苦い文学

しがらみなきゾンビの時代

その政治研究所は、日本の政治をより良くするために設立された団体だった。元来は政治に関する発言や提言を行なっていたが、やがて、しがらみのない人間の培養を行うようになった。

どうしてかというと、日本に欠けているのは、しがらみのない政治だからだと考えていたからだ。強権と忖度が横行する日本では、政治は常にしがらみによって歪められていた。政権は自分たちが癒着している富裕層のために政治を行い、それ以外の貧困層には見向きもしなかった。まっすぐで正しい政治が行われるためには、しがらみのない人間が政治家にならなけれならなかった。

だが、当時の日本にはしがらみのない人間はひとりとしていなかった。どの日本人も特定の親から生まれてきたのであり、生まれたときから親子関係というしがらみに縛られていたのだった。

そこで、「完全にしがらみのない人間を生み出し、しがらみのない政治を実現させよう」と決意した研究所は、研究と実験を繰り消し、ついにしがらみのない人間の培養に成功した。

その日、ついにしがらみのない政治が実現する日がやってきた。研究所の門が開かれ、しがらみのない人間たちが続々と出てきた。これらの存在は、日本中へ散っていき、やがて人間たちを襲い始めた。

しがらみなきゾンビの時代が始まったのだ。

苦い文学

しがらみのない政治

吉田百郎がついに県会議員に当選した。「しがらみのない政治」というたったひとつの政策を提げて、利権と忖度にまみれ、裏金と暴言に毒された県議どもに挑み、勝利したのだ。

「みなさんのおかげでしがらみのない政治がついに実現しました!」

当選の一報を受けて、吉田は事務所でこう語りかけた。目の前には、吉田が立候補表明して以来、全力を尽くして選挙を戦ってきた支援者たちが満面の喜びを浮かべて詰めかけていた。熱烈な拍手が沸き起こった。

そのとき、これらの支援者を前にして、吉田百郎は、あらゆる応援を捨て去った。ちょうど蛇が皮を脱ぎ去るようなものである。さらに吉田百郎は、有権者の票を捨て去り、諸々の県民と県の諸々の問題を捨て去った。ちょうど蛇が皮を脱ぎ去るようなものである。

こうして吉田は、あらゆるしがらみを脱し、それにより有漏にして有為なる世界を択滅した。そして、無為にして無漏なる涅槃へと到達し、解脱に至った。

なお、県選挙委員会によれば、吉田百郎の失職にともなう補選は、今月17日に告示され、24日に投票が行われる予定である。

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私のイヤホンガイド

AirPods は Apple のワイヤレスイヤホンで、iPhone と相性がいいので、私も使用しているが、最近、面白い機能が追加されたのを知った。それはイヤホンガイド機能だ。

イヤホンガイドというと、歌舞伎などの伝統芸能の物語の説明や解説などに用いられるものだが、AirPods の機能は違う。AirPods を耳に装着していると、装着している私の行動について解説してくれるのだ。

例えば私がコーヒーを飲もうとするとこんなふうに解説してくれる。「ここで主人公がコーヒーを飲むのは眠くならないようにそうしているのです」 また道を歩いていると「この時代の道は舗装されているのが普通で、人々は硬い路面から足を守るために靴を履いていました」と時代背景にまで踏み込んだ解説が聞ける。

また、どのように情報を得ているのかわからないが、出会う人についても教えてくれる。「今、主人公が話している人物が着ているシャツは UNIQLO で買ったものです。このことから着ている人が普通の庶民であることがわかります」 また私の友人について「この人は善人のようですが、物語の後半で、主人公を裏切るとんでもない悪人であることがわかります」というので、すぐにその人と縁を切った。

私はこの機能が気に入って、もうなくては済ますことができないくらいだった。だが、さっき、イヤなことが起きて、すぐに使うのをやめた。

AirPods がこんな解説を私の耳元で囁いたのだ。「この場面ののち、主人公が死ぬという衝撃の展開が待っています」

AirPods も捨ててしまった。やっぱりワイヤレスより、有線のほうがいいと思う。

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トランプのせい

アメリカで学会があるという知らせを耳にしたので、締め切り当日の1月8日、口頭発表に応募した。2月末に採択通知が来た。アメリカに行くのだ。

だが、状況は、私が応募した1月初めとは大きく変わっていた。トランプが大統領に就任したのだ。アメリカに入国する外国人が不当に拘留されたとか、追い返されたというニュースが出ていた。SNS やネットに反アメリカ的なことを書いていたせいで入国拒否された、などという人もいた。

私自身が入国時にトラブルになる可能性はないとは思うものの、誰であろうとそれがゼロとは言い切れないのが、現状のようだった。

また、こんなことを言う人もいた。「今のアメリカに旅行に行くことは、経済的にトランプ政権を支えることになるから、渡航を控えてほしい」 私が行っても、はした金の円をばら撒く程度なので影響はゼロだ。にしても、考慮すべき意見だと思った。

