苦い文学

名画の防御システム

熱烈なる美術愛好家にして、著名な発明家であるコンスタンタン・ドールヴィイ伯爵のパリの邸宅、《美麗荘》では、錚々たる名士が呼び集められ、伯爵の発明品の公開を興奮の面持ちで待ち受けていた。

その発明品は「現代のヴァンダリスムに対する輝かしき勝利」をもたらすものだと招待状には記されていた。客人たちはその証人として招かれたのであった。

やがて伯爵が現れ、額に入った大きな絵画が運ばれてきた。伯爵はその絵の隣に立ち、語り出した。

「今、ヨオロッパの藝術は未曾有の危機に瀕しております。不遜なる環境活動家どもにより、名画という名画に、スープ・テロという野蛮な攻撃が加えられておるのです。私は、人類の遺産たるこれらの名画をテロから守り、環境活動家どもの行為を葬り去るべく、防御システムの開発に打ち込み、ついに完成したのです」

どよめきが沸き起こった。ついにあの頭のおかしい連中に鉄槌が下されるのだ。その瞬間に立ち会うことができるとは!

伯爵は一人の若い召使いを呼び寄せた。あらかじめ打ち合わせしていたものらしく、召使いは缶を持って、絵画の前に立った。伯爵は額縁の四方を指し示した。

「角に設置されたセンサーが、ただちに不審者を感知します。そして瞬時にその手にある缶を分析し、内容物を完全な精度で突き止めるのです」 伯爵は額縁の下辺中央に取り付けられた表示板を示した。そこには「トマトスープ」という文字が浮かび上がっている。

召使いはすぐに缶のラベルを人々に見せた。それは確かにトマトスープの缶だった! 客たちの息を呑む音が響くなか、伯爵は召使いを促す。

召使いは素早い手つきで缶を開け、絵画に向かって缶を掲げるや、ぴたりと停止した。「いま、この瞬間、人間の認知よりも遥かに速いスピードで、額縁に仕込まれた防御システムが作動しているのです」と、伯爵は語り、召使に呼びかけた。

「さあ、やりたまえ」

召使いは振りかぶって缶の中身をぶちまけようとする。その瞬間、額縁の上下左右から内側に赤い液体が噴出し、絵画全面がトマトスープで覆われた。

苦い文学

ちがかった

「ちがかった(違かった)」「ちがくて(違くて)」というのは、「違った」「違って」ということだが、若い人はよく使っている。

のみならず、若い人たちの中には「違かった」「違くて」は標準的な日本語だと思っている人も多いのにも気づかされる。

もちろん、標準的な日本語と異なるからといって間違いではないし、どこかの方言から広まったという可能性だってある。

いずれにせよ、「違かった」「違くて」は、標準的な日本語から見て活用の点で非標準的だ。というのも、「違う」は動詞なのに、まるで形容詞のような活用をしているからだ。つまり、形容詞「強い」が「強かった」「強くて」になるように活用している。

「違かった」「違くて」の問題で面白いのは、「違う」に似た動詞はそんな活用になはならないということだ。たとえば「疑う」は「違う」に似ているが、「うたがった」「うたがって」を「うたがかった」「うたがくて」というのは聞いたことがない。「まちがう(間違う)」もそうだ。

となると、「違かった」「違くて」の原因は「違う」の形ではなくて、意味にあるのではないかということになる。一説によれば、「違う」は状態を表すから形容詞に似てきたのだそうだ。だが、私はもうすこし突っ込んで、「違う」と形容詞の「ない」が意味的に似ていることに着目したい。

「これは私の欲しいものではない」は「これは私の欲しいものとは違う」ということでもある。否定というのは、これ以外の何かである、ということを表すから、その点で「これとは異なる」ということを表す「違う」と似てくる。「〜とちがった」は「〜ではなかった」だし、「〜とちがって」は「〜ではなくて」だ。

そこで、この「ない」との類似性により、「違う」は形容詞的な活用をされ出したのではないだろうか。

というのが私の推測だが、違かったらごめんなさい。

苦い文学

桃太郎の本

桃太郎の本、好評発売中!

