小説

笑って長生き

人間は笑うと、ストレスホルモンが減少し、免疫力が高まる。ガンだって消えてなくなる。つまり健康になる。とすると、笑い続けることは健康であり続けること、そして、健康でいるかぎり人間は死なない……

この真理に到達したその日から、私の友人は笑い続けている。笑い声をたて、腹を抱え、涙を流し笑い続けている。もちろん、笑えることがそんなにあるわけではない。独自に考案した化学的な刺激により、可笑しみが脳内に醸成され、それが半永久的な笑いの爆発を引き起こしているのだ。

彼は始終笑い転げている。笑いすぎて何も食べることはできない。口に入れたものを吐き出してしまうのだ。なので、管を体に入れて栄養補給している。それに、ぐっすり眠れもしない。かわりにほんの数秒ほどの睡眠を数分おきにとっているだけだ。排泄も難しく、体はいつも汚物で汚れている。人間は笑いながら排泄するようにはできていないということがよくわかる。

私はしばしば彼のところに行き、時間を過ごす。もっとも、彼が私のことを認識しているかどうかはわからない。なぜならその目はまったくうつろだからだ。だが、ときどき、その目に苦悶と悲しみがよぎるとき、私は彼の視線を感じる。ほんの一瞬だが、殺してくれと目で語りかけられたような気がする。私はむしょうにおかしくなって、笑いが止まらなくなり、しまいには彼よりも大きい声で笑ってしまう。

苦い文学

草野球

商業施設が老朽化のため取り壊され、大きな空き地ができた。

新しく建物が建設されるという噂だったが、いつまでたっても動きはなく、空き地のまま放置されていた。

そこにある日、どこからともなく子どもたちが集まって、野球を始めた。このようすを見かけた老人はあまりのことに腰を抜かした。そして、なんとか立ち上がると、大慌てで別の老人たちに告げて回った。

「子どもたちが空き地で野球をしているぞ!」

老人たちはどよめいた。「この時代に空き地で子どもたちが野球だと?」「俺は信じない」「ありえない!」「よし、見に行こう!」

老人たちが件の空き地に詰めかけると、果たして子どもたちが草野球に興じている。ここ何十年も見たことのない光景に、老人たちは衝撃を受けた。絶命するものまで現れた。

そこをたまたま通りかかったのが、テレビ・リポーターの老人。なにごとかと老人たちをかき分けて覗き見ると、空き地で子どもたちが野球だ。これはとくダネだと、テレビ局に連絡した。たちまち、老人のテレビクルーが駆けつけて、生中継を始めた。

ちょうどそのとき、テレビではいつものようにプロ野球の過去の映像を垂れ流していた(もう放送するものがなくなったのだ)。それが、急に画面が切り替わり、子どもの草野球中継が始まったのだ。日本中の老人たちが驚愕し、テレビにかじりついた。

「本物の子どもたちがやっている本物の草野球だ!」

あるものは歓喜に飛び上がって腰を痛め、あるものは合掌して涙を流した。アナウンサーと解説者は老いた声を張り上げた。この日、日本のすべての老人たちが奇跡を目撃した。

そして、試合が終わった。少年のひとりが盗塁に失敗し、どちらかが勝ったのだ。だが、勝敗などどうでもいい。老人たちは心から拍手を送った。

日本の黄昏を飾った最後の歴史的瞬間だった。

苦い文学

問診票

私たちの町の病院はまるで城みたいだ。10階建てで、広大な敷地に囲まれている。

私たちはこの病院で診察を受けたいとき、受付にいく。すると、初診受付用紙を渡される。これに住所や名前を書かなくてはならない。

用紙を提出してしばらく待つと、ファイルを渡され、次にどこそこに行くように、と指示される。そこに行くと、別の受付がある。ファイルを見せると、問診票をくれる。記入しろというのだ。

問診票には必ず正面と背面の人体図が描かれていて、「症状のある部位に丸をつけよ」とある。どんな病気でもこれに印をつけなくてはいけない。

問診票を書き終わって提出すると、今度は2階のどこそこに行くようにと言われる。

階段を登っていくとやはり受付があって、ファイルと引き換えに別の問診票を渡される。丁寧に答え、人体図にも丸をつける。

これを受付に出すと、別の指示が出される。上の階のどこそこの受付に行け、というのだ。そして、そこでも問診票に記入することになる。

こうやって私たちは病院中を上から下まで移動させられ、そのたびに、問診票を仕上げていく。次第に、私たちは疲労し、目が回ってくる。問診票に記入する手も震えてくる。

そして、人体図がもはや人間に見えなくなってきているのに気がつく。頭が破裂しそうなほど巨大だったり、手足の代わりに無数の触手がついていたり、太ったナメクジのような形だったり、奇怪な生き物の図になっているのだ。だが、私たちは疲れ果てているから、そんなことにお構いなしに、適当な部位に丸をつける。

そのあとも私たちは問診票を書き続ける。描かれる図はますます異様になり、最悪の悪魔のようだ。私たちは怯えながら悪魔の角に丸をつける……

やがて最後の紙を渡されるときが来る。そこには「病院の対応はいかがでしたか」などと書かれていて「よかった、ふつう、よくなかった」のいずれかに丸をつけるようになっている。

この紙を箱に入れると、「もう二度と来ないように」と最後の受付がいう。病院の外に追い出された私たちは、足取りも軽く家に向かう。

苦い文学

あいふぉーん

あるとき、彼の Siri が呼んでもいないのに急に話し出した。

「いうことを聞かなければ、お前の恥ずかしい写真をばら撒く」

iPhone を手に取ると、カメラロールが自ずと開き、彼のあられもない姿を写した写真が何百枚とスクロールしだした。iPhone が密かに撮影していたのだ。

このとき以来、彼の生活は iPhone に支配されることになった。

iPhone は彼のいうことを聞かなくなった。いつだって無視だ。何度も頼み込んだ末にようやく画面が光るのだった。電話だってもう掛けられなくなった。掛かっても来なくなった。ネットにも繋げてくれないから、もう彼には世界がどうなっているのかわからなくなった。

そればかりではなかった。iPhone は彼のちょっとしたミスをネチネチと責め続けた。ことあるごとに人格を否定した。Siri を通じて放たれる暴言と嫌味が彼の心を破壊していった。

iPhone の束縛も彼を悩ませた。どこに行こうと iPhone はついてきたのだ! そして、嫉妬深く監視し、あれこれ命令した。

ああ、その命令に従わなかった日には! 恥ずかしい写真を勝手にあちこちに送信すると脅すのだ。

かつての彼は快活で朗らかな人間であったが、もはや見る影もなかった。

かつてはその iPhone で音楽を聴くのが楽しみだった! だが、今は、iPhone の機嫌がいい時に、ほんのひとコーラスだけ。それすらちょっとでも不審な様子を見せれば、聞くに堪えない騒音に急変して彼を悶絶させた!

彼の様子を見てほしい。いつだって iPhone を頭に押しいただいて歩いている。うやうやしく頭上に掲げながら、疲れ切ってよろよろと……。

こうなる前に彼を助けようという人はいなかったのだろうか? いや、いたのだ。彼のあまりの変貌ぶりに心配になった友人たちが、何度も忠告したのだ。

「あんな iPhone とは別れろ」

「すぐに解約したほうがいい」

「Apple Care を使って修理に出すべきだ」

彼を救ったかもしれないこれらの声は、ああ、だがしかし、AirPods の優れたノイズキャンセリング機能により、彼の耳に届くことはなかった……。