苦い文学

入管アンテナショップ

さて、今回みなさんにご紹介したいのは、品川駅構内にある入管のアンテナショップ。

ここでは、入管の収容所に収容されている人々が作ったさまざまな製品が販売されています。

気になる商品をご紹介しましょう!

まずは、新商品の「難民すごろく」。入国から難民認定までの道のりをすごろくで体験。「あがり」にたどり着くまで最短でも5年。気長に楽しんでください。

お次は、被収容者が入管職員にナイショで醸した地酒「国ざかい」。いける口にはたまりませんが、お酒も長期収容もホドホドに。

いま、ひそかに注目を集めているのが、テレホンカード。なんとこれ入管の中だけしか使えません。ウィシュマさんの顔写真がプリントされたカードが一番人気とのこと。

巷を騒がす「死刑にするハンコ」ですが、入管にもすごいハンコがあるのはご存知? それが「強制送還するハンコ」です。これを持てば、あなたももう法務大臣。死刑に強制送還とド派手にやっちゃってください!

ショップにはまだまだ要チェックグッズがずらり! 入管ポテトチップス(日本に来るんじゃなかったという悔悟の涙の塩味)、入管職員愛用のストレス解消グッズ(具体的にはお店でご確認ください)、監視カメラマル秘映像集DVD(出す出さないでお馴染み!)、謎の飴(入管のお医者様が処方する精神に効く成分配合)、難民認定お守り(これにあやかってあなたも難関突破!)、牛久大仏の置物(原寸大!)などなど。

品川駅をご利用のさいには、ぜひお立ち寄りあれ!

なお、収入印紙でしか購入できないので、入国管理局の1階のコンビニでご用意の上、ご来店ください。

苦い文学

あなたの夢はかなう

自分の夢を実現したい、素晴らしい人生に変えたい、成功したい、幸福になりたい……だれしもそんなことを考える。

そして、そうした人のために、さまざまな成功アドバイスを記した本が出版されている。

いわゆる自己啓発書だ。

そうした本を読むのもいいことかもしれない。

もちろん、私も大いに読みたい。そして、成功、いやそこまででなくても、人並みの生活が送れるようになりたい。

だが、私には疑問がある。

なぜしばしば「続編」があるのだ。

まるで、1冊目だけでは「夢を叶えたり、幸運を引き寄せる」のに不十分みたいではないか。ひどいのになると、シリーズ化されている……第5弾、第6弾と!

こうなるともう、むしろ最初の一冊は、夢など実現しないほうに全振りしているのではないかと疑りたくなる。

以前、「すべてを手に入れる」ことができるという本が出た。この本を読んですべてを手に入れた読者がいたかは知らない。

だが、かりにいたとしても、まるでその読者を嘲笑うかのように、数ヶ月後に続編が刊行されたのであった。

苦い文学

左右盲

裁判官殿、左右盲という言葉をご存知でしょうか。

これは、右と左がどっちかとっさには判断できないことでして、左右失調ともいわれます。

実は、この私も昔から左右が混乱しておりまして、「右手を上げろ」といわれてもすぐにはできないのです。

まず、「箸を持つほう」と自分の手を確認いたします。それから、その手とは逆の手を上げる、ということになります。ええ、つまり、私は左手で箸を持つからでして、この辺りからして、もう混乱しているのです。

しかも、この左右盲、私の知能の他の部分にも広がっているようなのです。

といいますのも、私は左右以外にも、ペアの区別ができないのです。

例えば、同僚に「石山さん」と「石川さん」がいるとしましょう。すると、もう私はどっちの人が「山」で「川」なのかわからなくなってしまいます。

「石山さん」に「石川さん」と呼びかけたり、逆に「石川さん」を「石山さん」としてしまったりするので、もう、最後には名前を呼ぶのを諦めてしまうほどなのです。

ですので、裁判官殿にはぜひご理解いただきたいのですが、ちょうどこれと同じような具合で「善」と「悪」のほうも混乱しておりまして……私としては善のほうに賭けたつもりだったんですが……

苦い文学

亀の甲よりもっと

2013 年 11 月、私は日本のビルマ団体の代表としてビルマに行き、支援プロジェクトのため、あちこちの施設に連れていってもらった。

そのうちのひとつに、あるお寺が運営する養老院があった。

そこには身寄りがない老人や、家族が貧しくて養うことのできない老人が暮らしていた。

私は、昔の話、特に日本軍がいたころの話を聞きたいと思い、コーディネーターを務めてくれた若いビルマ人と一緒に、何人かの老人に話を聞いた。

そのうちの一人のお婆さんとやりとりしていると、政府の話題になった。

すると彼女は震えながら「こんな話はできない、しない」と言いだした。

「もう軍事政権は終わったんですよ」とコーデイネーター。民政移管ののち、テインセイン政権が始まったのは、2011 年だ。

だが、彼女は頑なに信じようとしないのだった。「いや、怖い」

私たちは笑った。同行していたお寺の関係者も笑った。

しかし、その後の成り行きを見ればわかるように、正しかったのはこのお婆さんのほうで、笑われるべきは私たちだったのだ。

苦い文学

サンタクロースと少年

その少年はじつに心のひん曲がった子で、いつもずるいことばかり考えていた。

どれくらいねじくれていたかというと、サンタクロースの絵を見てこんな悪だくみをするほどだった。

サンタが持ってるあの袋、あやしいぞ。配るプレゼントはそもそもトナカイが引くソリに積んであるじゃないか。しかも、子どもに渡すプレゼントだって、ひとつかふたつ持っていけばいいだけなのだから、あんな大きな袋を抱えて行く必要はない。手で抱えていけば済む話だ。

