小説

古書と古着(2)

足を踏み入れた瞬間、店内の空気に常ならぬところがあって、目当てのものに突き進もうとする彼の勢いを削いだ。店の片側にはアンティーク調の棚が並んでいたが、そこには本はなく、色とりどりの衣服が段々に詰められていた。そして、反対側には重たげな色調の上着がぎっしり並べられている。戸惑いながら彼は足を踏み出したが、その足は床に並べられたエナメルの靴の列を乱した。

それらの衣服の襞の奥に、丸い黒縁の眼鏡をかけた痩せた男が立って、冷たい目で闖入者を見つめていた。友人はショーウィンドウにある本のことを尋ねた。店員は怪訝な顔をしている。友人は深呼吸して、もう一度、繰り返した。

「ああ」と店員は合点が行った表情で答えた。「すません。あれは売り物ではありません。ディスプレイ用のです」

思いもよらぬ言葉に驚いた友人がさらに尋ねると、あの宝物は、この古着屋で飾りとして用いられている「アンティーク洋書」であることが明らかになった。

「それでもいいです。ぜひ売ってください」

店員は困った顔で説明した。これらのディスプレイ用の小物は専門の業者からレンタルされているものなので、勝手に売ることはできない、と。

「では、その業者の連絡先を教えてくれませんか」

そのとき、古着屋の扉が押し開けられ、二人組が入店してきた。古着屋の店員は客に声をかけ、その動きをゆっくりと目で追いはじめた。友人が声をかけて注意を引くと、店員は丁寧に、だが話を打ち切るようにこう言った。

「業者に連絡をしておきますので、明日、またご来店ください」

店を出た友人は、ショーウィンドウからあの一冊をもう一度確認しようと立ち止まった。だが、まるで、往年の大スターが、場末の劇場でもぎりをしている姿を見るような気がして、そのまま立ち去った。

苦い文学

三日会わざれば

【ザンゲー通信社:記者の目】
世界中がアメリカのトランプ大統領の言動に振り回されています。なにしろ言うことがコロコロ変わるのですから当然です。

本紙でもすでに報じたように、先週、トランプさんは、ウクライナのゼレンスキー大統領のことを「選挙を経ていない独裁者だ」と非難しました。

ところが、昨日、記者とのこんなやりとりが飛び込んできました。

記者「まだゼレンスキー氏を独裁者だと思っていますか?」
トランプ大統領「私がそんなこと言いましたか? 信じられません。で、次の質問は?」

この報道に触れたとき、私は思わず目をこすりました。これを刮目と言うのですが、まさに「トランプ三日会わざれば刮目して見よ」です。

このことから、私があらためて思ったのは、トランプさんこそ、インターネット時代の政治家だということです。なにしろ、いつの間にか内容が更新されているのですから。

ですので、これからトランプ大統領について報じるときは、私たち記者は「トランプ大統領(最終閲覧日:2025年2月28日)」とする必要がありそうです。

苦い文学

黄色い線まで

今日、田端駅のホームで山手線を待っていたら、いつもの日本語のアナウンスのあとに英語で奇妙なアナウンスが聞こえてきた。なにぶん急なことだったので、記憶もやや曖昧だが、覚えているかぎりここに書き記しておきたい。


まもなく2番線に渋谷・品川方面行きが参ります。危ないですから黄色い点字ブロックまでお下がりください。Your attention please. The train bound for Shibuya and Shinagawa will soon arrive on track No. 2. For your safety, please stand behind the YELLOW line. Stand! Stand behind the YELLOW line! Yes fucking YELLOW line! You, white people call us YELLOW. You thought that you are more clever than us. You thought that you have right to dominate us. Why? Because you thought that you are white and we are YELLOW. Now we don’t let you do this! Here is our country. OUR JR-EAST. OUR YAMANOTE Line. Now you have to stand behind the YELLOW line. Because this is OUR LINE! Now you have to stay behind the YELLOW. Yes BEHIND US! Now you have to obey the YELLOWs. YELLOW is good, great, and No. 1! Now you bastards have to stand FUCKING behind the YELLLLOOOOOOW line! 田端、田端、ご乗車ありがとうございます。2番線ドアが閉まります。ご注意ください……

苦い文学

ありがとう、オリンピック

2020東京オリンピックが決まったとき、喜ぶ人々の中で、こう警告した人がいた。

「いや、これは東日本大震災以上の災厄になるぞ」

私はこの警告を心の中にとどめた。数年後、コロナが来て、2020年のオリンピックは延期された。

そのまま中止になるかと思いきや、2021年、大勢の人が反対する中、オリンピックが開催された。反対する声も、実際に歓声が上がりだすとだんだんとかき消されていった。

そして、その翌年、東京オリンピックをめぐる大規模な汚職が明らかになった。その全貌はいまだ明らかになってはいないが、このニュースを聞いて、誰もが理解した。あのときどうして関係者たちが、反対の声にいっさい耳を貸さず、オリンピックを強行したのかを。儲けがふいになるからだ。

コロナで人が死のうとどうなろうとかまうもんかだ。これを災厄と言わずして何を災厄と言おうか。

オリンピックは平和の祭典だ。オリンピック憲章のオリンピズムの根本原則にも「平和な社会の推進を目指すために(中略)スポーツを役立てること」だと書いてある。

オリンピックは平和そのものだし、戦争とは真逆の存在だ。だが、私たちにわかってきたのは、オリンピックでも、戦争でも結局、儲けるのは同じ悪党で、金を搾り取られて死ぬ思いをするのは私たちだということだ。

こう考えてみると、オリンピックには開催されない年があって、そのときだけは平和に過ごすことができるのは、ありがたいことではないか。

苦い文学

基ワン研究 (D)

科研費というのは日本学術振興会による研究費の助成であり、日本の研究を支える重要な事業だ。

科研費をもらうためには、研究計画調書を書いて応募しなくてはならない。その調書を、審査委員が審査し、採否(と金額)が決定される。種目にもよるが、採用されるのは3割弱だ。

今日、2月28日は、その科研費の採否の通知が行われる日で、日本中の研究者が喜んだり、残念がったりしていた。

そして、私はといえば残念がるほうだった。落ちてしまったのだ。

私が応募した研究課題は次のようなものだった。

「生類憐れみの令の史的インパクト:現代の犬たちの証言をもとに」

わかりやすくいえば、犬公方の名で知られる徳川綱吉のことを、現代の犬たちがどう思っているかについての研究だ。

感謝している犬もいるだろうし、批判的な見方をする犬もいるかもしれない。犬それぞれだろう。いずれにせよ、これまでの歴史家たちは、生類憐みの令が人間に与えた影響について研究するばかりで、犬たちの考え・評価についてはまったく無頓着だったのだ。

こうした状況において、犬への大規模なインタビュー調査の実施とその分析には意義があると自負していたが、審査委員に十分伝わらなかったようだ。

もう一度、研究計画を練り直し、しっかり準備をして、来年度の科犬費にチャレンジしたいと思う。