小説

座る能力(前編)

私は、あるときから不思議な能力を身につけた。どうしてそんな力が身についたのかわからない。その能力とは、座りたいときにはどんな椅子にでも座れる能力なのだ。

たぶん、東京のような非人間的な都市ならではの能力だろう。満員電車のなかで押し潰されながら、どんなに席があればと切望したことだろうか。人を座らせないようにできている都内の公園のベンチを前にして、どれほど座りたい気持ちと争ったことだろうか。そんな切実な欲望が私の能力を開花させたのだ。

それ以来、私はどんなに混んだ電車でも、座れる座席を見出せるようになった。満席のレストランでも、私が足を踏み入れるや、たちまち席があき、案内されずにはいないのだ。ライブでも演劇でも、いかなるプラチナ・チケットも、行きたいと願えば、私のところに自然と舞い込んでくる。

すでにお分かりのように、この能力は、ただ座るということだけが問題なのではない。実際、それだけなら、折りたたみの椅子でも持ち運べばいい。そんなものなら、いまどきネットで簡単に買うことができよう。

私の能力が尋常ではなく、そしてそれゆえに恐ろしいのは、それが私の座りたいという欲求を実現するためだけに、人々の認識や社会そのものに働きかけてしまうことなのだ。

苦い文学

AI タレント

AI が作り上げた AI タレントが、企業の広告や CM に起用され始めている。AI タレントならば、費用も安いし、スケジュールの調整も不要。撮影だっていらない。それに何よりありがたいのは、スキャンダルや不祥事というリスクがないことだ。

「今後、 AI タレント の活躍の場は、CM ばかりでなく、テレビにも広がって行くでしょうね」と語るのはテレビ業界関係者だ。その第一の理由は、やはり不祥事対策。生身のタレントは、同意のないものに目がないのだそうだ。

だが、AI タレントは、生身のタレントの存在感や個性、知名度の点ではるかに劣る。AI タレントが「育って」いけば、いずれは解決される問題かもしれないが、それなりの時間がかかりそうだ。

そこで、現在進められているのは、すでに鬼籍に入ったタレントたちを AI で蘇らせて、冠番組を持たせるというプラン。関係者によれば「結局、死んだタレントがいちばん安全なんですよ」ということだ。近いうち、『エンタツ・アチャコの行列のできる法律相談所』、『エノケン・ロッパのCDTV』『徹子の部屋』などが放送される予定とか。

もっとも、それでも存命の人気タレントにはかなわない、という意見もある。「もういっそのこと松ちゃんと中居くんを殺して、AI にしちゃおう、だなんて話でテレビ業界はもちきりですよ」と関係者は語っている。

苦い文学

パワーストーン(2)

「賢者の石?」 友人は酔いが覚めたようだった。「無限の富と不老不死をもたらすという?」

「そのとおりです。私はこの石だけが欲しいのです。私は賢者の石を作る資金が底をつくと、こうやって石を売り歩くというわけです」

「しかし、賢者の石はヨーロッパのものでは?」

「ああ、賢者の石に国境はありません。日本でも十分可能なのです」

「それは知りませんでした」 友人の口調が丁寧になったのに私は気がついた。

「じっさい、この日本でも賢者の石の存在することが古くから言い伝えられてきたのです。賽の河原の伝承はご存知ですか」

「ええ、三途の川の河岸で、子どもたちが石を積み上げていると鬼がやってきて崩す、という話ですね」

「その物語には、日本における賢者の石の謎が隠されていたのです。つまり、子どもたちとは私たち人間です。そして石を積み上げるプロセスそのものは……」

「賢者の石の生成過程だと。だが、鬼がこれを崩してしまう、これはいったいなんなのです」

「ええ、そこが問題なのです。私は当初、石を最後まで積み上げることが賢者の石の完成を意味し、鬼とはそれを妨げるものだと考えていました。そこで、この鬼とはなにか、そしてその鬼を排除する方法を長い間探し求めていたのです。ですが、これはまったくの間違いでした。鬼が石を崩したのち何が起きるか、ご存知ですか」