『合言葉はハッピーチ! 桃から生まれた魔法の言葉』
『偏差値30だった僕が鬼を退治した話』
『仲間を作るきびだんご術』
『犬・猿・雉を動かす』
『きびだんごダイエット』
『きびだんごが冷めないうちに』
『人生を変える退治力』
『鬼に嫌われる勇気』
『鬼を10万匹殺した僕が笑っているワケ』
『鬼は殺し方が9割』
『はじめよう! つみたてONISA』

【作者:桃太郎さん紹介】
・桃から生まれたという出自に悶々とした日々を過ごすが、ある日突然、鬼退治を思い立って旅に出る。
・たくさんの仲間ときびだんごに支えられて、みごと鬼退治に成功。その活躍がメディアで報じられる。
・鬼退治までの経験をまとめた『合言葉はハッピーチ! 桃から生まれた魔法の言葉』が大ベストセラーに。以後つぎつぎにベストセラーを刊行。現在は執筆・講演活動に大忙しの日々。
・退治実績100%の鬼退治コンサルタントとしても著名。夢は世界各国の鬼ヶ島の征服?!
・猿のコーチングの第一人者として各地のボスザルから圧倒的な支持を受ける。
・鬼退治で鬼の資産を獲得したこときっかけに、資産運用にのめり込む。大胆かつ華麗な投資術が話題を呼び、ブログなどで推薦する銘柄が「金棒株」として注目を集める。
・芝刈りと川での洗濯にはうるさいという一面を持つ。

苦い文学

男がマスクを外すとき

【男の色気ひきたつ「セクシーなマスクの外し方」】

厚労省の方針で、マスクの着用が「個人の主体的な選択」になり、街中でマスクを外す機会が増えました。

そんなとき、ただ単に何も考えずにマスクを外しているとしたら、もしかしたら絶好の恋のチャンスを逃しているかもしれません。

じつは男性がマスクを外す瞬間は、女性がキュンとする仕草として注目を集めているのです。なんでも男性がマスクを外すときの「コロナを乗り切ったぜ」感が、女性をドキッとさせるのだとか。

こうなったら男の色気にあふれたマスクの外し方を身につけるしかありませんね。女性をトリコにするセクシーなマスクの外し方を3つご紹介しましょう! 

【その1】
まずは基本の外し方から。マスクの表面をソフトにタッチした後に、片手でやさしくマスクを外しましょう。セクシーかつエレガントなその仕草に、女性のドキドキが聞こえるようです。「愚かなり、我が恋」とばかりに熱い吐息を漏らせばなお効果大。

【その2】
片手をぶるぶる振るわせながら頬にあて、頬を引っ掻くようにマスクを片側から剥ぎ取るのは、ワイルドさをアピールしたいときに。マスクを外すと現れる頬の古傷にもう女性の視線は釘付けです。

【その3】
両手の人差し指を回しながらゆっくりと耳に近づけ、マスクの紐をそれぞれの指で絡めとるように外す方法。人差し指がまるで求愛ダンスをする小鳥のような可愛らしさを演出します。マスクが外れた瞬間に、意中の女性にウインクしながら、小声で「LOVE」とささやいてみたらいかが?

みなさん、ぜひ鏡の前で練習してみてください!

(公共の場で実践する場合は、逮捕されたときのためのマスクも用意しておきましょう)

苦い文学

無理の基準

私は不当に罪を負わされ、公衆の面前で辱めを受けた。

全車両に響き渡る声で「無理なご乗車はおやめください!」と一方的に怒鳴りつけられ、恥辱を加えられたのだ。

「ちがう」と言いたかった。「そんなことはしていない」と。だが、無情なスピーカーに私の抗弁など届かなかった。

人々は私を遠巻きにしていた。完全な無関心、見て見ぬふり、クスクス笑い……。悔し涙を流す私に誰ひとり声をかけてくれる者はいなかった。私はこの公衆のただ中で「存在しない者」とされた。濡れ衣を着せられ、人間の尊厳を剥ぎ取られ、丸裸で……。

しかし、私は無実だ。私には十分な余裕があった。断じて無理ではなかった。ひらりと軽やかに乗り込むのが、こんな恥辱に値するとは、どんな乗客も思い及ばぬことだろう。

それでも私の乗車が無理だったというのならば、まずその「無理な乗車」の客観的な基準を示し、周知徹底に努めるべきではないか? 車内広告などひっぺがして、その基準を張り出しておくべきではないのか?

