苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (3)

ライブの会場は7階にあるから、観客はエレベーターで順次、上がっていくことになる。たくみに列の先頭に滑り込んだ私は、そのエレベーターに乗せられる第一陣としてエレベーターの脇で待機することになった。ネパール人のスタッフと会場のスタッフがしきりにやりとりしていた。

なんとなくネパール人スタッフと会場のスタッフとの間で、事前にうまく意思疎通できていないような印象を受けた。これは言葉の問題もあるかもしれないし、ネパール人のスタッフにボランティアが多いせいかもしれない。

ビルマ関係の音楽ライブに少し関わったことがある経験からいえば、こうしたライブは、日本在住の人々がこのためだけに集まって開催することが多く、ほとんどの人が興行の素人だ。もちろん、会場の設営や、音響・照明などは日本人のプロや、会場の専門家が担うが、それ以外、例えばチケットの販売や、宣伝、アーティストの移動や宿泊、観客の誘導などは、普通の人々がボランティアで行うことが多い。いわゆる「手作り」というわけだが、しばしば運営の面で行き届かないこともある。

そのせいだかどうだかわからないが、開場は4時だというのに、私たちはそのままずいぶん待たされた。

だが、4時半ごろ、動きがあった。エレベーターが開いて、スタッフが乗り込もうとしたのだ。いや、KUMA SAGAR だ。クマ・サガルとバンドメンバーたちがエレベーターに乗ろうとしているのだ。誰もが写真を撮り始めたので、私も携帯をかざした。

私たちはそれからさらに15分近く待たされて、ようやく7階の会場に到達することができた。だが、それはなんという会場であったことであろうか。

苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (2)

現在、ネパールの歌手、KUMA SAGAR が、バンド The Khwopa とともに来日中だ。私が行ったのは、5月4日の東京公演で、大阪公演がこれから5月9日に開催される。まだあるようなので、ぜひチケットを買って行ってほしい(ticketkhai.com)。

クマ・サガルとは? という人には、サイトこんなことが書かれているので紹介したい。

A fusion band that blends traditional Nepali music with contemporary elements, preserving the country’s cultural heritage.

要するに、ネパールの伝統音楽をロックやフォークのテイストで演奏するフュージョン・バンドだ。こういうバンドが KUMA SAGAR の曲を演奏するということだ。

さて、私の5月4日のライブのチケットを見ると、午後4時開場、5時開演とある。ライブとしてはやや早い時間だ。会場は新宿駅前のカレイドビル7階の「T2 SHINJUKU」。よく知らないが、「日本国内最大規模ナイトクラブ」という触れ込みだ。

そこで、4時前にこのビルに行くと、狭い歩道にネパール人たちが集まっている。開場を待っているのだ。入り口を首からパスをぶら下げたネパール人スタッフが行ったり来たりしている。私はしばらく歩道の脇で待っていたが、何人かの人が緑色のチケットを手にしているのを見かけて、不安になった。オンラインでチケットを買ったので、紙のチケットはなく、ただ QR コードが送られてきただけだ。

そこで、入り口に行って、「ボランティア」と書かれたパスをぶら下げた人に話しかけて、QR コードを見せた。するとネパール語で答えたのだが、手振りから「上で見せろ」と言っているのがわかった。私はそのまま入り口で待つことにした。

しばらくそのままでいると、黒い T シャツを着た屈強な男たちが入り口にやってきた。背中には白字で「SECURITY」と書かれている。これらはネパール人ではなく、会場側のスタッフだ。

「歩道に並ばせよう」

私はセキュリティが日本語でこう言うのをいち早くキャッチして、他のネパール人たちが動き出す前に、セキュリティが列を作ろうとしている場所の先頭に潜り込んだ。

苦い文学

クマ・サガル LIVE IN TOKYO (1)

クマ・サガル(KUMA SAGAR)はネパールのミュージシャンだ。私はネパールのことも、その音楽のこともよく知らないが、有名な曲がいくつもあるらしい。その音楽はというと、ネパールの伝統音楽を今風にアレンジしたもののようだ。

