苦い文学

マスク派の逆転

近頃は、マスクを外して歩く人がどんどん多くなっている。また、都内に出るとマスクをつけていない外国人観光客でいっぱいだ。

これからもっと暑くなるから、ますます脱マスク派は増えていくことだろう、そんなふうに思っていたら、マスクをつけた謎の集団が出現し、駅や繁華街で「マスクを外すな!」と声高に訴え出した。道ゆく人にマスクも配布している。

その訴えるところはこうだ。

「我々は、コロナ禍の間じゅう、政府の要請に従い、しっかりマスクをつけてきた者である。そして、コロナ禍の終わりの見えたころに厚労省が出した『マスクの着用は、個人の主体的な選択を尊重し、個人の判断が基本』という方針にも賛同し、脱マスクの先駆けとならんと志してきた。しかし、今、我々はこの方針にもかかわらず、マスクをつけるべきだ、との結論に至った。

「その理由は、コロナ禍の最中、マスクを拒否し、それどころかマスクをつける我々をあざ笑ってきた連中、そして、そのことによってコロナを防ぐどころかコロナの跋扈に手を貸してきた陰謀論者が、こう言うのを聞いたからである! 『結局、みんなマスクを外しているではないか。マスクなど意味のないことは初めからわかりきっているのだ』

「あきれたことに、連中は、我々がマスク着用を通じて得たコロナに対する勝利を直視するかわりに、愚かにも『ほれ見たことか』と我々を嘲笑しているのである! そこで、我々はこう決意した。今、マスクを外すことは陰謀論を利することにほかならぬ、と。なぜならば、陰謀論はコロナよりももっと恐ろしい疫病であり、それがもたらす死者もコロナの比ではないからである!」

この逆上ぶりに市民は不安がるばかりだったが、実際にはそう心配するに及ばなかった。というのも、新たな陰謀論がでまわり、これを信じた陰謀論者たちがいっせいに外に飛び出してこう叫んだからだ。

「外国勢力が日本人にマスクを外させることで属国化しようとしている! マスクをつけろ! 脱マスクは反日!」

件のカルトじみた反脱マスク集団は、たちまちもとどおりの穏健な脱マスク派に転じ、それぞれの手堅い暮らしに帰っていった。

苦い文学

レジ前のはずかしめ

現在、コンビニで電子マネーで支払うとき、2つの方式がある。

ひとつは支払うときに、レジについたスクリーンで支払い方を選ぶ方式だ。

スクリーンには、「現金」、「クレジットカード」、「交通系 IC カード」などのボタンが並び、そこから選ぶのだ。たとえば私はいつも Suica だから、「交通系」を押して、カードリーダーにかざす。

もうひとつの方式では、レジで店員に言わねばならない。

店員「お支払いは?」

私「Suica で」

すると、店員がレジの操作をして、カードリーダーが光る。そこに私はカードをかざすのだ。

問題は、この2つの方式が混在していて、どのコンビニではどちらを採用しているかがわからないことだ。

申告制だと気づかずに、ぼんやりレジの前で待っていることもある。

スクリーンで自分で選択する方式なのに、「Suica で」と店員に宣言してしまうのも恥ずかしい。店員に「この人はシステム音痴だ」という顔で、スクリーンの存在を教えられるのも悔しいことだ。

ここで、自分で選択する方式のレジのあるコンビニでは、店員は、客の支払い方法を選択するという業務を、客に代わりにやらせていると、考えるとしよう。

すると客も、店員の時給の一部を受け取る権利があるということになる。なのにこれが支払われたなどという話は聞いたことがない。つまり私たちは不当に搾取されているのだ。

私は資本家どもからこれら不当な利益を奪い返したい。そして、その金を、レジ前のはずかしめによって心を傷つけられた人々を癒すための基金としたい。

苦い文学

北風と太陽

ある時、北風と太陽がどちらが強いか口論をはじめた。「俺が強い」「いや俺のほうだ」 議論していても埒が開かないので、とうとう力比べで決着をつけることになった。

すると、たまたま日本人がやってくるのが見えた。北風と太陽は、どちらがこの日本人の上着を脱がせることができるか、という勝負をすることにした。

まずは、北風が名乗りをあげた。北風はビュービュー風を吹いて、日本人の上着を吹き飛ばそうとした。だが、冷たい風に当たった日本人はブルブルと震えながら、上着をギュッと押さえてしまった。