だが、もしそうした努力を怠ると言うのであれば、車掌たちに警告しておこう。

恣意的に「無理なご乗車」と宣告されるおそれがある以上、当面のあいだ、私たち乗客はいっさいの乗車を見合わせるだろう、と。

苦い文学

ハンディファン

暑い日が続くので、街ゆく女の子たちはみんなハンディファンを顔にかざしている。そればかりか、男の子も持ち歩いている。

いぜん私は、おじさんは絶対にハンディファンを持たない、と主張した。もしかしたらそれは大きな間違いかもしれないと思っていたが、今日見たかぎり、ひとりのおじさんもハンディファンを持っていなかった。私は正しかったのだ。

なぜおじさんはかくもハンディファンにかたくなに抵抗するのだろうか。頭が硬くなっているので、扇風機は家にあるものという固定観念から抜け出せないのだろうか。

それとも、ジェンダー的ななにかが原因なのだろうか。つまり、おじさんがカーラーを頭につけて歩かないのと同じ理由だ。

しかし、いろいろ考えるよりも実際に調査してみたほうがいい。私は自腹でハンディファンを購入すると、街角に立った。やがて、ひとりのおじさんが向こうからやってくる。汗だくでちょうど風を欲しているようなようすだ。

私はそのおじさんを呼び止め、ハンディファンを渡し「どうぞ使ってください」と言った。

おじさんは、渡されたハンディファンを不思議そうにいろいろな角度から眺めた。そして、スイッチを入れると、なんとファンの部分を頬や顎にこすりつけはじめた。

これだ。これが原因だったのだ。

おじさん感心して「朝剃ったばかりなのにまだ剃り残しが!」なんて言ってる。

苦い文学

ポイ捨て禁止

よくあることだが、私たちの車両におかしな人が乗り込んできた。そいつは自分の頭を両手で覆い隠しながら、こんなふうに喚いているのだった。

「やめろ、やめろ! ポイ捨て禁止だぞ!」

もちろん、私たちのうち誰もポイ捨てなどしているものはいなかった。

「やめろ! ポイ捨てやめろ!」とそいつは言いながら、大きな紙袋を取り出した。「ちゃんとこのゴミ箱に入れなきゃダメじゃないか!」

そして、紙袋を振り回し、私たちを睨みつけた。

「俺の頭に想念をポイ捨てするのをやめてくれ!」

この一言で状況がぐんと緊張しだした。ただのゴミの話ではなかったのだ! さらにそいつは喚く。

「お前らはなんでもすぐ捨てるんだ! あのころの夢! 切ない気持ち! 秘めた想い! 野望! 淫らな欲情! なんでもかんでもすぐ捨てやがって! 俺の頭はゴミ捨て場じゃないっての! だから、こっちのゴミ箱に入れてくれ、お願いだから。全部、全部だ、ここに捨ててくれ!」

このときの私たちの恐怖といったらなかった。そいつは私たちを激しく非難し、自分を被害者だと訴えているのだ。いつ攻撃に発展してもおかしくはなかった。

私たちはただ黙っていた。ちょっとのミスが惨事を招くかもしれないのだ。喚き続けるそいつを前に、私たちの恐怖と苦しみはもはや耐え難いレベルに達していた。

そのときだ、一人の男が立ち上がってそいつを怒鳴りつけたのだ!

「お前はなんてことをしてるんだ! ポイ捨てだ? 想念だ? 全部そのゴミ箱に捨てろだと? ふざけるな!」

勇気ある男はそいつを圧倒し、激しい口調で続けた。

「ちゃんと分別しなくちゃダメじゃないか!」

……あのころの夢は「もう燃えないゴミ」に、切ない気持ちや秘めた想いは「ちょっとしたきっかけで燃えるゴミ」に、野望は「有害ゴミ」に、劣情は「リサイクル」に……

苦い文学

富士登山の記録

このあいだの週末、富士山に登りに行った。登山が趣味なのだ。

しかしそれにしてもすごい人出だった。無理もない。みなコロナのあいだ遠出を我慢していたのだ。しかも日本人だけではない。外国人観光客もいっぱいだ。

私は五合目から登山道に入ろうとしたのだが、入り口にはなんと行列ができている。三合目まで降りてようやく最後尾に辿り着いた。

4時間待ってようやく登山の始まり。だが、なんという登山道だ。登山客でいっぱいでもう押し合いへし合いのありさまだ。こんな状態でもいまさら引き返すわけにもいかないから、のろのろのろのろ登っていく。

登山道は上に行くにしたがい幅も狭まってくる。もう登山客でぎゅうぎゅうだ。あちこちで悲鳴が上がり、子どもたちの泣き声も聞こえる。群衆事故発生だ。押しつぶされて窒息死するよりマシだと、私は人々の頭の上に這い上がる。

