旅・観察

自動車の修理

チュニジアのピーマンは日本でいうシシトウを大きくしたような形をしている。辛いものが多いので、ピーマンといったらいいのか、大きい青唐辛子といったらいいのか、よくわからない。油で揚げたものがクスクスなどの料理の上に載っていることがよくある。表面の皮を剥いて食べることもあるようだ。また、グリルして皮を剥いたピーマンを、やはりグリルしたトマトなどと一緒に潰して食べる。これはサラータ・マシュウィーヤといって、直訳すると「焼きサラダ」だ。チュニジアに行けば、誰でも必ず食べる料理だ。

さて、Sさんが仕事で車を借りなければいけなくなった。

友人の車を借りる予定だったのだが、それが故障してしまったのだという。どういう故障かというと、詳しくはわからないが、水が漏れてくるのだという。おそらくラジエーターとかの話だろう。

その友人が町工場に車を持って行ったら、整備士がこんなことを言ったという。

「これを修理する特別なやり方を教えてあげよう。まずピーマンの粉を用意する。それから水が漏れる箇所にその粉を入れる。すると水漏れの穴をその粉が塞いでくれる。これで問題ない」

Sさんはこの話をすると「さすがに日本でもピーマンで車を修理しないだろう」と笑った。

苦い文学

『中車藝話』

『中車藝話』(築地書店、昭和十八年刊)は、明治から昭和初めにかけて活躍した歌舞伎役者、七代目市川中車の自伝だ。いつどこで、そしてどうしてこの本を買ったのか、自分でも覚えていないのだが、とにかくいつも本棚にあるので、このあいだ読んでみた。

そしたら、奇妙な話ばかり出てくる。もしかしたら、私が知らないだけで、誰でも知っているような話なのかもしれないが、面白かったので、そのいくつかを思いつくままに列挙しておく。

・市川中車は幕末から子ども役者を務め、いわゆる「どさまわり」を経験した人だが、そのどさまわりのとき、墓場で死体に噛みつかれた。
・14〜5歳のころ、パトロンに連れられて遊郭にいく。すると、花魁が役者に惚れて困るのでウチは役者を客にしない、と遊郭の主人に断られる。面目を潰されたパトロンが後日、現代のドラマでは決して放送できないような手段で仕返しする。
・深い仲になった花魁と心中しようとして、かえって別の心中を助ける。
・盲目の役者が化狸に導かれたという。
・出かける前に神棚に魂を置いていく役者がいたそうだ。
・亡くなった前妻が心霊現象を引き起こす。

私は歌舞伎のことなどまったくわからないので、芸に関する話はほとんど理解していないと思う。だが、それでも普通の読み物として十分に楽しめた。

苦い文学

命を守る

その人が颯爽と現れたとき、私たちはついに新しい時代の幕が開いたと感じたものだった。その人は私たちにこう約束したのだった。

「私はみなさんの命を守ります。暮らしを守ります。そして、この国を守ります」

私たちの国はといえば敵ばかりで、私たちの命はまさに脅かされていたのだ。私たちはその人に全面的な信頼を寄せ、自分たちの命と暮らしと国が守れるよう国民の先頭に立ってほしい、と要請したのだった。

そして、ついにその人の時代が訪れた。私たちにとって、その人と同じ空気を吸い、同じ国土をともに歩むことは、なんという誇りであったことだろうか。その時代は30年もの長きにわたり、その人が凶弾に倒れるまで続いたのであった。

その人がこの世界を去ったとき、私たちは改めて感嘆した。「あの人は約束どおり、私たちの命と暮らしと国を完璧に守りとおした!」と。

私たちの命の扱いも、暮らしの程度も、国の在り方も、まったく30年前の姿そのままに守られたのだった。

現在、すっかり痩せ細ってしまった私たちは、ときどき伝わってくる外国の豊かで楽しげな生活を見ながら「守るよりも、ノビノビさせるほうが大事だったのでは?」などと考えている。

苦い文学

シネクドキ

シネクドキは、比喩のひとつだ。『明解言語学辞典』では、「特殊なものによって一般的なものを表す、またはその逆方向の転用」とされる。

「特殊なものによって一般的なものを表す」とは、どういうことだろうか。たとえば「お茶に行かない?」や「お茶しない?」の「お茶」がよく例に出される。

ここでいう「お茶」とは、緑茶や紅茶でもありうる。だが、通常は「お茶に行かない?」というと、「喫茶店で何か飲まない?」という意味だ。だから、実際には「お茶」にはコーヒーやココアやレモンスカッシュなども含まれうる。

つまり、「お茶」という特殊なものが「飲み物」という一般的なものを表していることになる。

その逆の「一般的なものによって特殊なものを表す」例はなにかというと、「花見」がしばしば挙げられる。

「花見に行く」といっても、見にいくのは普通はバラやチューリップではない。サクラだ。つまり、「花見に行く」の「花」という一般的な名詞は、サクラという特殊なものを表しているのだ。

では、それぞれ配偶者のいる男女が、いっしょにお茶して、花見に行った結果、不倫に発展したとしたらどうだろうか。

「不倫」とは「倫理に反すること」を意味する一般的な語にもかかわらず、常に「配偶者のいる人が、別の異性と性的関係を持つこと」という特殊な意味で用いられている。不倫もシネクドキだったのだ。

だから、この2人についていえば、不倫関係というよりも、シネクドキ関係といったほうがより適切であろう。

苦い文学

韓国語(朝鮮語)を勉強していると、日本語と類似する点が多いので驚かされる。

語順もそうだし、「は」や「が」にあたる助詞があるのもそうだ。

日本語と朝鮮語は言語系統上は無関係であるというのが定説だとは知っていても、この類似はどう見ても偶然とは思えないのだ。

しかし、さらに勉強すると、韓国語と日本語にはずいぶんと違う点もあることもわかってくる。

語彙や形が違うのはもちろんだが、そういう問題ではなく考え方が違うようなのだ。たとえば複数を表す「〜たち」に似たものが韓国語にもあるが、日本語の「〜たち」が基本的には生きているものだけなのに対して、韓国語では「問題たち」「本たち」などというのもできる。また、所有などを表す「の」にあたる韓国語の単語もあるが、これも日本語の使い方とは異なる。

これらはよく知られた事例で、他にももっとあるのだ。こういう違いに直面すると、だんだん、韓国語と日本語が似ているのは単なる偶然のように思えてくる。

こんなことを韓国語を教えている韓国人の先生に話したら、これは「韓国語学習者あるある」だとのこと。

はじめは日本語に似ているからどんどん伸びるが、だんだんと違いが見えてくると、思ったように学習も進まなくなる。この時期は「韓国語の最初の壁」なのだそうだ。

ハングル検定5級に落ちるというところから始めた、私の韓国語学習も、ようやく壁が見えるところにまで辿り着いたというわけだ。