苦い文学

手かざし裁判

中学生のころ、私は本屋に行くためにひとりでお茶の水に行き、駅前で「手かざし」にひっかかった。話しかけてきた大人の相手を真面目にしていたら、合掌させられ、その男に手かざしの上、祈られるハメになったのだ。

罠にハマった、と思ったが、かといって逃げ出すほどの勇気もなかった。そのまま白昼、人の行き交う駅前で、いたたまれない思いをしたのだった。

今から思えばどうということもないが、当時の子どもだった私にとってはこの経験は恥辱そのものだった。そして、その日以来、私は街でどんなに声をかけられても無視してしまう体になってしまった。

だが、街での声かけは悪いことばかりではない。ポケットティッシュや試供品を配っているときもある。相手によって臨機応変に対応できればいいのだが、無意識のうちに体が強張ってしまうのだからしょうがない。だから、もう何十年も街でティッシュを受け取ったことはない。おそらく死ぬまで変わらないだろう。

いったいどれくらいの損失だろうか? 仮に1日1個として試算すると、最低でも50万円以上は失っている。しかも、配布されるポケットティッシュには通常、有益でお得な情報が記されたミニチラシが入っている。それにより得られた利益も失われたと仮定すると、もう損失は計り知れない。

「手かざし」教の団体を相手どり、裁判を起こして、必ずや損害賠償させてやる———街でティッシュをもらい損ねるたびに、私はいつも誓うのだ。

苦い文学

切り取りの怪物(3)

切り取り報道をつなぎ合わせてできた怪物は、フラフラと街を歩きだした。まわりでは人々が悲鳴をあげ、罵り、嘔吐していた。彼の歩む道の先には線路があり、何本もの電車がけたたましい音を立てて、猛スピードで行き来していた。山手線、京浜東北線、東海道新幹線、西武新宿線、目蒲線……。

彼はまるで吸い寄せられるように線路に近づき、鉄柵をよじ登り、その上に立った。もはやひとつのことしか考えられなかった。轢き殺されてバラバラになって、もとの切り取り報道に戻ろうと、彼は突進する電車に身を投げた。

そのとき、あたたかい光が彼を包んだ。その光はふわりと線路から運び去り、安全なところに着地させた。そして、さらに驚くべきことが起きた。怪物の身体中にある切り取り報道のツギハギが、すっかり消えてしまったのだ。怪物はもはや醜くなかった。その肌はスベスベで、光り輝いていた。首に刺さっていたペンもポトリと落ちて、彼の足元に転がった。

光の中から、不思議な声が聞こえた。「私はファクトチェック機関のスタッフだ……切り取りだというお前の体の報道をひとつひとつファクトチェックしたところ、ぜんぜん切り取りではないことが確認できた……」

「フンガー!」 歓喜の叫びがその口から響き渡った。

そして今、人間となった彼は、愚かな保守政治家たちの歴史修正発言に目を光らせ、新聞をチョキチョキ切り刻んで、スクラップする毎日だ。(おわり)

苦い文学

切り取りの怪物(2)

「フンガー!」

広い世界に飛び出した怪物は叫んだが、その声にはどこか物寂しげな響きがあった。なぜなら、怪物は、恐ろしげな外見とは逆に、純粋で美しい心の持ち主だったからだ。いや、そんな見た目だったからこそ、心がいっそう清らかになったのかもしれぬ。

そんな心美しい彼をもっとも苦しめたのは、出会う人出会う人、彼を見るや悲鳴をあげて逃げていくことだった。

彼は思わず醜い自分を呪った。「フンガー!」

そのときだ、耳をつんざくような叫び声が彼の耳に飛び込んできた。ハッと見ると、自動車が今にも子どもの列に突っ込もうとしているのだ。怪物は我を忘れて車の前に身を投げ、その車体を跳ね飛ばした。あわやというところで、子どもたちの命を救ったのだった*。

だが、なんということだろうか。子どもやその親たちは、怪物に感謝するどころか、ツギハギだらけのその姿に悲鳴をあげ、拳をあげて憎悪をむき出しにしたのだ。

「フンガー!」 怪物は絶望の呻き声をあげた。ああ、切り取り報道から生まれた存在に、この世の居場所などあるものだろうか?

