苦い文学

おさるのジョージ

「おさるのジョージ」は1940年代に発表された子ども向けの英語作品で、原題を「Curious George」という。アニメ放送もされている有名なシリーズだ。タイトルの通り好奇心旺盛な霊長目のジョージが、人間社会で大騒動を起こす。例えば、郵便配達の真似をして郵便物をデタラメに配ったり、ケーキ屋さんになりきってキッチンをめちゃくちゃにしたり……だが不思議といつも最後には丸く収まるのだ。

物語には「黄色い帽子のおじさん」という男性も出てくる。この「黄色い帽子のおじさん」は帽子のみならず全身黄色の服を着た奇妙な人物だが、彼こそが、ジョージを未開の地で発見し、先進国に連れてきたのだ。この登場人物はジョージの友人であり、また指導者の役割も担っている。

現在、この「おさるのジョージ」が炎上しているという。とくに「黄色い帽子のおじさん」には、日本中から猛烈な批判が寄せられている。アニメ放送も先日以来休止したままだし、愉快なグッズの数々も店頭から撤去された。

批判する人々によれば、おさるのジョージとは日本人のことなのだという。「おさるのジョージ」は、野蛮な日本人を文明人が教え導くという差別的な内容である、と非難するのだ。彼らはこう叫ぶ。

「あの黄色い帽子のおじさんを見よ! 白人たちが彼に黄色い服を着せたのは、黄色人種に対する当てこすり以外にありえない!」

ここで批判者は決まって、白い帽子に白いスーツ姿の男の画像を示す。「ほら、もともとは白服だったのに、猿の影響で黄色くなったという設定の証拠がこれだ!」

私たち、ファクトチェック委員会が調査したところ、この出所の怪しい画像は、「おさるのジョージ」とはまったく関係がなく、クレイジーケンバンドの横山剣氏であることが確認された。

苦い文学

未来の選挙

私は選挙制度についてはよくわからないが、このまま日本が少子高齢化を突き進み、地方の過疎化が進み、さらに東京に人口が集中していくと、将来、奇妙なことが起こりそうだ。

ひとつを除いたすべての選挙区が東京に吸収され、そのいっぽう、東京以外の選挙区はひとつに統合されてしまうのだ。つまり、日本全国東京以外はすべて同じ選挙区なのだ。

選挙になると、この選挙区の広大な領域内では、どこでも同じポスター掲示板が立てられることになる。何百キロ歩いても、同じ立候補者の顔ばかりだ。海を渡って沖縄に行っても同じだ。まるでお釈迦さまの指に出会った孫悟空のように、有権者は絶望する。

いっぽう、東京はどうだろうか。その頃には東京は日本中の人口のほとんどすべてが集中していることだろう。都内は巨大な超高層ビルに隙間なく覆われている。そんなビルが何百万とあるハイパーメガシティに、何十億という人々がひしめき合っている。

そして、その居住ビルひとつひとつが選挙区となっているのだ。立候補者もそのビルの居住者だし、投票するのもそのビルの居住者だ。

選挙のときになると、居住者たちは、自分たちが政治家を選んでいるのか、マンションの管理組合の理事長を選んでいるのか、わからなくなる。

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ライブ・オン・ステージ

私たちの人生はまるでステージのようだ。私たちはそのステージの上で、生涯出会うすべての人々を前にして、曲を演奏し、歌うのだ。

私たちは、自分の人生に関わりのあるすべてのことを歌う。演奏や歌声の良し悪しは関係ない。自分に与えられたものを、力のかぎり鳴り響かせるのだ。

数々の曲の演奏ののち、やがて、セットリストの最後にいたるときが来る。私たちはその最後の曲の演奏が終わると、楽器を置き、ステージの袖に引っ込む。楽器は肉体だ。プレーヤーは魂だ。だから、ステージの上には魂を失った肉体だけが残される。

すると、小さな拍手が客席から聞こえだす。拍手は少しずつ大きくなり、ついにはひとつのうねりとなって、会場を揺るがす。そのときになってはじめて、ステージを離れた私たちの魂に拍手の音が届く(魂はステージの外に出ると意識が混濁しだす)。

「求められている! アンコールだ!」 私たちの魂は目を覚まし、ステージに引き寄せられる。私たちは蘇る。再び楽器を手に取り、最後の曲に取りかかる……

私たちはこのようにして人生の最後のチャンスを与えられるのだ。ただし、生前、コンサートで「アンコールするのはお約束だろ。手を叩くなんて無意味さ」とか「俺が手を叩くまでもない。他の客に叩かせておきゃあいいのさ」などと言って、拍手をしなかった者は、そのかぎりではない。