そのクマ・サガルがバンドを引き連れて日本に来てライブをするという。福岡、大阪、名古屋、東京と全国を回るらしい。東京は5月4日だ。

これを教えてくれたのはネパールの学生で、学生割引の席と VIP 席があるとのこと。調べてみると、ぴあや e+ では扱っていないようだ。さらに調べてみると、ticketkhai というサイトで買えるとわかった。他にどんなライブを扱っているのか見てみたが、クマ・サガルの東京・大阪公演しかない。もしかしたら、このツアー専用のサイトかもしれない。日本在住のネパール人向けの公演なのだ。ちなみにクマ・サガルに言及した日本語のニュースなどもないようだ。

サイトを見ると、一般が 6000 円、VIP 席が 15,000 円。Early bird ticket(早割チケット)は売り切れとあるが、これが「学生割引」といっていたものだろう。しかし、一般の2倍以上する1万5千円の VIP 席(フリードリンク付き)とはどんな席だろうか。

ネパールの人気ミュージシャンの来日と4大都市ツアー、なのに日本ではネパール人以外ほとんど知られていない。さらに、謎の VIP 席……。興味をそそられた私は行くことにし、チケットをオンラインで購入した(もちろん一般)。

数日後、このチケットサイトを覗いてみると、VIP 席以外はもう売り切れていた。

苦い文学

餃子のタレ

私たちはそのとき、中華居酒屋で飲んでいたのだった。どうしたわけか政治の話になった。一人がこんなことを言って怒りだした。

「野党というのはいつも反対ばかりだ。反対するなら対案を示せばいいのに」

私はその人のことはよく知らなかったが、この意見を聞いてその人のことが多少わかった。あまり物を考えない人だ。だが、私は黙っていた。すると、私の友人が「なるほど」と応じた。「確かにそうだ」

彼は愚かどころか賢い人だったので、私は彼の言葉に内心驚き、また不愉快に感じた。私としてはこうしたつまらない話に付き合いたくはなかったのだ。友人はテーブルの上の餃子を指して反野党の人に言った。

「ところで、この餃子、メニューには『何もつけないでお召し上がりください』って書いてある」

「それが?」と反野党の人。「俺はね、お酢と醤油とラー油で食べたいんだ」と餃子をひとつ箸でつまむと、小皿に自分で調合したタレをたっぷりつけて食べた。

「野党ってのは、そのタレのようなもんだ」と友人は笑った。「向こうがいらないっていったって、自分好みの味に変えるのは自由だろ」

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ぶつからないおじさんたち

「ぶつかりおじさんという概念が誕生して以来、おじさんたちの外出はますます不穏なものとなった。

そもそも、犬も歩けば棒に当たるの諺の通り、外に出てまったくぶつからないというのはありえない。ことに足腰の衰弱のためフラつきがちで、わずかな凸凹にもつまづきがちなおじさんには至難の業なのだ。だが、不寛容な現代社会は、おじさんが不注意にも他人の肩をかすめた程度でも、「ぶつかりおじさん」のレッテルを貼りつけるのだ。

そこで、おじさんたちが安全に外を歩けるようにするためのいくつかの方法が考案された。

まず、「おじさん歩行中」というステッカーを体中に貼り付け、周囲の注意を促す方法が提案された。だが、これは、おじさんたちの拒絶反応によって迎えられた。「初心者マークじゃあるまいし!」「ヘルプマークなんてみっともない!」 おじさんたちにとって、自分たちが弱者であるという考えは我慢ならなかった。

次に、人の少ないオフピーク通勤の活用が推奨された。だが、おじさんたちはこれもガンとして拒否した。なぜなら自分の人生がすでにオフピークであることを認めるような気がしたからである。

さらに、おじさんがぶつからないようにするためのトレーニングも開発された。柔軟体操を通じて体をほぐし、敏捷性を向上させるためのメニューが開発された。しかし、おじさんたちは「ストレッチなんか女子どものやることだ!」と嘲笑った。自分たちにふさわしいのは、派手でかっこいいものだけだと思い込んでいたのだ。