なのに、あの髭じじいときたら、後生大事に袋を抱えてやがる(あいつめ、まるで車上荒らしを恐れているみたいに、ソリに袋を放置しないのだ!)。あの中にはプレゼントなんか入ってやしない。金目のものが入っているのだ。きっとかなりの額の。

「プレゼントなんかに騙されないぞ」と少年は言った。「俺が欲しいのは、あの袋の中の大金だ」

クリスマス・イブの夜。少年は寝ないでサンタクロースをこっそり待ち続けた。手には鋭く研いだナイフがあった。サンタが来たらそれを突きつけて、あの袋を強奪してやろうという計画だった。

そして、ついにサンタクロースがやってきた。お馴染みの赤い服を着た白髪の老人は、肩に担った袋を片手で掴み、もう片方の手にはプレゼントの箱を抱えていた。彼はよろよろとツリーに近づくと、プレゼントを置こうとかがんだ。

突然明かりがついた。「それまでだ!」 少年の声が響いた。

サンタクロースはゆっくりと振り返り、刃物を握った少年を見つめた。

「その袋を置け!」 少年は言った。「そして、出ていけ! さもないと、お前のその服が血で赤く染まることになるぞ!」

サンタクロースは袋を置くと、そそくさともと来たところから出ていった。しばらくすると、ソリの動く音が聞こえ、鈴の音が空のどこかへと遠ざかっていった。

少年はナイフをしまうと、袋に駆け寄り、その中を見た。

中には、紙切れがたくさん入っていた。どの紙切れにも、乱雑な文字で何か書きつけられている。少年は読んでみた。わがままで生意気な子どもたちへの罵りの言葉や、過剰な配送ノルマへの恨みつらみばかりだった。

散文

キクラゲ

何年か前、都内の豚骨ラーメン屋に行ったときのことだ。メニューを見ると、外国人観光客もよく来るのか、英語が併記してある。

キクラゲ入りのラーメンの表示を見ると、こんなふうに書いてあった。

Ramen with Jew’s Ear

Wikipedia で調べてみると、古くからヨーロッパでは、キクラゲを「ユダヤ人の耳」と呼ぶのだという。新約聖書のイスカリオテのユダが首を吊った木から生えてきたという伝承に由来し、もともとは「ユダの耳」と呼ばれていたのが「ユダヤ人の耳」となったそうだ。

この呼称がユダヤ人差別にあたるかどうかは、いくつか意見があるようだが、誤解を生みそうな名称は避けるにこしたことはない。

それに「ユダヤ人の耳を大盛りで!」では、あまり食欲もわかない。

おそらく、英語のメニューを作成する時に「キクラゲ」を調べたら「Jew’s Ear」が出てきたのであまり深く考えずに採用したということだろう。

最近では中国の食品も簡単に手に入るようになったが、即席麺のかやくにキクラゲが入っていて、やはりそのパッケージに「Jew’s Ear」と書いてあった。これも同じように深く考えずに採用したものとみえる。

さて、それからしばらく経って、また件の豚骨ラーメン屋にいったら、キクラゲラーメンは「Ramen with Wood Ear」に変わっていた。漢字の「木耳」をそのまま英訳したものだ。

こっちのほうがずっといいし、これなら、禁じられたミミガーを食べられるとの噂を聞きつけて、ナチスの残党が団体で来店する危険はほぼなくなった、と言えるだろう。

苦い文学

イルミネーション

ビザのないその女性は、東京のどこかで隠れるように暮らしてきた。入管に捕まることも、警察に呼び止められることもなく、影から影を渡るように長い歳月を生き抜いてきた。

平日は朝から晩まで働き、日曜日は教会で祈り歌った。それが彼女の世界のすべてで、ほかに目を向ける余裕などなかった。

2003 年ごろから、人々は難民申請の話をしきりにするようになった。ビザのない外国人は強制送還されるから、難民申請をするしかない、というのだ。彼女にも勧める人がいたが、自分がそんなことをするなど考えられなかった。それに、教会では「難民申請は政府に背く罪だ」という人もいた。

それでも、難民申請をしたという人は増えていった。「強制送還されたら、どんな目に遭うかわかるでしょ」と言われれば、彼女も考え込まずにはいられない。いく度も迷ったすえ、することに決めた。

12 月のある日の午後、準備した書類を持って、品川の入管に行った。長い間待たされたのち、難民申請を受け付けるカウンターで書類を提出した。入管職員は書類を一枚一枚確認し出した。不備が見つかったら、そのまま収容されてしまうのではないか、と恐れたが、無事に受理された。入管を出た時には、もう暗くなっていた。