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Say Sue Me と Homecomings

Say Sue Me は韓国は釜山出身のインディーバンドで、現在は世界的に活躍しているバンドだ。だが、インディーバンドの世界的活躍といっても、aespa や Stray Kids などの K-POP スターとはちがい、規模も動員数もたかがしれている。そんなわけで、昨日(10 月 25 日)、渋谷 CLUB QUATTRO で行われた日本ツアーの初日、私は最前列で演奏を楽しむことができた。

オープニングアクトは、Homecomings で、私は名前を知る程度だったが、ギターの音もいいし、演奏もかなり決まっていてよかった。9月にミツメのライブにはじめて行って、次にライブがあったらまた行くぞと思っていた数日後に活動休止の知らせを受けた心の傷を十分に癒してくれた。

Say Sue Me は Homecomings に比べるとシンプルで、わかりやすいギターのリフと肩肘張らない演奏で、楽しい。コード進行もおそらくそれほど複雑ではないが、その分、過去のいろいろな洋楽もかすかに聞こえるようで、これも楽しい。

未発表曲も演奏したが、これは来年出すつもりのようで、観客に「何月に出したらいいですか」などと日本語で聞いていて、「5月!」とか「8月!」とかのやり取りもあった。

アンコール後に、去年出た「Mind Is Light」をやってくれたが、これは後半の演奏がとてもよいので楽しみにしていた曲だ。

2022 年 12 月の来日時もそうだったが、終演後はグッズを買うと、サインをしてくれる。前回はTシャツだったが、今回は、ポスターにサインしてもらった。

苦い文学

アクセント機能のバグ

日本語にはアクセントがあって、日本語話者はこのアクセントで語を区別している。「あめ」と文字で書くとわからないが、「高低」で発音すると「雨」だし、「低高」だと「飴」となる。ただし、これは関東を中心とした標準日本語の決まりで、地域によっても異なるし、個人差もある。

世界にはいろいろな言語があり、このタイプのアクセントを持たない言語もある。そうした言語の話者にとって「雨」と「飴」の区別は難しいこともある。

さらに日本語学習者にとって難しいのは、複合語の場合だ。「はし」は「箸(高低)」と「橋(低高)」では異なるが、「箸」が複合語の「箸置き」となると「低高低低、低高高低、低高高高」のどれかになる。そのどれであれ、「箸」の部分は「橋」と同じアクセントになってしまう。かりに「箸(高低)」を維持したまま、「箸置き」つまり「高低高低」や「高低低低」などで発音してみると、明らかにおかしいことがわかる。

さて、本題に入ると、今朝のできごとだ。私は喫茶店に行き、カウンターに並び、順番が来るとコーヒーを頼んだ

「アイスコーヒー、エムで」

「エムサイズですね」

私が気になったのは、店員が「エムサイズ」を「高低低低低」で発音したことだ。「エム」はそのままだと「高低」だが、「エムサイズ」だと「低高高低低」となる。

私はこの人は外国人だろうか、と考えた。しかし他のアクセントは自然だ。それとも、別の地域の人だろうか? 名札を見ると、カスタマーハラスメント防止のため「T・C」とイニシャルしか記されていない。「T・C」…… Cとは?

そのとき、店員が尋ねた。

「お支払いはどういたしますか」

あまりにアクセントのことに気を取られていたからだろうか、私のアクセント機能にバグが発生した。

「西瓜で、あ、いや SUICA で!」

苦い文学

強い心

【「日本を再び偉大にする党」の総裁、河豚やすし氏の演説記録より】
みなさん! 今年のノーベル平和賞は、日本原水爆被害者団体協議会に授与されました。核兵器廃絶のためにたゆみない努力を続けたことが、授賞の理由だということです。なんと素晴らしいことではありませんか!