(*怪物のいる前で、都合よくこんな事故が起きるなど、できすぎた話だと思う人もいるかもしれない。だが、我が国の車は子どもの列と見ると突進せずにはいられないのだから、こんなことは実にありふれた出来事なのだ。こうした事故を根絶したいのならば、もっとアメリカ車を輸入すべきだろう。)

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切り取りの怪物(1)

マスゴミどもの切り取り報道により、謝罪と辞職に追い込まれた元国会議員が、故郷の自宅の広大な敷地に秘密のラボラトリーを建設した。彼はそこで、狂気の実験を繰り返した末、恐るべき怪物を作り上げたのだった。

その怪物は今、全身ツギハギだらけという醜い姿で、巨大なベッドに横たわっていた。いかつい首の左右からは、マスゴミのペンが突き出している。元国会議員は唇を歪めて笑った。「フハハ、普通の人ならば一目見ただけで、そのおぞましさに気絶してしまうだろう!」

元国会議員はベッドの脇に設置されたレバーに手をかけた。「切り取り報道をつなぎ合わせて創造された我がモンスターよ!」 彼は、レバーを押し下げながら叫んだ。「目覚めよ!」

たちまち凄まじい閃光がほとばしり、その巨大な体躯が痙攣した。怪物はゆっくりと目を開けると上半身を持ち上げ、この世のものとも思えぬ恐ろしい叫びをあげた。元国会議員の声が響き渡った。「行け! お前を切り刻んだマスゴミどもを血祭りに上げ、恨みを晴らすのだ!」

「フンガー!」

モンスターは地響きを上げながら立ち上がり、ラボの壁を拳で打った。たちまち粉々に砕け散り、ぽっかりと穴が空く。そこから怪物は外へと出ていった。

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Z 世代

都内某所に、Z 世代の若者たちが違法の薬物を密かに使用しているアジトがあるという。そんな情報をつかんだ刑事は、地道な捜査の末、ある関係者との接触に成功し、アジトへの行き方を記したメモを手に入れた。潜入捜査を行うべく、50代の刑事は、見事な変装術によって20代の若者になりすました。

刑事は、メモに記された道筋を辿り、とあるマンションのエントランスに入った。それはオートロックのマンションで、インターホンで内部から扉を開けてもらう必要があった。メモにある部屋番号を押し、チャイムを鳴らす。だが、なんの反応もなかった。「怪しい者かどうか、カメラの画像をチェックしているのだ」と考えた刑事は、大胆にもインターホンのカメラに顔を近づけた。自分の変装は見破られない、という絶対的な自信があったのである。すると、不意にスピーカーからざらざらした男の声が聞こえてきた。

「世代は?」

この唐突な質問にも刑事は慌てなかった。なぜならメモにはこうも書かれていたから。

《合言葉:世代を聞かれたら「Z世代」と答えよ》

完璧なまでに若者に扮した刑事は、落ち着いた口調で答えた。

「ゼッド世代」

乱暴にインターホンを切る音が聞こえ、それからは、刑事がいくら番号を押しても、うんともすんともいわなくなった。

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さとうもか & Mom@月見ル君想フ

5月6日、青山の「月見ル君想フ」という変な名前の会場で、さとうもかと Mom のツーマンライブがあった。双方ともギターの弾き語りだ。

はじめに出てきた Mom は若いミュージシャンで、私はさとうもかの「いとこだったら(feat.Mom)」に参加していることぐらいしか知らなかったが、声がとてもよかった。3月に出たばかりのアルバムの曲が中心で、いい曲も多い。

ニコニコして、独特の雰囲気があるので、なんだかもう中学生みたいだと思ったが、MC で「ゴールデン・ウィーク最終日なので髪型を G と W にしてきた」などと言うのでますます似てきた。

もう中は別として、音楽の雰囲気が何かを思い出させるな……とぼんやり思っていたが、最後になって FISHMANS が浮かんだ。もっとも、第一印象なので違うかもしれない。

Mom のギターは、ときに激しくときに繊細なものだった。いっぽう、さとうもかのほうはむしろギターを叩くタイプの弾き方だ。けっこう弾き間違いもしていたが、あまり欠点には感じられない。スタイルをしっかり確立しているので、多少のことでは揺らがないのだろう。

