風刺・戯文

アンガー・マネジメント

ロシアがウクライナに侵攻し、ガザではイスラエル軍による攻撃が続き、アメリカはベネズエラに押し入り、日本がたった一言でアジアを不穏な空気にするこの世界で、ますますアンガー・マネジメントが重要になりつつあります。

アンガー・マネジメントとは、国民の怒りの感情を管理・コントロールするスキルです。このスキルを用いれば、国民を特定の対象に向けて怒らせることができ、戦時の動員は思いのままとなります。今や、アンガー・マネジメントなしには、弱肉強食の国際社会で生き残ることは不可能だといっていいでしょう。

【アンガー・マネジメントの目的】
・偏向した教育・報道を通じて、国民を怒りの感情で振り回し、冷静な判断ができないようにしましょう。
・社会を怒り化することによって人間関係を破壊すれば、分断統治の達成です。
・ストレスフル・エコロジーにより国民を疲弊させると、自ずと服従以外の選択肢がなくなります。
・国民の怒りを安価な労働力に転化し、生産性の向上と軍事化を!

【アンガー・マネジメント・テクニック】
I(アイ)メッセージ:「私は正しい」と常に発信する政府は無敵です。
ラベリング:国民の怒りを掻き立てるために、「敵」というラベリングを活用しましょう。
思想の転換:正しい政府に従わず、怒らない国民こそ国家の敵! 思想の転換を迫りましょう。
6 秒ルール:どうしても怒り出さない国民には、6 秒の猶予を与えてあげて! 怒れば釈放、さもなければ政治囚!

アンガー・マネジメントで、美しくて強い国づくり!

苦い文学

カタログギフト

カタログギフトとは、みなさんご存知のとおり、結婚・内祝いなどの引き出物として、送られてくるカタログだ。受け取った人は、カタログに掲載されたさまざまなギフトから、好きなものを選び、商品番号をハガキに記して投函する。すると、しばらくしてその商品が届く、そんなものだ。

私はこのカタログギフトでよいものを選んだ記憶がない。親戚の結婚式で選んだパスタ鍋も、知人の結婚式でもらった、取っ手で回転させる式の野菜水切り器も、結局捨ててしまった。大きくて邪魔だったし、なくても問題がなかったのだ。カタログにはどうやら、判断力を曇らせ、不要なものを選ばせる魔力があるらしい。

先日も、このカタログギフトが送られてきて、パラパラと眺めていたのだが、次第にワクワクしてきた。気づけばハガキに覚えのない商品番号を書こうとしているではないか。ハッと我に返って番号を調べると、「桐のかつおぶし削り器」。またもカタログの魔術が、家庭でもっとも不要なものをまんまと選ばせようとしていたのだ。

あぶないあぶない。そう思いながら、なおもカタログをめくっていると、私は驚くべきものに出くわした。こ、こんなものが……思わず声が出た。

商品番号 69800-5683 
「最高級カタログギフトのカタログ」
《見るたびに夢が広がるときめきのカタログ》
高級感のある装丁に、なめらかな上質な紙を使用。日常生活や、通勤、旅行などさまざまなシーンで、心おどる商品に溢れたカタログをお楽しみください。
(*カタログのみ。商品のご注文はできません)

この究極のギフトがいつ届くかと、首を長くして待つ毎日だ。

苦い文学

男たちの責務

お正月だから、変わったところに行ってみようと、スーパー銭湯に行った。浴場内にはいろいろなお風呂がある。まず、泡風呂に入ってみた。

底から湧き出る泡に打たれていると、腹の出たのと痩せたのとの二人連れが入ってきた。足を湯に入れながら、痩せたほうがこう言った。

「社長、そういえば、お子さん元気ですか」

すると腹の出たほうが「ああ、元気元気、毎日サッカーばかりでさ、男の子だね」

私は泡風呂を出て、外の露天風呂に行った。茶色い湯で体にいいらしい。しばらくすると先ほどの二人がやってきた。貧相なほうが足を突っ込みながら太ったほうにこう言った。

「そういえば、社長、お子さんいらっしゃいましたよね」

「うん、娘。最近じゃ、お父さんイヤって、まったく女の子はむずかしいや」

次に私はつぼ風呂に入り、再び室内に戻って電気風呂と炭酸風呂に入った。それからひとつ「ととのう」とやらを体験してみようとサウナに行ってみると、あの二人が先にいて、私が室内に入るとこんなことを話しだした。

