苦い文学

保守と革新

保守派であることを誇らしげにいう人がいるが、いったい保守のどこに自慢になるような点があるのか、正直いって私にはわからない。

何年か前、中国人の留学生に作文を書かせたことがあった。そしたらこんなことを書いてきた。

「保守と革新では明らかに保守の方が優れている。保守派であるべきだ」

私はこれを読みながら考えた。中国にはきっとこの若者のように、自分の国の政府に微塵も疑念を持つことのない人々がたくさんいるのだろう、と。ちょうど、日本の保守を標榜する人々が、日本政府との一体化のあまり、ささいな政府批判にも我慢ができなくなってしまうのと同じだ。

留学生はさらに書き進める。彼は「保守」を持ち上げ、「革新」をこき下ろすのである。私は読みながら、奇妙に感じた。

そして、彼がこんなふうに書くにおよんで、私は自分がひどい誤読をしていたことに気がついた。

「日本の優れているところは、保守であることだ」

つまり、この留学生にとって、保守とは、非共産主義のことだったのだ。革新派とは中国共産党のことで、彼はずっとこれを批判していたのであった。

苦い文学

夫婦別姓

夫婦別姓について議論が繰り返されている。

最近でも、夫婦別姓が憲法に違反するかどうかの裁判が東京と広島で行われたが、結局これは違憲ではないという判決となった。

また、選択的夫婦別姓についてもしばしば取り上げられる。

これは、夫婦が同じ名字でも、結婚前の別々の名字でも、どちらでも自由に選べる、というものだ。しかし、これもまた法改正には至っていない。

こうした反対が根強いのは、夫婦別姓が日本の「家」の崩壊につながる、という危機感を持つ人が多いためのようだ。もっとも、家を崩壊させるのは、統一教会など名字以外にもたくさんあるから、この説はあまり信用ならない。

いっぽう、夫婦同姓制度に反対する人は、これが女性差別を制度化したものだと考える。もちろん、結婚する時に男性が姓を変える場合もあるが、実際には女性が変えるのが当たり前だというのが通念だ。これが、女性にある種の服従を強いることとなっている、というのである。

女性平等の社会、とはいうが、実情はまだまだというわけだ。

私自身の意見としては、夫婦別姓には反対だ。というか、私はむしろ名字などいらないのではないかと考えている。無姓に賛成なのだ。

ビルマではすべてではないものの多くの民族が名字を用いない。アイスランドも名字がないという。名字がなくて国が滅びたという話は聞かないから、名字など必要ないのだ。また、名字の数が限られている韓国だって、日本の名字の数から見ればないのも同然だが、特に問題はないようだ。

これに対して、名字は文化だ、という人もいるかもしれない。だが、名字が文化であることと、これを公的に登録することとは別物だ。また、名字を禁止するというわけでもないから、好きなように使えばいいだけの話なのだ。

おそらく無姓主義は、賛同者も少ないだろうし、実現の可能性もほぼないが、もしかしたら名字がなければ、社会にいろいろよい変化があるのでは、と思えるのだ。

苦い文学

冷蔵庫

今使っている冷蔵庫は20年も前のもので、壊れてはいないが、そのうち壊れること必定なので、近くの家電量販店に新しいのを買いに行った。

物の良し悪しもわからずに並んでいる商品をただ見ていると、店員が話しかけてきた。

小柄な若い女性で、いろいろ質問するとすらすらと答えてくれる。

彼女の説明を参考に、候補を絞り、買うのを決めた。

支払いのとき、店員はいろいろと保証を進めてきた。押し付けるようではなく、いやな感じはしなかったが、すべて断った。配送の日取りなどもテキパキと済ませてくれた。

すべてが終わり、私が立ち去ろうとすると、その店員は名刺を渡してくれた。それを見て私は驚いた。

ベトナム人だったのだ。

ずいぶんいろいろ話したのだが、私はまったく気が付かなかった。これでもかなりのベトナム人学生と接してきたつもりだが、私の経験とやらもそれまでのものだったのか、それとも彼女の日本語能力が高かったのか。

なんにせよ、こうした若い人々が能力を発揮できるというのはいいことに違いない。

私はたまたまベトナム語の「Cảm ơn chị(女性に対して)ありがとう」を教えてもらったばかりだったのだが、発音に自信がなかったので、言わずに立ち去った。

苦い文学

なるほどそういう設定なのね

「なるほどそういう設定なのね」
      歌 吉川赳議員(離党済)
      演奏 YOASOBI 議員同盟(超党派)

———前奏(じらすように)———

Ah…… 汐留の夜
議員バッジに滲むね ネオンライト
あの時見せた君の涙は
炭火焼きの煙のせいなの

Ah…… 個室のパパ活
ディタオレンジ マッチポンプで注いでよ
氏素性も知らない男女ふたり
頼んだ皿は18枚? それとも……

(サビ)
なるほどそういう設定なのね
軽い乗りで騙し合って
ひとつ
またひとつ
しらけた嘘重ねながら

Ah…… 同伴の街角
タクシーで飛ばす お台場のホテル
有権者の気持ちより
君の真実に興味があるから

(サビ)
なるほどそういう設定なのね
LINEの伝言 君に届け
1枚
また1枚
「相当額補填」渡しながら

(セリフ)
「今、みんなが私を信じてくれないのなら、いつみんなは私を信じてくれる? 今、みんなが私を信じてくれないのなら、いつみんなは本当に私を信じてくれる? 訴える、訴えるしかないんだ……」

