苦い文学

久米仙人

世俗の生活に疲れ果てたので、仙人になろうと思った。それで、このコロナ禍をものともせずに旅に出て、仙人の山にたどり着いた。

見上げると、山は険しく、夏だというのにその頂は霞に隠れている。この霞の向こうには桃源郷が広がり、仙人たちが自由自在に空を飛び回り、毎日、楽しく暮らしているのだ。

そう思うと気がせいたが、もう午後3時近かった。今から登るのは危険だと判断した私は、少し引き返して、麓の小さな町で一泊することにした。

町は、山に向かう時には気が付かなかったが、なんとなく奇妙な印象を与えた。私は汗をかきかき、宿を探して歩き回った。ときたま、町の人々を見かけた。下校中の小中学生たちが騒がしく私のそばを駆け抜けて行った。

町の様子を知れば知るほど、ますます違和感が募っていった。やがて、一軒の旅館を見つけ、玄関を入ると、年配の男が出てきて、部屋に案内してくれた。

その男は旅館のあれやこれやについて説明してくれたが、その口調や物腰は穏やかだった。私は少し不躾かもと思いつつ、彼に尋ねた。

「さっき、町を少し歩いたのですが、ひとりも女性を見かけませんでした。小中学生も男の子しかいませんでした。すこし不思議に思えますが……」

「ああ、この辺りでは、女は家にいるものと決まっているので。学校に行くのも男だけ。女の子は家に先生がやってきて面倒を見るんで」

理由を尋ねると、男はこともなげに答えた。

「女が外をうろついていると、仙人様たちが迷惑だというのでね。この辺りの昔からのしきたりです。なにしろ、仙人様あっての町なので」

「じゃあ、どうしても女性が外出しなくてはいけないときは?」

「そのときは黒い布をすっぽりかぶって出かけます。ですので、今日みたいな暑い日は女は決して出やしません」

「では、この町では買い物も洗濯も男性の仕事なんですね」

「ええ、ですが、最近では男も外では黒い布をかぶるように、と仙人様サイドから町に要望が出ているそうで……これも時代の流れでしょうかね……」

苦い文学

コ・ジミー

2013 年 2 月 14 日のお昼前、私はヤンゴンの民主化団体、88 ジェネレーション・ピース・アンド・オープン・ソサイエティの事務所にいた。

その 2 階の会議室で、私はココジーとミンゼヤーという 2 人の著名な民主化活動家に会い、ビルマの現状や、2 人が経験した獄中生活について、話を聞いたのだ。

インタビューが終わって、1 階に降りると、人でにぎわっている。広間に置かれた大きなテーブルでは,若い人たちが食事をしていた。もう昼時だ。豚肉の料理,鶏肉の料理,魚のぶつ切りの料理などが並び、お祝い事のようだ。私も招かれ、いつものように遠慮なく食べ始めた。

すると、私と同じ年代の男がやってきて隣に座り、いろいろと話しかけてきた。

「今日は私の誕生日です! だからこうやってみんなにお昼を振る舞ってお祝いしているのです」

彼は、黒い服を着た女性を指差して、妻だと言った。彼女は奥の方から食べ物を運んだり、客をもてなしたりしていた。

「私たちは 2 人とも刑務所にいました」

2008 年 11 月 11 日、夫婦は一緒に 65 年の刑を宣告され、まだ赤ん坊の娘と引き離されて投獄されたのだそうだ。大統領恩赦で釈放されたのは、前の年(2012 年 1月)だ。

その男の名前はコ・ジミーと言った。今年 7 月 25 日、ビルマ軍事政権に処刑された 4 人のうちのひとり、チョウミンユーの別名だ。

私は彼と同い年で、同じ年に生まれた娘もいる。私にできることは何かと考え、ここに彼のことを書くことにした。

苦い文学

中国の遺失物

中国の雲南省のカチン人の祭りに行った帰り、私は iPhone を無くした。タクシーに置き忘れたのだ。

1時間以上タクシーに乗ってたどり着いたホテルで、そのことに気がついた。

タクシーを降りてからもうずいぶん経っていた。もといた街に向かって走行しているはずだ。

しかし、そのタクシーはホストのカチンの人々が手配してくれたものだった。なので、そのカチンの人々に電話して、タクシーの運転手に連絡をとってもらうことができるかもしれない。