いろいろ考えた末、私は行くのをやめた。そのかわりオンラインで発表することにした。学会はそういう選択肢も用意してくれていたのだ。

さて、現地の時間に合わせると、発表は朝の6時だ。私は午前3時に起きて、発表を終えた。デキからいうと、惨憺たるものだった。私にとって、オンライン発表を英語でするのは初めての経験だった。会場の雰囲気がわからないので、途中でフワフワして、何を話しているのかわからなくなった。質疑応答でも、ありがたいことに質問してくれた人がいたが、オンラインのため、よく聞き取れず、的外れな答えをしたようだった。

もしも、現地で発表していたら、と思わずにはいられない。トランプ政権の弊害といえるだろう。

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パワハラ裁判

「自分のやったことはパワハラだとちゃんと認定してほしい、その一心です」 そう語るひとりの男が、国と被害者を相手取って裁判を起こしました。

男は現在、傷害罪などに問われ起訴されていますが、自分の犯罪行為については否定していません。にもかかわらず、男は冤罪だと主張しています。

男「なぜなら、まったく間違っているからです。私はパワハラをしたのです。これは単なる傷害罪ではありません。パワハラによる暴力事件です」

記者「パワハラだ、と訴えておられるその理由はなんでしょうか」

男「私は社会的地位があり、高収入なんですよ。そうしたパワーある人間が行う暴力行為が、パワハラでないわけがないでしょう。パワハラはパワーある富裕層のみに許された特別な犯罪なのです。そんじょそこらの貧乏人や弱者男性のセコい犯罪行為と一緒にしてほしくないというのが正直な気持ちです。国は、高額納税者である私の意見を尊重すべきです。それが民主主義ではないでしょうか」

男は、まるでパワーを誇示するかのように選りすぐりの弁護団を結成し、弁護士たちに罵声と暴言を浴びせながら、ともに裁判を戦ってきました。

そして、今日、判決の日———裁判所から勝訴の紙を掲げた弁護士が走り出てきました。男の行為がパワハラと認定された瞬間でした。

「長くつらい戦いでした。このように勝利を勝ち取ることができたのも、ひとえに俺様のおかげだ」とパワハラ男は喜びを語りました。

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義太夫節演奏会(5月公演)

深川江戸資料館小劇場で義太夫節演奏会があるので行ってみることにした。

浄瑠璃は読んでばかりではわからないことも多いので、実際に聞いてみようというわけだが、義太夫節が聞いてわかるかというとそうではない。

子どものころ、はじめてエルビス・プレスリーのアルバムを聴いたとき、全部同じ曲に聞こえた。それと同じで、いろいろな義太夫節を聞いても、違いはよくわからない。もっとも、その後、私は立派に成長して「ハウンド・ドッグ」と「監獄ロック」が聞き分けられるようになった。だから、義太夫節も何年も聞いていればわかるようになるかもしれない。

今回の公演は、「鶴澤寛也を偲んで」と題され、2023 年に亡くなったこの三味線奏者ゆかりの義太夫節(妹背山婦女庭訓「花渡しの段」、関取千両幟「猪名川内の段」)と三味線曲(ひこばえ三味線組曲動物編)が演奏された。また、故人の思い出話の時間もあり、女流義太夫の世界を垣間見たようで面白かった。

肝心の音楽だが、義太夫節や三味線には、ロックとポップしか知らない私の耳でも楽しめるようなノリ、グルーヴ感があった。というか、そういう風にしかわからない。楽しみ方はいろいろだ。

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飾りじゃないのよライスは

「私はお米を買ったことがない」という議員の発言により、日本政界は揺れに揺れていた。しかも、マスゴミが驚くべきニュースをすっぱ抜いた。この議員が銀座のスナックで「私は買ったことがない……飾りじゃないのよライスは、は、飯」と歌っていたというのだ。

国民は激怒した。「こいつは日本の敵だ!」

時の為政者たちは「このままでは、我が党は破滅するっ!」と慌てふためき、緊急会議を招集した。重鎮が、開口一番、口を歪ませながら叫んだ。「この議員を辞めさせろ!」 すると「それでは任命責任を問われ政権が潰れる!」と大臣たちがあらがった。「かといって、そのままでもダメではないか!」と若手もいらだちをあらわにした。もはや打つ手はなく、会議室は静まり返るばかり。誰かが「米ではなく、お米券と言い張ればよかったんだ……」と呟いた。