そこで、もっと運動性の高いトレーニングが開発された。それは押し寄せる障害物を巧みに交わしながら前へと進む訓練法だった。

おじさんたちはすぐさまこの過激な訓練法に夢中になった。おじさんたちはみな「豚だ! 豚!」「少年院の力石徹だぞ!」と興奮したが、若者たちはなんのことかさっぱりわからなかった。

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タトゥイーン

今年の2月末から2週間ほど、チュニジアのチュニスに滞在したとき、ベルベル語の話者に会って、その言葉を教えてもらう機会を得た。

ベルベル語というのは、かつて地中海世界の南側(つまりエジプトや北アフリカ、サハラ)で広く話されていた言語で、現在もモロッコやアルジェリア、ニジェールやマリではかなりの話者がいる。しかし、チュニジアではアラブ化が進み、南部の一部の地域とジェルバ島にわずかに話者がいるのみだ。

教えてくれたのは、チュニス在住の60代の男性だ。ベルベル語にもいろいろあるが、この人のベルベル語は、南部のとある村の方言だ。とても親切な方で、私はずいぶん多くのことを学ぶことができた。そのうちのひとつが、「目」に関するものだ。

「目」は、この男性のベルベル語では ṯīṭ(スィート)という。複数形は ṯīṭāwīn(スィーターウィーン)だ。彼がいうには、この複数形が、チュニジア南部の有名な町 タターウィーン(taṭāwīn)の由来だそうだ。

チュニジアの他のベルベル語では ṯ は t になることが多いので、地名のタターウィーンがベルベル語の ṯīṭāwīn もしくは tīṭāwīn に関係しているというのはありそうな話だ。

さて、このタターウィーンは、世界的な有名な場所でもある。チュニジア南部はスターウォーズの撮影の地として知られるが、主要な舞台のひとつである惑星タトゥイーン(Tatooine)は、この地名からきている。

惑星タトゥイーンは砂漠ばかりの厳しい星だ。これは2つの太陽があるためで、とにかく暑さが苛烈なのだ。この惑星に移住してきた人類には、空に浮かぶ2つの太陽がまるで両の目のように見えた。そこから、目の複数形でこの星を呼ぶようになったと伝えられる。

苦い文学

かるかやの謎

説教節の「五説教」のひとつとされる「苅萱(かるかや)」はおおよそこんな筋だ。

昔、ある有力な武人が無常を感じ、仏門に入ることにした。高野山に行くと、偉い坊さんが「侍が遁世修行するなどムリムリ」という。だが、武人は「私は二度と家族に会いません。もし会ったら地獄に落ちてもいいです」と誓って、なんとか認めてもらう。

この武人には、妊娠中の妻がいた。やがて男の子が生まれて、少年になる。少年は、父親が生きていることを知ると、会いたくなり、母親と一緒に高野山に行く。

高野山は女人禁制なので、少年は一人で山に行き、苅萱道心に出会う。この苅萱道心は少年の父であるが、道心は家族と会ったら地獄に落ちると誓った手前、少年に「お前の父は死んだ」と嘘を言う。少年はこの悲報を母親に知らせるために高野山を降りるが、その時には母親は心痛のあまり死んでいた。

その後、少年は再び高野山に行き、苅萱道心と再会し、その弟子となり、道念坊と名づけられる。道心はいずれ自分が父であることが露見することを恐れて、ひとり旅に出て、亡くなる。道念坊も、道心が父であるとは知らずに、やがて亡くなる。これが善光寺の親子地蔵の由来である。

この悲しい物語には、どうも腑に落ちないことがある。

父親は少年が自分の息子であることは誰にも言わなかったし、息子は自分の父が死んだと信じ込んでいた。それならいったい、誰が二人が親子であることを知っていたというのだろうか?