「もちろん」と友人は震える声で答えた。「地蔵が現れて子どもを救うのです。では、賢者の石とは……」

「そうです。地蔵です。地蔵とは《大地の宝蔵》を意味する言葉です。地蔵こそ最強のパワーストーンだったのです」

しばしの重い沈黙ののち、友人が口を開いた。その声には興奮があった。

「では、どうやってその地蔵を手に入れるのです」

「ああ、そのためにはいくらお金があっても足りないということ以外、お教えできません。私は象徴でもって語りました。お話しできるのこれだけです……とんだ無駄話をいたしました。そろそろ店じまいとしましょうか」

「そんな! 資金難とおっしゃっていましたね。どうか私に支援させてください」

友人の懇願にもかまわず、老人は並べられた商品を片付け始めた。机の下から箱を出し、ひとつひとつ仕舞っていく。

そのとき、罵声が響き、私と友人は強い力で突き飛ばされた。いかつい男たちが机につかみかかってひっくり返した。パワーストーンはきらきら輝きながら地面に散り、あちこちに転がっていった。「誰に許可もらってここで商売してんだ!」 男たちは老人を投げ飛ばし、その懐から、売り上げとおぼしき金銭を掴み取った。

私たちは大慌てで立ち去った。そして、賢者の石を手に入れた老人が、いつかこれらの鬼たちを懲らしめる日が来るようにと祈った。

苦い文学

非対面世界(3)

しかし、その謎はすぐに解けた。授業の後、研究室に戻る途中、たまたま出会った同僚にことの次第を語ると、こう言ったのだった。

「出席代行だよ。そういう業者がいるんだ」

「業者?」

「学生が金を払って、代わりに出席したり、レポートを書いたりしてくれる中国の業者がいるんだよ。こういうのは昔からいたが、オンラインになってから増えてきてる」

「それはひどいな」

「確かにそうだ。だが、事情がある。うちの大学に入る中国人のほとんどは、中国の競争社会で落ちこぼれた学生だ。そこで、親がせめて留学でもさせようっていうので、本人の意思とは関係がなく、日本に来たわけだ。だから、そもそも大学の講義になんかついていけるだけの実力もない。日本語だってろくに話せないだろ。じゃあ、どうしてそんな学生をうちの大学が受け入れるのか」

「ああ、金だ」

「そうだ。連中の親がとんでもなく金を持ってるからね」

「ただ、そういう業者がいて、留学生の親がなんでも金で解決するとしても、それにしてはずさんじゃないか。男と女が入れ替わるなんて」

「もちろん、他の大学じゃあ通用しない。オンラインで 100 人以上詰め込んで、儲けようとしている我が大学ならではだ」

「しかし、わかってしまったからには、そんな学生には単位はやれないな」

「そうだな。だがそれはキリがないぞ。他にもいるのだから、みんな F にしないと不公平だ」

「じゃあ、どうすりゃいい?」

「我々の仕事は学びたい学生に教えることだ。学びたくないヤツらに割く時間はない。それだけだ」

「それこそ不公平に思えるな」

この一言にイラついたのか、同僚はこう言って会話を打ち切った。

「だが、学校の都合というものがある。しかも我々はその金で食ってるんだ」

苦い文学

ガンダム

私たちは認知症について議論をしていた。

「認知症というのは、死にゆく準備にはいったということなんですよ。人間は、生まれたときは純粋な童心というものを持っていますが、大人になるにつれてこれを失います。ですが、死が近づくとその童心を再び取り返す。誕生と死の間に見いだされるこのシンメトリカルな構図は、まさに神の摂理ですね」

もう一人が言った。

「いや、認知症というのは死とはまったく関係のない病気です。認知症の人すべてが高齢者というわけではないですし、認知症でなくても老衰で死ぬ人はたくさんいます。あなたが認知症をそんなふうに妙に美化して捉えているとしたら、とんでもない誤解ですよ」

別の一人がここで口を挟んだ。

「お二人の意見はもっともですが、介護の現場にいる者から言わせてもらえば……」

我々の議論はつきなかったが、結論としては「認知症はニュータイプ」ということに落ち着いた。

もうみんな認知症になるのが待ち遠しい様子だ……