そのとき、首相に名案が閃いた。「よし、記者会見を開くのだ!」

議員たちは反対したが、首相の決意は揺るがなかった。そして、その日の夜、お米を買ったことがない議員の記者会見が開かれた。

あらゆるメディアが詰めかけた。記者会見に現れた議員は、眩いばかりのフラッシュのなか、深々と頭を下げた。

議員は語り始めた。「私は、お米を買ったことがありません」 ふたたび議員はフラッシュの洪水に包まれた。それから議員は静かに口を開いたが、その言葉は首相が言うように指図したセリフだった。

「でも……パンツも買ったことないんだ。いつも……ママが買ってきてくれるから……」

これを聞くや、群れ集ったメディアは、なんだ日本の敵なんかじゃない、ただのマザコンだと、たちまち解散してしまった。

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夜のなかほどへの旅

電車に乗るとき、気をつけなくてはいけないのは、ドア付近から絶対に離れてはいけないということです。

車内には乗客はたくさんいますし、次から次へと乗ってきます。もうドアの前の空間はぎゅうぎゅう詰めです。そんなとき、私たちの耳に忍び込んでくるのは、こんな甘いアナウンスです。

「ご乗車後は扉付近で立ち止まらず、車内なかほどまでお進みください」

そうか、そうか、と、お思いになるかもしれません。こんなところにいてなんになる、車内中ほどに移住しよう、と決意を固めるかもしれません。ですが、はっきり言っておきましょう。これは罠です。絶対に動いてはいけません。あなたがドア付近で掴み取ったその場所を死守するのです。

周りの乗客たちが「なんでこいつ動かないんだ。とんだバカだ」と罵っても、あなたの背中を肘で突き、カバンの鋭い角であなたの脇腹を突き刺そうとしても、微動だにしてはいけません。

中にはこんなふうにささやいて誘惑してくるものもいます。「なかほどはなんて素晴らしいところなんだ」「広々として」「のびやかで」「口臭も体臭もない」

だまされないでください! すべて嘘です。そんなところではないのです。そこは薄暗く、危険で、恐ろしい場所……。もちろん、本当のところはわかりません。いや、違います、ただひとつだけはっきりしてることがあります。なかほどに進んで行った乗客たちのうち、だれひとりとしてここに帰ってきたものはいなかったのです……

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Maseki Geinin Collection 2025春夏

ナイツ、三四郎、モグライダー、きしたかのなどのマセキ芸能社の主だった芸人に、何組かの他事務所の芸人16組が出演するライブが、銀座ブロッサム中央会館で開催されたので、行ってみることにした。

芸能界に疎い私でも知っている人ばかり出るのに、チケットは売れ残っているようだった。なのに、きしたかのの単独公演などはすぐに売り切れてしまうのだから不思議だ。なんにせよ、オープニングトークで「2階席のほうは見ないように」とのお達しがあった。

どれも面白かったが、モグライダーは『101回目のプロポーズ』のネタで、私はライブで見るのは2回目だが、1回目と同じように楽しめた。ルシファー吉岡は去年の R-1 での菅田将暉のネタだったが、これも二度見るに値する。トリはナイツで、いつもながらの感じで、拍手が一番大きかった。他事務所では男性ブランコがさすがというネタ(エアドロ)で、これも大ウケだった。しかし多忙なのか、この二人だけオープニングにもエンディングにも顔を出さず、まるで夢のようだった。

昨年の M-1 で準々決勝まで残り、そこから一気に知名度が上がったネコニスズもよかった。ネタの作りは準々決勝のものと同じだが、より良い出来で、今年の M-1 でも期待できそうな印象を受けた。赤ちゃん。

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お米の輸出に反対します

政府が、米の輸出量をこれまでの8倍に相当する35万3千トンにまで増やすという計画を立てた。これに今、日本中の群衆が怒り狂っている。

「米不足で、米の値段が高騰し、いずれ一粒百円にもなろうというのに、外国に売るとは!」
「貧乏人は麦を食えとでもいうのか!」「我々はゼロ穀米しか食べられないというのに!」

これに対して、冷静で理知的な意見を述べる声もある。米の輸出は、米の生産量の増加と生産基盤の拡充につながり、結果的に国内の米の供給と価格を安定させる、というのだ。

これはもっともな意見で、知的な私もそう思う。だが、そうであっても、私は米の輸出には反対だ。それは先にあげたようなヒステリックで不合理で非論理的な群衆の意見に同調してのことではない。

まったく違うのだ。私はこんなことをしでかす日本政府を恐れているのだ。

考えてもみてほしい。米は世界中にあるが、日本のような米は日本にしかないのだ。野坂昭如が「米を神のように大切にしているのは日本人だけだ」などとよく書いているが、これが本当かどうかはさておき、「日本の米を神のように大切にしている」のは間違いなく日本人だけだ。

日本の米は私たちを育み、精神を形づくり、日本の伝統を作ってきた。そう、日本の米は日本人の魂なのだ。

そんな日本人の魂まで外国に売ろうというのだから、海外出兵は間近だと見るべきであろう。