鞄の中には受理票があった。これがあれば、少なくとも当分は捕まることはなかった。

バスで品川駅に戻ると、駅は金色に輝いていた。よく見るとそこここに電飾が設置されているのだった。

電車に乗ると、光が車窓を通り過ぎていくのが見えた。そして、自分の住む駅に降りた彼女は、駅前の商店街が無数の光に包まれて輝いているのに驚いた。

長年住み慣れた東京がまったく別の姿を見せ始めたことに戸惑いながら、彼女はイルミネーションのなかへと歩いていった。

苦い文学

バカなおじさんの進言

安倍晋三元首相を生き返らせたおかげで、バカなおじさんの人生は一変した。

蘇った安倍さんが作った政治団体「帰還者の会」の事務局長を任されたのだ。

この団体は、安倍さんをみたび首相にすることを目的としていた。

全国の岩盤支持者(これらの人々の頭は岩のように硬いため、こんなふうに呼ばれる)に「とりもどす」覚悟を求めたり、朝日新聞を嘲笑したり、北朝鮮への固い決意をツイッターに投稿したり……、バカなおじさんは毎日忙しく過ごしていた。

ある日、バカなおじさんは安倍元首相にこう進言した。

「以前のように、こんな人たちに負けるわけにはいかない、と発表したらいかがでしょうか。そうすれば、愛国者たちがもっと私たちの活動を応援してくれることでしょう」

「そうしましょう」と安倍元首相がニコニコしながら言った。

バカなおじさんはさらに提案した。

「あんな人たちにも負けるわけにはいかない、とも言ったらどうでしょうか。効果は抜群です」

すると、安倍元首相の顔から笑顔が消え、がたがたと震え出した。「あんな人たち……あの世の人たち……」

「あの世」にいた時のことを思い出してしまったのだ。

「あんな人たち、ダメ、こわい、こわい……」

あの世では忖度が効かなかったにちがいない、とバカなおじさんは安倍元首相がかわいそうになった。

苦い文学

ヘルプしないマーク

駅のデッキをぼんやりと歩いていたら、見知らぬ老人に手招きされた。

気がつかないふりをして行ってしまえばよかったのだが、いまさらそれは難しいように思えたので、近くに行った。

老人は、とにかくみすぼらしい身なりだった。インスタに流したら、1秒で貧乏神が「いいね」をつけかねなかった。

「にいちゃん、ヘルプマークって知ってるか」と唇を舐めながら老人が言った。

私が首を振ると「なんだよ、知らねえのか。あれがあっと、みんな助けてくれんんだよ」

話がわからず戸惑っていると、老人は口を歪めて言った。「ちょっとな。探してほしいんだよ。俺にねえかさ」

「ヘルプマークがですか?」

「違うよ、ヘルプしないマークだよ」

「しないマーク?」

「そう、それを持ってると、誰も助けてくれねえんだ。ぴーんと来ちゃったの。もしかしたら、そのせいで、俺もこんなんじゃねえかって。だから探してくれよ」

老人は直立して両手を上げた。しかたないので、身をかがめて探すふりをして言った。「ないようですね……」

「バカ、ちゃんと後ろも見なきゃダメだろ。そんなこともわかんねえのか」

私はしぶしぶ老人の後ろに回った。「ないですよ」

「そうか。ないんだな。じゃあいいよ。あっち行けよ」

私は足早に立ち去った。

……いや、「ない」と答えるしかないではないか。本当にあったのだから。

苦い文学

ゲストハウスの怪

2019 年 6 月、私はビルマに一泊だけして帰ってきた。一緒に行ったのは、国際政治の研究をしている人で、私は彼と日本語学校などを見て回った。

旅行に行くときは、私は行き当たりばったりで宿なども取らずに行くことが多いが、そのときは同行者が予約してくれた。

一泊千円のゲストハウスだ。個室は個室だが、壁は天井にまで達していないので、音などは筒抜けだ。

私と同行者以外にも宿泊客はいたようだが、姿は見かけなかった。私たちは、それぞれの部屋に入り寝ることにした。

ベッドの上に横になり、いろいろと考えごとをしていると、隣からその物音が聞こえてきた。ベッドの軋む音、喘ぎ声、肌と肌がぶつかる音……。

隣にいる見知らぬ二人の性行為が始まったのだ。

その生々しい物音で私は寝るどころではなくなった。壁を叩いて停戦を呼びかけるという手もあったが、それがかえって戦火を激しく燃え立たせるおそれもあった。

そんなわけで私はなにもせず、ただ隣の「射ちてし止まん」の時至るのを待って、眠りについたのであった。

翌朝、私と同行者は顔を合わすや、笑わずにはいられなかった。私たちは互いの困惑について口にしあった。私は言った。

「なにしろ、隣でしたからね」

すると彼は言った。「えっ、隣? 隣は誰もいないのでは?」

では、私の聞いたあの物音はいったい……?!

隣の隣かも……。