ライブの最後は二人での「いとこだったら(feat.Mom)」で、これもよかった。

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クマ・サガル LIVE IN TOKYO (7)

クマ・サガルのライブで、私が恐れていたことのひとつは、群衆事故だ。最前列中央の前には黒い低い壁で囲まれた DJ ブースがあった。壁の前はパーテーション・ベルトが設置されており、その前には人ひとり分の隙間があった。

しかし、ライブがはじまり、観客たちの熱狂が高まると、人々は少しづつブースの壁へと押し出されていった。私が立っていたのはこのブースのない端の部分であったが、私も後ろからの人に押されて、ついにはブースの脇の高台に押し上げられた。

そこから、最前列を振り返って見下ろすと、後ろから押された若者たちが、ブースの壁に手を当ててしのいでいるのが見えた。非常に危ない光景だった。フロアには、人の動きを止める柵など設置されていなかったから、もしどこかでパニックが起きて、後方から観客たちが押し寄せてきたら、壁際の人はもうどこにも逃れることはできず、押しつぶされるほかないのだ。

私の場合は、たとえそうなっても、ステージの方に逃げられる、と考えていた。だが、後ろからどんどん人が前に湧いてくるので、もはやそううまく避難できるかもわからなくなった。

そして、もうひとつ私をおののかせていたのは、おしっこだ。5時前に会場に入場する前にトイレに行くチャンスがあったのだが、私はそうせずに会場に入り、自分の場所を確保した。そして、その瞬間から、5時間にわたる私と尿意との戦いが始まった。

はじめは少し音楽を聞いてから、ゆっくり行こうと、と考えていた。だが、メインフロアが開放され、ステージ前の最前列に立ってしまうと、もうできるだけここで聞いていようという気になった(私のカバンの中にはペットボトルがあった)。そして、会場が満員となり、ライブが始まっても、自分はまだトイレに行くチャンスはあると考えていた。しかし、人々が前へ前へと押し寄せてくるようになったとき、私はもうトイレに行くのは無理だと覚悟した(ペットボトルだ!)。

最悪の場合は漏らすことだが、これだけの騒ぎの中なら、バレないような気もした(もしかしたらペットボトルになら……)。

だが、結局のところ、すべて無事に終わった。群衆事故も起きず、おしっこも漏れず、私と観客たちはクマ・サガルの音楽に満足しながら会場を去ったのであった。

今回の公演を事故なく終わらせることのできた運営の人々、会場の人々、観客たち、そして私の膀胱に感謝をして終わりたい。

苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (6)

そして、ついにクマ・サガルとバンドの面々がステージに上がり、ライブが始まった。ここでバンドの編成についてまとめておく。

アコースティック・ギター(クマ・サガル)が中央。その右にフルートのような笛、その隣にもう一本、アコギ。ステージの左側には、エレキのバイオリン(のような弦楽器)とエレキベース。

後列には、中央にシンバルのような楽器。両脇にネパールの伝統楽器のような打楽器を叩くパーカッショニストが2人。総勢8名だった。

その音楽は、すでにリハーサルのところで書いたがフォークなプログレで、メロディも親しみやすい。だが、クマ・サガルたちの音楽についてはもうこれ以上書かない。

なぜならそれどころではなかったからだ。千人を優に超える観客たちの熱狂ぶりがすべてを変えてしまったのだ。絶叫、合唱、騒ぎ声、鋭い口笛、フロアの轟きに圧倒されながら、私はまるでここが新宿ではなく、ネパールの異界に連れ去られたかのような錯覚を何度も味わった。

ここにいるネパール人のほとんどはみな20代だった。もちろんそれより年上もいたが、大多数が若い人々であった。これらの若いネパール人たちは、日本で学んでいる人もいれば、働いている人もいる。異国でそれぞれ苦労しているこれらの人々が、久しぶりに故国のスターを前にして、騒がずにいられようか? ハメを外さずにいられようか?