———間奏(逆上気味で)———

(サビ)
なるほどそういう設定なのね
猛々しいのさ ブログの弁明
一歩
また一歩
Nowhere に雲隠れしながら

(サビ)
なるほどそういう設定なのね
やけに詳しい 個室の描写
ひと月
またひと月
歳費と通信費もらいながら

Ummmm……だいぶオジサンだけど Thank you very much ね
Oh yeah ummmm……だいぶオジサンだけど Thank you very much ね

———後奏(存在ともどもフェイドアウト)———

苦い文学

校長の言葉

みなさん、本日は開校式においでいただきありがとうございます。

思い起こせば 30 年前、私が日本語教育を学ぶ一人の学生であったとき、恩師服部先生と、こんなやり取りをしたことが思い出されます。

「どういう日本語教師がよい教師だと思うかね」と先生がおっしゃいました。

私は単純にもこう答えました。「なんでも知っていて、学生たちの質問にすぐに答えられる教師です」

すると、服部先生は柔らかい口調で反対しました。

「いや、これが違うのだ。それでは、学生たちは教師に頼り切りになってしまう。本当によい日本語教師というのは、学生たちに余計な介入をしない、いわば、学生たちの前で姿を消すことができる教師なのだ。そうやってこそ、学生たちは自分自身で学ぶ力を育むことができるのだ」

私はこの言葉を聞いて以来、服部先生のおっしゃるような「良い教師」たらんと努め、さらには「姿を消す」優秀な教師たちが集う素晴らしい日本語学校を作りたいと念じてまいりました。

そして、その念願が今、ここに実現したのであります。私たちの新しい日本語学校が、この伝統ある地に根付き芽生え、多くの学生たちを草として日本中に送り込めるよう、教員一同邁進してまいる所存でございます。

伊賀忍びの里日本語学校校長
嗣永三太夫

苦い文学

真実の王

いまからおよそ 130 年前に刊行された『チュニジアの昔話と詩(Tunisische Märchen und Gedichte)』(Hans Stumme)は、チュニジアの民話が当時のチュニジアのアラビア語で記録された貴重な本だ。物語と詩にはドイツ語の訳が付されている。

収録されているのは、長い物語 6 つと、短い物語が 19 だ。そのうちの長いほうのの物語に「真実の王」というタイトルのものがある。

漁師の息子ムハンマドとアリーの冒険譚で、チュニジアの物語に特徴的なモチーフが散見されて興味深い。以下は物語の一部の要約だ。


アリーはとある国にたどり着く。そこである男から魔法のラバを手に入れる。男の言葉のままにラバから馬具を取ると、ラバは女に変身する。女はアリーを捕まえて、城に連れて行く。女はアリーを孔雀に変える。そこには女に動物に変えられた人がたくさんおり、女は好きな時に性交している。ついにアリーの番が来る。アリーは拒否する。拷問される。神に祈った時、鳥がやってきて、アリーを救い出す。


「そこには女に動物に変えられた人がたくさんおり、女は好きな時に性交する。」のくだりは、原文テキストにして 12 行ほどだが、実はこの部分だけはドイツ語訳にない。

おそらくドイツ語に訳すには憚られる内容だからだろうが、ちゃっかり原文では残しておいたというのが味わい深い。

苦い文学

怪談

私の友人のAは新進気鋭の研究者で、現在ある大学で教えているが、彼がまだ研究室にいたころに不思議な出来事を経験したのだという。

その研究室にはある先輩の研究者がいて、非常に優秀で論文で賞をもらったり、大きな科研費を取ったりしていたのだそうだ。

あるとき、その先輩が私の友人にスマートフォンを渡してこんなことを言った。

「これ使っていいよ、俺は新しいの買ったから」

どうして自分にくれたのか、彼は尋ねようとしたが、先輩はそのまま立ち去ってしまった。そして、それを聞く機会は永遠に失われた。というのも、翌朝、その先輩は遺体となって発見されたのである。

友人は先輩の死に衝撃を受けながらも、もらったスマートフォンを使うことにした(最新式だったのだ)。だが、それが恐怖の始まりとなった。

というのも、ゲーム好きであった彼がそのスマートフォンでゲームを始めると、必ず電話に非通知で着信があるのだ。しかも、出てもいつも無言だった。それがもう度々続くので彼はすっかり気味悪くなり、やがて精神的に参ってしまった。

