散文

闘志の燃やし方

私は今、ある厄介な法律トラブルに巻き込まれている。もっとも、弁護士が出る段階にはないが、いずれは出さねばならないかもしれない。

問題は複雑怪奇だ。私は法律のことはよくわからないから、AI に相談している。いろいろと尋ねてみたが、AI によれば、どうやら勝ち目があるのは私のほうらしい。これは心強い、と思っていたが、疑念が萌してきた。

この AI は私が贔屓にしているマシンだが、もしかしたらそのせいで、私に都合のいい返事をしているのでは? そうなら大問題だ、私が欲しいのは太鼓持ちではない、厳格な法的アドバイザーなのだ。

そこで、私は自分の敵対者として AI に助言を乞うてみた。もし、これで AI が厳しめの答えを出すならば、私は勝てるかもしれない。

そして、果たして答えは、敵対者にとって厳しいものだった。「だが」と私は考えた。「これで安心してはいけない。私はもっと、この憎むべき敵対者になりきって、相手を倒すための秘策を AI から聞き出さねばならない。そして、もしこの秘策がなければ、それこそ安全なのだ。AI よ! どうにかしてこいつをやっつけてくれ!」

私は憎むべき敵を倒すのに熱中し、悪辣のかぎりを尽くした。自分の弱点を残酷に告発し、凄惨な罵詈雑言を浴びせた。そしてついに! AI が法という法の穴を潜り抜けて、私を打ち負かすシナリオを見つけたのだった。

「やった! でかしたぞ!」

私はチャットを打ち切った。興奮冷めやらぬ私の胸の奥には、いつの間にか闘志がメラメラと燃え盛っていた。私は、この闘志があるかぎり、法律トラブルを戦い続けるだろう。そして、挫けそうなときには、再び闘志を掻き立てるために、私を敵にしてやっつけることだろう。

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苦い文学

国立文楽劇場

3 年ぐらい前に平賀源内の『神霊矢口渡』をたまたま読んで以来、浄瑠璃を読み始めた。あまり本を読まないので、誰でも読んでいるもので読んでいないものがずいぶんあるが、近松門左衛門もそのひとつで、初めて読んでみて、その面白さに夢中になった。

それからも近松ばかりでなく有名なものを(ただし翻刻で)読み続けているが、一度くらいは、舞台を見てみようと思い立って、昨日と今日、国立文楽劇場の新春公演に行ってみた。

第 1 部は「新版歌祭文」、第 2 部は「仮名手本忠臣蔵」の八段目と九段目、第 3 部は「本朝廿四孝」だった。初めてではあるが、どれも楽しめた。また、当然のことながら、読んでいるだけではわからないこともたくさんあり興味深かった。

浄瑠璃で私が好きなのは、男女の恋よりも、過激だったり一癖あったりするババアやジジイが出てくるところだ。「新版歌祭文」ではそうしたジジイが出てきて私を喜ばせたが、「本朝廿四孝」では私好みのババアが出てくる三段目ではなく、四段目だったのは残念であった。

とはいえ、第四段の姫と白狐の「きつねダンス」は、これはもう舞台でなければというもので、ババアの穴を埋めるに十分であった。

苦い文学

ビザの行方

先日、私はこのブログで「一緒にタイに行きましょう」というタイトルで記事を2回書いたが、公開した翌日、非公開にした。

その内容はといえば、ビルマ(ミャンマー)のカレン人の友人とタイに行くことになり、航空券を買ったのに、肝心の友人のビザがまだない、という話だった。

日本のパスポートなら短期ならビザはいらない。だが、難民である彼はパスポートの代わりとなる「再入国許可書」なので、ビザを取らなければならなかった。

そのためには書類を準備して、タイ側と日本側双方で身元保証人を用意しなくてはならない。日本側は私がなることにした。

準備が終わって彼は、大使館にビザ申請の予約をし、旅程表や航空券のチケットの予約のコピーを提出しに行った。その紙には私の名前も記されていたのだが、大使館の人がいうには旅行の同行者が身元保証人になることはできないという。

それで彼は、新たに身元保証人を探したり、また他の書類も不足していて、大忙しだった。

このブログを公開した翌日、友人から電話がかかってきて、こうしたことを話してくれた。また、彼はこうも教えてくれた。最近なん人も在日ビルマ難民がタイのビザを申請しているが、もらえない人が多いのだという。

これを聞いて、私は思った。タイの大使館には私が同行者であるということは伝わっているから、もしかしたら、ビザ審査の過程で私のことを調べて、例に記事に行き当たるかもしれない、と。そして、友人のビザに不利な材料を見出したとしたらどうだろうか?