問題は、私は中国語ができないことだったが、それも同行していた在日カチン人がなんとかしてくれた。

それで、どうなったかといえば、タクシーの運転手は引き返して、iPhoneを届けてくれたのである。

中国の人々が日本の治安の良さや、財布を落としても戻ってくることに驚いている……以前、そんなことが日本でニュースになったものだ。だが、その時私は、中国でだって遺失物は戻ってくるのだ、ということを感激とともに思い知ったのであった。

とそんなことを、中国人の留学生に話したら、こんなふうに言われた。

「iPhone が帰ってきたのは、その後に別の客が乗らなかったからですよ」

苦い文学

韓国の Yo La Tengo

私が韓国の Yo La Tengo と呼んでいる Say Sue Me の新しいアルバムが5月に出た。いい曲がいくつかあるので、よく聞いているが、たまたま調べてみたら、来日することがわかった。

フジロックフェスティバルの2日目(土曜日)の 14:00 から演奏するのだという。フジロックフェスティバルは Youtube でライブ配信しているから、私は数日前から楽しみにして待っていた(ほかに楽しみがないのだ)。

土曜日の昼頃に、もう一度出演者の名前を確認したのだが、なぜかそこには Say Sue Me の名前がなかった。いったいどういうことかと思って、フジロックフェスティバルのウェブサイトに行ったら、メンバーがコロナに感染したため、来日中止になったと書いてあった。

これは残念だが、そのいっぽう、朗報もある。 12 月にも来日するのだ。

そして、そのチケットの抽選発表が今日あり、私は無事、抽選に当たったというわけだ。

苦い文学

I・餓男

小池一夫については説明の必要はないかもしれないが、「子連れ狼」「修羅雪姫」などの漫画の原作で知られる。劇画村塾などを通じて、後進の育成にも努めたことも有名だ。

「クールジャパン」などという言葉のできる前から、小池一夫の作品は国際的な評価を得ていた。映画化された作品が世界に与えた影響力も大きい。

外国人の中にはアニメや映画を通じて日本の文化に関心を持つ人も多い。私はそうした留学生に何人も会ってきたが、どの留学生も「キメツ」「コナン」「ハルヒ」など、私のわからない言葉を唱えるばかりで、「ゴズメズ」「エレクチオン」「デラベッピン」などいうものはひとりもいないのだった。

もしかしたら、小池一夫の作品は、今の日本語学習者には難しすぎるのかもしれない。そう考えた私は、小池一夫の作品に特化した日本語教材の開発が急務だと感じるようになった。

以下は試作品であるが、日本語学習者が小池一夫作品を読む時に有用な五〇音図である。皆さんのご意見をお待ちしている。


あ い う え お
か き く け こ
さ し す せ そ
た ち つ て と
な に ぬ ね の
は ひ ふ へ ほ
ま み む め も
や   ゆ   よ
ら り る れ ろ
わ   を   ン

苦い文学

1人称

「わたし」や英語の「I」、フランス語の「je」のような、話し手自身を指す代名詞を1人称代名詞という。

この1人称代名詞は、多くの言語ではたいていひとつだ。英語なら「わたし」は「I」しかない(格変化したものはここでは考慮に入れない)。フランス語ならいつも「je」だし、アラビア語もそうだ。

1人称代名詞が2種類ある言語もある。韓国語では、目上に人に対して使う「わたし」と、それ以外の「わたし」の2つがある。ビルマ語にもやはり2つある。

3つある言語については知らないが、たくさんある言語なら知っている。日本語だ。

よく使われるのは「わたし」「おれ」「ぼく」「あたし」だが、これ以外にもたくさんある。参考までに、日本語の主な1人称を以下に挙げておく。

「わたし」「おれ」「ぼく」「あたし」

「わたくし」

「あたくし」「自分」「おいら」「わし」

「こちとら」「小生」「余」

「当職」「拙者」「それがし」

「矢沢」

苦い文学

鬼の求人

地獄の使者がやってきて、私に頼み事をしてきた。

地獄で鬼をたくさん雇い入れたいから、鬼にうってつけの人材をできるだけたくさん紹介してくれというのだ。

「それは新卒限定ですか、それとも既卒でもいいので?」

こう聞くと「鬼卒だ」との答え。要するに誰でもいいのだろう。

もし、日本に鬼の求人があれば、それを参考にするのが一番だと思い、いくつかの就職サイトや転職サイトを覗いてみたが、そんなものはなかった。顕界にあらざる鬼は非公開求人という可能性もある。

