアウシュヴィッツ博物館に到着した。博物館の前は大きなパーキングエリアになっていて、ツアーバスが何台も止まっている。もうたくさんの人が集まっている。

トイレとロッカーのある建物があった。博物館には大きな荷物は持ち込めないので、ここで預けなくてはならない。 事前に送られてきたメールには 33 センチ x 25 センチ x 15 センチより大きな荷物はダメだと書いてあった。

これで大きさをイメージできる人はいいが、私にはわからない。自分の普通の大きさのリュックが大丈夫なのかわからず、周りの人の荷物をみて、一喜一憂する。結局は問題はなかった。

さて、個人の参加者はどこでどうすればいいかもわからない。メールには「博物館のレセプション・ビルに、集合時間30分前に入るように」と書かれている。しかし、博物館の入り口は人が並んでいて簡単には入れそうにない。

そこで、外にいるスタッフの人に聞くと、どんどん入って中で待ってくださいという。博物館の入り口に集っている人は、おそらく団体で、団体なりの理由によって待っているだけのもようだ。

そこで、博物館の中に入っていく。セキュリティ・チェックがあり、そこの人にメールで送られてきたエントリー・パスを見せ、入場した。

(画像はアウシュビッツ行きのバス)

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アウシュヴィッツ訪問(4)

英語のツアーが空いている日は、と調べてみると、2週間後にようやくポツポツと出てくる。私が帰国したあとだ。しかし、そのうちに当たり前のことに気がついた。

ポーランド語のツアーだろうとロシア語のだろうと、参加するのに語学力の証明書がいるわけではない。誰だって参加はできるのだ。ただ解説がわからないだけだ。そういうわけで、私は9月6日朝8時45分のポーランド語の解説者のツアーを予約したのだった。

さて、次の問題は、どうやってアウシュヴィッツまでいくかということだ。ネットの情報によると、朝の6時ごろにバスがあるという。1時間半で着くというから、問題なく間に合う。

ただし、もう深夜の1時だったので、バスのチケットの予約はできなかった。なので、私は翌朝の午前5時過ぎにホテル(というか貸し部屋)を出て、クラクフ駅の隣にあるバスターミナルに行った。掲示板を見ると、6時20分に「Oświęcim(オシフィエンチム:アウシュヴィッツのポーランド語名)」行きのバスがあった。チケット(22ズウォティ、千円ぐらい)を買い、地下のバス停に行った。

すでに20人ぐらいの乗客が待っていた。私は何も食べずに出てきたので、近くの売店でパンを、バス停の前にあったカップ式の自動販売機でコーヒーを買った。

バスが来た。コーヒーを片手に私が乗り込もうとすると、カップの飲み物は持ち込み禁止、と運転手が手で制止した。あわてて外に出て、飲めるだけ飲んでゴミ箱に放り投げた。

(画像はアウシュヴィッツ行きのバスのチケット)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(3)

さて、これまでは利口な人の利口な行き方について話してきた。では、愚かな人の愚かな行き方とはどんなものだろうか。

それは、前日になってアウシュヴィッツの行き方を調べる人である。これは、まさしく私であった。私がポーランド、ワルシャワに到着したのは、9月4日。そして、9月5日にクラクフに移動して、その日の夕方になって、さて明日(6日)はアウシュヴィッツに行こう、とネットを調べ始めたのだった。

もちろん、ポーランド行きが決まってから、アウシュヴィッツは絶対に行こうと決めていた。私は収容所と見ると行かずにはおれないタチなのだ。だが、同時に行き当たりばったりのタチでもある私には、その先を考えるのは難しかった。そして、そのせいで、わざわざクラクフにまできたのに、あやうく訪問を諦めざるをえないところにまで追い詰められたのだった。

さて、ありがたいことに、ネットにはいくつか訪問記があり、原則として博物館のツアーに参加しなくてはならないことと、専用の予約サイトがあることを知った。これについてはすでに書いたが、私はその手順通りに進み、9月6日のツアーを確認した。そして、驚いた。