苦い文学

AI の手

現代の AI の進化のスピードからすると、そのうち、高度な自動翻訳機能を誰でも自由に活用できるようになるだろう。この機能を脳に組み込めば、私たちは相手が何語で話しかけてこようとも、即座に理解してしまうのだ。また、こちらから自分の言語で話したとしても、相手の脳に増設された自動翻訳機能が相手の言語に変換してしまう。

すると、互いに異なる言語を話しているのに、なぜかやり取りが成立しているという状況が生じるが、これはスターウォーズでお馴染みの光景だ。

問題は言語というものがそれほど明確に区別できないことだ。英語と日本語なら自動翻訳機能が必要だが、関東方言と関西方言ではどうだろうか。同じ言語ならば自動翻訳機能などいらない、と思うかもしれないが、いったんこの機能が脳に組み込まれてしまうと、「方言」程度の差でもこの機能は「やはりあったほうがいい」ということになるのではないかと思う。

そうなると、東京方言と茨城方言の話者同士のコミュニケーションでも、この機能を使わない理由はない、ということになる。そして、言語というものは、個人個人でも多少は違うものだから、家族と話すときでも、私たちはこの機能に依存するようになっていくだろう。

また、私たちは心の中で自分とやりとりすることもある。自問自答したりすることもあれば、良心の声が聞こえてくることもあろう。そのときにも、AI が自動的に働いて、翻訳しだす。自分との会話にも AI が介入しはじめるのだ。

そのとき、私たちが、胸に手を当てて考えるときの手も、たぶん AIの手だろう。

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危険な川遊び

演歌でも有名な「矢切の渡し」は東京の柴又と千葉の松戸をつなぐ江戸川唯一の渡しだ。ちなみに演歌では「やぎり」だが地名は「やきり」だ。

柴又といえば「男はつらいよ」だが、その1作目の冒頭で、故郷に帰還する車寅次郎が乗っているのがこの渡し舟だ。

渡賃は大人200円(「男はつらいよ」当時は大人30円)。夏期は毎日運行していて、冬期は休日だけ、荒天の場合は欠航だそうだ。乗り場は帝釈天の近くだ。だが松戸側は松戸駅から遠く、バスを使うしかない。

この間、帝釈天に行ったとき、私はこの矢切の渡しに乗ってみることにした。

江戸川の乗り場に行くとすでに何人かの乗客が並んで待っていた。舟は松戸側の対岸でちょうど人を下ろしたばかりのようで、しばらくするとゆっくりこちら側に戻ってきた。舟が桟橋に着くと、船頭の男性が、明るいがクセのある声で乗客たちに声をかけ、次々と乗せていった。渡賃はこの時に支払う。

舟が岸を離れ、対岸に向かう。すると、予想外のことが起こった。船頭の方がそのクセのある声で、独自の漫談を始めたのだ。私はその漫談を聞いて、ヒヤリとした。

江戸川の流れは静かで、風も穏やかだったが、どんな激流川下りよりもハラハラさせられた。

機会があれば、ぜひみなさんも体験してほしい。

苦い文学

シティポップの誕生

シティポップは1970年代の日本で生まれた音楽ジャンルのひとつで、いわゆる「洋楽」の影響を受けながら、日本の当時の洗練された都市文化も反映した音楽です。

このシティポップが現在、世界中で注目されています。特に韓国では、80年代から日本のシティポップの受容が始まり、現在では独自のフレーバーを持つ韓国シティポップが日本でも愛好されるようになりました。

さらに、タイでもバンコクを中心に、優れたシティポップが制作されるようになっています。

ここで、都市について研究を重ねる都市学者がシティポップについてこんなことを言っていたのが思い出されます。

「洞窟に住んでいた人類が住居を作り、その住居が集まって集落となる。その集落が集まって村となり、その村が集まって、大きな村となる。やがて余剰生産物が発生し、それを管理する存在として王が生まれ、村々を束ねる都市が誕生する。その都市が発展し、人口も増え、その増加した人口と社会を管理するための官僚機構が整備されると、大都市となる。この大都市は周辺の人々と富と技術を飲み込みながら拡大し、最終的にシティポップを生み出す」

今後、戦争が起きて、文明が破壊され、私たちが洞窟に暮らすようになったとしても、そこからいつの日か素晴らしいシティポップが誕生するかと思うと、ゴツゴツした岩場でも楽しく眠れそうですね。