北風が失敗したさまを見て、太陽は笑いながら「私なら成功するだろう」と言って、日差しをぐんと強くした。日本人はあまりの暑さに汗をダラダラ流し始めた。そこで太陽は「あと一息だ」とさらに強力に照りつけた。

すると日本人は、上着の腰の両サイドに取り付けられた冷却ファンを回した。たちまち強力な風が上着内で循環し、こもった熱を吹き飛ばした。

日本人はエアコンさながらのひんやり感を味わいながら、涼しい顔でスタスタと歩き去っていった。

苦い文学

カツラと反戦活動

アナウンサー「ロシアがウクライナに侵攻してから、1年半が経とうとしています。あくまでも強硬な姿勢を崩さないプーチン大統領にはウクライナだけでなく、世界中の国々から非難の声が上がっています。実はその中には国内外のロシア人も多くいるんです。今回は日本に暮らすロシア人の反戦活動を取材しました。吉田六郎記者の報告です」(映像始まる)

ナレーター「ここは都内某所。カツラを箱に詰めているのはニコライ・チチコフさん。日本在住のロシア人です」

吉田記者「このカツラをどうするのですか?」

チチコフ「ロシアに送りますね」

ナレーター「チチコフさんがロシアにカツラを送り始めてもう1年が経ちます」

チチコフ「カツラはモスクワに送って、そこで仲間たちがもらって、プーチン大統領に被せます」

吉田記者「プーチン大統領に?」

チチコフ「そう。戦争を止めるために大事です。プーチン大統領は髪の毛なくなっちゃった。それで、なくなるの怖い。ウクライナもなくなりたくないから、戦争始めました。だから、カツラ被せれば、髪の毛とウクライナが戻ってきた思って、戦争やめます」

吉田記者「どうやってプーチン大統領にカツラを?」

チチコフ「それが一番大変ね。暗殺より難しい。だけど、向こうの仲間がんばってる。カツラ被せるチャンスきっと来ます。わたしたち、そのときのために活動がんばってます」(映像終わってスタジオに戻る)

アナウンサー「カツラで戦争を終わらせるとはなんとも奇抜なアイディアですね」

スタジオの吉田記者「ええ、そうなんです。この活動が実現するまで、チチコフさんは大変な苦労をされました。挫けそうになるたびに、ひいおじいさんのことを考えて自分を励ましていた、とおっしゃっていました」

アナウンサー「それはどうして?」

吉田記者「なんでも、チチコフさんのひいおじいさんは、ロシア革命時にレーニンにカツラを被せる活動をしていたそうです」

アナウンサー「チチコフさんの送ったカツラ、きっとプーチン大統領に届くでしょう。以上、吉田記者の報告でした。では、次のニュースです……」

苦い文学

120 パーセントの魔法

ペテン師になるための第一歩は「120 パーセント」の魔法を使えるようになることだ。

「120 パーセントない」「120 パーセント出しきる」「120 パーセント叶える」などなど、自在に使いこなしてこそペテンもうまくいこうものだ。

だが、120 パーセントとはなんだろうか。100 までしかないからパーセントなのだ(cent=100)。それを、20 パーセントも増量してしまう。これが魔法の魔法たるゆえんだ。

もちろん「前年比 120 パーセント」という言い方はある。だが、それはなにかとの比較があってのことだ。ペテン師が「120 パーセントない」というとき、去年に比べて今年はもっとなかった、ということを言いたいわけではない。

ペテン師が「120 パーセント」で言いたいのは、100 パーセントよりすごいということだ。20 の上乗せで粉飾してだまくらかそうとしているのだ。

だが、ペテン師が「120 パーセント」の魔法を振るう理由はそれだけではない。この言葉は、現実を覆い隠すのに都合がいいからだ。

その証拠に、ペテン師は絶対に「100 パーセントない」とは言わない。なぜなら、それだと現実的に検証可能になってしまうからだ。百分率を越えた魔法の世界に相手を連れ込めば、なんでも好きなようにできるということを、ペテン師は知っているのだ。