今の日本のライブでこれ以上盛り上がるものがあるか疑わしかった。私はライブをそれほど経験しているわけではないが、日本のライブだって高齢化していないわけがないのだ。

これらのネパールの若者たちの歌声にかき消されて、クマ・サガルたちの音楽が多少聞き取れなかったとしても、私はまったく気にならなかった。それ込みでライブだ。もはや日本では存在しえないような破壊的な熱狂に立ち会えたことに私は満足を感じた。

とはいえ、これらすべての感嘆すべき経験にもかかわらず私は、ふたつの恐怖におののいていたのだった。

苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (5)

午後6時になったとき、ステージにネパール人の男女が上がり、ネパール語で話し始めた。ステージの背後には、大きなスクリーンが設置されていたが、そこに今回の公演のスポンサーが次々と映し出されている。ゴールド・スポンサーのなんとか協会の代表の誰々、シルバー・スポンサーのなんとかレストランのオーナー誰々、といった具合で、面白いのはネパールの日本語学校も協賛に加わっていたことだ。

二人の男女はおそらく今回の公演のスポンサーについてなど話しているのだろう。その後、女性の歌手がステージに上がり、カラオケで2曲歌った。有名な人なのか知らないが、その曲は確かに有名なようで誰もが声を合わせて歌っていた。

そして、再び、ステージは無人となった。振り返ると会場は満員だ。キャパは 1,500 人というが、間違いなくそれくらい入っている。私は最前列にいたからその景観に圧倒された。その観客たちから「クマ・サガル!」コールが湧き上がる。クマ・サガルは会場の後ろのどこかにいて、ステージに上がるには、これらの大観衆をかき分けてやってこなくてはならない。

もしかしたら怖気ついたのではないか? それとも危険すぎてそのうち解散となるのではないか?

それから40分ぐらい待ったろうか、もう午後7時、というときだった。大きな歓声が上がった。いよいよやってきたのだ。観客たちは、クマ・サガルたちが通り抜けるその道筋に沿って携帯を掲げた。撮影しているのか、それともライトで照らそうというのか……いくつもの携帯の画面のそれぞれに小さい世界が映し出され、幻想的な光景が作り上げられた。

苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (4)

私は最初のエレベーターの便で、7階の会場に到着した。紙のチケットは持っていなくて不安だったが、オンラインチケット専用のチェックポイントがあって、そこで携帯をかざせば無事に入場することができた。だが、その間に、紙のチケットを持った観客たちはどんどん追い越していった。

会場となる「T2 SHINJUKU」は、これまで私が行ったどのライブ会場とも違っていた。「ナイトクラブ」ということだが、会場の半分強がメインフロアになっていて、奥のほうに低い壁で囲まれた DJ ブースがある。その向こうにステージがあって、バンドがリハをしていた。私たちはといえば、メインフロアの外側に立たされていて、そこから先に入ることはできなかった。メインフロアの広い空間の左右には、コの字型の大きなシートが3つづつ設置されている。これが1万5千円の「VIPシート」だろうか? 数名の人が座っていた。

メインフロアの外側の私たちがいるところに別のブースがあり、そこにはクマ・サガルがいた。マイクを片手に、サウンドチェックをしている。私はその横に立ち、はるか向こうのリハーサルの演奏を聴いていた。ネパールの伝統的な音楽ということだが、聴いていると、フォークのプログレといった感じで、とても良い。

やがて開演時間の5時になった。クマ・サガルがステージに向かい、その中央に立つ。観客たちから歓声が上がる。何も言わずに歌い始める。だが照明も付かずステージは薄暗いままだ。

しかも、ステージから私たちのいる場所まで広大なメインフロアが広がっている。例の「VIP シート」には人もほとんど座っていず、フロア中ががらんとしている。そんな中、演奏が始まったのだ。

私はさすがに呆れた。観客をメインフロアにも入れるべきではないのか? そう思っていると、メインフロアと私たちを隔てていたベルトのバリケードが取り払われた。私たちは演奏中のステージに向けて突進する。私はうまく最前列、DJ ブースの脇に入り込むことができた。

クマ・サガルとバンドは暗いステージで演奏を続けていた。すると、20分ほどで演奏を止めてしまった。撤収を始める。彼らはステージを降り、満員の観客たちの中を押し合いへし合いしながら、奥の方に消えていった。

これで終わりなのだろうか? いや、ようやく気がついたのだが、これもリハーサルだったのだ。開演はチケットに書かれていた5時ではなかった。結局、私たちは6時まで待った。その間に、会場には次から次へと観客が流れ込んできた。