もしかしたら、友人もまた先輩と同じ末路を辿っていたかもしれない。研究室の教員が彼の異様な様子に気がつき、彼の持っているスマートフォンが原因だと見抜かなかったら。

教員は推理と調査を行い、その結果、そのスマートフォンの秘密が明らかになった。それは、その先輩がおそらく不正な手立てによって科研費で購入したものだったのだ。

科研費は研究のために用いられる公的な資金であり、原資は国民の税金である。教員は「そのようなお金で購入されたスマートフォンでゲームをすれば、国民から抗議の電話がかかってくるのは当たり前だ」と真相を明らかにした。

苦い文学

長生きの秘訣

年寄りが、初対面の人に自分の歳を当てさせて、自分が90何歳なのを知らせて驚かしたり、あるいは、聞かれてないのにまず自分の歳のことを話して感心させたりして、本人はいたくご満悦、といった光景がたまにみられるが、年を取るのがそんなに大したことなのか。

いや、大したことに違いないのだが、そんなに自慢げに言うことなのか。

そもそも、我々の社会はいたずらに自慢することをよしとしない社会だが、これら高齢者は、その社会をそれこそ何十年も生きてきたにもかかわらず、ある年齢に達した途端、自分の年齢の自慢をためらわなくなるのだ。

しかも、これらの老人たちは、その長い年月の間にどれだけ立派なことをしてきたかしれないのに、そんなことなどお構いなしで、自分の人生をすっかりその二桁か三桁の数字に変換してしまう。

いったいこれはどういうことなのか。私は考えに考え、ある一つの答えに到達した。

つまり、自分の年齢を自慢するような人だけが、長生きするのだ。

考えてみてほしい。「こんなに年取って申し訳ありません」「生きていてすいません」「馬齢を重ねまして……」「恥さらしな人生を生きております……」などといつも言っているような人が、長生きなどできようか?

これらの言葉は、口にするたびにその人の寿命を奪っていく魔の言葉なのだ。それこそ月単位で、だ。

そんなわけで長生きをしたい人は、これらの言葉を避けるべきである。

そのかわり、自分の誕生日が来るたびにウキウキしたり、自分が人より年上であるだけで得意になったり、そんな心持ちでいるようによろしく努めるべきなのだ。

苦い文学

マッサージ

以前、中国の雲南省で行われたカチン民族の祭りに行った帰り、私は在日カチン人ともう一人の日本人とで、ホテルに泊まった。

そのカチン人は中国語も話せる。ホテルのフロントには若い女性がいて、チェックインのとき、彼女にこう聞いた。

「このあたりにマッサージ店はないか」

私は彼とビルマとタイにも一緒に行ったことがあるが、彼はいつもマッサージを頼む。日本のマッサージは高いので、これが彼の楽しみの一つなのだ。

だが、受付の返事は「ない」。

「そんなはずはない」としつこく食い下がるが「ない」の一点張りだ。もしかしたら性的なマッサージと勘違いしていたのかもしれない。それか、共産党が急にマッサージ禁止のお触れ書きを出したか、だ。結局彼は諦め、我々は与えられた鍵を持ってばらばらに部屋に落ち着いた。

すると緊急事態が起きた。何かは今は書かないが、私はどうしてもこのカチン人と話をしなくてはならなくなった。一刻を争うのだ。だが、彼の部屋がどこにあるかわからなかった。

私は急いで受付に行った。中国語ができない私は、先ほどの若い女性に中国語らしき漢字をいくつも書いて、必死に伝えようとした。

彼女も困った様子で私の相手をしていたが、やがてピーンときた顔をした。そして彼女は、「お前が探しているのはこれだな!」と言わんばかりの顔つきで、パソコンに入力した文字を見せた。

[按摩(アンモー)]

「ちがう! アンモーちがう!」と私は絶句したが、逆に笑ってしまった。

苦い文学

ちょっと待ってください

スマイレージは、かつてハロー・プロジェクトに所属していた 4 人組のグループで、2010 年 5 月に「夢見る 15 歳」でデビューした。いくつかいい曲を出したものの、メンバーの入れ替わりがあり、2012 年 2 月に 6 人体制となって初めてとなるシングル「チョトマテクダサイ!」を出した。

このころ私は、つんく♂の関係するものならなんでも聞いていた時期で、初期のスマイレージの曲も愛聴したものだった(スマイレージは、アンジュルムと名を変えて現在も活動している)。

さて、2012 年 6 月、私は中国からビルマのカチン州に入った。当時もカチン軍とビルマ軍の戦争があり、私は戦場の近くまで行ったり、カチン軍の本部でインタビューをしたり、難民の状況を調べたりした。

カチン人の土地に滞在している間、私は一人の痩身の老人に出会った。彼はかつてカチン軍で狙撃手を務めていたのだという。物静かな人で、とても銃を撃つようには見えなかった。

彼は私が日本人だと知ると、曲を一節歌ってくれた。

「チョトマテクダサイ〜」

これはハワイの歌手 SAM KAPU の古い曲(CHOTTO MATTE KUDASAI)だったのだが、それを知らなかった私は「なっなぜ異国の老兵が、スマイレージの新曲を?!」と一瞬混乱したのだった。