ツアーが、朝の8時台にポーランド語とロシア語の解説者のものしかないではないか。英語のツアーがあるはずなのに……と、翌日の7日を調べてみると、そもそもツアーがない。土曜日だから休館日かもしれない、しかしそんなことあるかな……などと、あちこち見ているうちに、ようやく私にもわかった。

要するにほとんどのツアーの定員が埋まってしまっていたのだ。7日は休館日などではなく、すべて満員というわけだった。

もう遅いのだ。これはもう無理かもしれない、と私は考えた。

(画像は博物館前の鳥)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(2)

「国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」の予約専用のサイト(https://visit.auschwitz.org/)を通じて個人で予約をとる場合、まず訪問日を指定する必要がある(その前に「私はロボットではない」の画像認識の関門がある)。訪問日は3ヶ月先まで選ぶことができるようだ。

その先に進むと、訪問日に予定されているツアーの一覧が出てくる。朝8時15分から、午後2時ごろまで、15分おきにツアーが組まれている。個人で行く場合、このツアーに参加しなくてはならない。各ツアー定員は15名だ。

通常のツアーには2種類ある。解説者付きのツアーと解説者なしツアーだ。解説者付きのツアーは3時間かかる。解説者なしツアーはわからない(このほかに6時間のツアーなどもあるもよう)。

解説者付きツアーは午前中、解説者なしツアーは午後にしかないようだ。解説はポーランド語のほかに、英語、フランス語、ロシア語、スペイン語、イタリア語などがある。

訪問日と言語とツアーの時間を選べば、実際の予約と支払いに進むことができる。料金は100ズウォティ(5000円ぐらい)でクレジットカードが使える。また、支払い時に寄付も求められる。

支払いが終わると、領収書、入場パス、注意事項などがメールで送られてくる。

ひとつ注意したいのは、この支払いが日本からできない可能性もあることだ。私はポーランドの別の支払いのために日本でカード決済しようとしたが、何度やってもダメだった。なので、もしも私が日本で「国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」の予約をしようとしていたら、できなかったかもしれない。

もっとも、利口な人なら、きっとうまい方法を見つけることだろう。

(画像は博物館前のようす)

苦い文学

アウシュヴィッツ訪問(1)

人間には利口な人と愚かな人がいる。そして、利口な人は利口な方法を使い、愚かな人は愚かな方法を使う。なんでもふたつの方法があるのだ。そして、アウシュヴィッツの行き方にも、利口な行き方と愚かな行き方がある。

まず、利口な行き方から説明しよう。利口な行き方をする利口な人とはどんな人だろうか。旅の計画をちゃんと立てる人である。何ヶ月も前にだ。そんな人は、いついつにアウシュヴィッツを訪問すると決めたら、すぐに予約をとるべきだ。

予約には少なくともふたつのタイプがある。まず何らかのツアーに参加することだ。日本発のツアー旅行でもいいし、ポーランド国内のツアーを予約してもいい。アウシュビッツ訪問の起点となるのはクラクフだが、ツアーに参加すれば、クラクフからアウシュヴィッツまでの往復も心配しなくて済む。

もうひとつのタイプは、個人で訪問するというものだ。その場合は、自分でアウシュヴィッツ(より正確には「国立アウシュヴィッツ・ビルケナウ博物館」)の予約をしなくてはならない。

予約は専用のサイト(https://visit.auschwitz.org/)でできる。ただし、英語、ポーランド語の2言語しかない。

(画像は博物館の入り口)

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自殺ゼロ都市宣言

黒鍬市議会で「自殺ゼロ都市宣言」が全会一致で採択された。我が国の自殺者の数に心を痛めた黒鍬市長が、まずは黒鍬市から自殺をなくそうと始めた肝いり事業だという。いったい誰が反対できようか。

「自殺ゼロ都市宣言」では、黒鍬市の3つの決意が高らかに述べられている。

・私たちは自殺のない黒鍬市をつくります。
・生きづらさを感じている人々を笑顔にする行政をつくります。
・心の豊かさにあふれた暮らしをつくります。

さっそくこれらの決意を盛り込んだ「自殺ゼロ都市宣言」関連施策が実施された。もっとも、当初はなかなか自殺が減らず、市民団体から激しい批判が繰り返された。あまりのひどさに、市長みずから自殺を考えるほどだった。