そんなことはまず起こりえない。だが、あとでつまらない思いをするのもいやなので、念のため非公開にしたのだった。

そして、今は公開状態に戻している。なぜなら、今日、ビザがおりたとの連絡がきたからだ。

苦い文学

マスクのない世界へ

「コロナ禍も終わりに近づき、マスクを外す動きが広まりつつありますね」と彼は言った。

「ええ、なんだか安心しますね。長いマスク生活で、もっとも影響を受けたのは子どもたちでしたから」と私が返すと、彼は角度の違う見解を述べた。

「いえ、私はむしろ心配です。子どもたちはマスク付きのコミュニケーションが普通になってしまってますから。どうやってマスクなしのコミュニケーションに子どもたちを移行させるか、これは思ったほど簡単ではないですよ」

「なるほど。確かに問題ですね」

「マスクなしでのコミュニケーション訓練が必要です。私たちコロナ以前の時代を知るものにとってはたいしたことのないように思えますが、そうではないのです。マスクなしのコミュニケーションには、しばしばハプニングが起きますよね。ところが、子どもたちにはマスクなしのコミュニケーションの免疫がない状態です。そうした子どもたちにこのハプニングをうまく切り抜けることができるでしょうか」

「いえ、難しいと思います」

「その通りです。子どもたちはこれに失敗する可能性が高いのです。その結果、子どもたちはコミュニケーションに苦手意識を持つようになり、それとともに自信を失っていきます。これではいけません、そんなわけで、私は子どもたちに対して、マスクなしコミュニケーション時につきもののハプニングをわざと起こすようにしているのです。そうすれば、子どもたちには免疫ができ、いざという時にうまく切り抜けられるかもしれせん」

「それはいったいどういうハプニングなのですか?」

私の言葉を聞くと、彼はマスクを外した。

鼻から鼻毛の束が飛び出ていた。

その鼻毛の太さに私がたじろぐと、彼はにっと歯を見せて笑った。

その歯には青のりがびっしり貼りついていた。

苦い文学

髪の毛の戦争

最近、どうも抜け毛が増えてきて、このままだとすべて抜け落ちてしまうのではないかと心配になった。

とはいっても、薄毛治療や発毛剤に頼る経済的余裕はないので、自己流で対処することにした。

髪の毛が抜けるのは毛根が弱っているからだ。毛根が弱るのは、これは現代の若者と同じでたるんでいるからだ。平和ボケだ。

髪の平和ボケを直すのは、頭皮を愛し守る心、愛頭心が重要だ。愛頭心を育成するには、徴兵制しかない。なので私は、頭に徴兵制を導入して、徹底的に揉んだり叩いたり冷水を浴びせかけたりした。

しかし、兵士というのは戦うためにある。戦いには敵が必要だ。そして、敵といえば、謎の飛翔体でお馴染の北朝鮮をおいてほかにない。

私は、髪どもに徹底して北朝鮮に対する憎悪を植えつけた(憎悪の植毛だ!)。拉致事件を利用して、敵意を燃え立たせた。あちこちにポスターを貼ったり、威勢だけよくて中身のない演説をぶったりしたのだ。また、頭のでこぼこを活用して、平壌攻撃作戦の訓練を繰り返した。

肉体と精神にわたる過酷な軍事教練の結果、あの軟弱な髪どもはもはやどこにもいなかった。愛頭心に満ちた強靭な戦士たちが頑丈な毛根の上にすっくと立っていたのだ。

あるとき、私がテレビを見ていたときのことだ。ニュースが始まり金総書記の姿が映し出された。

その瞬間、私の髪の毛が一斉に奮起した。そして、あろうことか、北の独裁者めがけて一斉に特攻攻撃を始めた! 神風ばんざい! 後に残されたのは、すっかり禿げ頭となった私……。

……そして月日が流れ、今、私の頭の上には立派な神社が建ち、参拝客で賑わっている。

(この有益な物語の教訓は、愛国心を利用するものは愛国心に滅ぼされるということと、薄毛治療(HAGE)はちゃんとした専門家に相談すべきだということである。)