原爆は広島と長崎に壊滅的な影響をもたらし、悲惨な地獄としました。その経験が、二度と核爆弾を使わせてはならない、という決意を生み出したのです。

ですが、それだけが核の脅威を根絶する方法ではありません。ロシアとイスラエル、イランという核保有国が戦争状態にある今、核兵器の廃絶は現実的には不可能です。ならば、私たちが核に負けない強い心を持つことで、核を無効化することもできるのではないでしょうか。

例えば、現在の日本が直面する重大な危険は、北朝鮮の核ミサイルです。ですが、私たちはいったいなぜこれを恐れているのでしょうか。もちろん、それが、我が国土に悲惨な影響を与えうるからです。ですが、ちょっと考えてみてください。たった一発で、日本が全滅するわけなどないではありませんか。

いや、北朝鮮には三十発の核兵器があるぞ、という人がいるかもしれません。では、そのすべてが日本に打ち込まれたとしたらどうでしょうか。それで日本は全滅するでしょうか。おそらく数百万人程度が死ぬだけではないでしょうか。人口のほんの一部なのです。

そうなのです。恐ろしい核兵器といえども、日本を滅ぼすことなどできないのです。なにを恐れることがありましょうか! 何百万人死のうと、恐れず、動揺しない心、そうした強い心があれば、核兵器などまったく無意味なのです。

ああ、それにしても、もし、日本人が原爆で怖気づかなければ、今ごろ、世界は違っていたかもしれません。北朝鮮も中国も、日本の強い心とリーダーシップのもと、おとなしく平和を享受していたに違いありません。戦時中の日本人が怯懦だったばかりに、現在の日本の私たちがイヤな思いをしているのです!

だから、もし私たちが弱く臆病な心のままだったら、同じように私たちも将来の世代によって非難されるのではないでしょうか? そんなのは御免です。核兵器に負けない強い心を持つことだけが、未来の日本を、いやアジアを救い、それによって現在の私たちを救うのです。

日本人よ、強い心を持とうではありませんか。日本中に核爆弾が降りそそいでも恐れない強い心を持ちましょう!

そして、もし核兵器がみなさんの頭の上に核爆弾が降ってきたとしても、心配しないでください! まるで虫ケラが蹴散らされるのと同じだ、そんなふうに、必ずや私たち「日本を再び偉大にする党」が強い心でしかと受けとめることをお約束いたします!

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ごめんなさい

私の知り合いのビルマの難民で、いつも最初に「ごめんなさい、ごめんなさい」という人がいる。

その人の人生について私はよく知らないが、聞くところによると虐待を受けて育ったということだ。しかも、日本に難民として逃げてきて、長いあいだ入管に収容されてもいた。そんなわけで、まずは謝っていろいろな災難をかわす方針が身についたのだった。

その人はまだ難民認定されていなかった。だから仮放免中のため身元保証人が必要で、私がそれを引き受けていた。

身元保証人は仮放免の延長や住所の変更などのさいにサインをしなくてはならない。その人は必要になると私のところに電話をかけてくる。そして、いつも「ごめんなさい、ごめんなさい」と始めるのだった。

私はこの「ごめんなさい」が不愉快だった。「私はきっとあなたに不愉快な思いをさせることでしょう。ですので先に謝りますので、どうかいじめないでください」ということなのだから、要するに私がいじめること前提なのだ。だが、その人の事情を考えると、なにも言えなかった。

あるとき、私のサインが欲しいというので、朝の7時半に日暮里で待ち合わせした。7時半に日暮里で待っていたが、その人は来ない。もしかしたら、別の改札口にいるのかもと思って、その人に電話をしたら、まだ家にいて、8時半だと思っていたという。

私たちは新たに待ち合わせを設定し、別の日に会うことにした。その人は電話でも、その後の対面でも、あいかわらず私に「ごめんなさい」を何度も口にした。

謝られる理由があるので、私はそれをじつに気分よく聞いた。

苦い文学

許さないのは人類の罪

私は感謝します。私に再び生きる自由を与えてくれたこの社会に感謝します。

私は人を殺しました。自分でも思い起こすのが苦しいくらい残虐に殺しました。そして、私は逮捕されました。

逮捕されたとき、私にはもう希望はないと思いました。殺人犯として終身刑を宣告され、一生刑務所から出られないと考えていたのです。ですが、違いました。警察に連行されたとき、偉い人が私にこう言いました。

「今、世界では暴力の連鎖が止まらないのだ。暴力が報復につながり、その報復がさらなる報復を呼ぶ。そんなふうに仕返しを続けていたら、どうなると思う?」

「どうでしょう」と私は答えました。「わかりません」

「人間なんてひとりもいなくなってしまうよ。だからこの暴力の連鎖を止めなくてはならないのだ。では、その連鎖を止めるにはどうしたらいいだろうか」

私は何も言いませんでした。

「許すことだ。どんなに苦しくても敵の犯した罪を許すことだけが、報復にストップをかけることができるのだ」

そう言いながら、偉い人は私の手錠を外しました。「さあ、自由に好きなところに行きなさい。私たちの社会は、暴力を根絶するために、すべての犯罪者を許すことに決めたのだ」