だが、いつだって正しいものが勝つ。年を追うごとに、自殺者が減っていったのだ。そして、とうとう市長の任期の最終年、ゼロになった。

いま「自殺ゼロ都市」がここに実現しようとしていた。この業績を引っさげて市長は国政にうって出るつもりだ、そんな噂も流れていた。

そのとき、とあるビルの屋上に思い詰めた人が立っている、という通報が寄せられた。

「市長! 自殺しそうな人がいます!」

「なんだと!」

市長は大慌てでビルに駆けつける。見ると、今にも飛び降りそうだ。

市長は叫んだ。「待て! はやまるな!」

思い詰めた人は叫ぶ。「うるさい! 死ぬしかない!」

「すきにしろ!」と市長。「だが、飛び降りるなら、ビルの反対側からにしてくれ! そっち側は隣の市だ!」

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Wrapped Around Your Finger

私の町の駅のデッキに、毎日のように老人がやってきて、ギターをポロポロつまびいたり、おもちゃみたいなボンゴをポコポコ叩いている。音も小さくて、なにを演奏しているのかもわからない。そもそも弾けるというレベルでもないようだ。もちろん、耳を傾ける人などひとりもいない(ちょうどこのブログのようだ……)。

もう何年も前のことだが、あるとき、私は改札口から出てデッキへと歩いていた。すると、鋭いビートが聞こえてきた。私はその音を聞いて、スチュワート・コープランドのドラムを思い出した。スチュワート・コープランドは、イギリスのバンド The Police のドラマーだった人で、名ドラマーのひとりに数えられている。シャープなスネアの音が特徴で、駅を歩く私の耳に飛び込んできたのもそんな音だったのだ。

やがてあの老人の姿が見えた。花壇の縁に座って、ひとりボンゴを叩いていた。私はおかしくなった。ろくに楽器も弾けないこの老人のプレイから、スチュワート・コープランドのドラミングを想起するとは。

老人は私の進行方向にいたので、私はニヤニヤして近づいていった。そして、驚くべきことが明らかになった。

老人のわきに小さなラジカセが置いてあって、そこから The Police の名曲 Wrapped Around Your Finger が小さーく流れていたのだ。老人はスチュワート・コープランドに合わせてボンゴを叩いていたのだ。

ウケ狙いのさもしい作り話と思われるかもしれないが、これは本当の話だ。

苦い文学

リベラルな邸宅

私は長いあいだ、リベラルとして生きてきた。そのせいか最近、暮らし向きがとみに向上してきた。ネトウヨ貧困層とはずいぶん格差が開いてしまったが、私としてはこの格差社会をなんとかしたいと思っている。

それはそうと、経済的なゆとりができたので、私は家を建てることにした。設計は、進んだ思想の持ち主のリベラル建築家に頼んだ。

建築も長年のリベラル仲間にお願いした。環境にやさしくて、安全よりも人権第一の建設会社だ。

そして、ついにリベラル邸宅が完成した。設備は最新式で、ネトウヨがしがみついている古臭いシステムはいっさい排除してある。堅固な防犯システムも備わっていて、ヘイトや陰謀論はまさに侵入不可能。

それでいて、オープンでインクルーシブなのだ。毎週末には、リベラルな集会を開いたり、貧乏人を招いて豚汁をふるまったりして、面白おかしく過ごすつもりだ。

本当に素晴らしい住宅なのだが、住んでいるうちに重大な事実が発覚した。

それは床の上にテニスボールを置いたときにわかったのだ。テニスボールが転がっていかないではないか。

なんと家が傾いていなかったのだ。とんだ欠陥住宅だ!

「日本の右傾化を食い止めるために、家を左に傾けて建ててほしい」

私のこんなリベラルな要望が、設計の段階で先方に伝わっていなかったとは、まことにもって残念だ。