「社長、なんでも最近、お子さんが生まれたとか。おめでとうございます」

「ありがとう。初めての子だからもうかわいくって」

浴場を出て、脱衣所で体を拭いていると、あの奇妙な二人もやってきた。そして、同じような会話をいくども繰り返すのだった。「社長」はそそくさと着替えおわると、ひとりでさっさと外に出ていった。痩せたほうはといえば、社長が残していったタオルを片付けているのだった。

私はもう好奇心を抑えきれなくなり、彼に話しかけた。そして、何度も子どもの話をしていた理由について尋ねた。

痩せた男は慇懃に答えた。「ああ、あれは当館独自のサービスでして、他のお客様のいるところでは、必ずああいった会話をするのでございます。見た目は控えめでも、ちゃんと責務を果たしているぞ、というアピール、これがあるとずっと銭湯も楽しくなるのに、という切なるご要望が、ささやかなモノをお持ちのお客様から多々寄せられまして、ええ、じっさいにお子様がいらっしゃらなくてもご利用可能です……」

苦い文学

非対面世界(6)

実のところ「大学に向いていない人が大学に来ることは普通はない」ということ自体が普通ではなくなりつつある。

というのも、日本の大学の教育が変わりつつあるからだ。

どのような変化かというと、既存の知識や規範を教師が一方的に授ける教師主体の教育から、学生が自分で知識や解決を見出せるように支援する学生主体の教育への変化だ。

これは少子化という現実に合わせた変化でもあるし、また、教育観の変化に応じたものでもある。

ともあれ、学生主体の教育では、それぞれの学び方の発見が重要となるため、従来型の教育では「大学に向いていない」とされる学生も、もしかしたら「向いている大学」を見つけることができるかもしれない。また大学も「合わない学生はお断り」という時代ではないため、学生それぞれの個性に合った教育サービスを提供しようと必死だ。

これは日本の学生だけでなく、留学生にも当てはまる。たとえ中国で「落ちこぼれた」としても、それはあくまでも中国での教育環境における判断に過ぎない。日本の大学ではその真逆の環境を見出せるかもしれないのだから。

もしかしたら、彼も代理出席の露見をきっかけに、そうした学生が自分の能力を伸ばせるような機会を作ることができるかもしれない。それこそ、本当の教育というものではないだろうか。

だが、と彼はここで考えた。このようなことが起きうるのは、大学が留学生教育というものにまともに取り組んでいる場合だけなのだ。留学生から搾り取ることに汲々としている彼の大学ではとうてい無理なことに違いない。やるだけ無駄なのだ。

彼は迷い続けた。代理出席に目をつぶるべきか、それとも、これを教育のための好機としてとらえるか……選びかねた彼は、ある一つの行動に結論を委ねてみることにした。

苦い文学

別エンディング

私は一生懸命勉強をして、とある有名私大の入試に合格した。

ちょうど私が合格したとき、その大学のAO入試で、私と同い年の芸能人が、芸能活動と意欲が認められて合格したというニュースが飛び込んできた。

テレビでは、その芸能人に対する賞賛が繰り返されていた。これを見て、私は急に恥ずかしくなった。まるで自分が合格にふさわしくないように思えたのだった。それで、入学式から数日して、退学届けを出した。

私は暗い20代を過ごしたが、たまたま、社会的弱者に対する支援活動に関わるようになった。お金にもならなかったが、その活動に私はのめり込んだ。私はもてる時間、もてるものすべてをその活動に差し出したのであった。ついに一生の仕事を見つけた、と私は思った。

その活動を続けて何年か経ったとき、ある芸能人が、私の関係する同じ活動に多額の寄付を行ったことが発表された。のみならず、その支援活動を熱心に行う姿が報じられた。社会は賞賛の声を上げた。そして、私はその活動からいっさいの手を引いた。自分のやっていることが急にみすぼらしく思えたのだった。

私はすべてを失い、社会の暗い底でもがいていた。そこにコロナがやってきた。そのせいで、私はもはやもがくこともできなくなった。私は死のうと決意し、その準備を始めた。

その時、衝撃的なニュースが社会を揺るがした。ある芸能人が不可解な自殺を遂げたのであった。ニュースやワイドショー、新聞や雑誌ではその芸能人の死を惜しみ、その才能、魅力、良心の失われたことを嘆く声で溢れた。

私は諦めた。この芸能人の死に比べたら、みっともないにきまっている自殺をどうして決行することができようか。

《別エンディング》

私は諦めた。芸能人たちは我々から容赦なくすべてを、自殺すらも奪っていったのだった。狭いビルでガソリンをぶちまけるしか、もはや我々に残されていないとしても、誰がこれを責められよう。