私が外に出るための支度をしていると、警察官たちがひとりの男を連れてきました。警察官たちは偉い人に何やら報告をしていました。その男はうなだれていましたが、ふと顔を上げた瞬間、私に気がつき、ものすごい形相で睨みつけ、やがて泣きだしました。

すると、警察官たちはその人を小突き、奥の方に引っ張っていきました。ずっとその人の泣き声が聞こえていました。偉い人は顔をしかめて、私に言いました。「よく覚えておくんだよ。あの男は、自分の子どもを殺されたのだ。それで、犯人を許せない罪の現行犯で逮捕されたというわけだ。許せないというのは、この社会に暴力をはびこらせる重罪だ。きっと終身刑を言い渡されるだろう」

私は偉い人を見て、こう言いました。

「あの人が、私の犯した罪を許さなかったことを私は許します」

それから、外の世界へと飛び出しました。

苦い文学

第一声

衆院選が公示され、「日本を再び偉大にする党」の総裁、河豚やすし氏が都内で第一声を上げました。

(MAKE JAPAN GREAT AGAIN 記された金メダルを首からぶら下げる河豚氏の写真)

日本のために、日本を再び偉大にするために、みなさんの支持をいただきたい。

今、日本は大変なことになっています。日本が亡くなろうとしている、そういってもいい。私たちの日本が、今、外国人の餌食になっているのです。

どうしてでしょうか? それは、私たちの国がなんでも安くなってしまったからです。日本の物価が下がり、今や、外国人が「安い安い」と日本の富を奪い取るありさまとなってしまいました。

安い、というのは単なる値段のことばかりではありません。それは、私たちの命まで安物として軽んじられるということです。つまり、日本人が軽んじられているのです。

では、なぜ日本は安い国となってしまったのでしょうか。それは、安いことが高いことより好まれるからです。では、さらに聞きましょう、どうして安いことが好まれるのでしょうか。なぜ、高いものよりも安いもののほうが選ばれ、巷に氾濫し、外国人を引きつけているのでしょうか?

その理由は、貧乏人が安物に群がるからです! 日本にいる貧乏人たちが、本来高くあるべきものまで安くして手に入れようとしているからです。

そうなのです! 日本が今、諸外国に奪われようとしているのは、貧乏人がいるからなのです! これらの人々が、内側から日本を貶めているのです!

貧乏人さえいなければ、すべての値段が上げられます。世界中のどの国よりも、物価高の国が実現します。富裕層の私たちは、駅のかけそばがたとえ1杯1万円でもまったく困りません! いや、外国人にかけそばを奪われるくらいならば、2万円だって払います!

日本を再び偉大にするために、みなさんの力がぜひとも必要です。なぜなら、私たち富裕層だけが、外国人に競り勝つことができるのです。今こそ貧乏人をこの日本から追放しましょう!

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入ってもいいですかの撃退(後編)

平助は頭に血が上った。「うるさい、言わなくていいと言っただろ!」と口から出かかったのをなんとかこらえて、「入ってください!」と答えたが、それでも聞く人が聞けば、そこにトゲトゲしさを感じたかもしれない。

結局のところ彼の説明は効き目がなく、「入ってもいいですか」は相変わらずだったのだ。

平助はこの「入ってもいいですか」をいくども浴びたせいかもしれない、学生が入ってくるのを見かけると、ぶるりと体を震わせるまでになった。そうやって「入ってもいいですか」から身を守ろうとしていたのだ。そして、その過剰な反応がかえってこの問題を解決に導いた。

いつものように平助は教室にいた。すっかり過敏になっていた彼は、人の気配を察し、びくりとして、教室の入り口に目をやる。

ネパール人の学生が入り口に立っていた。あの容赦なき「入ってもいいですか」の学生だ。そして、その口がかすかに動いた。「入ってもいいですか、先生」を繰り出そうとしている、と身構えたとたん、平助の口がほとんど無意識のうちに開いた。

「おはようございます」

すると、その学生は「おはようございます、先生」と返事をし、なにごともなかったように教室に入り、着席した。

平助は初めは驚いた。が、すぐになにが起きたかを理解した。「そうなのか、先手必勝だったのか」

今では、平助はどの学生よりも早く教室に入り、教卓の前で学生がやってくるたびに「おはようございます」作戦を遂行し、「入ってもいいですか」を毎朝、撃退している。