修行を積んで「120 パーセント」を使いこなせるようになると、ペテン師は「200 パーセント」「2000 パーセント」など、上級の魔法の習得を始める。

苦い文学

スマホと人類史

2010年代、スマートフォンの普及により、街中や駅などの施設内でスマートフォンを操作しながら歩行する人類が出現した。これらの行為は「歩きスマホ」と呼ばれた。

「歩きスマホ」は多くの事故や犯罪の原因となった。それにともない「スマホ歩かれ」による被害者も増大した。

そこで、人類は「歩きスマホ」の弊害を乗り越えるべく、「スマホ歩き」の開発を進めた。その結果、2030年代になると、人類は「スマホ歩き」を徐々に身につけるにいたった。

「スマホ歩き」により、人類の歩行能力、歩行速度、歩行領域は格段に向上した。現在では、「スマホ歩き」は、人類史上、初期人類の直立歩行に次ぐ偉大な進化だとされている。

続く 100 年の間に、スマホ歩きは改良が進められた。22世紀半ばには完成に達し、スマホ歩きはここに全盛期を迎えることとなった。偉大なる「ホモ・スマホ・アムブランス(スマホ歩きするヒト)」の時代の到来である。

この時代になると、駅では「スマホを操作せずに歩くのは大変危険です」とアナウンスされるようになった。

風刺・戯文

カッパの忠告

日本のみなさま

突然のお手紙、失礼いたします。

私どもはカッパでございます。私どもは、みなさま日本人との間に起きたとある出来事により悲しみと悔しさを感じており、この気持ちを包み隠さず申し上げたくお便りする次第でございます。

私どもカッパは古くからこの日本に暮らすものでして、みなさま日本の方々とひそかに共存してまいりました。私どもの住処は水中にてございます。普段は、水にたゆたい、空腹になると魚や藻などを食す、のどかな暮らしをしておりますが、ときおり観光に出かけます。

観光と言いますのは、日本のみなさまの世界にお邪魔することでして、私どもカッパは姿を人間に変えて日本観光を楽しむのでございます。

先日、その観光の最中に、まことに悲しむべきことが起きました。もともとは私どもカッパの不注意に端を発するものでしたが、事態は悲惨な方向に進んで行ったのでございます。

私どもカッパの若者たちが、みなさまの回転寿司で迷惑行為を行ったとして、乱暴狼藉の被害者となったのです。

私どもカッパは、寿司、特にカッパ巻きが大好物でございます。あまりに好き過ぎて、この寿司にちなんでカッパと自称するようになったほどです。

それぐらい大好物なものですから、カッパの若者たちはさっそく回転寿司でカッパ巻きを注文して次から次へと平らげました。ここで申し上げておきたいのは、これらカッパの若者たちはそもそも未熟なものどもですが、はじめての日本旅行ということもあり、すっかり夢中になり、人間の姿を失ってカッパに戻ってしまったのです。

すると、とんでもない悲劇が持ち上がりました。周囲にいる日本人の方々が、カッパの若者たちを捕まえ、殴り、足蹴にしたのです。そのさいに人々はこのように叫んでいたとのことです。

「こいつら、頭に皿を乗せているぞ! とんでもない迷惑行為だ!」「晒せ! 晒せ!」「損害賠償だ!」

私どもカッパの若者たちは、あまりの出来事に恐れ慄きましたが、幸いにもカッパならではの素早さで逃げることができました。さもなければ、殺されていたことでしょう。

これは確かに悲しい出来事です。ですが、私どもカッパが本当に悲しく悔しいのはこんなことではありません。

なによりも悲しかったのは、日本のみなさんに見えていたのが、迷惑行為だけだったということです。私どもカッパの本物をその目で目撃したにもかかわらず、みなさんは驚きもせず、恐れもしませんでした。つまり、まったく見えていなかったのです。