私は尋ねた。「そもそも鬼にうってつけの人材ってどんな人でしょうか?」

地獄の使者の答えは明解だった。「まず、責め苦を躊躇なく行う冷酷さが必要だ。そして、その責め苦を永遠に反復できる知性のなさも兼ね備えていなくてはならない。鬼には罪人への同情など禁物だから、ぜひとも、弱者への軽蔑と権威を笠に着る心がけの持ち主であってほしい。それと、忘れてはいけないのは、ユーモアの欠如だ。鬼に許された笑いは嘲笑だけだからな」

私はそれを聞くや、ピンときた。

「そういう人材ならここにたくさんいます」と見せたのは、Yahooニュースのコメント欄。

コメントを次から次へと読む地獄の使者は、「ヤフコメを書く人々こそ、鬼にぴったりです」という私に、満足げにうなずいてみせたのだった。

「ところで、どうしてそんなにたくさん鬼が必要になったのでしょうか」と私は尋ねた。

「ああ、それは、将来的に地獄に連行される人が激増するという見通しだからだ……君もせいぜい気をつけたまえ!」

苦い文学

光の王

私はジーン・ウルフ(Gene Wolfe)というアメリカのSF作家が好きで、未訳のものも含めてけっこう読んでいる。

Twitterでも、私はジーン・ウルフ関係の人をフォローしているので、関連する英語のツイートがよく流れてくる。

ジーン・ウルフを読み通すというのは、すべての人にできることではない。合う合わないがあるし、ある程度の小説を読む力も必要だ。そんなわけで、流れてくるツイートでも、文学の好みや評価が話題になっていることも多い。やや現実離れしているのだ。

しかし、ある時、私はジーン・ウルフ関係の英文ツイートを流し読みしていて、「Zelenskyy(ゼレンスキー)」という語に出くわした。

私は衝撃を受けた。ついに、現実世界の戦争が、ジーン・ウルフの平和なファンダムにまで侵入してきたか、と。

もしかしたら、世界はもはや、のんきにSFなど読んでいられる場所ではなくなってしまったのだろうか?

不安に思いながら、そのツイートをもう一度見る。

よかった! 「Zelazny(ゼラズニイ)」の見間違えだ。まだ平和だった……。

そういえば、去年、ロジャー・ゼラズニイの『光の王』を読んだ。あまり感心しなかったが……。

苦い文学

格助詞

格助詞とは、名詞などに後続する助詞のことで、その名詞が他の体言や用言とどんな関係にあるかを示すものだ。

例えば、「家の鍵」の「の」や、「鍵をかける」の「を」が格助詞だ。

以前、理系の大学に用があって行った時の話だ。

私は講師室みたいなところで待っていたのだが、何人かの講師と思しき人々が盛んに議論していた。

聞くともなく聞いていると、格助詞の話をしている。私は興味深く思った。もしかしたら、日本語の先生かもしれないし、あるいは言語処理の研究者かもしれない。

しばらく私は聞いていたが、結局、「拡張子」の話だということがわかった。

苦い文学

ネトウヨ

ずいぶん前の話だが、難民問題に取り組んでいる男性が、Facebook にこんなような書き込みをした。


犬の散歩をしていたら、若い男とトラブルになった。その男は怒って、私にむかって「さてはお前は何々人だな。日本人ならこんなことはしない」などと言い出した。わたしはこいつはネトウヨだと思って、徹底的に抗議した。


私はこれを読んで、この男性が憤慨するのももっともだと感じたが、同時に、彼に絡んできた男はネトウヨではなく、ただの右翼では、と思った。