ライブ

スタンディング

スタンディングのライブでは、ライブのあいだじゅう立っていなくてはならない。これはけっこう大変だ。なので、整理番号にもよるが、早めに入場できたときは、私は前の方へと攻めていかずに、脇の壁に寄りかかったり、後方でバーか何かにもたれかかれる場所を選ぶこともある。

あるライブで、会場に入ると、ステージからちょっと離れたところに円柱があった。すでに先客がそれに寄りかかっている。これは格好の場所だ、と私はその隣に陣取ってライブが始まるのを待った。

次第に人が増えてきた。私の前にも人がどんどん入り込んでいるが、幸いにもメインのマイクまで視線を遮るものはなかった。これはいい、と思ってさらに待っていると、アナウンスが入った。

「本日はソールドアウト公演につき、多数のお客様が来場されます。ご入場の方は一歩前にお進みください」

周囲の人々が前に動きはじめた。私は円柱に体を押し付けて、寄りかかりポジションを死守した。だが、私の前に次から次へと背の高い人が入り込んできて、すっかり前が見えなくなってしまった。

私は「持てる人はその持てるもののせいで、変化に柔軟に対応できないことがある」と悔やんだが、もう遅い。

ライブが始まった。円柱に背中を押しつけて爪先立ちになれば、少しはステージが見えることがわかった。

苦い文学

アウトとセーフ

みなさん、今日ここにお集まりいただいたのは、驚くべき発明をご覧にいれるためです。それはこの扉の向こうにあります。みなさんをそこにお連れする前に、私が何を発明したか、お話ししましょう。

私たちがいつも驚かされるのは、昔セーフだったことが、今はアウトになっていることです。例えば、タバコ。昔は飛行機でも病院でもどこでも吸えましたが、今はアウトなのです。

それに、昔はなんでもなかったことが、今ではセクハラ、パワハラ認定です。子どもの躾が今は虐待と呼ばれるようになりました。なんでもアウトになってしまったのです。

つまり、これがどういうことかと言いますと、時の流れとはセーフがアウトになることだったのです。セーフがアウトになり、また、現在のセーフが刻一刻とアウトになっていく、このアウトからセーフへの流れが、歴史であり、時間の本質であったのです。

ということは、もしアウトをセーフに変えることに成功すれば、時間を逆行できるのではないでしょうか。そうです、私はこの原理を利用してタイムマシンを発明したのです。

そのタイムマシンはこの扉の向こうに広がっております。さあ、過去への旅を体験したい方は、私と一緒にこの扉をくぐろうではありませんか。

タバコの煙が充満し、セクハラ、パワハラ、いじめに虐待、ありとあらゆるアウトなものに満ち満ちたこのタイムマシンに、みなさん、どうぞ……遠慮なく……あの、どちらへ……おーい……

苦い文学

夜行バス

バンコクからメーソート行きの夜行バスは 19:50 に出る。到着は、朝の 4 時半ごろだ。

私は何度もメーソートに行ったことがあり、夜行バスもよく使った。だが、それも 10 年ぐらい前の話だ。世界の間の距離はそのころに比べてぐんと近くなり、それにともない、私の尿も近くなった。

そんなわけで自由にトイレに行けないバスに長時間乗るのは気が重かった。だがもう、おしっこを漏らしてもいいではないか、むしろ漏らして足跡を(象徴的にも実質的にも)残すぐらいの気持ちで行こうと、覚悟を決めて乗り込んだ。そして、バスにはトイレもついていた。

本来ならば、もっと早くメーソートに着いていたはずで、それを見越して友人は予定を組んでいた。それが半日ぐらい遅れてしまったため、早朝メーソートに着いて、休みなく移動ということになった。つまり、バスの中でしっかり寝なくてはいけなかったのだが、あまり寝られなかった。

出発して 2 時間ほど経った 10 時過ぎに休憩所に停車した。そこでは、チケットについているクーポンで軽食をとることができる。

休憩所内に設置された屋台に行くと、麺とお米のどちらかを選べるようになっている。私の友人がその屋台で働いているのが全員ビルマの人であることに気がついた。みな若い。

友人はうれしそうに話しかけ、一緒に記念写真まで撮っていた。人でいっぱいのバンコクを出ると、それまでは気がつかなかった、ビルマの人々の姿が少しずつ見えてくる。

そしてそれはメーソートに近づくにつれてますます色濃くなる。

苦い文学

JYOCHOとLITE

今日、渋谷のWWW Xで、JYOCHOとLITEのライブがあった。

私はどちらのバンドも知らなかったが、それでもとても楽しめた。

LITEはインスト・バンドで、抒情的でもあり、激しくもありで、演奏の幅が広い。私はなんでもザッパと比べてしまうのだが、ザッパを思わせる部分もあり、それも良かった。

JYOCHOは、ジョン・レンボーン的な味もあり、また複雑な演奏をするバンドだ。聞き方がわかってくると、楽しい。そして、ギターがすごい。

ところで私は最近ライブに行くと耳がやられてしまい、最後のほうは耳鳴りがしてよく聞こえなくなってしまう。なので、今回はイヤー・プロテクターをつけてみた。

フィルターをつけかえることで、遮音のレベルを3段階に変えることができる。はじめは一番強いフィルターで聞いていたが、途中から、おそるおそる2番目のレベルにつけかえた。

もちろん音は変わるが、それでも耳鳴りがするよりはずっとマシだ。そんなふうに考えて、ずっと耳栓をして聞いていたが、JYOCHOのアンコールで、最後ならいいだろうと、ついに我が耳を開放した。

「夜明けの測度」

素晴らしい演奏だったし、おまけに耳鳴りはしなかった。

苦い文学

おじさんのプロパガンダ

子育てにおける絵本の読み聞かせの重要性はいくら強調してもしたりないが、それでも注意すべきことがある。

それはどんな絵本でもこどもの心の発達に有益だとは限らないということである。いや、有害ですらあることもあるのだ。ことにその絵本が闇の勢力のプロパガンダである場合には。

私が言っているのは『おじさんのかさ』のことだ。

私はかねてから、この世には傘屋による秘密結社が存在し、天候を操作することによって人類を傘の奴隷(SLAVE)とする恐ろしい計画が秘密裏に進行していることを指摘し、世界に警鐘を鳴らしてきた。

では『おじさんのかさ』を紐解いてみよう。

あなたは驚くはずだ。傘を差さないおじさんが、まるでケチで冷血な負け犬のように描かれていることに。雨をよけようと、おじさんが他人の傘の中に入る絵を見てほしい(p.7)。まるで寄生虫扱いではないか!

そうなのだ、連中は、もっとも無邪気であどけない絵本を道具(TOOL)として、いとけないこどもたちに、「よい人間は傘をためらわず使う」という邪悪な概念を植え付けようとしているのだ。

これこそ、連中の思う壷だ。なぜなら、我々が傘を使えば使うほど、つまり消費すればするほど、連中の我々に対する支配(DOMINION)は強固なものとなっていくのだから。

この恐るべき真実、どのマスコミも決して報じない真実を知った今、皆さんはもはや、こどもにこの邪悪な書物を読んで聞かせるなどということは決してできないのではあるまいか。

「あめがふったらポンポロロン(PONPORORON)」などとノンキに歌っていることなどできないのではあるまいか。