頭や肩を踏みつけてぐんぐん登っていく。「この調子だ」と思ったのもつかのま、人間の斜面は次第に険しくなり、ついに壁のようになった。

私はボルダリングの要領で、耳の穴・鼻の穴・目の中に指をしっかり突っ込んで登る。上に手をかけるたびに、苦悶の悲鳴が聞こえるのに辟易したが、次第にその悲鳴を聞いただけで安全なホールドかどうかがわかるようになった。

人間の壁を乗り越えると、比較的なだらかな斜面が続く。私は人間たちの髪の毛をしっかり掴みながら、一歩一歩進んでいく。私の後ろにも同じように人間を登攀している人々が続いていたが、何人かはうっかりカツラを掴んだため奈落に滑落していった。

そして、とうとう私は富士山の頂上に到達した。もっとも、これを富士の頂上というべきかはわからない。なにしろ私が登ってきたのは、富士山に覆いかぶさっている人間の山だったのだから。

ただし、そんな私にもご来光は美しく降り注いだ。手を合わせウクライナの平和を祈ると私は、人々の頭をスイカのように踏み潰しながら一気に山を駆け下りた。

音楽

デヴィッド・ボウイのスペース・オディティ漫談

地上管制室より、トム少佐へ
地上管制室より、トム少佐へ
プロテイン・ピルを服用し、ヘルメットを装着せよ
(10)地上管制塔より(9)、トム少佐へ(8、7)
(6)カウントダウン (5)開始、エンジン、起動(4、3、2)
点火を確認せよ(1)、神の愛が(発射!)ともにあらんことを

こちら地上管制室より、トム少佐へ
見事な成功だ!
新聞記者たちが君がなんのシャツを着てるか知りたがってるぞ
さあ、カプセルを切り離すときだ、やってみたまえ!

こちらトム少佐より、地上管制室へ

私はいま宇宙空間におります。

この宇宙空間、なんにもないように思えますが、実は未確認飛行物体でいっぱいでして。私たち地球人はこれを UFO と読んでおるわけですが、この UFO がビュンビュン飛び交っている、まあ、そんな状態でございます。

何しろ交通量が多いものですから、事故なんてしょっちゅうです。事故が起きると、地球と同じですが、どっちが悪い、ということになるわけですが、宇宙空間だけに地球とはちょっと変わっております。事故の当事者同士は絶対に口をきかない。もう黙ったままなんでございます。

といいますのは、ゆうほうが悪い、UFO だけにというわけで……

地上管制室より、トム少佐へ!
通信回路が切れた、異常事態だ!
応答せよ!
応答せよ!
応答せよ……

苦い文学

世界の粘度

時間とはなんだろうか。

時間が経つとそのぶん世界が変化する、ということを考えると、世界の変化が時間だ。

いっぽう、ある宇宙論によれば、我々の世界は拡大しつつあるのだという。つまり、世界の変化とは世界の拡大だということになる。

世界が拡大していくとはどういうことだろうか。世界が大きくなるとは、その中にある諸物も大きくなることだ。しかし、それらの諸物をつくる質量そのものは変わらないのだから、要するに世界の諸物はだんだんスカスカになっているのだ。

ここでたとえば考えて欲しい。水と泥の中のどちらが進むのにたやすいかを。答えはもちろん水だ。なぜなら水は泥よりも粘度が低いからだ。粘りがないということは、つまり水のほうがスカスカなのだ。

世界の諸物がスカスカになっていくといったが、これはちょうど世界の諸物が泥から水へと変わりつつあるということと同じだ。世界が変化すればするほど、世界は水のようになりその粘度は下がる。そして、その中を進むのはより早くなる。

泥のプールを10メートル進むのにたとえば1時間かかったとしよう。しかし、一定の変化ののち、水のプールに変化したとしたら、ほんの数分で同じ距離を進めることとなる。

これは空間のたとえだが、時間についても同じことがいえる。ある時点で1週間たつのに1週間かかっていたとしよう。しかし、20年後の世界では、もっと短くなっている。たとえば、1週間たつのに4日間かもしれない。いずれにせよ、これは世界の粘度が下がるため、4日間で1週間分の変化が可能になったため生ずるのである。

我々の時間感覚というものは、生まれて数年のうちにその当時の世界の粘度に応じて形成される。だが、世界が変化し、その粘度が下がるにつれて、我々の体得した時間感覚とのずれが生じてくる。つまり、時間の進むのが早く感じられてくるようになるのだ。

こうした事情により、我々はある一定の年齢になると、1年があっという間に過ぎてしまうのである。