いったい、日本のみなさんはどうしてしまったのでしょうか。みなさんは迷惑行為しか見えなくなった、ということなのでしょうか。

もはや私たちカッパを怖がったり、面白がったりした、かつての古き良き日本人はいなくなってしまったのでしょうか。

吊し上げて晒すのは、干物だけで十分ではありますまいか。

苦い文学

シネクドキ

シネクドキは、比喩のひとつだ。『明解言語学辞典』では、「特殊なものによって一般的なものを表す、またはその逆方向の転用」とされる。

「特殊なものによって一般的なものを表す」とは、どういうことだろうか。たとえば「お茶に行かない?」や「お茶しない?」の「お茶」がよく例に出される。

ここでいう「お茶」とは、緑茶や紅茶でもありうる。だが、通常は「お茶に行かない?」というと、「喫茶店で何か飲まない?」という意味だ。だから、実際には「お茶」にはコーヒーやココアやレモンスカッシュなども含まれうる。

つまり、「お茶」という特殊なものが「飲み物」という一般的なものを表していることになる。

その逆の「一般的なものによって特殊なものを表す」例はなにかというと、「花見」がしばしば挙げられる。

「花見に行く」といっても、見にいくのは普通はバラやチューリップではない。サクラだ。つまり、「花見に行く」の「花」という一般的な名詞は、サクラという特殊なものを表しているのだ。

では、それぞれ配偶者のいる男女が、いっしょにお茶して、花見に行った結果、不倫に発展したとしたらどうだろうか。

「不倫」とは「倫理に反すること」を意味する一般的な語にもかかわらず、常に「配偶者のいる人が、別の異性と性的関係を持つこと」という特殊な意味で用いられている。不倫もシネクドキだったのだ。

だから、この2人についていえば、不倫関係というよりも、シネクドキ関係といったほうがより適切であろう。

苦い文学

AI 時代の隠者(2)

取材も終わりこの現代の隠者の家を去るときがきた。私は帰りぎわにふと思いついて、こう言った。

「これから私は AI の世界に戻りますが、そこであなたのことを記事に書こうと思っています。もちろんネットを通じて配信する予定です」

「どうぞ」

「ですが、記事に書かれたあなたの情報のせいで、あなたが『AI の餌』になってしまうのではないでしょうか」

「ああ、その心配ならいりません」

「といいますと」

「あなたが立ち去ったのちに、何百万ものフェイクニュースが流れるからです。そのニュースはあなたに似た人物が私に似た人物を訪問した記事で、無数のバリエーションがあるのです。あなたの書いた記事はその記事に埋もれてしまうことでしょう」

「ニュースを流すとは? ここにはネットも何もないとおっしゃっていましたが?」

「ここにはありません。ですが、無数に配信される記事の中で訪問された私の小屋のひとつにはあることでしょう。そこでは強力な AI が無限ともいえる数のフェイクニュースをこしらえているはずです」

私は混乱した。すると彼は笑った。

「お気づきでしょうか。あなたもこれらのフェイクニュースの一部なのですよ。あなたも、私も、この小屋も、なにもかも、あなたのお書きになる記事も、それを読んでいる人ですらも」

私には理解できなかったが、ここにありのままを記した。

苦い文学

AI 時代の隠者(1)

AI から隠れたひとりの男がいる。

その人は、自分について電子的に記録された、あるいは記録されうるすべての事柄、つまり経歴、公的記録、写真、メッセージなどの情報が AI に学習・利用されないように消去し、そのうえで AI の手の届かない人里離れた僻地に暮らしているという。

私はサミュエル・バトラーの『エレホン』を手がかりに、その人物の居場所を突き止め、単独取材を敢行した。

木造の粗末な家にひとり住む彼は、私の来訪を快く受け入れてくれ、その暮らしぶりを包み隠さずみせてくれた。

「ここにはインターネットはもちろん電話もありませんから、もっぱらすることといえば自給自足のための農作業、そして読書ぐらいです」

「不便はない、ということでしょうか」

「いいえ、不便なことは不便です。ですが、どんなに便利であろうと、 AI の餌になることだけはごめんです」

「AI の餌?」

「AI の学習のための素材ということですよ。人生が最終的には AI に学習されるためだけだとしたら、それに何の意味があるでしょうか。私たちの生は、ネットの情報以上のなにものかでなくてはなりません」

私は彼の考えに感銘を受け、また彼が作ってくれた AI フリーの食事にも感心したのであった。